不思議なつながり

私が今のマンションに引っ越して来た時、さぬき印刷という会社の名前をメールボックスで見かけた。住居なのに、何故、会社が入っているの? そして、何故、さぬき? 香川県に関係するの? 不思議で不思議で仕方がなかった。だが、この会社は4年前に引っ越して行った。
 今度、郷里に帰った時に、恩師が見せて下さったビデオの最後に、「協賛 さぬき印刷」というクレジットを見たので、その理由を恩師に尋ねると、社長が恩師の教え子であった。しかも、私と同じ中学であった。
 恩師は恩師で、私とさぬき印刷が、東京の中で同じところに住んでいたことにびっくり。隣りのマンションではない。なんと同じマンションだ。恩師はさっそく社長に電話を入れた。そして、私も社長と話した。不思議なつながりについて、3人で再度、驚いた。

私の母校の小学校

二次会は恩師の家で行われることになっていたので、参会者14名全員が宴会場から車で移動した。恩師の家は私が卒業した小学校の近くに在る。恩師から次なる話を聞いた。
 「ずっと丸亀市教育委員長をやっていたけん、学校の建替えに際しては、いろいろと意見を求められたんや。少子化傾向が強いため、将来、廃校になった時のことを想定して、高齢者が集まるための多目的ホールとして設計されてるんやで」
 恩師はさらに続けた。「小学校は、現在、日本人の子供よりも外国人の子供の数のほうが多くなってる。保護者会の時、日本語がわからない親の通訳は、子供がしとるんや。ほんじゃけん、子供は自分の都合の悪いことは通訳せんのや。このすぐ近くにあるマンションも、全員が外国人や」
 それを聞いて、私は驚いた。外国人が嫌いだからという理由ではなくて、城下町である丸亀市にも、外国人居住者の波が押し寄せていることに時代の移り変わりを覚えたからだ。おそらく市内にある造船所で働いているのであろう。

古稀の同窓会

古稀の同窓会には、男性4名、女性10名が出席した。昭和37年(1962年)の卒業以来、54年ぶりに会う男性が2名いた。恩師が「吉川は東京でタイ語の仕事をしている」と、皆に話すと、一人の男性が、すかさず言った。「サワッディー・クラップ」
 発音が良かったので、「どうしてタイ語がわかるの?」と尋ねると、「私が勤務している会社がタイに工場を持っていますから」、とのこと。「どこの会社?」とさらに訊くと、大手の繊維会社であった。
 近況報告を聞く限り、皆それぞれ、何かしら社会のお役に立っており、いい歳の取り方をしていた。それを見た恩師(84歳)が、「皆が元気でいることを見届けるまで、私も元気でいなければならない。宇宙に行くのはまだまだ」とおっしゃったものだから、皆、爆笑。次回は恩師の米寿の祝いで再会することになった。

中津万象園

古稀の同窓会は、7月3日、丸亀市の中津万象園で行われた。前回(5年前)の恩師の傘寿を祝う会も、ここで行われた。
 ホテルからタクシーに乗って3分位で赤信号。止まっている間にふと交差点の近くにある看板を見ると、「タイ古式マッサージ店」の字が目に飛び込んで来た。あれあれと思ったが、タイ人が経営している可能性が大きい。
 中津は昔、海水浴場であった。今は、松林の中に美術館が有る。赤い太鼓橋を白装束のお遍路さんが大勢、渡っている。車椅子のお遍路さんも見かけた。
 「万象園」の命名に、ふと因縁を覚えた。ラオスの旧王国の名前であるラーンサーン王国(1354年ー1709年)は、漢字にすれば、「ラーン=万」+「サーン=象」=「万象」となるからだ。
 そして、遠く金比羅山のほうを見れば、その手前に、象の頭の形から命名された「象頭山(ぞうず山)」が堂々と横たわっている。タイやラオスへ行かずして、讃岐国も、昔から象づくしであった。

真夏の郷里

私は現役人間。同窓会で回顧趣味にふけるのはあまり好きではない。しかし、古稀の記念同窓会だから、けじめとして郷里に帰省した。
 7月2日7時10分、東京発の「のぞみ9号」に乗り、座席番号9号に座る。タイのラッキーナンバーである「9」にこだわったわけだ。岡山に10時25分到着。瀬戸大橋線がポイント故障で止まっていた。猛暑でポイントがばてたのかもしれない。
 ホテルにチェックイン後、行きつけの喫茶店で休む。おしゃれなマダムがいない。従業員にたずねると、「昨秋、交通事故で落亡くなられたんですよ」とのこと。いやもうびっくり。享年78歳。61年続く喫茶店は娘さん達が後を引き継いだようだ。
 郷里はいつ帰っても人が歩いていない。店の営業を終えて、普通に自宅に向かっていたマダムが車にはねられた。なんと残念至極なことか。

90年続いた履物店

2016年の後半が無事に過ごせることを願って、昨日、巣鴨のとげぬき地蔵にお参りした。おばあちゃんの原宿ストリートを歩いていると、閉店セールをやっている履物店が有った。店主の女性に「本当に閉店ですか? マンションでも建てるのですか?」と尋ねると、彼女はこう答えた。
 「父の代からやっていますが、もう私も年ですから…..。90年でおしまいです。主人92歳、私は88歳」
 とても美しい女性であった。長く続けて来た商売に未練はなさそうにみえた。
 ワニ革の草履が目に止まった。遠い昔、ワニ革がタイから輸入されて草履になったのであろう。
 草履のほうから、「私を連れて行ってください」という声が聞こえた。だから、私は草履を買った。
 (お知らせ:今日から郷里に帰省しますので、ブログは5日までお休みします)

今日から後半戦

今日から7月(เดือนกรกฎาคม)。もしも手紙(จดหมาย)を書くとするならば、盛夏、酷暑、炎暑甚だしく、という表現を用いることになる。
 泰日文化倶楽部は、第3期目(7月、8月、9月)に入った。少し早いお知らせになるが、夏休み(วันหยุดหน้าร้อน)は8月10日(水曜日)から23日(火曜日)までと決定。2週間の休暇である。
 手帳を見ると、2016年はすでに183日を消化した。そして、今日から後半戦の183日が始まる。社会情勢(สถานการณ์สังคม)はめまぐるしく変化しているが、言語の勉強は自分の世界に入ったまま、黙々と続けられる。毎日がチャンスだと思って、勉強時間数を増やそう。途中でやめるのは惜しい。自分に自信がつくまで、こつこつと持続あるのみ。

翻訳仕事

 昨日、バンコクから急な翻訳仕事が舞い込んで来た。知り合いからの依頼だから、心よく応じた。タイ語から日本語に翻訳するものと思っていたら、なんと英文和訳であった。英文科出身の私としては、できないということは恥だ。
 久々に英文を訳しながら、「英語はやはり好きだ」と思った。それに、英語とタイ語の文法はかなり近いから、S(主語)+V(動詞)+O(目的語)の構文をしっかりととらえれば翻訳はそう難しいわけではない。ただし、文学ではなくて、会社法に関する内容だから、専門用語の知識が要求される。
 翻訳の仕事は文章を練りたくなるので、何度も推敲に推敲を重ねる。それはそれで楽しいのだが、いつのまにか時間が経過しているので、あまりペイしない。通訳は一発仕事だから、あとくされが無くていい。

元気は語学から

 今朝、NHKのニュースで、熊本地震に遭った子供たちに絵を描かせて、気分を一新してもらおうとする女性の活動が紹介された。子供たちが描いた絵は明るい感じで伸び伸びとしていた。ストレス解消にもなり、この試みは大成功!
 それを見ながら、私は思った。「子供たちに外国語を教えるのもいいなあ」
 外国語といえば英語。しかし、他の言語を教えられる人がいれば、何語でもいい。言葉は生き延びるために必須だ。非日常的な環境で外国語を習うと、その言語は五感に浸透していく。反対に、幸せな環境においては、勉強ができる有難味はあまり感得できていない。
 将来、どこで住むかわからない時代に入った。とにかく語学センスだけは磨いておこう。単語だけ覚えるのでもいい。そして、関心がわいたら、短文をたくさんしゃべろう。たくさん発声すれば、元気になれる。

leave or remain

「leave or remain」ということで、世界中が注目していたイギリスの選択は、6月24日、「leave 離脱」に動いた。
 この「leave」という単語を聞くたびに、私がかつてアメリカ人から、「あなたの発音はleave ではなくて、liveに聞こえます」と注意されたことを思い出す。
 しかし、そのようにはっきりと、即座に注意してくださったことを、いついつまでも感謝している。他人に注意されるといやな気分になるが、注意は注意である。
 あと数日で7月だ。2016年の後半に入る。6月末で泰日文化倶楽部を退会する(leave, 注:他に、withdraw,resign)意思を伝えて来ておられる方はわずかに1名だけ。残りは、「remain」組だ。今後もマイペースで、日々、精進あるのみ。