年賀状を出すのも大変だけど、頂いた年賀状を読むのも大変。印象に残ったのは、今年もやはり元生徒のHK氏(65歳位)からのものであった。
「暮れから予定していた仏領ラバ島旅行は、タヒチからの船便が相変わらず3ヶ月に1度なので断念して、新春早々ラオスに転進します」
仏領ラバ島? 恥ずかしながら初めて聞く名前だ。3ヶ月に1度の船便? まだそのような場所が現代の世界に残っていたとは!
HK氏の年賀状には、「実は昨年、北海道で交通事故に遭い、搭乗者6名のうち1名が亡くなったので、今回ほど<迎春>という言葉を重く意識した事はありません」と冒頭に書いてあった。
だが、さすが、世界の秘境を撮影しまくる彼。死んでたまるかの精神。今ごろはラオスの山の中に入ってカメラをまわしていることであろう。
戦後70年という今年
元旦、群馬県で行われた「ニューイヤー駅伝」のTV中継で実業団のトップランナーのすがすがしい走りを見た。そして、夜は、ウィーンフィル交響楽団の「ニューイヤー・コンサート」を楽しんだ。
特に、インド出身のズービン・メータ氏が指揮されたことが嬉しかった。メータという意味は、<慈悲>。サンスクリット系の単語だから、アジア諸語にもこの単語は生きている。洋の東西で活躍するメータ氏。彼の指揮棒により、東洋にも西洋にも、どうか仏陀や神の慈悲が満ちあふれますように…..。
今年のマスコミは、正月早々から「戦後70年」という表題を掲げ、いろいろな番組を提供してくれている。戦後生まれの私はもう何度も見た映像であるとはいえ、区切りの70年となると、再び見るのも悪くはない。何故ならば、初めて見る映像に、新たなる視点が得られるからだ。
それにしても、東京の変容にはあらためて驚いている。2020年の東京オリンピックまであと5年半。東京はどこまで変わるのであろうか? 東京のパワーを感得しながら、今年も始動だ。
謹賀新年 2015 GO!
新年おめでとうございます。
羊の年。漢字の中に「羊」が入っているものはたくさん有るようです。
美=日常にたくさんの美を取り込みたいです。
善=善行に励みたいです。
義=義を尊びたいものです。
達=小さな目標を達成したいです。
詳=ニュースは詳しく分析したいです。
洋=洋の東西を問わず、いろいろと学びたいです。
着=人生、着々と歩みたいです。
翔=夢と希望だけはいつも飛翔していたいものです。
今年も、泰日文化倶楽部で、楽しくタイ語を勉強しましょう!
塩を造る
昨日、実家の草取りと先祖の墓参りのため、日帰りで郷里の香川県に帰った。母方の先祖の墓は宇多津にある。寺の近くにある花屋で正月用の花を2束、つくってもらった。驚いたのは、値段が東京の半額であったこと!
経営者の若者に尋ねてみた。「儲かってますか?」
彼は答えた。「もうかりません。私は花屋だけやっているわけではなくて、普段は、塩田で塩を造ってます」
塩田と聞いて、そういえば、昔、宇多津といえば、入浜式の塩田がいっぱい有ったことがすかさず脳裏に浮かんできた。そして、祖父が塩田を有していた話も思い出された。
入浜式から流下式になり、そして、日本で塩を造るよりも外国から買ったほうが安いという時代になり、塩田は無くなってしまった。
60年経過して、日本の伝統文化である入浜式を若者達が継承し始めたことを知って、とても嬉しく思った。
M氏からのハノイ・レポート
泰日文化倶楽部では、2013年2月から2014年3月まで、ベトナム語クラスを開講していた。そのクラスで学んだM氏が、目下、ハノイに旅行中である。
M氏はLINEで写真をたくさん送って来てくださるので、まるで私も一緒に旅行している気分を味わっている。
ハロン湾の光景、ハノイの料理、そして、人々の生活風景、いずれも皆、覚えている。追体験もまた楽しい。
M氏に質問した。「ベトナム語は使ってますか?」 答えは、「まだまだですが、そこそこ通じてます」
彼の専門は中国語。タイ語の学習歴は5年。ベトナム語はすいすいと習得された。声調言語が大好きな彼。語学の勉強の仕方は十分に心得ておられるので、あとは現地でたくさん喋って体で覚えていくだけだ。今日から彼はタイ入りをされる。สำหรับเขาไม่มีปัญหาอะไรเลยค่ะ
羊というタイ語
タイ語で羊のことを<แกะ ゲェ>という。この単語は、動詞としての意味も有る。即ち、「彫る」、「開く」、「爪ではがす」、「(皮を)除去する」、等々。
「彫る」の場合は、<แกะสลัก ゲェ・サラック>と重ね語で表現する場合が多く、かつ、このほうが分かりやすくもある。
来年は干支が羊(ปีมะแม)だから、気分もスローダウンできそうだ。表面だけを上滑りするのではなくて、何かを彫って行くぞという精神を持つことも必要。
羊と言えば、羊毛。羊毛からつくる毛糸を使っての編み物は楽しい。習い始めてもう8年以上になるが、辞めないことをモットーに、編み物教室へ週1回の割合いで通っている。
1本の糸をどんどん編んで行くと、次第に<面>となって形を成して行く。後ろ身ごろ、前身ごろ、両袖、そして、襟のパーツを組み合わせれば、1枚のセーターが完成。根気を要求されるが、途中で放棄するわけにはいかない。
またまた話題をタイ語の学習へと向けて恐縮だが、いろいろな表現や文法を習って、それをうまく繋ぎ合わせ、実際に使ってもらいたい。いろいろなパーツを豊富に貯めると、いつか、必ずや、ああ、タイ語を勉強しておいてよかったという日がくること、間違いなし。
生まの勉強
ベストセラーになった『清貧の思想』(中野孝次著 草思社 1992年)の最後の部分に、「景色に接すれば観るよりも先にカメラを向け、人の話に接すれば聴くより先にテープレコーダーをつきだす社会では、(以下省略)」というくだりがあるが、それから20年以上経った現在では、テープレコーダーはスマホやタブレットに代わっている。だが、人間の行動は変わっていない。
学生はホワイトボードに書かれた講義の内容をスマホで写す。泰日文化倶楽部の生徒の中には、教科書の1ページ1ページをタブレットの中におさめ、授業中は指先をはわせながら勉強している。そして、タイ語の勉強もスカイプで……。
手段としてはそうした行動を否定することはできないが、勉強とは、やはり生身の教師とぶつかりあうほうがいいのではなかろうか。
私は今でも中学校時代の英語教師を覚えている。誰かが質問すると、「それは習慣じゃ」の繰り返し。要するに、「つべこべ言わず、そのまま覚えなさい」という態度。スカイプの先生よりも、生まの先生を求めてほしい。
スマトラ沖地震から10年
昨日は、スマトラ沖地震、そして、インド洋津波から10年が経ったということで、記念式典のニュースを何度も見た。参加された御遺族の方達は「決して風化してはならない」という言葉を口々にしておられたが、いずれの災害や大事故でも、同じだと思う。
プーケットの津波の様子は今、映像で繰り返し見ても実に生々しい。上智大学生のMさんは大変に行動的な女性であったので、私がスポンサーになるからプーケット近郊のカオラックの被害状況を調べて来るようにとお願いすると、彼女はそれに応えて立派な調査をしてくださった。
それとは別に、カオラックの漁師達が釣り船を流されてしまって困っているというニュースが流れたので、泰日文化倶楽部としては、JVCを通じて、船一艘を購入する金額を寄付した。見知らぬ一人の漁師さんが10年経過しても、日々、魚を獲り続けているであろうことを想像すると、それだけでも嬉しくなる。
島根県隠岐の島海士町 と Sターン
地方再生が叫ばれて久しい。政府は地方創生大臣まで造成したが、果たしていつその成果を見ることができるのであろうか?
昨晩、テレビ東京のWBS特別番組で、島根県隠岐の島海士町が紹介された。東京の出版社に勤めていた男性が、海士町に移住し、漁業関係の仕事に就いて生き生きと暮らしていることを知った。奥さんは看護士として海士町から期待されている。
ここは日本全国から高校生がたくさん転校してきているところでもあるようだ。ドバイから転校して来たという男子高校生もいた。埼玉県から来ている女子高校生は、「大学は関東を選ぶけれど、介護士の資格を取得したならば、お世話になった海士町に必ず戻ってきます。私、Sリターンをします!」と言った。
皆さん、表情が明るい。それがとても印象的であった。
Uターンという言葉はもう年代物。そして、Iターンという言葉も生まれた。だが、Sターンという言葉は初めて聞いた。
東京は暮らしにくくなった。日本の地方での生活を選びたい人が増えてきているようだ。
パンセ
巷間では、商業主義のクリスマスばかり。それに惑わされないようにするため、買っておいた文庫本『パンセ』(パスカル著 前田陽一・由木康 共訳)を開く。
第一章は、「精神と文体とに関する思想」。最初から難解である。短い文章なら、どうにか頭に入ってくる。
- 正しい判断力のいろいろ。ある人々は、ある秩序の事物において正しいが、他の秩序ではそうでなく、むちゃをする。
- 人は精神が豊かになればなるほど、独特な人間がいっそう多くいることに気がつく。普通の人たちは、人々のあいだに違いのあることに気がつかない。
- 言葉は、ちがった配列をすると、ちがった意味を生じ、意味は、ちがった配列をすると、異なった効果を生じる。
今日だけでなく、毎日、少しずつ思索する習慣を持ち続けたい。