タイ語をしっかり勉強しましょう!

今日から新年度のスタート。タイ語の勉強もフレッシュな気持ちに切り替えて、さらなる上達を目指しましょう!
 決心というものは、とかく1月1日元旦に宣言するものですが、4月1日に宣言するのもいいことだと思います。
 タイ語の勉強に関して言えば、やはり、一にも二にも発音ですね。発音が下手だとタイ人に伝わらないですから。
 タイ語教室でタイ語を習うにあたっては、発音を磨いてください。発音ですよ。発音が肝心。
 次に、単語をたくさん覚え、語彙力をつけてください。そして、言いたいことを正しい語順で発言なさってください。
 タイ人講師に向かって、一日の行動、そして、自分の考えや感想を伝えてみてくださいね!

音感が肝心

個人レッスンを受講しておられるMさんが昨晩、最後の授業を受けに来られた。わずか6回、時間にして9時間しか勉強されなかった。理由は4月中旬にはもうバンコクへの赴任が決まっているからである。
 毎回、タイ人講師と私の二人で効率良く授業を展開したが、Mさんの音感の良さにはほれぼれとした。タイ人講師も同感であった。語学を習うには音感が肝心。これに尽きる。
 皆さん、「タイ語は趣味です」とよくおっしゃるが、教える側から言わせていただくと、趣味だと言って自分を甘やかせていると、上達するのに時間がかかる。若い時の情熱を思い出して、ご自分に厳しく号令を発し、脳みそも、そして、発声器官も鍛えよう。集中する時間も肝心ですよ。

物真似の上手・下手

昨晩、「タイ語中級 火曜日19:00」のクラスを久しぶりに視察した。『タイ語中級』の最後の章である第15課に入っていた。生徒は全員が出席。
 第15課の内容は趣味を話題にしている。会話文の中でカメラ(กล้องถ่ายรูป)という単語が出てくるが、皆さんにとって発音が難しそうであった。タイ人が写真を撮るという文章は、「คนไทยถ่ายรูป khon-thai thaai-ruup」であるが、タイ人のthaiと、写真を撮るのthaaiの発音の相違が分からないと生徒達に言われた。
それは皆さん、耳が悪いとしか言いようがない。タイ人講師はネイティブとして、完璧なるタイ語を発音しているわけだから、しっかりと物真似するしかないのである。
 俳優や声優にタイ語を教えたことがあるが、彼らは物真似が上手だった。勘がいい。身体ごと覚えようとするから、とても教えやすかった。「何故、そんなにすぐ発音できるのですか?」と尋ねると、きっぱりと答えた。
「何度もNGを出しているようでは、次から仕事がもらえません」

山手線で会ったアメリカ女性

 昨夜、高田馬場の教室へ急いで行こうとして、品川から山手線に飛び乗った。車両は混んでいた。大きなスーツケースを持ったアメリカ人女性二人が座席に座っていたが、一人がさっと立ち上がり、高齢の日本人男性に席を譲った。そして私にも座りなさいと指示を出す。身体が大きな彼女が立ち上がったところには二つの空席が出来たからである。
 私は座っているもう一人の女性に話しかけた。彼女はロサンゼルス在住で、日本に来たのは初めて。桜見物に来たそうだ。
 「ああ、桜ね」と、私が言うと、「サクーラ? What?」と聞いてきたので、「cherry blossomのことよ。発音はサクーラではなくて、サクラ。もし発音が難しければ、Sacramentoのsacraと思って発音してみればいいわよ」と教えてあげると、すぐに発音が出来た。
 席を譲ってくれた女性は横田に住んでいるとのこと。米軍関係者であろう。とてもさばさばした女性であった。これからの一週間、友人を案内して京都、広島へ行くそうだ。

短編小説

『日本短編文学全集』(昭和43年)所収の「質屋の女房」(安岡章太郎著)を読んだ。青年が学校へも行かず、悪所通いをしていたが、金欠のために外套を質に出す。だが何度も質屋に通ううちに、多くの青年達が戦争に行く前に質屋に持って来た文学全集の整理を質屋の女房から頼まれる。やがて、過去が有りそうな彼女とほんの瞬間だけ心が通い合った。彼女が青年の胸に飛び込んできたからである。帰宅すると、母親から赤紙が来ていると知らされる。出征の日、質屋の女房は彼が質に出した外套を持って来て、「途中で風邪をひかないように….。それから、これは失礼かもしれませんけれど、あの方はあたしからのお餞別にさせて」と言って手渡す。なかなかしんみりとさせられる小説だ。
 昨日、私は仕事で板橋の方へ行った。日曜日なのでチェーン店を除き、ほとんどの食堂が閉まっていた。どうにか見つけた食堂に入ると、店主は普通に頑張っていた。かなりの歳かなあと思いながら、それとなく尋ねてみると、私と1ヶ月しか違わなかった。もっといろいろと話したかったが、横にいる奥さんの目が複雑そうであったので、そそくさと店を出た。私も短編小説がかけそうだ。

熊野筆

去年の夏、浅草を歩いていると、広島県産の「化粧用熊野筆」を売っている店を見つけた。すばらしい製品であることは、2011年に内閣府から<なでしこJAPAN>に国民栄誉賞の副賞として渡されたことで分かっていたが、とても買える値段ではないと思ってあきらめた。
 そして、去年10月と12月、広島へ連続して行った時、泊まったホテルのロビーに飾ってある「熊野筆」を見て、ああ、欲しいと思ったが、販売店を探す時間がなかった。
 先月、結婚式に行った時、引出物として頂いたカタログをパラパラめくっていると、「熊野筆」が有った! すかさずそれを選んだ。そして、5日前に配送されて来た。1947年から製作されているということは、私とほぼ同い年だ。
 「この筆を使うと、ものすごく美人になりますよ!」と言ったのは浅草の店主だ。頑張って使っているが、なかなか美人にならない。いつか、そのうち、きっと、きっと。
 いずれにせよ、何かを念じていると、それが必ず実現する! このことが私には嬉しかった。

傘の花が咲く

昨日、「タイ語中級 金曜日19:00」のクラスで使用している読み物の中に、次なる文章が出て来た。
 ดอกไม้ดอกใหญ่สีต่างๆมากมายบานอยู่ที่ลลานบ้าน (色とりどりの大輪の花がそれはそれはたくさん庭の家に咲いている。)
 そして、読み進んでいくと、その大輪の花が、実は傘の花であることがわかった。要するに表現方法に隠喩の手段を使っていたわけだ。そして、その傘に関する描写が有った。
 กางเรียงไว้ (傘を)開いて、並んで置いてある
 一般に、<開く>とか、<開ける>は、โรงเรียนเปิด 学校がオープンする เปิดประตู ドアを開ける เปิดขวด 瓶を開ける、等々で習ってきているので知っているが、<花が開く>や、<傘をさす>の動詞までは、なかなか習わない。いろいろな読み物を読んで、新たなる動詞を覚える必要がある。
 そのほかに、「夢は夜ひらく」とか、「道を拓く」という表現が有るが、果てさて、タイ語に訳すとどうなるでしょう? これ、宿題なり!

遠い親戚 遠い思い出

数日前、家の電話が鳴った。どうせまたお墓や鬘(かつら)の勧誘だろうと思ったから、受話器をとらなかった。しかし、数分後にまたしてもかかって来て、留守番電話に吹き込もうとしている女性の声が遠慮がちであったので、電話に出ることにした。
 「私は渡辺○○です。わかりますか?」
 「ああ、多度津の?」と私はすかさず応じた。
 彼女とはもう60年近く交流がなかった。だが、何故だか知らないが、最近、彼女のこと、彼女の家族のことが思い出されてくる日が有った。そんな中での電話! 不思議だ。
 彼女は思い出話を次から次に語った。私も「北山の井戸のお水がおいしくて、砂糖を入れて飲んだ時の味がいまだに忘れられないわ」と言った。
  私の祖母と彼女の祖父が姉弟の関係である。話をしていると、どうやら我々二人は顔の輪郭が似ているようだ。同い年であることもわかった。横浜に住んでいるという。いつかお茶をしようということになった。

仕事に恵まれて

目下、大学は春休みなので、のんびりしたいところだが、3月は雑事で忙しい。確定申告は勿論のこと、教室の消防点検が有ったり、自宅マンションのガス点検と洗浄が有ったりで、毎週、スタンバイ状態であった。
 昨日、洗浄が終わり、業者さんから「きれいにお使いです」とお墨付きをもらった。やれやれ。それではちょっと横になって体を休めようと思い布団に横たわったところ、5分も経たずしてラインの音が鳴った。バンコクからであった。最初は花の写真を交換し合っていたが、そのうち、「翻訳の仕事が有るけど、やりませんか?」となった。
 翻訳の仕事は締め切りがあるので最近はあまり積極的にやっていないが、たまにならいいかなあと思って引き受けることにした。かくして、また緊張状態に戻された。仕事だ、仕事。

今月の入会者

今月、泰日文化倶楽部に新規入会された方は現在までのところ4名。そのうちの2名は元生徒の同僚であることはすでにこのブログの中で紹介した。
 「タイ語初級 金曜日19:00」のクラスに若い女性が入会されたが、「私はK山と言います。バンコクに住んでいました」という自己紹介を聞いた途端、彼女のお父さんが私の24年前の生徒であったことがすぐにわかった。もちろん、彼女はまだ生まれていない時の話だ。極めて優秀であったミスター・K山。昨日、昔の書類を見ていたら、彼が泰日文化倶楽部で教えていたことがある証拠として、講師料を受講した彼の署名入りの領収書が1993年3月付けで出て来た。
 そして、4番目の新規入会者(「タイ語中級 火曜日10:30」)は、悠々自適の生活を送っておられるM氏。お住まいを教えていただいた後、私にはピーンと来た。17年前に上智大学で教えた女子学生のお父様ではないか! お伺いすると、確かにそうであった。娘さんは目下、ベトナムに住んでおられるそうだ。奇遇に、お父様のほうがびっくりしておられた。