七五三

 今日11月15日は「七五三」。最近は前撮りが盛んだから、すでにお詣りは済んでいるご家庭が多いはず。昔は呉服屋の店先にたくさんの七五三グッズが並び、店自体がとても華やいでみえた。今は貸衣装で十分。買っても無駄。いずれにせよ幼い子供達の着物姿は可愛い。是非とも写真に残しておきたいものだ。
 今年もあと1ヶ月半となった。果たして何ができるか? 予定したことの7%がまとめられるであろうか? 5%? 3%? 人生にたとえれば、70%はもう終わった? いやいや丁度50%?
 今日は母の命日。86歳で亡くなった母まであと10年となった私。あと何をして、何に情熱を傾け、どうやって心身共に健全で暮らして行くべきか…..。最後のコーナーを回った。

炉開き

 昨日は茶道教室の炉開きであった。茶道では正月にあたる。そこでいつもより格の高い着物を着て生徒達は炉開きのお祝いをした。茶道講師と生徒4名の計5名が着物を着て教室に向かう姿はかなり目立ったようである。
 私は2日前から二重太鼓の帯の結び方を練習し、当日にはすいすいと結べるように時間を計った。その他、いろいろと緊張して炉開きに臨んだ。しかし、自分がお点前をしている時、指が変に動いて棗を倒してしまい抹茶の3分の1が畳にこぼれ落ちてしまった。
 緊張に緊張を重ね、慎重にお点前をしているにもかかわらず、最悪の場面となり、自分の心身の平衡感覚が崩れてしまったことを恥じた。茶道講師曰く、「そういうことが一番の勉強になりますよ」、と。

今日のタイ語訳

1.若い人は耳がいい。一度で聞き取れる。そして記憶力もいい。

2.老人は何度も聞き返すが、どうしても正しい発音ができない。

3.中年は多くの悩みをかかえている。とりわけ金銭問題が大きい。

4.中小企業の経営者は年末に向けて資金繰りが厳しい。

5.賃上げは容易にできるものではない。

間取り

 東京の新築マンションは非常に高い。よって中古のマンションを購入し、間取りを変更するケースが増えている。「タイ語で間取りは何と言いますか?」とボン先生に尋ねると、「แผนผัง」と教えてくださった。しかし、彼女はすぐに「floor plan」と言い換えた。私は内心、「あっ、また英語か」と思った。
 タイ人留学生のシーン先生は来日して2年が経った。泰日文化倶楽部で教えて1年半。20代だから考え方が実に若い。「自我が強い」という表現だが、彼女によると、タイ人は「อีโก้ สูง」というそうだ。「อีโก้=ego」。果たして全てのタイ人がわかるとは思われない。バンコク在住の裕福な家族にのみ通用するのであろう。
 いずれにせよ、タイ社会における英単語の益々の浸透に注目。日本人以上にバンコクの人々は洋風化しているかもしれない。

ไม่ใช่พระอิฐพระปูน

『タイ語辞典』(冨田竹二郎編纂)の中で面白い表現を見つけた。それは「ไม่ใช่พระอิฐพระปูน」。

冨田訳=煉瓦やしっくいで作った仏ではない。→ なにも金仏石ぼとけでもあるまいし、おれは生身の人間だ。→ もうこれ以上黙って辛抱してはおれぬ。→ 堪忍袋の緒が切れた。

 訳文の過程が傑作だ。このような例は探せばまだまだあるが、何分にもタイで生活をしていないから、洒落た言い回しを使う機会がないのが残念だ。「葉梨(はなし)法相のぼやきは話(はなし)にもならない」という程度の駄洒落しか言えないなあ。

今日の翻訳

 児童書『ทำเอง เก่งจัง』(บ.สำนักพิมพ์ห้องเรียน จก. พ.ศ.๒๕๓๙)から出題する。

1.เช้าตรู่เบิกบาน สำราญแจ่มใส
ท้องฟ้าวันใหม่ ทักทายพวกเรา
หนูจ๋ารีบตื่น ลุกขึ้นเร็วเข้า
คนเก่งตื่นเช้า เราไม่งอแง

2.อย่าหม่ำมูมมาม จานชามเลอะเทอะ
เสื้อผ้าเปื้อนเปรอะ ไม่ดีไม่ดี
อาหารผักสด หลากรสมากมี
เนื้อ นม ไข่นี้ ดีต่อร่างกาย

3.เคารพผู้ใหญ่ หนูไหว้ทายทัก
เด็กไทยน่ารัก รู้จัก “สวัสดี”
ฝึกมารยาทไทย หนูไม่รอรี
พวกเราเด็กดี กิริยาน่ารัก

日食・月食

 昨夜は皆既月食の天体ショーを多くの人々が楽しんだ。昨日の授業で「日食」と「月食」というタイ語を取り上げた。
 日食=สุริย(太陽)+อุปราคา(食)→ สุริยุปราคา

 月食=จันทร์(月)+อุปราคา(食)→ จันทรุปราคา

 サンスクリット語が二つ合わさった合成語の読み方に興味を覚えた。滅多に使わない単語だから、余計に難しく感じる。生徒さんに、「郵便はがきというタイ語は?」と尋ねると、「ไปรษณียบัตร」とすぐに答えが返って来た。タイ文字だけ見れば難しそうに思われる合成語だが、しっかりと覚えておいてくれていて嬉しい。語源ばかり探るよりも、とにかく何度も発音して自分のものにすることが肝心である。
 (備考)昔は、日蝕、月蝕と書いていたが、今は日食、月食と書くほうが主流になっている。何故だろう?

見返り美人

 長い間、タイ語を習いにいらして下さったミセスが10月末におやめになられた。台湾に行かれるとのことだから、今度は台北で中国語を習い、そして日本語を台湾の人々に教えられる機会を持たれることを希望する。
 おやめになる際、ご挨拶として柿山のおかきをいただいた。美しい缶入りであった。缶のふたには、東京国立博物館に所蔵されている菱川師宣の「見返り美人図」が印刷されている。構図を見ると画面全体のバランスが実にいい。着物や帯の模様も素晴らしい。
 「見返り美人」という言葉を聞くと、女子大時代の寮監を思い出す。「トイレを使用した後、一瞬、見返り美人になりましょうね」 婉曲的で優しいご指導だ。

今日の作文

 『へそまがり人生設計メモ』(藤本義一 青春出版社 1994年)から出題する。タイ語に翻訳してみよう。

1.仕事は仕事でおさえておけばいい。他の面で自分を試す領域は、いくらでもある。

2.自分の持つ可能性を伸ばせるよ。

3.苔むす人生を送るのか、それとも苔の生えない石として、動き続けるか。

4.その選択の自由は、誰も奪うことはできない。

5.だからこそ、自分自身が明確な意思を持たなければならないように思いますな。

「刺さる」という動詞

 「刺さる」という動詞をコマーシャルで聞くたびに、不愉快な気分になる。この「刺さる」を調べてみると、2015年の新語ランキング第9位に入っている。従来の意味以外に、若者は「深く納得する」、「共感する」という意味で使っているとのこと。
 2015年の新語大賞は「じわる」であった。この動詞、果たして現在でも使われているのであろうか? おそらく廃語、死語になっているのではなかろうか。そう、思う。
 最近、入った食堂兼喫茶店で、店主が「うちの店は3階まであります。詩集の部屋です。3人限定で、私語は禁物です」と言った。私は思わず「刺繍の部屋」と勘違いした。「刺す」という漢字が頭の中にこびりついているからである。