ホーチミンからカード

「4月からベトナムへ取材に行きますので、しばらくお休みさせてください」と言っていたアナウンサーのE子さん。その彼女から、先日、泰日文化倶楽部に可愛いカードが届いた。
 「お元気ですか?ベトナム生活もあとわずかです。毎日、元気に施設を回って取材をしています。あの時教わったベトナム語ですが、やはり値段交渉での使用頻度が非常に高く、日々<値切り>に精進しています(笑)。帰国して仕事が落ち着いたら、お土産を持って教室に伺いますね。6月からタイ語も復活しますので。Mさんにもよろしくお伝えください」
 とても活発なE子さん!彼女の奮闘ぶりが十分に想像できる。
 ところで、カードの最後に書いてあるMさんであるが、彼は泰日文化倶楽部のベトナム語クラスでめきめきと学力をつけた優等生である。E子さんがベトナムへ行く前に、2回にわたり、ベトナム語の特訓を彼女にしていただいた。それがとても役に立ったようで、私も嬉しく思う。

母の日の光景

昨日は「母の日」であった。元韓国語講師のY氏は、数日前に私にサプライズを与えようとして教室にプレゼントを持って来てくださったが、あいにく私は外出中であった。韓国の方の律義な態度には毎年、感銘を覚えている。
 福岡在住のI氏からも電話が有った。「先生、母の日なので電話をしました」 声を聞いただけでもう十分と思っていると、「娘と話してください」と言うではないか。その娘さんは小学校3年生。ものすごくはきはきとした話し方に、語学教師である私も負けじと頑張って話した。
 そのあと、教室の前にある定食屋へ行った。隣りに座っているのは、若いお母さんと小学1年生らしき娘。ところが、そのお母さんは娘と全く話すこともなく、スマホとIパッドの両方をいじりながら、何かを入力することに没頭している。時間にして、20分。私が食べ終わっても母子の間に会話はなかった。
 娘が一言、言った。「食べ過ぎて、お腹が苦しい」。だが、その母は娘の言葉に反応することもなく、スマホとIパッドに夢中であった。

現在と記憶のあわい

高田馬場駅前にあるFIビルには芳林堂書店が入っている。その芳林堂の4階の隅っこには「古本横丁」というコーナーが設けられている。新刊専門の書店が古本も、とは! とても懐かしい装丁の本が並んでいるので、私にとってはタイムスリップした気分を味わわせてくれる一角だ。
 先日、『書庫の母』(辻井喬著・講談社 2007年)を買ったが、帯の文句にこう書いてあった。<生と死、現在と記憶のあわいを描いた珠玉の作品集>
 この中で、<あわい>という言葉に惹かれた。これは、形容詞の<淡い>ではなくて、名詞形で使われている。なんだか分かったようで分からない単語だ。そこで、ネットで調べると、次なる意味が書かれていた。
 「物と物、時間と時間、人と人など、それらの距離や時間的な相互の関係性や隔たりを、<あわい>という」
 どうやら、仏教的なとらえ方のようであるが、殺伐とした昨今、あふれかえる情報に振り回されるのをやめて、少々、この単語の深さを味わってみたい。

阿里山高山茶

黄金週間に台湾へ遊びに行くという生徒さんがいらしたので、「それじゃあ、お茶を買って来てください! お金は払いますから、高級茶をお願いします」と、頼んだ。
 昨晩、その生徒さんにお会いすると、約束通り、お茶を買って来て下さった。名前は「阿里山高山茶 烏龍」。
 彼はお金を取らなかった。申し訳ないと思ったが、彼の御厚意に甘えて、有難くお土産としていただくことにした。お返しは、またいつか…….。
 ところで、高山茶を買ったお店のパッケージに興味を覚えた。何故ならば、「台北老店 SINCE 1949 台香商店」と書いてあったからである。さらには、漢字がずらずらと並んでいた。
 「本行創業迄今六十餘年 誠信経営・特選各式茗茶・精心焙製・品質自然純真・茶香濃郁・値得悠細細品味」
 創業して65年のお店とは! 67歳の私は2年だけ、ピー(พี่)だ。私も頑張ろう。

ブータンの子供の絵画展

昨日、六本木にある国立新美術館へ行った。大学時代の友人で、国画会に所属している画家が「第88回国展」に出品しており、招待状を頂いたからである。彼女は毎年、出品しているので、この季節になると、毎年、私は必ず見に行くことにしている。上野の都美術館から六本木に移った時は少し違和感があったが、今はもう慣れた。会場が広いので見やすい感じがする。
 ところが、施設はよくなったのに、年々、これはという作品、即ち、共感を覚える作品に出合うことが少なくなっているのは何故であろうか。皆さん、プロの画家だから上手だ。だが、きれいにまとまり過ぎていて、訴えかけてくるものが感じられない。
 そそくさと美術館をあとにし、新宿西口まで帰ってきた。すると、西口地下のビルにあるプロムナードに、「ブータンの子供の絵画展」という企画を見つけた。7歳から12歳位までの子供の絵は、実に純朴だ。山を背景にして、小さなパゴダを描いている絵は、そこの場所の空気感までが伝わってきてすがすがしい。<一年のできごと>と題された絵をよく見ると、合掌して感謝を表わす農民達がたくさん描かれている。大地の恵みに感謝するブータンの人々の自然な姿が絵画を生き生きとしたものにしている。
 六本木で見たプロ集団の絵画と、新宿西口で見たブータンの子供の絵。絵には描く環境や心が如実に表わされる。一体、どちらが幸せかな?

鉛筆のお助け棒

どこの家庭でも、いつのまにか文房具がいっぱいたまってしまってはいないだろうか? 私の場合、小学校から使っている定規や筆箱、そして、鉛筆を削るための小さな刃、さらには、寒暖計まで取ってある。いわゆる、思い出として….。
 先日、短くなってしまった鉛筆を、残り5センチまで使うための、鉛筆補助棒がみつかった。昔は鉛筆が主流であったので、いかに最後まで使い切るかに腐心した。そのためのお助け棒だ。いまどき、果たして売っているのであろうか?
 大学生に答案用紙を書かせると、皆が皆、シャープペンシルを使うので、文字が非常に薄い。鉛筆を使って力強く書いてくれたほうが有難いのだが、時代だから致し方ない。
 いずれにせよ、鉛筆の補助棒を見ながら、ひとつの教訓を得た。それは、語学教師としての心得である。タイ語を習う生徒の皆さんは何とかして上手になりたいと思っているはずだが、途中から自分の学力が伸びないことに気づき、勉強の継続がだんだん怪しくなる。それに気づいた教師は、彼らの補助役に徹し、少しでもタイ語を続けるように方向づけをしてあげる必要があると思う。ちょっとヒントを与えるだけで、発音が上手になる方達を見ると、とても嬉しい。
 黄金週間が終わり、昨日から泰日文化倶楽部は再開した。お盆休みまで毎日、授業を実施する。皆さんの補助役に徹して、皆さんのタイ語力が向上するよう、お手伝いしたい。

池袋 と フクロウ

池袋の街に対するランキングがものすごく上昇しているそうだ。かつてはイメージが悪いところであったが、大勢の若者達が明るさをもたらしてくれているのが要因らしい。いわゆる純喫茶と呼ばれていたレトロな喫茶店も今年3月末をもって閉店となった。その跡地にはおそらく新しいビルが建つのであろう。
 私の家から西武デパートまでは歩いて10分だから、散歩コースだ。その途中に、1階がコンビニ、低層階が老人ホーム、そして、高層階が若い家族が住んでいる建物がある。そこは昔、小学校であった。明治通りに面した敷地の一角には、フクロウの像が立っており、フクロウの足元には、「若者も老人も今を精一杯生きよう」という文字が刻まれている。
 写メールで、シンガポールにいるY子さんにこのフクロウ写真を送ると、「自殺防止のためなの?」という返事が戻ってきた。私はそこまで考えもしなかったが、海外から日本を観ると、案外、そのように思われても仕方がないなあと苦笑した。
 黄金週間が終わり、今日から日本列島は始動する。学生はどうか五月病を吹き飛ばし、楽しく勉強をしてもらいたい。老人もマイペースで、残された時間を大切に味わって生きて行こう。
 フクロウは、「不苦労」に通じるということで、幸せな鳥だとされている。辛くなったら池袋へ行こう!フクロウの像がそこかしこに有りますよ。

鎌田 慧著 『反骨のジャーナリスト』

鎌田 慧著『反骨のジャーナリスト』(岩波新書 2002年)を読んだ。扉裏に書かれた著者の言葉を引用すると、「日本の近現代にあって、権力や時代の風潮にペンで戦いを挑んだ人々から、十人を取り上げる。時代に迎合せぬ彼らの生き方は、<反骨>を忘れかけた現代のジャーナリズムに鋭く問いをつきつけている」と書いてある。
 十人の中で、女性はわずかに一人。それは、1911年(明治44年)に『青鞜』を発刊した平塚らいてう(1886-1971)だ。鎌田氏の彼女に対する評価は次の通り。
 「らいてうがまず女性だけの手によって雑誌を発刊し、自分たちの発言の場をつくりながら、当時の先進的な女性達を組織していったのは、やはりジャーナリストとしての卓抜な活動だった、と考えることができる」
 今の女子大生はリクルート・スーツを着て、就活に明け暮れている。仕事を探すのは人生最大の一仕事かもしれないが、自分を小さな枠に閉じ込め過ぎてはいないだろうか。
 「時代の転換期(転形期)には、あたらしい表現が必要とされ、あたらしい表現媒体が準備される。それをつくりだして、らいてうはあたらしい時代のドアをあけた」と分析する鎌田氏。
 昨今の新聞も雑誌も、そして、テレビも全く生ぬるい。真の、そして、反骨のジャーナリストの登場がまたれるが、これから先も期待値は低そうだ。

「官災」という造語

今朝、5時18分、地震で目を覚ました。かなり大きい。東京では東日本地震以来の震度であったと朝のニュースは報じた。だが、不思議なことに救急車の音が全く聞こえない。近所の皆さんには何ごともなかったということで、まずは一安心。そして、再び、布団の中で体を横たえる。
 かくして、普通の朝がやって来た。気象庁の記者会見を聞いていても、あまり危機感がわいてこない。数値を並べた理論的な説明は一般人を納得させ得るようでいて、実はそうではない。人々は理論よりも感情や感覚を重視して生きているから、役人の解説はどう見てもガラス板が間に挟まっているような感じがいつもする。
 テレビのワイドショーで、韓国の旅客船沈没と地下鉄事故に対して、韓国の一般人は、政府の対応の不手際に対して、もはや「人災」ではなくて、「官災」であると非難し始めていることを知った。
 「官災」という言葉は、今回の一連の事故で造語されたと思われるが、新しい言葉の誕生には非常に現実感が裏打ちされていると感じられた。

目には青葉

最近、散歩途中で見かける花や木々をスマホで撮っているが、いずれの花もきれいだ。帰宅後、『季寄せ草木花 夏(上)』(朝日新聞社刊 中村草田男監修1997年)で、新緑の頃の草花にまつわる俳句にはどんなものがあるのか調べてみた。
(1)「動くもの皆緑なり風わたる」(五百木瓢亭)
(2)「大風に湧き立つてをる新樹かな」(高浜虚子)
これらの句には<雄大なる広がり>が感じられて、すがすがしくなる。
(3)「あらたうと青葉若葉の日の光」(芭蕉)
この句は、あまりにも有名だ。教科書で習った俳句はやはり耳目にしっかりと残っている。
しかし、何といっても次の句が最高!
(4)「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」(山口素堂 江戸時代の俳人)