女優とタイ

かつて銀幕を華々しく彩った女優達も今や80歳の大台に乗っている。彼女達の来し方をWikipediaを読んでいると、映画よりもはるかに面白い発見が有る。フィクションよりもノンフィクションのほうが傑作ということか!
 次なる抜粋は或る女優のWikipediaからの一部抜粋である。彼女は1940年7月生まれだから、もう少しで80歳になる。
 「満州国新京市(現・長春)に生まれた。<中略> 父は満州国経済学部大臣秘書官を歴任。1943年にタイのバンコクへ軍属として転居。終戦後に一家はチャオプラヤー川の岸辺にあったバンバートン(バーンブァトーン Bang Bua Thong)抑留所へ強制収容されるが、翌1946年に引き揚げが始まる。しかし軍属を最優先として先に出航したその船は沈没してしまった。一家は命拾いする」
 もし先発の船に乗っていたら、現在の彼女はこの世に存在しない。この女優は今も現役で頑張っている。果たして誰でしょう?

タイは遠くになりにけり

タイ航空が倒産した。以前から危ないという話は耳にしていたが、コロナ禍で決定的となってしまった。タイ航空を利用していた生徒さんからも、ショックだという感想が来ている。
 旅行関係に詳しい方に尋ねてみた。「JAL、または、ANAしか有りませんか、タイへ行くのは?」
 「その2便しか有りません。単発で、チャーター扱いになりますが、タイ政府が手配するタイ航空はあります」
 さらに、私は訊いた。「ベトナム航空とか中華航空はどうでしょうか?」
 回答はこうであった。「飛んでます。乗り継ぎであれば問題ありませんが、台湾から、または、ベトナムから飛ぶ場合、その便が、<緊急を要する便>として、タイ政府がOKしてないと駄目です。6月いっぱいまでは、原則、民間航空機での着陸はできません。したがって、タイ政府がチャーターしたタイ航空じゃないと駄目です」

留学生のタイ人講師達

ここ数日、留学生のタイ人講師達に6月からの授業再開についてラインで知らせているが、大学がまだ始まっていないので、平日の夕方からの空き時間が未定との返事が有った。
 パック先生は日本の医師国家試験を見事にパス。これからは慶応大学大学院博士課程でIPS細胞を使った実験の毎日だそうだ。
 「先生、ご無沙汰しております。実はまだ大学に行っていなく、毎日の実験は実際、夕方の何時まで長引くことになるかは予測できないため、まずは土曜日の2つのクラスのみを教えに行かせて頂けませんでしょうか?」
 この文章はパック先生が日本語で書いたものである。文章の息の流れが、日本人そのもの。彼はの目上に対して書く文章をすでにきちんと心得ている。
 昨日、指輪先生からソンクラーン以来の返事が有った。
 “I stay in Tokyo. It seems too hard to go back home. I stay home and cook many dishes. I am also happy that you are healthy. For teaching, please let me check my schedule with my advisor and I will inform you soon.”

ブログを書いて満18年

2002年5月19日からブログを書き始めました。従って、満18年を迎え、今日から19年目に入ります。
 テーマは「アジアと言語」ですが、主として「タイとタイ語」についてエッセイ風に書いています。しかし、最近はそこから離れることが多く、つぶやきや不満になりつつありますので、「人生」というテーマも追加させてください。
 「人生」となると、いくらでも書けます。毎朝、頭の中に短文を並べながら15分ほどPCの前に座ることができる幸せ、これはまさしく至福のひとときであります。
 昨日、4月4日以来、44日ぶりに教室へ行きました。全く変わりはありませんでした。あとは教室の清掃をして、6月1日の再開を待つだけです。

ナンバープレート 6969

約2年半前にバンコクに本帰国され、現在はマヒドン大学で教鞭をとっておられるミカン先生(歯科医)から、車のトランクにドリアンを満載にした写真が送られて来た。そして、「หน้าทุเรียนแล้ว อาจารย์สบาบดีไหมคะ」と書かれてあった。ドリアンの季節到来! 
 バンコクのデパートが再開したことは、昨日、NHKのニュースで報じられた。自動噴霧器で足元まで消毒しての入店とは、なかなか念が入っている。これなら安心だ。
 ところで、ミカン先生の車のナンバープレートがすこぶるふるっていた。番号は、6969。一般的にぞろ目が好まれる。一番高いのは9999。 9(เก้า)の発音は、「 ก้าว 前進する」に通じ、タイ人にとってはラッキーナンバーだ。しかし、6(หก)には、「倒れる」という同音異義語の動詞があるので縁起が悪い。
 では何故、ミカン先生は6969にしたのであろうか。翻って考えてみるに、「倒れても前進する」、すなわち、日本版の「七転び八起き」に通じる。そのことを知っての上でのナンバープレートであったと言えよう。

今日の宿題

 タイ語の勉強のために、いつもの元タイ人講師がバンコクから送って来たタイ文を紹介したい。今回はポンチ絵が付いており、欧米人(=アメリカ人)と中国人の我を張り合った応酬である。新しい動詞や名詞を調べて訳してみよう。なお、文中で使用している「ไอ」は英語の「I」であり、「ยู」は「you」である。

ชาวฝรั่งได้ขายบ่อน้ำบาดาลให้ชาวจีน วันรุ่งขึ้นชาวฝรั่งไปบอกชาวจีนว่า
 ชาวฝรั่ง = เมื่อวานไอขายบ่อบาดาลให้ยู แต่ไม่ได้ขายน้ำนะ
  ถ้ายูใช้น้ำต้องจ่ายค่าน้ำด้วย
 
 ชาวจีน = ไอกำลังจะไปบอกยูพอดีเลยว่า ยูต้องไปวิดน้ำในบ่อออกให้หมด
 ไม่งั้นยูต้องเสียค่าเช่าบ่อ

夕焼けだんだんの古着物店

昨日、一枚の葉書が届いた。それは谷中銀座へ行く夕焼けだんだんのところに在る古着物店の店主からであった。
 「コロナ禍の中、お元気でお過ごしですか。突然ですが、このたび廃業を決断いたしました。私事の諸事情に加え、コロナの影響も拍車を加え閉店にいたりました。吉川様には大変ご愛顧いただき本当に感謝いたしております。この時勢のため、大々的な閉店セールもままならず…. 6月中頃まで自粛しつつ営業いたしております。全品処分価格にて提供いたしております。是非ともご用命いただきたくお願い申し上げます」
 丁寧な手書きの文字から店主の苦渋の声が聞こえて来た。
 店主は60歳半ば。それはそれは品の良い素敵な女性である。25年、一人で頑張って来られた。誠実なご商売の姿勢に私はいつも惹きつけられていた。彼女のご実家が骨董商を営んでいたことを知ると、なるほど確かな目を持っておられることも頷けた。

肝心なのはタイミング

5月上旬、福岡在住の元教え子さんの三姉妹が連名でマスクを送って来てくださった。その優しさに心打たれた私は、学校休校中の彼女達に岡山のまつだ牧場ミルク工房に発注して、作り立ての美味しいアイスクリームを送った。
 一昨日、それが届くや否や、大喜びの写真がラインで即座に送られて来た。そんなにまで喜んでもらえるとは!
 昨夜、その元教え子がまたしてもメッセージと写真を送って来た。「夕方にやっとアベのマスクが届いたと思ったら、福岡は緊急事態宣言が解除になりました。やっぱり5人家族なのに2枚でした」 写真は不満をあらわにした娘さんがマスクをやぶにらみしているものであった。
 なんとまあタイミングが悪いことよ。娘さん達はこの政府からのプレゼントを一生忘れないであろう。政府のやり方は全てに於いて、無策、無能、場当たり的。そして、国民の期待、希望をはぐらかしてばかりであることに….。
 穿った観方をすれば、これぞ生きた教育なのかもしれない。子供達はあなどれない。今度の長きにわたる休講で、案外、世の中を俯瞰したはずだ。

モンテーニュとペスト

昨日、或る本を読んでいると、「フランス人のモンテーニュはボルドーの回船問屋のせがれであった」というくだりを見つけた。久々に目にする「モンテーニュ」という人物。そこでネットで調べてみた。

1)ミッシェル・エイケム・ド・モンテーニュ(1533-1592)
2)哲学者、モラリスト、懐疑論者、人文主義者
3)現実の人間を洞察し、人間の生き方を探求して綴り続けた主著『エセー(随想録)』は、フランスのみならず、各国に影響を与えた。
4)エセーの意味は<試み>である。体系的な哲学書ではなくて、自分自身の経験や古典の引用を元にした考察を語っている。
5)1581年、イタリアに滞在中、ボルドーの市長に選出されたことを聞き、帰還して1585年まで務め、カトリックとプロテスタントの仲介に努めた。任期の終わり頃から、ボルドーではペストが流行し、モンテーニュもペストを避けて他所に逃れた(1586年~1587年)
 
 目下、カミュの『ペスト』(1947年)が馬鹿売れだそうだが、16世紀の後半にもフランスではペストが流行ったことがモンテーニュの履歴を読んでわかった。

オムロン社名の由来

4月中旬の夜、近くのコンビニへ体温計を買いに行った。マスクと同様、品薄で入手が難しいと聞いていたので期待はしていなかった。ところが、店員(ベトナム女性)から「8時に荷が届きます。もしかすると有るかもしれません」と言われた。あと30分待てば8時だ。コンビニの周辺を散歩し、7時55分からはコンビニの中に入ったり出たりした。ベトナム女性は荷が到着次第、一番に対応してくれて有難かった。
 ところで、購入した体温計はオムロン社製であった。購入後、1週間後にオムロン社の元社長がコロナで亡くなられたニュースに接し、とてもびっくりした。
 オムロンはよく聞く社名だが、その由来を考えたことがなかった。しかし、『週刊新潮』(’20.5.14)の墓碑銘にオムロン社元社長のことが書かれてあった。本社の地名、すなわち、京都の御室(おむろ)から来ていることがわかった。なんと風流な名前であることか。