今日の宿題

タイ人元講師から自家栽培したパイナップルの写真が送られて来た。とても甘いそうだ。彼女(弁護士)は目下、植林に目覚め、子供のために数万本の木を植えることを決意。それがものすごい喜びとなっているので、「コロナ禍が終われば、タイに来て、一緒に果樹を植えませんか!」と誘われてしまった。
 次の文章は、上記に関係する内容である。訳してみてください。

(1)ปลูกสับปะรดที่โรงงานลูกใหญ่มาก เก็บตอนแก่จัดหวานฉ่ำชื่นใจมาก
เพิ่งรู้ว่าสับปะรดถ้าเก็บตอนแก่จัดก็อร่อยทุกลูก
แต่ที่เราเจอสับปะรดเปรี้ยวเพราะเขาเก็บตอนที่ยังไม่แก่จัด
จะเสียเร็ว เก็บไม่ได้นานค่ะ ที่ปลูกไว้ปล่อยตามธรรมชาติไม่ได้ใส่ปุ๋ย
และสารเคมีเลย คราวนี้เลยตั้งใจจะปลูกทิ้งไว้แยะๆค่ะ
ถ้าอาจารย์สนใจ ตอนโรคCovid หายไปแล้ว ไปทำสวนกันไหมคะ
ได้ออกกำลังกาย ตากแดด สุขภาพแข็งแรงดีค่ะ

(2)ยินดีตอนรับอาจารย์ค่ะ ตอนนี้ฉันสนใจการปลูกต้นไม้ค่ะ ปลูกต้นไม้ พยูง
ต้นสัก ต้นคูณไว้หลายหมื่นต้น ปลูกไว้ ๓ปีแล้ว ต้นใหญ่ ร่มรื่นมาก
ไม้พวกนี้มีราคาแพง พอครบ๘ปี ขายได้ต้นละหมื่นบาท เก็บไว้ขายเป็นต้นใหญ่
หรือมรดกให้ลูกได้ ราคาต้นไม้จะสูงกว่าที่ดินอีกค่ะ

<目安>という単語

 先週から、厚労省は「新しい目安」という表現を使い始めた。<目安>という単語の意味を調べると、いろいろと書いてあったが、コロナ禍においては、最初に解説されているところの「目当て、目標、おおよその基準、おおよその見当」と出ているのを採用することにする。
 NHKの夜のニュースはなるべく英語放送で聞くようにしているが、“criteria” が使われている。そこでこの “criteria” を辞書で調べると、「基準」と書かれていた。「基準」を英語ではどういうのであろうかと、さらに逆チェックのつもりで調べてみると、“standard”と書かれている。
 「基準」をネット辞書を調べると、「何かを判断したり比較したりするときに目安として用いるもので、しばしば誰かがそのラインを設定したり、変更したりするものです」と書いてある。なお、さらに「標準」という単語の説明もあった。「標準は、同じく目安として用いますが、何かのデータや経験をもとに平均をとったものを指すことが多いです」
 なんともまあ、ややこしいではないか。目安、基準、標準、おまけに、水準。いずれにせよ、この「目安」という単語、どことなく曖昧な感じがただよう。タイ語で「基準」は何というか、さあ書いてみよう。

探鳥会

公益財団法人日本野鳥の会が発行する『野鳥 2020年5月号』は、特集として、「バードウォッチングがココロとカラダにいい理由」を詳しく掲載している。
 心身への効果として、1)五感の低下を防ぐ(視力、聴力、嗅覚等)、2)筋力の衰えを防ぐ、3)判断力の低下を防ぐ、4)思考力の低下を防ぐ、5)仲間づくりができる、6)気力と体力をつくる、7)行動範囲の低下(閉じこもり)を防ぐ、の7項目を列挙している。
 なるほど、普段からこれらのことに気をつけて生活すれば、心身ともに健やかに暮らせるということだ。
 この5月号には、<詠み人知らず>の川柳も紹介されていた。
 1)中高年の探鳥会 受付名簿で 安否確認
 2)中高年の探鳥会 3回休めば 死んだかな
 3)中高年の探鳥会 もう最後と言いながら また来たか

 コロナを乗り越えたココロは強い。何にもしないで時間を過ごすのはもったいない。今からコロナ後の作戦を立てておこうではないか!

今日の宿題

今日は以下のタイ文を訳してみましょう。タイ人元講師が次から次に転送して来る動画の説明文です。

(1) ที่มา:กอบภัค พรหมเรชา(Nation)
วัด้เสมียนนารี กรุงเทพฯ จัดทำฉากพลาสติกใส
กั้นระหว่างพระสงฆ์กับพุทธศาสนิกชนที่มาทำบุญ
และจัดเก้าอี้ให้ญาติโยมนั่งห่างจากกัน

(2) ที่มา:คำอธิบายของอาจารย์กัลยา
ภาพชุดโปรมททุเรียนไทย
นางแบบที่เห็นในรูปชื่อ “น้องน้ำแข็ง″ ในอดีต
เธอคือนักเรียนชายของโรงเรียนวชิราวุธ

ジャガイモ病

『時代の風音』(堀田善衛・司馬遼太郎・宮崎駿の鼎談 UPU社 1992年)の中に「食べ物の文化」という章があり、<ジャガイモがヨーロッパを救った>という項目で、三人が次なる話をしている。
 司馬:日本の年号でいうと明治四十年前後に、アイルランドでジャガイモの病気による大飢饉がありました。あの葉っぱになにかつくジャガイモ病が流行りましてですね
 堀田:腐ってしまう。
 司馬:それはあとで、ボルドーのブドウ畑でまいているボルドー液をジャガイモにもかければ簡単に退治できるということはわかるんですけど、そのことがなかなか思いつかない。ケネディの先祖も、たしかレーガン大統領の先祖も、ジャガイモがなくなったので、それでアメリカへ行ったんじゃないですか。ジャガイモ飢饉がアメリカの劇的な大統領と演劇出身の大統領をつくった(笑)。
 宮崎:百万人死んだって言いますもんね。あれで。
 堀田:百万人が死んで、百万人が祖国を捨てて、アメリカへ渡った。
 司馬:ボルドー液がアイルランドをやがて救う。本当の近代というのは、そういうところから始まっているんじゃないか。
 
 明治40年は1907年。113年前の話だ。果たして、COVID19はいかなる影響と変貌をもたらすのであろうか?

自粛休講の延長

「緊急事態宣言」が5月31日まで延長されることが政府発表で決定しましたので、泰日文化倶楽部もそれに従います。ただし、東京都の自粛要請では、今回、学習塾はその要請からはずれております。
 しかしながら、見えない感染者があまりにも多すぎて、電車が怖いという生徒達の意見を尊重して、安全と安心を第一に、5月いっぱいは休講にすることにいたしました。
 それにしても、「不要不急」や「自粛」という言葉のなんと曖昧なことか! 各自それぞれ受け止め方が異なります。統一して、国民すべてを同じ方向に向かわせようとしても無理無理。
 ましてや、そこに来て、「ステイホーム」、「ステイ イン トーキョー」、「セイブ ライフ」と、カタカナ英語で繰り返し言われても、迫力は全く無し。
 とにもかくにも、情報やフェイクニュースで満載の頭を一回、洗い流さないといけません。これから5月末までは、コロナ防衛対策を引き続きしっかりとして、タイ語の単語がたくさん入るように、語学脳の襞を鍛えておきましょう。

『人間の経済』より

『人間の経済』(宇沢弘文 講演録 新潮社 2017年 )を再読した。各ページ各行にわたり、すべての文章が示唆に富んでおり、黙って筆写したいくらいだ。長文を引用するのは著者に失礼だが、時期が時期だけに、以下の箇所を引用させていただきたい。
-ー かつて大阪大学の岸本忠三総長が、リストラされかけた経済学系の教授たちから陳情を受け、冗談交じりに「あなたがたの業績すべてを併せても、私一人の業績に及ばない」と言ったことがあります。しかし私に言わせれば、免疫学者としての岸本先生の業績は、日本中のすべての経済学者の業績を全部併せても及ばないでしょう。-- (p.78)

--しかし私は、医学が人間の病を癒す学問であるとすれば、経済学は社会の病を癒す学問であると自分に言い聞かせて、経済学の道に移りました。--(p.123)

 <人間の命>か、<経済優先>か、という段階に入って来ている5月、かつては医学の道を志された宇沢先生がご存命であれば、果たしていかなる断を下されるであろうか。

尾道の子供

一昨日、尾道の向島で創造的なる生活をしている真珠さん(元生徒)からラインで写真が送られて来た。彼女のお子さん2人がフル装備をして瀬戸の海につかっている写真だ。それは4月30日のこと。尾道は早くも“海開き!”。
 彼女の家から砂浜まではわずかに1分。横浜育ちの彼女は自然なる生活を求めて尾道へ。古家を購入して地道な生き方をしておられる。出産もその家で。隣家には欧米人が住んでいるので、子供達は自然に英語に馴染んでいる。
 その隣家はヤギを飼っている。私も彼女の家へ遊びに行った時、ヤギの写真を撮ったことがある。そのヤギが急に産気づいた時、飼い主の欧米人は不在。すでに出産が始まっているのに気付いた彼女は、突如、機転をきかせて助産師に変身し、無事に子ヤギを取り上げたとのこと。小学5年生の長女も立ち会ったそうだ。
 先月(4月)、素晴らしい映画を残された尾道出身の大林宣彦監督がとうとう逝ってしまわれた。しかし、尾道の海はおだやかで、かつ、輝いている。尾道の子供は無邪気(ไร้เดียงสา)そのもの!

岩手県のこと

 岩手県はいまだにコロナ感染者がゼロ。だがそれ故に、岩手県民の方達にはプレッシャーがかかっているというわけだ。
 昨日、盛岡出身の生徒さんから次なる情報が有った。
 「岩手県はついに駅にサーモグラフィーを設置しました。感染者ゼロは人付き合いの悪い県民性の効果かも知れません。鬼剣舞などの文化も、村同士の交流がなかったが為に沢山の種類ができたのだそうです。イタリアはオープンな国民性が逆効果だったみたいです」
 なるほど、人的交流が無ければ村固有の伝統文化が守れるということなのだ。
 地方へ旅行すると観光客向けのショーが有るが、演じておられる土地の人々は、内心、おそらくうんざりであろう。今回のコロナ禍において、「新しい生活様式を!」、すなわち、テレワーク等が求められているが、伝統文化の継承に専心するのも素晴らしい生き方だと思う。
 

茶道具セット

昨日、友人御夫妻に茶道具セットを送った、といっても、高額な茶碗ではなくて、食卓の上で気軽に抹茶を点てる程度のものである。すなわち、抹茶、茶杓、茶筅、そして、懐紙の4点セット。
 これらは去年の暮に、泰日文化倶楽部の近くに在る茶道具店で買っておいたものである。どなたかに差し上げようと思っていたが、そのチャンスがいよいよ巡って来たというわけだ。
 友人御夫妻は浜松で「かつ一」というとびきり美味しいとんかつ店をやっている。だが、目下、自粛休業中。東京におられた時は着物を着て茶会にも行っておられたようだから、今こそ自宅で抹茶を点てて、商売のことをしばし忘れてほしいと思う。
 昔(45年前)、茶道教室の仲間で、竹を削って茶杓を上手に作る青年がいた。茶杓を見るたびに彼のことを思い出す。