哀悼のタイ王国(26)

10月21日(金)、王宮での記帳を終えて、サイアム駅まで戻って来た。パラゴンに入ると、レストランやカフェが有る2階には若者が大勢いて活気が感じられた。しかし、洋服を売っている階へ上がって行くと、人はまばらであった。
そこへ行った理由は黒い服を買うため。翌日、昔のタイ人講師と20数年ぶりに会う約束があったので、新しい服装で会いたかったからだ。チャオプラヤー河の水を浴びた服を手洗いしても、おそらくきれいには仕上がらないであろうと判断したためである。
絹製の黒い長袖ブラウスが気に入った。だが値段はものすごく高かった。東京の有名デパートの値段と変わらなかった。買うか買うまいか、しばらく迷いに迷った。だが、不景気に陥ったタイ経済に少しでも貢献しようと思って大枚をはたくことにした。
そして、もう一つの理由は、この黒服を見ると、プミポン国王のことをいつまでも思い出せることになるからと考え、自分に指令を送って買った。

哀悼のタイ王国(25)

王宮前広場を取り囲む散歩道にはたくさんのボランティアがいて、タイ料理をふるまっていた。地方からバンコクに来た(เข้ากุงเทพฯ)人々には空腹を満たすのにもってこいの場所だ。私は並ぶのがいやだったので、アイスクリームをもらい、タイ人の観察をした。皆、黒服を着ているが、喪服ではない。普段の気持ちそのままで国王に別れを告げに来ている。それがいい。
食べる表情には屈託がない。すぐ近くにはトイレバスが数台、用意されているから、いくら食べても、そして、いくら飲んでも心配がない。警備にあたっている警察官の顔も優しさに満ちている。
マッサージをしているブースの前でマッサージの技術を見ていると、「あなたも並んだらどう?」と言われた。後ろに敷かれたござに目をやると、たくさんのタイ人が座り込んでいた。
私は民主記念塔(อนุสาวรีย์ประชาธิปไตย)近くまで歩いて、タクシーをひろい、パラゴンへと向かった。

哀悼のタイ王国(24)

 王宮前広場(สนามหลวง)の元来の名称は「ทุ่งพระสุเมรุ」であり、王族の葬儀場として使用されるのが主たる目的である。仏教界における須弥山思考に基づき、世界の中心に須弥山がおわしまし、その中の最高峰に今は亡き王族がのぼりつめられ、どうか安らかに永遠の眠りにつかれますようにという気持ちで葬送(火葬)の儀が行われることになっている。
 王宮前広場では、昔、サンデーマーケットが行われていた。タイ人に連れられて初めてそこへ行った時、なんと楽しい場所かと興奮した。なかでも小動物がたくさん売られていて、まるで動物園みたいであった。交通渋滞を解消するために、1982年からチャトゥチャックへ移ったが、モーチット駅のホームから見ると、屋根ばかりで窮屈そうだ。青空の下のサンデーマーケットは実に開放的な感じがした。そして、4月は凧揚げ大会が開催され、雄凧・雌凧が上空を舞った。
 だが、悲しいかな、ついにその日はやって来た。葬儀のための宮殿を建てる地ならしが始まったそうだ。来年2月に完成するとのことだが、事が着々と進んでいることに対して、なんとも形容しがたい気持ちにおちいらざるを得ない。

哀悼のタイ王国(23)

 無事に記帳を終え、記念写真を撮ったところで、喉の渇きを覚えた。そうだ、ボランティアの皆さんからもらった栄養ドリンクを飲もう。そう思って、カバンの中から取り出そうとすると、カバンの中に入れておいたタオル製のハンカチ2枚が濡れていた。変だなあと思って、ドリンク剤のビンを取り出すと、なんと蓋が開いていた。彼らは蓋をひねり、開けたままの状態で手渡ししてくれたことがわかった。これぞ過剰なる親切? 
 しかし、私は腹を立てなかった。タイに来たら、腹を立てないことにしているからだ。チャオプラヤー河の船の中で大波を受けてびしょ濡れになった全身はいつしか乾いていた。その代わりに、私のカバンの中が水びたし…..。
 王宮前広場に行くと、国王のお写真をかかげた大きなパネルが設置されていた。花束の山である。花売りの男が私のそばにすかさず寄って来た。一束40バーツ。私はその花を買った。そして、青空の下で、再び、国王を思った。
 王宮前広場は、翌日(10月22日土曜日)、タイ国民が集まって国王讃歌を歌うためのステージが作られようとしていた。

哀悼のタイ王国(22)

 タイとの御縁の深さを国王に感謝してずっと平伏していたら、周囲のタイ人達はもう立ち上がっていた。タイでは正式な座り方が横座りだから、そのようにしていたら、いざ立ち上がろうとすると、なかなか体が動かない。困った、困ったと思っていたら、誰かが手を差し伸べてくれた。嬉しかった。
 隣室に移動すると、そこには長机がいくつも置かれていて、役人らしき人達が座っていた。拝礼が終わった人々が記帳する場所であった。私もその記帳台で名前を書いた。タイ人達の署名はいずれもきれいな書体であった。そこに「吉川敬子」と漢字で書くと、なんとなく違和感が有ったので、署名は英語とタイ語の両方でした。
 外に出ると、大勢の人達が屈託なく記念写真を撮っていた。女子高校生達からシャッターを押してくださいと頼まれたので、心よく応じた。彼女達が母親となった時、我が子に向かって、この日のことを語り継ぐことであろう。

哀悼のタイ王国(21)

 私は平伏している時、国王に話しかけた。「1969年から今日までの47年間、タイに関する仕事をして参りました。駐日タイ大使館に勤務していた4年半は、まるでタイ王国に住んでいるかのような環境でした。私の頭の上をタイ語が行き交うものですから、タイ語を勉強したくなりました。最初は独学でした。そのうち、当時、都内に唯一有ったタイ語教室へ通い始めました。よく出来るからということで、4ヶ月目からは授業料免除になりました、そして、半年後からはタイ語を教えたらと言われ、もう先生を始めました。先生をするからには、資格が欲しいと思い、東京外国語大学大学院に進学したのです。そして、院生の時から、アジア・アフリカ語学院でタイ語を教え始めました。42歳の時から泰日文化倶楽部を主宰しております。現在まで大勢の方達にタイ語を教える機会に恵まれ、大変に光栄に思っています。70歳になりましたので、来年3月で上智大学は定年です。4月以降はいつでもタイに来て、長い休暇を過ごそうと思っていました。もう国王はいらっしゃらないのですね…..」

哀悼のタイ王国(20)

 いよいよ宮殿の一部に設けられた拝礼室の階段のところまで近づいた。靴を脱ぐ必要はなかった。中に入ると、2m位の間隔で、カーテンと木製の板が交互に立てかけられていた。カーテンは微風を受けて、少しだけ動きを見せ、まるで内部へいざなってくれているかの感じがした。
 庶民が礼拝するのはその場所どまり。しかしながら、この宮殿の奥のいずこかに国王の御棺が安置されているかと思うと、距離感が縮まったことを光栄に思った。
 1回の拝礼に70人位が床に平伏した。私もプミポン国王に恭順の気持ちを込めてお別れをした。今から10年前、即位60周年の時に、王宮前広場の沿道に早くから陣取り、国王の御姿を10m先で拝顔したことが、昨日のことのように思い出された。その時の国王の御姿は、タイ王国の国王として威厳と慈悲に満ち満ちておられた。そして、今は、王宮の奥深くで永遠の眠りについておられる。

哀悼のタイ王国(19)

 テントの下の検問所はなんなく通過した。というか、警官は善良なる市民の悲しみにくれた顔を見て、何ひとつ疑う様子もない。王宮前の道路を渡って、いよいよ門の中に入った。黒服の人々が4列で長々と並んでいた。拝礼場所の入り口まではまだ遠い。時計を見ると、丁度12時であった。
 炎天下で並ぶ覚悟を決めた。暑いなあと思っていたら、隣りで並んでいた中年女性が折りたたみ傘を開き、私に半分さしかけてくれた。その優しさが身にしみた。傘の下で、私達は姉妹になったような気がした。
 拝礼場所の近くまで来ると、テントが張ってあり、並んでいても苦にならなかった。誰かが警備の人に向かって尋ねた。「写真を撮ってもいいですか?」 
 すると、彼は当意即妙に答えた。「かまいません。しかし、ここでいくら写真を撮っても、王様はもうお出ましにはならないですよ」 
 それを聞いた市民がどっと笑った。悲しみの中の笑い。タイ人の明るさに安堵した。

哀悼のタイ王国(18)

 芸術大学の学生達が描いたプミポン国王の絵の前で、大勢の人が記念写真を撮っている。そこで、私も写真におさまった。
 王宮にはたくさんの門があるが、最初に通りかかった門には衛兵が立っており、王宮内から出て行こうとしている高級車に向かって敬礼をしていた。高位高官の方達が拝礼をすませて出て来ているところであった。
 庶民が入れる門はまだまだずっと先だ。並んでどんどん入って行く様子が見えた。ああ、もう少しだと思っていたら、直接、門に入れるわけではなくて、反対側の道路上に設置されたテントの中を通過しなければならなかった。警官が立っていたから、荷物検査が有る様子だ。
 しかし、テントの横にはたくさんのボランティアがいて、水や気つけ薬や強壮剤を大きな声を出しながら配っている。中には、かぼちゃを油で揚げながら、「さあ、食べて食べて」と盛んに勧める。新聞に包まれた熱々の揚げかぼちゃを私は急いでほおばった。だが、待てよ、私はかぼちゃを食べにここに来たのではない。主たる目的は王宮へ行き、拝礼し、記帳することだ。

哀悼のタイ王国(17)

 土産物屋には王家の写真や絵葉書がいっぱい売られていた。私は額縁に入ったプミポン国王の写真立てを2つ、そして、写真を10枚ほど買った。泰日文化倶楽部のタイ人講師へのお土産にしようと思ったからである。
 薄暗い屋根に覆われていた土産物屋を出ると、急に視界が開けた。遠くに王宮の白壁が見えた。黒服の人々が皆、同じ方向に向かって歩く。シラパコーン大学(=芸術大学)の学生達が大学の白壁に描いた国王の絵がいくつも有った。国王を思慕する学生達の絵筆は確かなものであった。写真で見る国王よりも、慈悲のまなざしが強く感じられた。学生達は国王への気持ちを表わすには、今、この時しかないという思いで白壁に向かい、そして、一心不乱に描いたにちがいない。