遠い親戚 遠い思い出

数日前、家の電話が鳴った。どうせまたお墓や鬘(かつら)の勧誘だろうと思ったから、受話器をとらなかった。しかし、数分後にまたしてもかかって来て、留守番電話に吹き込もうとしている女性の声が遠慮がちであったので、電話に出ることにした。
 「私は渡辺○○です。わかりますか?」
 「ああ、多度津の?」と私はすかさず応じた。
 彼女とはもう60年近く交流がなかった。だが、何故だか知らないが、最近、彼女のこと、彼女の家族のことが思い出されてくる日が有った。そんな中での電話! 不思議だ。
 彼女は思い出話を次から次に語った。私も「北山の井戸のお水がおいしくて、砂糖を入れて飲んだ時の味がいまだに忘れられないわ」と言った。
  私の祖母と彼女の祖父が姉弟の関係である。話をしていると、どうやら我々二人は顔の輪郭が似ているようだ。同い年であることもわかった。横浜に住んでいるという。いつかお茶をしようということになった。

仕事に恵まれて

目下、大学は春休みなので、のんびりしたいところだが、3月は雑事で忙しい。確定申告は勿論のこと、教室の消防点検が有ったり、自宅マンションのガス点検と洗浄が有ったりで、毎週、スタンバイ状態であった。
 昨日、洗浄が終わり、業者さんから「きれいにお使いです」とお墨付きをもらった。やれやれ。それではちょっと横になって体を休めようと思い布団に横たわったところ、5分も経たずしてラインの音が鳴った。バンコクからであった。最初は花の写真を交換し合っていたが、そのうち、「翻訳の仕事が有るけど、やりませんか?」となった。
 翻訳の仕事は締め切りがあるので最近はあまり積極的にやっていないが、たまにならいいかなあと思って引き受けることにした。かくして、また緊張状態に戻された。仕事だ、仕事。

今月の入会者

今月、泰日文化倶楽部に新規入会された方は現在までのところ4名。そのうちの2名は元生徒の同僚であることはすでにこのブログの中で紹介した。
 「タイ語初級 金曜日19:00」のクラスに若い女性が入会されたが、「私はK山と言います。バンコクに住んでいました」という自己紹介を聞いた途端、彼女のお父さんが私の24年前の生徒であったことがすぐにわかった。もちろん、彼女はまだ生まれていない時の話だ。極めて優秀であったミスター・K山。昨日、昔の書類を見ていたら、彼が泰日文化倶楽部で教えていたことがある証拠として、講師料を受講した彼の署名入りの領収書が1993年3月付けで出て来た。
 そして、4番目の新規入会者(「タイ語中級 火曜日10:30」)は、悠々自適の生活を送っておられるM氏。お住まいを教えていただいた後、私にはピーンと来た。17年前に上智大学で教えた女子学生のお父様ではないか! お伺いすると、確かにそうであった。娘さんは目下、ベトナムに住んでおられるそうだ。奇遇に、お父様のほうがびっくりしておられた。

呉服屋の老主人

昨日、仕事後、池上通りをのんびりと歩いていると、古びた呉服屋の前にやって来た。茶道を始めたので着物を着る必要が出てきた。そこで着物用品を買うことにした。
 昔の店だから、畳が敷いてあった。そこに老主人が坐っていた。帯締めが半額セールだったので2本、選んだ。その他に帯揚げ、肌襦袢、腰紐、半襟、等々を買って、合計¥20,050。レジスターなんて無い。御主人の御歳を尋ねると、84歳。
 「子供はサラリーマン。呉服屋はもう終わりです。蔵の中にしまっている着物をお金に換算すると結構なお金になります。私が死んだら、相続税のことで子供達が困りますから、今、どんどん縮小していっています」
 私が2万円を出すと、老人は商売の喜びを思い出したかのごとく、嬉しそうな表情を見せた。店を出ようとすると、タイ製の手提げ袋が店頭に飾られてあった。着物に似合いそうだ。

虹(รุ้งกินน้ำ)

タイ語の教科書や副読本には「虹 ร้งกินน้ำ」がしばしば出て来る。子供に対して七色の夢を持たせるためかと思っていたら、昨日、購入した『日本の歴史をよみなおす』(網野善彦著 ちくま学芸文庫 2005年)の中に虹に関する記述が有った。網野氏は、勝俣鎭夫さんの考えを引用しながら、次のように同意している。
 「勝俣さんは、虹の立つところに市を立てるのは、日本だけではなくて、ほかの民族にもそういう習慣があり、それは虹が、あの世とこの世、神の世界と俗界とのかけ橋なので、そこでは交易をおこなって神を喜ばせなくてはいけないという観念があったのではないか、といっておられます<中略> これは私もまったく同感で…..」
虹は神様が降臨される架け橋! 今、読んでいる副読本の中には、子供達が虹に乗って、チェンマイの上空にやって来て、町の中に降りてくる描写がある。子供達は神様? そう思うのも、また楽しかりけり。

บันดาลというタイ語

 先日、タイ語の個人レッスンで、タイ人講師がものすごく難しい単語を使って、生徒に尋ねた。
 「ตอนที่คุณเริ่มเรียนภาษาไทย สิ่งที่บันดาลใจของคุณคืออะไรคะ」
 これを訳すと、「タイ語を勉強し始める時、どんなインスピレーションを持ちましたか?」
 意訳すると、「タイ語を勉強しようと思ったそもそもの動機は?」
 この文章の中に使われている บันดาล は、辞書で調べると、「なんらかの超能力によって生じせしめる又はならしめる」という意味であると説明されてあった。ものすごく大袈裟な単語だ。
 しかしながら、ひるがえって考えてみるならば、そのような強烈な能力に突き動かされて勉強を始めた人は、何が有ろうと絶対に勉強をやめないであろう。

遅い年賀状

昨日、郵便受けに一枚の葉書が入っていた。
「明けましておめでとうございます。イースターを直前に」
 あれあれ?と思って差出人の名前を見ると、2年前に知り合ったSさんからのものであった。熊本県宇土市の住所が書いてあり、ご実家に帰られていることがわかった。
 「九死に一生を得、のろまな亀が欲にかられて、自然に逆らってしまい、心とからだを実家で治療しておりましたので、お返事が今になりました。もう一度、九州で頑張り直します。温泉などで遊びにいらしゃる事、お待ちしています!」
 彼女は「火の国(肥の国)」の女性そのもので、ものすごく情熱的であった。彼女と私は会った途端から波長がピタリときた。私の老後は彼女に出張介護をしてもらおうと決めていたのに…….。
 しかし、彼女の新しいスタートを応援したい。東京での介護の仕事は想像以上にきつかったのであろう。

タイ人達のトークルームに参加して

昨日、タイ人講師のB先生から次なる話を聞かされた。「知り合いの娘さんが4月から6月までの3ヶ月間、東京に来て日本語を勉強する予定です。彼女が選んだ日本語学校は高田馬場に在ります。彼女は学校の寮に入るらしいのですが、ホームステイも悪くないので、吉川先生のところはいかがでしょうか?」
 私はタイの高校生を泊めることには慣れているので、「大丈夫ですよ」と答えると、「それでは、我々タイ人がやっているラインのグループに参加してください」と言われ、招待を受けた後、すぐにメンバー入りをした。
 さあ、それからが大変。2時間以上、タイ語でチャットが続いた。バンコク側の主たるメンバーは、なんと1994年から1996年まで、泰日文化倶楽部でタイ語を教えてくださっていた元講師だ。B先生は元講師の部下であるという因縁も、なんとも摩訶不思議なもの。元講師は昔の生徒の名前をしっかりと覚えておられた。

「タイ語入門」新規開講クラス

3月9日より、「タイ語入門 水曜日19:30」のクラスを開講した。生徒数はわずかに2名。しかし、開講したのには理由がある。それは、泰日文化倶楽部の元生徒達と同じ職場に勤務しておられたからである。
 「先輩が言ってました。吉川先生なら大丈夫。なんでも聞き入れてくれるから」
 昨晩は2回目の授業であった。嬉しいことは、遠距離であるにもかかわらず、楽しそうに習いに来てくださっている様子が見てとれたことだ。お二人とも、タイへは10回以上、観光に行っているので、さすがにタイ語を本格的に勉強したくなったとのこと。
 最初だから、家族の呼称などを教えたが、兄弟姉妹の単語がなかなか覚えられない。「お兄さん、お姉さん、あるいは、弟さん、妹さん、いらっしゃらないの?」と尋ねると、二人とも口をそろえて答えた。「いません。一人っ子です」
 私の感想では、家族構成が多いほど、よく喋って、語学の勉強にも役立つような気がする。少子化は浸透しているようだ。

『没後20年 司馬遼太郎の言葉』

先月、『没後20年 司馬遼太郎の言葉』(朝日新聞出版 2015年12月)を購入していたが、昨日、落ち着いた時間ができたので、徐々に読み始めた。
 司馬氏が子供が出来たばかりの義弟に向かって言った言葉が紹介されている。
 「国語力を育てることが大事で、それには短い言葉で言うたらあかん。きちんと説明することが大切や」
 司馬氏が書いた文章『二十一世紀に生きる君たちへ』は教科書にも掲載されているそうだが、とにかく、司馬氏の持論は「言葉は人間そのものだ」。
 翻って考えるならば、タイ語の勉強をしておられる生徒達にも司馬氏の言葉をそのまま聞かせたい。タイ語できちんと説明ができるタイ語力を養おうではないか。