松かさの香合

 先月から茶道教室に入会し、精神統一をはかっている。先週の日曜日(6日)、床の間には般若心経と仏が描かれた掛け軸、松かさの香合、そして、菜の花が飾られていた。
 茶道講師は静かに語られた。「掛け軸の般若心経は父親が書きました。仏画は母親が描いたものです。松かさは陸前高田の松を想って飾りました。今日は震災と津波で亡くなられた方達を偲びましょうね」
 その後、皆で食事をした時、講師は動揺することなくおっしゃられた。
 「2日に母が亡くなりました。94歳でした」
 それを聞いて、お母様が描かれた仏さまがとても神々しく思われた。
 生あるものはいつか……。死をうけとめ、前を見つめる。その繰り返しが人を強くする。

バンコクぶらぶら(終)

 ホテルから空港まで乗ったタクシーの運転手はきびきびした女性(55歳)であった。昔、アランヤプラテートの難民センターでボランティアをしていたので英語が得意。御主人は会社で運転手をしているが、息子と彼女はタクシーの運転手をしている。だが、数年前、ローンが返せなくて、家を売却。昨晩も空港へ行ったが、次なるお客さんがパタヤへ行きたいというので送り届けた。そのため帰宅は零時を過ぎていた。彼女の身の上話だけでも小説が書けそうだ。
 そういえば、エステの女性もマッサージの女性も、そして、美容師も、皆、丁寧な仕事をしてくれた。前向きに働く女性達に会って、今回の旅はとても気持ちのいいものになった。
  

バンコクぶらぶら(14)

 今回のタイ旅行の第一の目的は、アメリカ在住の兄夫婦が結婚50周年を記念して、タイとアンコールワットへ金婚旅行に行くことになったので、私の専門域であるタイで御祝いをすること、そして、バンコクを案内することであった。
 同じホテルに2泊し、バンコクのピンからキリまで見て回ると、旅行に出る前に十分なる知識を仕入れて来ていた兄がこう言った。「やはり来てみるもんだ。実際に見ると、違うなあ」 これぞまさしく百聞は一見にしかずだ!
 アユタヤ、スコータイ、チェンラーイ、そしてチェンマイまで行く観光バスの運転手と歓談したが、助手付きとはいえ、一人で全旅程を運転すると聞き、その頼もしさに感服。人の良さそうなタイ人であったので、「兄夫婦を宜しく」とお願いしたら、にこにこして、写真におさまってくれた。
 

バンコクぶらぶら(13)

 2月23日夕方、空港へ向かう前の2時間、日本からお母様(80歳)を連れて、ここ数年、タイへ避寒に来ておられる元生徒さんとお会いした。日本を出る前から会う約束をしていたので、お互いに数日間のタイに於ける感想をあれこれと喋り、旅の疲れをほぐした。
 ここ最近、バンコクの物価が上がったように思うという人が多いが、なるほど、私もそれを実感した。生鮮食料品、服、レストランでの食事、いずれも皆、高めの値段だ。マーブンクローンの中で売っているグリーン・コットンのTシャツ屋も、「工場価格よ」と言って、これ以上は絶対に負けないという強い姿勢を示した。
 バンコク銀行の封筒には、「เพื่อนคู่คิด มิตรคู่บ้าน We care for you wherever you are」と書かれているが、いつもいつも銀行にお世話になっているようでは、貯金どころか、お金がいつの間にか消えていきそうだ。

バンコクぶらぶら(12)

 バンコク最後の日、国立競技場横に在る教科書会社へ行き、生徒達への土産として参考書を30冊ばかり購入。もっと買いたかったが、重さに限界を感じ、思いとどまる。サイアムスクウェアのノボテルホテルまで歩いていけない距離ではないが、行きも帰りもBTSに1駅だけ乗った。
 すでにチェックアウトをしていたので、参考書の包みをホテルのベルボーイがいるカウンターに預けた。そして、今度はチュラ大のブックセンターへ。歩いて5分もかからない。新刊の小説がずらりと並んでいたが、小説を読んでいる時間は現在の私には無い。したがって、犯罪関連の本を数冊、買った。
 帰路、暑くてたまらなかったので、S&Pレストランに立ち寄り、ココナツアイスクリームを食べて、一息入れた。

バンコクぶらぶら(11)

 バンコクでは大学で私からタイ語を習ったS君(30歳)にもお会いした。バンコク在住6年目の彼は運転手付きの車で私を迎えに来てくださった。そして、ラーマ4世通りを通ってプラカノン方面へと車は進んで行く。
 「あら、この辺りは私が44年前に初めてバンコクに来て最初に泊めていただいた家に近いわ」、と、私は思わず言った。
 「僕、この辺りに住んでいるんですよ」と、S君が土地に馴染んでいるかの如く、自然に応じた。
 ラーマ4世通りからスクムビット通りに抜ける道沿いの光景は昔の雰囲気をいまだにとどめていた。
 S君は「ต้นทอง トン・トーング 黄金の木」という名前の美味しいタイ料理店へ連れて行ってくださった。
 「この店の発音、難しくて…」とS君。「無気音と有気音、そして、末子音のnとng、そして、声調が下声と平声だから、正しく発音するのは、日本人には大変ね」 
 そういう私はいつのまにかタイ語講師の顔になっていた。
 

バンコクぶらぶら(10)

 トンブリの辺鄙なところにあるバンコク銀行バンイーカン支店で用事を済ませた後、帰りもタクシーを拾った。来る時に乗ったタクシーは昔風の旧型で、運転手も老人。ところが、帰りのタクシーは新車で、運転手も精悍だ。これはラッキーと思って、サートン・タイまで行くように告げた。
 ところが、このタクシーでひどい目にあった。若い運転手だから、スマホのラインをしまくりである。1分ごとに、「ライン」、「ライン」と着信の声がうるさい。
 ラインがやっと終わったかと思うと、今度は誰かと喋りまくっている。なかなか話をやめようとはしない。よくよく聞くと、麻薬の話ばかりしているではないか。「いまに捕まるかも。やばい」とか言っている。タクシーの運転手がヤー・バーに夢中なのは昔からよく聞いているが、今も相変わらずとは…..。
 彼が静かになった時点を見計らって、本人自身のことや家族の話を聞いてみた。彼は39歳。車のローンが重くのしっかかっている。息子は5歳。4時には幼稚園へ迎えに行かなくてはならない。間に合わなければ、おばあちゃんに連絡して、代わりに行ってもらうそうだ。奥さんも働いているが、生活は苦しい。
 ヤー・バーにはまっていてはだめ。外見から判断する限り、立派な男に見えたが、この先、彼の将来は果たしてどうなることやら。

バンコクぶらぶら(9)

 タクシーに乗ってトンブリのバンイーカンというところまで行ったものの、見覚えのある町の風景とは違っていた。運転手に向かって、「ここじゃないわ。バイクタクシーのお兄ちゃんに訊いてみてよ」と言った。
 しかし、誰も知らない。どうにかこうにかぐるぐる回って、もう一度、年寄りの運ちゃんに訊いてもらったら、「あそこを右に回れば左手にあるよ」と言われ、安堵した。ところがその支店は私の行きたい支店ではなかった。
 それから、またぐるぐる。国王の御座船を維持管理している場所の辺りを通った時、私の気持ちは変わった。よし、観光していると思えばいい、と。
 結局、誰もバンコク銀行バンイーカン支店を知らなかった。タクシーの運転手が得意げに言った。
 「いい考えがある。さっき行った支店に戻り、銀行員に尋ねてみますよ」
 そりゃそうだ。それが一番。よくよく考えてみると、一般市民はATMで済ませているわけだから、支店の名前と場所を覚える必要がないわけだ。
 やっとバンイーカン支店に着いた。銀行の中にはあまり人がいない。私のパスポートを更新し、お金を下ろす手続きを待っていると、僧侶が入って来た。僧侶が通帳を持っているとは! 非常に不思議に思った。

バンコクぶらぶら(8)

 私はバンコク銀行に1995年から口座を持っているが、ATMだと、一日の引出し限度額が2万5千バーツだ。しかし、もう少し必要となったので、サイアム駅のすぐそばにあるバンコク銀行に行き、引出し用紙に必要事項を書いた。ところが、記載しなければならない項目が多すぎて面倒臭くなった。そこで、案内係の男性に尋ねた。「どこまで答えればいいのですか?」 彼はこう言った。「引き出し用紙? 別に書かなくてもいいですよ。そのままカウンターへ行ってください」
 私は非常に不思議な気がした。何も書かなくてもいいのであれば、用紙なんか置いておかなくてもいいではないか。
 カウンターの女性に通帳とパスポートを提示しながら引出し金額を言うだけでよかったが、事はスムーズに行かなかった。
 「あなたのパスポートは更新されていません。記録では旧いパスポートのままですから、下ろすことはできません」
 「2年前に来た時、他の支店で下ろせましたよ」
 「そうですか、じゃあ、今回に限り、特別に」
 私はやれやれと思った。しかし、結局、コンピューターが私の希望を受け付けなかった。
 「最初に口座を開設した支店へ行き、そこでパスポートの記録を更新してください」
 私が口座を開いた支店はトンブリに在る。行くのが面倒だ。だが、致し方なくタクシーに乗った。
 

バンコクぶらぶら(7)

 バムルンラート病院(โรงพยาบาลบำรุงราษฎร์)のインターナショナル部門で診察を受けたわけだが、1階の案内係、10階の案内係の女性はスタイルがよくて美しい。そして、とても優しい話し方をした。これなら毎日やって来たいと思う人がいても不思議ではない。しかし、子どもは病院の空気を察して、よく泣いていた。
 診察を受けるまで、待っている方達を観察した。驚いたのは、中東からの患者が多かったことだ。身につけている服装で一目瞭然。さらに驚いたことは、看護師センターの中に、中東の服装型をした看護師の白い制服を着て、頭にかぶっている白い布の上に看護師の帽子をつけていたことだ。専属の看護師がいるということは、アラビア語ですぐ応対するようになっているのであろう。他にインド人も多々、見かけた。
 エレベーターの横には、電光掲示板が有り、建物の中にあるすべての施設を各階ごとに説明しているが、よく見ると、1分ごとに、言語が変わる仕組みになっていた。「あら、日本語だわ」と思ってゆっくり眺めていると、ミャンマー語になった。英語、中国語、アラビア語、次から次に言語が変わる。親切なシステムだ。ジュースも水もすべて無料。飲みたいだけ飲める。日本語の新聞も有った。
 ところで診察料だが、問診と注射1本で1800バーツ。旅行保険でまかなえたので、私は支払う義務がなかった。