職人の悲鳴

 今朝、民放の経済ニュースで、都内で一番大きな三味線製造会社の社長が苦しい胸の内を吐露して閉業を決意した経緯が報道された。社員として働いている職人達は彼らの技術を後世に伝えて行きたいのにと、寂しそうであった。
 やはり都内で鞄を造っている有名な会社にも鞄の注文が入らない。だが、じっとしてはダメだと思い、端切れ皮で鼻緒を縫い、草履にすげていた。オシャレでなかなかによかった。
 神田川沿いにはまだ染色工房が残っており、東京オリンピック2020のPRのために染め上げられたスカーフがそこで製造されたが、おそらく注文はストップしていることであろう。
 約2年前、富山県の高岡市に行った時、落ち着いた雰囲気に接し、さすが職人の町だと思ったが、鐘や仏具の注文も減少しているに違いない。
 日本伝統の工芸技術を伝承して行くには、忍耐だけではもうもたない。文化庁のお役人さんよ、しっかり考えて!

「งานอดิเรก 趣味」というタイ語

 『知的熟年ライフの作り方』(小山慶太著 講談社現代新書 2000年)の序章のタイトルは、「学問のすすめ」から「楽問のすすめ」へ、と書かれている。時間がたっぷりある熟年世代に向かって、学ぶことの楽しさを示唆しており、参考にしたい箇所が多々有った。学問ではなくて、楽しく学ぶ趣味的なものでよいというのであれば気が楽だ。
 タイ語で趣味は「งานอดิเรก」という。「อดิเรก」だけでもよい。文字から見て、サンスクリット、パーリ語からの単語であることはわかる。
 翻ってもう一度、この単語の成り立ちを辞書で調べると、อดิ(adi)は元々は อติ(ati)であり、「特別の、極めて、甚だ、多い、卓越せる、過ぎ去った」という意味を有する。そして、เรก(reek)は元々は เอก(eek)であり、「一、第一」の意味が有る。大学関係で使われる場合は「専攻」になる。
 まとめると、タイ語で使われる趣味(อดิเรก)という単語は、「特別に専攻する」ということであり、งานอดิเรกと言えば、「特別に専攻する仕事」となる。単なる趣味だと気楽に言っておられなくなった。楽しみの中に卓越性を求めることが問われているわけだ。

今日の宿題

 タイ語作文=誤字・脱字に気をつけ、頑張って書いてみよう。

1. タイ語の生徒達にとって、タイの月名のうち、8月だけは一番覚えやすいようだ。

2. 理由は、タイで有名なビールの名前と発音が近いからだ。

3. 個人レッスンの生徒が、出勤中、自転車にぶつけられた。だが、自転車に乗っていた人は逃げた。

4. 彼女は何が起きたのか、当初、全く気がづかなかったそうだ。

5. しかし、右手の甲が腫れてきて、色も変わってきた。

6. 一週間後、彼女は階段で転び、捻挫した。だから、授業は休んだ。

7. コロナに感染するのも怖いが、交通事故や不慮の怪我も怖い。とにかく気をつけよう。

或る小説批評

 昨日、親戚の女性(私と同い年)から、ミニ小説本が送られて来た。
 「また作りました! よろしくお願いします」
 私はすかさず読んで、すぐに批評を書いて、LINEで知らせた。

 「第一話について= 西洋の寓話と仏教の輪廻転生がうまく融合したような筋の展開で、読者を飽きさせることがありませんね。終りが無い物語として、先が楽しみになりました。人間の本性である強欲と業が、明るく、読みやすく描写されています」
 「第二話について= この作品も一気呵成に読ませていただきました。とにかく読みやすいです。心理描写も上手です。無意識の流れが読者をぐいぐいと引っ張って行きます。あなたの書くエネルギーに乾杯! 前回、頂戴した作品よりも、より文学作品としての艶が感じ取れました。書き続けておられる持続力、、刺激になりました」
 彼女から返信が来た。「もう、なんとお返事していいかわかりません。私はただ書きたいだけで、自分が楽しみながら書いているだけで、計算がありませんから、構造的にしっかりしているかどうか、わかりません。こんな丁寧な批評を頂けてうれしいです。ありがとう」 

八月到来

 今日から八月。東京の梅雨明けが今日あたり出されるようだ。手紙を書くとするならば、冒頭に、盛夏、立秋、あるいは、残暑きびしき折柄、等々書かねばならないが、手紙を書くことも、このところとんと減ってしまった。
 八月くらいは楽しく過ごしたいが、今の情勢だと無理。せめて言葉だけでも空元気を出そうと思い、「はひふへほ音頭」を作ってみた。

(は) = 花を生けて、心に華やぎを!

(ひ) = 光を浴びて、体にビタミンを!

(ふ) = 風船を飛ばして、振り返る昔。

(へ) = 平安を願って、平日、平常心を!

(ほ) = 星を眺める凡人、「梵の世界」を欲しけり。  

或る美容師さんの話

 昨日、近所の美容院へ行った。美容師さんは短く切るのがお好きなタイプなので、いつもおまかせ。
 「先ほど、半年ぶりにカットにお見えになられたお客様がおられます」と彼は言った。
 それを聞いて、私は昔の美容師さんの言葉を思い出した。「こまめにカットに来てくださると、やりやすいんですがね」
 何事にも言える。こまめさが大事。億劫がっていると、ますます負の方向へと進むのである。
 お盆が近いこともあって、美容師さんが彼の郷里(山形県)の話を始めた。「親戚から言われましたよ。頼むから今年は墓参りに帰って来ないで、と。私の家は、たとえて言えば、テレビ番組[ポツンと一軒家]の状態に近いんです。親父が建てた家はそのうち森の中に埋もれ、森と化すでしょう」
 美容師さんの仕事は髪をカットすること。しかし、ご自分のルーツである家は、人の手が入らぬまま、生い茂る森の中で自然と同化して行く…..。

泰日文化倶楽部の近況

 木曜日の生徒達から、「感染者が増えて来ているので電車が怖いです。教室に行こうか行くまいか、迷っています」とメールで相談を受けたので、木曜日のクラスはグループレッスンも個人レッスンも全て、8月いっぱい、休講にすることにした。
 昨夜も同じことを教室で相談された。そこで、水曜日のグループレッスンも8月いっぱい、休講に決定。何故ならば、皆さん、遠路はるばる通って来られているからである。
 しかし、昨夜707号室に勉強にみえた個人レッスンの女性は「毎週、勉強に来たいです。最初、月に2回のレッスンを考えていましたが、毎週習わないと力がつかないのがわかりました。独学は無理」と言い、ものすごい意欲を示された。
 月曜日の夜にも個人レッスンの女性が楽しく勉強しておられるが、7月に入って入会された二人の女性は西武新宿線の沿線に住んでおられるので、高田馬場は乗換駅として、大変に便利だと喜んでおられる。
 最後にもう一つ、嬉しいニュースが有る。今年の6月にタイの高校へ留学する予定であった高校1年生が今年1月からタイ語を習いに来ていたが、4月以降、ノーコンタクトになっていた。最近、彼女から、留学が来年に延びたので、それまでタイ語を勉強したいという意思表示が有った。彼女は本当にタイ語が勉強したくてたまらないようだ。

今日の宿題

 次は筍料理に関する話題である。日常生活において頻繁に使われる動詞の復習を兼ねて、和訳してみよう。

1. ปลูกต้นไผ่ไว้ริมรั้วกะจะตัดทิ้งเพราะมันไม่สวย 

2.   แต่พอมันโดนฝนแตกหน่อมาเพียบ

3.  เอามาต้มกระดูกหมูอ่อน อร่อยมาก หน่อไม้หวานนิ่มมาก

4.  ตั้งแต่เคยกินหน่อไม้มา รสชาติหน่อไม้ที่หักมาสดๆ

5.   แล้วทำอาหารเลยจะอร่อยมากกว่าหน่อไม้ทั่วๆไป

6.  เพราะเขาเก็บไว้นานจนความหวานจางหายไป

7.   คนไทยชอบเอาไปเองเปรี้ยวเก็บไว้ในปี๊บสังกะสีเพื่อได้กินนานๆ

8.  บางทีมีเชื้อราที่เป็นพิษ กินแล้วถึงตาย

9.  ฉันจึงเลือกกินหน่อไม้สดและหลีกเลี่ยงหน่อไม้ดองค่ะ

V・A・C・A・T・I・O・N

 昨日の昼、官房長官が「これからはワーケーションしましょう」と得意顔で言っていた。私はすぐにピンときた。「work とvacation を合成した和製英語だな」と。
 旅行先でも仕事ができるように、旅館にインターネット環境の向上を勧めたいそうだが、それを聞いて、ますます馬鹿馬鹿しく思われた。政府の行き当たりばったりの指示はもうたくさんだ。
 そして夕方、ネットのニュースで歌手の弘田三枝子さんの訃報を知った。同い年なのでショック。すぐに彼女の歌が思い出された。「V・A・C・A・T・I・O・N」と歌うあの「VACATION」だ。
 この歌は中学の時に聞いた歌だが、VACATION という英語の響きがとても新鮮であった。わくわくした。高度成長を目指し、所得倍増論が流行る昭和30年代中頃、「休みをとって、ヴァカンスに出かけること」は夢のまた夢であった。
 政府から、「ワーケーションしましょう」なんて、指示されたくない。VACATION は個人の自由であり、明るく、楽しく、開放的でなければならない。

蝉 と 禅

 先週の土曜日の午後、個人レッスンをしている時、蝉の鳴き声がとてもうるさかった。だが、よく考えてみれば、今年初めて聞く蝉の声だ。コンクリートのジャングルの中で鳴く蝉がいとおしく思われた。そこで、生徒さんに向かって発破をかけた。
 「私達も蝉に負けないように、大きな声で発音しましょう!」
 帰宅して、禅僧が書いた本を読んだ。「禅の世界では、修業の読み方は、しゅぎょうではなくて、しゅごうと読みます。業(ごう)なのであります」と書いた一文が有った。
 仏教関係の漢字の読み方はとかく難しい。なるほど、そうなのか、とだけ思うことにした。
 しかし、ふと、昼間の蝉を思い出した。鳴いていたあの蝉は、蝉なりに短い数日の夏を生き抜くという修業をしていたのであろうか…..。
 蝉の姿は見ていない。だが、蝉の声はまさしく禅であった。