瀬戸内寂聴の作家魂

『文藝春秋』(2015年3月号)を買った。芥川賞受賞作品を読むためであった。読後の感想はまあまあ。
 むしろ、瀬戸内寂聴の「九十二歳の大病で死生観が変わった」という文章が面白かった。91歳から書き始めた『死に支度』を死ぬまで書こうと思っていたが、途中で霊感が働いた結果、連載を12回で打ち切ったこと、そして、そのあとすぐに大病に見舞われたが、治療を受けているうちに、またしても書く意欲が湧いてきたことが、とても分かりやすく書かれてあった。
 「どう書けばいいかはまだ頭のなかでまとまっていませんが、『死に支度』を瀬戸内寂聴最後の小説にはしたくないという強い思いがあります。何かそういう湧き出てくるものがある。これが小説家としての才能だとすれば、まだまだ自分の才能は枯れてないと思うのです」
 瀬戸内寂聴は四国(徳島県)出身。彼女が大学時代を過ごした学寮に私も住んでいた。彼女は目白台に住んでたくさん小説を書いていたので、それにあやかり、私も目白に住んでいる。彼女は私よりも干支が2周り上の戌年。ここまではかなり共通点があるが、彼女が51歳の時、出家し、京都へ移った時は本当に驚いた。

セミ・プライベートのレッスン

昨日から、セミ・プライベートのレッスンが始まった。ただし、回数はゴールデン・ウィークまでの5回だけ。
 生徒達は若いカップル。タイ旅行で少しだけタイ語を話したいそうだ。
 だが、女性のほうは、ご自分から早めに自己紹介された。「私のママはタイ人です」、と。
 ママに連れられて毎年、タイへ行っているから、タイ語の音に馴染んではいるけれど、話せない。タイのおじいちゃん、おばあちゃんとタイ語で話したい! そういう気持ちが強く芽生えてきたので、タイ語を勉強することになったそうだ。
 それを聞いて、私はさっそくにも彼女の中に眠っているタイ語を引き出してあげた。
 「私、タイ料理の話なら、わかります」、と、彼女も乗ってきた。料理名はしっかりと覚えていた。
 その様子を見て、彼氏も俄然、意欲を見せ始めた。次回が楽しみだ。

ミカン? or   かかと?

 日本語は、「あ、い、う、え、お」の母音しかないから、外国語を学ぶ日本人は、末子音の発音がきわめて苦手だ。
 先日、お会いした元タイ語講師から、泰日文化倶楽部で教えていた時の思い出話を聞かされた。そのうちの一つを紹介すると、こうである。
 「生徒に作文を書かせると、ある生徒が次のように書きました。ผมอยากกินส้น 私はびっくりしました。何故ならば、<私はかかとを食べたい>と、書いていたからです」
 その話を聞いたとたん、私はすぐに分かった。<私はミカンを食べたい>、と言いたいのであることを。
 日本人は、末子音の、m音、n音、ng音 が弱い。だが、ミカン(ส้ม ソム)が、かかと(ส้น ソン)になってしまうと、タイ人にはさっぱりわからない。
 ついでに言うと、男性の一人称である私(ผม ポム)の発音も要注意だ。ผง(ポング)になると、埃(ほこり)や、粉(こな)になってしまうから気をつけてほしい。

大丈夫じゃない

 昨日、久しぶりにタイ人に日本語を教えた。私の教え方はひたすら語りかける方法を取っているので、生徒の聴力が向上し、自らも話そうという意欲がみられるようになったのが分かって、とても嬉しい。
 彼は質問が有ると言った。「<大丈夫です>の反対は、どう言えばいいですか?」
 「それでしたら、<大丈夫じゃない>、あるいは、<大丈夫ではありません>、と言います」と、私はすかさず答えた。
 だが、どのような状況なのかと彼に説明を求めると、電車の中で足を踏まれることが多く、その時、日本人から「大丈夫ですか?」と訊かれるそうだ。
 私はあわてて次のように言い換えた。「その場合には、<大丈夫です>というほかありませんね。もしも、<大丈夫じゃない>というと、その後が気まずくなりますから」
 日本語を教えている時、単純に否定文の作り方を教えてしまうが、状況や環境を考慮して話すことも教える必要があるなあと思った。

直訳よりも意訳のほうがわかりやすい。

 昨日は風が冷たかった。冷たいは、タイ語で「イエン เย็น」。だから、タイ人の先生に向かって、「ロム イエン ลมเย็น」と言うと、タイ人はそうは言わないと言われた。正しくは、「風が寒い。ロム ナーウ ลมหนาว」と言うそうだ。なるほど、なるほど。直訳はダメだ。
 授業中、日本語からタイ語に翻訳する作文が有ったが、「土日と重なるならば」という表現で、生徒は頭をかかえていた。「重なる?」 どう言えばいいのであろうか?
 これこそ直訳してはさっぱりわからなくなる。「重なる」という表現は、日本語のニュアンスであって、言い換えれば、「一致する」という意味に切り替えてからタイ語に訳さないと、タイ人にはさっぱり通じない。
 一番、いいのは、「土日ならば」とだけ訳せば通じやすい。
 日本語からタイ語に訳す場合は、極力、日本語のもってまわったような表現は、すっきりした文意に切り替えてから訳すほうがよろしい。

呵呵大笑

『禅的生活』(玄侑宗久 ちくま新書 2003年)の中に、禅を習いに来たアメリカ青年のことが書かれてある。17歳でやって来たマーチン君は、禅寺で出される毎朝の食事のお粥がどうも苦手であったので、紙パックの牛乳をこっそりお粥に入れて食べていたそうだ。住職は彼の行動を最初から見破っていたが、呵呵大笑するだけで、彼を叱責しなかったとのこと。
 何ものにもとらわれない住職の姿。アメリカ青年は何かを学びとり、住職の笑いを憶いだすだけで生きていく上でのつらさを乗り越えられた、と、著者は紹介している。
 呵呵大笑! これは人生に必要だ。大きな声で思い切り笑う。すると、体の奥に溜まりに溜まっていた澱が吹き飛んでくれるような気がする。
 さて、ここからは手前味噌になるが、語学の勉強も目だけで勉強してはダメだ。耳だけの勉強も足りない。やはり、大きな声で発声しないとね。
 そのためには、食事もしっかり摂り、顔も洗ってさっぱりとし、道場ならぬ教場へ向かうべし。

春の気配に誘われて、問合せ多し

昨日は暖かかった。今日も3月上旬並みの気温とのこと。これで、梅もかなり咲き出すことであろう。家の近くのブティックのショー・ウィンドーはもう春から初夏にかけての洋服に変わっている。
 昨日は、なんだか不思議なくらい問合せが有った。そして、来訪者と見学者がそれぞれ1名ずつ、教室にみえた。祭日であったが、泰日文化倶楽部は授業を実施しているので、見学者には授業の様子がよくわかっていただけた。彼は明後日からタイへ出張とのこと。したがって、入会は3月からという意思表示をされた。
 これからタイ語を習いたいという方達のお話をうかがっていると、趣味ではなくて、仕事に直結している方が多いことがわかった。日本とタイの両国間に於けるビジネスがますます活発になってきていることの表れだ。
 タイ語を習っていて損をするものは全くない。得することばかり。タイ語を習いたいと思い立ったら、決断はお早めに。ぐずぐずしていると、あっという間に1年や2年が過ぎてしまいます…..。

大仏様 と マンゴー

昨日、タイ人と一緒に鎌倉へ行った。何年ぶりであろうか……。この寒いのに、修学旅行生がたくさんいた。体つきから見て、どうやら中学生のようだ。課題の感想文を書いている姿が可愛いらしい。
 もちろん、タイ人観光客や中国人観光客、それにベトナム人観光客も見かけた。これほど鎌倉大仏が賑わっているとは想定外であったので、大仏様に「ご苦労様」と、ねぎらいの声をかけると、「すべての願いを静かに聞いているぞ」という返事が聞こえてきた(ような気がする)。
 ところで、大仏様の台座の前にお供えされた供物だが、八朔のようなミカンの他に、マンゴーが5個ほど有った。神社仏閣でマンゴーがお供えされているとは! しかも大きなマンゴーだから、タイのマンゴーに違いない。アジアからの観光客が多いから、供物まで国際色豊かに演出しているのであろうか?
 夜、教室に寄って、タイ人講師にその話をすると、彼女は次なる意見を述べた。
 「以前、大仏様に祈願したタイ人が、タイへ帰国して、やがて願いが成就したんですよ。だから、御礼参りにマンゴーを持ってきたのよ」
 それを聞いた私は、ああ、なるほど、そのような見方もあるんだなあと思った。

手仕事 

先日、NHKで「逸品」というタイトルの番組を見ていると、冒頭からいきなり目白が出てきて、公園でママさんグループと子供達がランチをしている光景が紹介された。ポイントはランチを入れた弁当かごであった。やがて築地に場面が切り替わり、魚を買付けに来ている人達がいずれも皆、竹かごを持って市場を歩きまわっているという映像になった。
 それらのかご製品が、鳥越かごと呼ばれ、岩手県鳥越地区で千年に亘って連綿として手作りされてきたことを初めて知った。作っているご夫婦はいずれも後期高齢者(84歳と79歳)。「この地方は何もないですから。ただひたすら作っているだけですよ」と、謙虚に言っておられたのが印象的であった。
 『大停滞の時代を超えて』(山崎正和 中央公論新社 2013年)の中に、「手づくりの意味の変遷」という項目がある。「示唆的なのは、手仕事が道具を介して素材の抵抗を人に伝え、対象の反作用を精神に与えるという事実であろう。頭が一方的に機械に命令を下す作業は、効率という点ではめざましいものがあるが、けっして逆に精神を刺激する力を持たない」という文章が気に入った。
 毎日、淡々と鳥越かごを編まれる老夫婦。おそらく百歳まででも同じ調子で編まれることであろう。

バンコクの元生徒さんから近況報告

今朝、メールをチェックすると、バンコク在住の元生徒さんから近況報告が届いていた。
 それを要約すると、バンコクに来て3ヶ月が過ぎ、今はタイ語学校に通っているが、直説法、すなわち、タイ語だけの授業であるにもかかわらず、泰日文化倶楽部で学んでいたおかげで、単語が聞き取れた時にはとても嬉しいということであった。タイ語が少しわかるということで、恐さもうすれ、バンコクの生活になじむことができていること、御主人は仕事が忙しいために学校に通えないので、彼女が習ってきたことを家で教えておられるとも書いてあった。そして、泰日文化倶楽部での勉強が楽しかったことを友人に話したところ、その友人がさっそく見学に行ったそうです、とも。
 そういえば、先週の土曜日、一人の女性が「タイ語入門 土曜日11:00」のクラスに見学に見えた。教室の雰囲気を味わってもらえたと思う。
 泰日文化倶楽部は口コミで持っている。皆さん、大いに紹介してください。