王宮前広場へ(14)

 バンコクに着いたその足で12月8日午前中、御火葬殿を見に行ったが、その夜、ホテルのテレビを見ていると、「今日までの入場者は約280万人です」とアナウンサーが伝えていた。ということは、私もその280万人の中に入っている。翌9日の夜は少し待たされたから、おそらく推定300万人に達したことであろう。外国人は80ヶ国に及んだそうだ。
 12月10日、特に予定を入れていなかったが、泰日文化倶楽部のピカピカ先生のお母様に、御火葬殿の前で立った私の写真をラインで送ると、「えっ、バンコクにいるの? 是非会いたいです」ということになって、御両親と食事をすることになった。食事後、私が泊まっているホテルのすぐ傍の美術館(マーブンクローンの反対側)でラーマ9世の写真展が開催されていると知り、一緒に見に行った。プミポン国王がカメラ好きなのは存じ上げていたが、御自らお撮りになられた写真を拝見するのは初めてであった。とりわけフワヒンの離宮『ไกลกังวล グライガンウォン(憂慮から遠く)』で、愛犬トーンデーン親子を撮った写真は秀逸であった。

王宮前広場へ(13)

 ニタット先生は私のために、ラーマ9世を特集した本『ธ ประทับในใจชนตราบนิรันดร์ 大君よ 我らの心の中に永遠におわす』と、雑誌『๓๑วัน วันแห่งรักและภักดี 31 DAYS OF LOVE AND LOYALITY 愛と忠誠の31日』、及び、デーリーニュース紙の特別号『สู่ฟ้าสรวงสวรรค์ 天国へ』を、「とてもいい本ですよ」と言ってお土産にくださった。
 ページをめくっていくと、国王の白象が8頭、エメラルド寺院に安置されていた御棺に向かって、恭しく平伏しているのがとても印象的であった。
 私はお粥を食べている時に、ニタット先生の奥様であるプリンセスに尋ねてみた。「御葬儀に参列された時、どのような感情をお持ちになられましたか?」
 すると彼女はこう答えた。「特に何も感じませんでした。けれども、こうして食事をしている時に国王をいつも思い出します」
 それを聞いて私は思った。ラーマ9世は本当にタイ国民の心の中に生きておられる、と。
 

王宮前広場へ(12)

 お粥を食べ終わったのが午後8時。すぐに道路を横切って、ボーウォーン寺院の中に入って行った。本堂では夜の読経が行われていた。大勢の僧侶が本堂の壁沿いにずらりと座り、大僧正と共に唱和していた。入り口近くには善男善女が座っていた。ラーマ9世に捧げる読経であることは十分に想定できた。
 境内には一枚の写真が掲げられていた。ラーマ9世が大僧正の前で頭を低くして、御自分の胸の内を聞いてもらっているような感じの写真である。聞くところによると、プミポン国王は御自分で車を運転され、この寺院によくいらしていたそうだ。そのような時には、おそらく国王としてではなくて、一私人として、説法をお聞きに来られたに相違ない。
 昼と夜の御火葬殿をしかと目におさめ、エメラルド寺院の壮大なる威厳に圧倒され、さらには、ラーマ9世の御遺灰が安置されたボーウォーン寺院の本堂まで上がれて、私は本望であった。
 ボーウォーン寺院を去る時、もう一度、本堂の方を振り返った。大きな仏像の前に、もう一つ、中くらいの仏像が配されている。その若き仏像が私の眼にはプミポン国王の生まれ代わりのように見えてならなかった。
 

王宮前広場へ(11)

 ニタット先生御夫妻は私をお粥の店に連れて行ってくださった。その店は、ワット・ボーウォーン二ウェート寺院の前に在った。この寺院は、ラーマ9世が出家なさった寺であり、なおかつ、御遺灰が安置されている寺であることは知っていたから、私も是非ともその近くまで行ってみたいと希望した。
 「先生は足がお悪いから、お粥屋の前で車を止めて、そこで降りていただき、私はどこか空いているところの場所まで行って、そこに車を停めて来ますね」と、プリンセスが言った。そこまでの気遣いに恐縮する私。だが、車が店の前に来ると、偶然にも食べ終わった客が車に乗り込んで発車するところであった。
 「อาจารย์มีบุญ アージャーン ミーブン 先生には徳が有りますね!」とプリンセスに言われ、なんだか嬉しくなった。わざわざ東京から飛んで来た甲斐があった。
 そのお粥の店は、「ข้าวต้มหน้าบวร カーオトム ボーウォーン」と言って、御葬儀の日は全ての客に食事を無償で提供したそうだ。いわゆるทำบุญ(タムブン)である。

王宮前広場へ(10)

 夜の御火葬殿の西口ゲートを出る時、絵葉書をもらった。前日に見学した昼の時も絵葉書をもらったが、いずれも御葬儀の行列の写真であった。そして、それとは別にラーマ9世の御顔の写真も配布された。これまた、有志の方達の寄進に依るものであろう。
 国礎廟の前を通り、さらには車の往来が禁止されている国防省の横の道を歩きながら、アイスクリーム屋の方向を目指した。そちらの方にある駐車場に車を駐車していたからである。しかし、歩くには遠い。タクシーでそこまで行こうとしたが、みんな同じことを考えていたとみえて、なかなかタクシーがつかまらない。そこでトゥックトゥックを拾った。だが、後部座席がタクシーよりも高いところにあるので、私は乗り込むのに往生した。私とプリンセスの二人が座席に座ると、ニタット先生は足を置く床部に姿勢を斜めにしてどうにか座った。弁護士さんなのに、非常に庶民的であった。
 トゥックトゥックの運転手の頭上には、昔ながらの青やピンクのネオン色が楽しい光を放ち、バンコクが元来の陽気さを取り戻していることを感じ取った。

王宮前広場へ(9)

 ニタット先生の奥様はプリンセスの称号を有する。したがって、ラーマ9世の御葬儀には親族として正式に参列しておられる。その時の写真を見せていただくと、ニタット先生も官僚達が着る白い制服に黒い腕章をして、とても恭しい表情で写真におさまっておられた。
 お二人はすでに御火葬殿に行かれたわけであるが、私のためにわざわざ案内役をかって出られ、さらに、杖を引く私を最初から最後まで気遣ってくださり、とても有難く思った。
 夜の御火葬殿は想像していたよりもはるかに荘厳であった。それをタイ語で表現すると、「วิจิตรงดงามตระการตา 得も言われぬ美しさ」というそうだ。これを「絢爛豪華」とも訳そうと思えば訳せるが、実際に見てみると、決して華美ではなく、ラーマ9世の御昇天にふさわしき須弥山としての神々しさが感じられた。
 ニタット先生御夫妻は「10月26日午後10時、ラーマ9世が荼毘に附された煙をしかと見届けました。その前にはパラパラと雨が降りました」と臨場感あふれる体験を聞かせてくださった。
 僧侶達が読経した付随殿には、現在、ラーマ9世の御来歴を紹介した展示が行われている。随所に飾られた植木鉢はラーマ9世の「๙」の字が大きく浮彫りにされているが、それらの作品はタイの人間国宝である陶芸家が無償で焼いたものだそうだ。

王宮前広場へ(8)

 昔は「王宮前のアイスクリーム屋」と言うだけで店名が無かったそうだが、三代目のナッタポーンさんは、「店名が有ったほうがいいよ」と人から勧められて、ご自分の名前をつけたそうだ。
 ラーマ5世時代から王族達がアイスクリームを好んで食べていたのは意外であった。私はラーマ5世時代にシンガポールから氷が運ばれて来て、それを王宮前広場で庶民に披露した時、すっかり溶けてしまっていて、何も残っていなかったという話を思い出しながら、それを話題にすると、ナッタポーン店主は私の知識に感嘆し、ますますいろいろなことを喋ってくださった。
 新しいアイスクリームを考え出すと、王室にお届けしてラーマ9世の御意見を仰ぐ。「これは美味しい。是非、売り出しなさい」というお墨付きをいただくと、そのアイスクリームは注文が殺到。小さなお店ではあるが、国王の御心が生きている!
 「インラック元首相がふらりと来たのよ。アイスクリーム、お願い、と言って。そして、翌日、タイを去ったの。そのニュースを聞いて、びっくりよ」と、ナッタポーンさんはまるで昨日のことのように話した。政治家達にも愛されていた店というわけである。

王宮前広場へ(7)

 12月9日(バンコク2日目)は夜、御火葬殿へ行った。というのは、泰日文化倶楽部の元講師であるニタット先生が、「夜のほうがきれいですから」と言うお誘いに従うことにしたからである。
 午後4時、ニタット御夫妻(いずれも弁護士)がホテルに迎えに来てくださった。彼らは「アイスクリームを食べましょう」と言って、王宮近く(プレンプートーン แพร่งภูธร)にある「ナッタポーン นัฐพรล」というアイスクリーム店に私を案内。その界隈はラーマ5世時代の名残りをとどめていた。
 ニタット先生が女店主に「この先生は『王朝四代記』を翻訳した方です」と言って、私を紹介した。すると、女店主が急に饒舌になった。祖母の時代から正式に開店して約70年。彼女が引き継いでから30年。それを聞いて、泰日文化倶楽部より1年早いと思った。70年と言えば、ラーマ9世の御代と並行している。
 ラーマ5世当時の雰囲気を維持するために、店の改装は禁じられているそうだ。おかげで当時の様子が想像できてよかった。大奥の中で、無聊をかこつ側室達が涼を求めて、いまだ店の形態をなしていない当時から、次から次にこのアイスクリーム屋に来たに相違ない。

王宮前広場へ(6)

 小学生や中学生が御火葬殿をバックにして、クラスごとに記念写真を撮っていた。生徒達に対してはゲートで手渡された説明書を一人一人がきちんと胸のあたりに掲げ持つようにという指示がなされた。たまたまどこかへしまい込んでしまった生徒には、先生がすかさず自分のものを手渡した。そして全員そろって、ラーマ9世の御顔が入った説明書をきちんと持ち、カメラにおさまった。彼らにしてみれば、この時に撮った写真は末代まで語り尽くしても決して尽きることはないであろう。
 御火葬殿の最中心は非常に聖なる空間であった。天井から九層の白い傘がぶら下がり、それが微風を受けて静かに揺らいでいた。まさしくそこは「ร่ม(傘)+ เย็น(涼しい)=平和な」場所であった。そして、落ち着いた赤色の緞帳には金糸が精緻に刺繍されていた。タイに於いて最高の技術を持った芸術家が無償で造り上げたものであるそうだ。
 御火葬殿の真正面に立ち、案内人のバナナ君に頼んで、私も記念の写真を撮った。太陽光線があまりにも眩しくて目があけられない。そこでチャオプラヤー河方向に視線を向け、遠くにはためくタイ国旗に敬意を表する気持ちでカメラにおさまった。1969年からタイと関わった私。それはちょうど23歳の誕生日であった。あれから48年間、タイ、タイ、と言って暮らして来た。御火葬殿に向かってタイとの出会いに深く感謝の念を表した。
 
 

王宮前広場へ(5)

 ゲートを通過した時、車イスのサービスが有るのがわかったが、私は杖をついて歩くことにした。御火葬殿(พระเมรุทาศ プラメールマート)とその四方に配置された付随殿の敷地には石板(スレート)が敷き詰められ、雨が降ってもぬかるみが出来ないようになっていた。
 付随殿の両側に水田が造られて、長く伸びた稲が植えられていた。それを見て、稲の神様がこの王宮前広場をしっかりと守っていることがよくわかった。スコータイ時代に残されたあの碑文の冒頭がすかさず思い出された。やはりタイの精神には水と稲は切っても切れないものなのである。
 御火葬殿の周囲には池が配置され、その水の中で穢れ無き動物達がたくさん遊んでいた。なかでも多かったのはやはり象群だ。頭と胴が象で、尻尾が魚という半象半魚の物体も有った。牛、鹿、馬、いずれもとても忠実な従者になっていた。
 上壇に進むにつれて、龍神(ナーガ)の頭が三頭、五頭、九頭と次第に増えて行くのがとても力強く思われた。四方に配置された天女(テワダー)のお顔が神々しく光り、御火葬殿全体に優しさを添えていた。