東京オリンピック2020まで、あと5年

昨日は、東京オリンピック2020まであと5年、というニュースで持ち切りだった。そして、今日のインターネットを見ると、「あと1826日」と出ている。
 5年という時間は長いのであろうか? それとも短いのであろうか?
 5年間、死にもの狂いで勉強すれば、希望の職種の資格が取れるはず…..。
 5年間、真面目に働いて節約を心がければ、まとまった貯金ができるはず…..。
 5年間、運動をきちんとすれば、健康な体を維持できるはず…..。
 5年間、タイ語を学べば、難易度の高い語彙が増えるはず…..。
 個人個人の意識と努力にかかっている。

鶴見俊輔氏の訃報

夜中3時頃、いつも目を覚ます。スマホで「今日のニュース」をチェックすると、哲学者の鶴見俊輔氏の訃報が目に飛び込んできた。93歳だから、天寿を全うされたことに違いはないが、ああ、残念。
 鶴見氏の著作は実に読みやすく、かつ、面白い。読んでいると、さらなる興味を覚え、世界が広がる。彼自身の出自、体験、経験、及び、交友の幅が、並みの人間とは桁外れているからであろう。だが、彼は市井の人に向ける眼も優しい。毎日の出来事が、そして、すべての人々が彼の視界の中におさまる。『隣人記』(鶴見俊輔 晶文社 1998年)の中に彼はこう書いている。
 「私は今七十歳をこえて自分の教養をふりかえると、生徒として学校にいた時間は十一年半にすぎず、教室よりも座談が、私にとっての教育の時間だった」
 『鶴見俊輔座談/全10巻』(晶文社)のちらしを引用すると、「思想は対話に始まる。会って話した50年、200人。これは、まれにみる人物事典であり、比類ない哲学事典であり、心の手引きである。二十一世紀を生きる思想の種子がここにある」
 夏休みに読もう!

老美女

一昨日、新宿から山手線に乗ると、優先席にとても美しい女性が坐っていた。たまたま彼女の隣りの席が空いていたので、座ってみた。するとその女性が私に話しかけてきた。
 「お暑いですね」、と。私は軽く応じた。「そうですね」
 「私、84歳なの」、と彼女。私は驚いたような仕草をした。しかし、本当に驚いたことは事実。老美女だったから。
 「私、77歳まで働いたんですよ。エステは40歳からずっとやっておりますの」
 「何のお仕事をなさっておられたのですか?」、と私。
 「看護師です。40歳から学校へ行って、資格(คุณวุฒิ 又は คุณสมบัติ)を取りました。定年退職(เกษียณ)後も、仕事はいっぱい。面接すると、明日からすぐ来てくださいと言われたのよ」
 大粒のエメラルド(มรกต)の指輪が美しかった。もちろん、洋服も緑。色合わせがすばらしい。林住期に入った彼女には余裕が見られた。

同郷

昨日、上智大学で期末試験を実施した。学生達は時間内に答案を出して教室を出て行った。すると、入れ替わりに知らない男子学生が2名、教室のドアを開け、私に入室の許可を求めた。私は快諾し、彼らと少しだけ会話した。私は一人の学生のアクセントがやや関西風であることに気づいた。
 「あなた、関西出身?」
 「四国です。香川県」
 「香川県のどこ?」
 「丸亀です」
 それを聞いた途端、私はすぐに讃岐弁に切り替えた。彼と私は高校が異なっていた。したがって正確には私の後輩ではなかったが、とても親しみやすい青年であった。
 「東京に来てよかったです。いろいろな人に会えましたから」
 その意見には同感である。他県出身の友人を持つことは大切。上智大学だと、世界各国から来ている学生と交流ができる!

天明二年(1782年)創業の店

私は食事を作らない。というと語弊があるが、家で食べないわけではない。言葉を補足するならば、時間をかける食事は作らないということだ。
 昨日、頼んでおいた佃煮が届いた。箱を開けると、折ったちらしが入っていた。「創業天明二年 おいしさ届けて 三世紀」と書かれており、さらに次なる説明が続いていた。
 「新橋玉木屋は、一七八二年、江戸片側町(現在の新橋)にのれを揚げて以来、三世紀にわたって、伝統の味・日本の味を守り育ててまいりました」
 私は1782年に注目した。バンコク遷都の年であり、現ラタナコーシン王朝が始まった年だ。日本では天明の時代であったということを初めて知った。
 そこで、天明時代を調べてみると、1782年=天明の大飢饉 1783年=浅間山大噴火 死者2万人 1784年=志賀島金印発見 1786年=田沼意次失脚 1787年=天明の米屋打ちこわし、等々。
 高校時代に習った日本史を思い出した。

大阪弁の力

『小説一途』(田辺聖子・瀬戸内寂聴 著 角川学芸出版 平成22年)の中で、著名な女流作家二人が、「ユーモア小説を書ける才能」について対談している。
 瀬戸内=「田辺さんはユーモア小説がうまいわよ」
 田 辺=「それは大阪弁の力やないかと。大阪弁で考えると、考え方は全部ユーモアになってしまうの。最後もいっこうにしまらへんのよ、笑ってしまって、そういうところがありますね」
 瀬戸内=「私は徳島の出身だけど、大阪に近いものがある。徳島は昔から大阪の文化が入ってきてますからね」
 第153回芥川賞の栄冠に輝いた又吉直樹氏の『火花』。私はまだ読んでいない。だが、彼は大阪の寝屋川市出身だそうだから、彼の文章を読んでみたくなった。いろいろな方達の書評を聞いていると先入観が入ってきてしまうので、早く読まないと……。

高校生、タイから帰国

昨日、706号教室にいると、玄関扉のブザーがピンポンとなった。授業がある時間帯ではなかったので、セールスの人かと思い、インターフォンに出た。セールスなら、即、お断りだ。ところが、そうではなかった。
 「あのー、昨年お世話になった高校生です。タイから帰国しました」
 それを聞いて、私はすかさずドアを開け、彼を教室に招き入れた。泰日文化倶楽部で昨年2月から7月までタイ語を勉強し、8月からタイの高校に留学していたK君だ。
 「一週間前に帰国しました」
 「えっ、もう1年が経ったの?」 とにかく時間があまりにも早く過ぎたことに私はびっくり。
 彼を806号教室へ誘い、「タイ語中級 土曜日14:00」の会話クラスに参加させた。タイ語に接する時間を彼に持たせたかったからである。
 タイ人講師の彼に対する評価は、「発音がいい」、ということであった。楽しい高校生活をタイで1年過ごしたK君。これからの人生に絶対にプラスになったにちがいない。

鈴虫の音

5月末に生徒がさんから頂いた鈴虫の赤ちゃん。それが今では立派に成人し、堂々たる姿になった。そして、数日前から鳴き出した。
 だが、私の耳には最初の鳴き声が「ガーゴーガーゴー」と聞こえた。変な声にがっかり。
 しかし、それはほんの最初だけ。次第に鈴虫らしい鳴き声に変わり、「チンチロリーン」。
 籠の中には8匹くらい住んでいるが、互いに声を競い合い、すばらしい饗宴となっている。
 鈴虫の成長過程を観察しながら、それをタイ語教室にも当てはめてみた。
 最初はなかなか発音が出来ない。しかし、クラスの仲間で互いにいい意味で刺激し合えば、だんだん調子が出てくる。そうあってほしい。

或る繋がり(2)

昨日、韓国語クラスの仲間のことを書いたが、今日もその流れで…..。
 去る5月、韓国語クラスのKさんからメールが送られてきた。
 「義母の葬儀の際、主人の従兄夫婦が来ました。いろいろと話しているうちに、その従兄の奥さんが吉川先生にタイ語を習ったことがあると言ってました。覚えてらっしゃいますか?」
 「もちろん覚えておりますとも。姓が非常に珍しいお名前でしたから」と私は返信した。
 すると、Kさんから再度、メールが有った。「彼女、今ではタイ語を教えているそうですよ」
 それを知って、私としてはあれあれ?と思ったが、タイ語教本の自費出版をなさってもおられるようだから、彼女の積極性に脱帽。
 いずれにせよ、韓国語の仲間達を通して、タイ語との繋がりが見え隠れするのが、私には不思議でならない。

或る繋がり

昨日、韓国語クラスの打上げが有った。韓国語クラスは月に1回、教室をお貸しするというかたちで続行している。3年前は、生徒数が8名であったが、その後、次第に減って行き、今は私を含めて4名だけ。
 昨晩の食事会には、現在、休学中の生徒さんが一名、参加された。彼女は数十年前、上智大学でタイに関する歴史と考古学を学び、ゼミで黄金の三角地帯にも行かれたそうである。
 「学生の時に、真面目にタイ語を勉強しておけばよかったわ。語学は若い時に頑張らないと駄目ね」、と彼女。
 いろいろと話している中で、お住まいを尋ねると、上野毛であることがわかった。
 「友人が亡くなったので、先月、お通夜と告別式で上野毛教会へ行きました」、と私。
 すると、彼女は上野毛教会所属のクリスチャンであると教えてくださった。友人のご主人のことはご存知なかったが、名前をお教えすると、「あら、私の旧姓と同じだから覚えやすいわ。じゃあ、今度、その方にお声をかけてみますね」と、彼女は言った。
人と人との繋がり。不思議な縁である。