ネットのタイ語翻訳

 昨日、「タイ語入門 火曜日13:00」に出席された女性の生徒さんが、着席するや否や、次なる話をされた。
 「パタヤにいるタイ人の友人に、<今日から私はタイ語の勉強に行きました>という文章を、ネットの翻訳機能を使って送りました。皆さん、喜んでくださっています」
 私はその文章を見せていただいた。すると、私という一人称が、女性が使うฉัน(チャン)ではなくて、男性が使う ผม(ポム)であった。したがって、文章のおしまいにつける丁寧語も、女性のค่ะではなくて、男性のครับであった。
 私はすかさず教えてあげた。
 「これは主語の使い方が間違っています。末尾の言葉も男性用になっていますよ」
 この話を、昨夜、「タイ語初級 火曜日19:15」のクラスの男性3名に話して聞かせると、一人の生徒が次のように言った。
 「僕の場合はその逆です。主語が女性の私になっており、末尾も女性言葉になってしまうのです」
 困った困った。男性は男性の主語、女性は女性の主語に書き換える必要があるが、文字が全くわからない初心者には書き換える学力がまだついていない。しばし、性を気にしないでライン交換することを良しとするか…..。

ベトナム語の通訳

 昨日は完全オフ日。布団を干したりしてのんびりと過ごすことができた。午前中、NHKのBSで「ハノイからホーチミン 国道1号線バスの旅」という番組(再放送)を見た。真面目に見ると、一緒にバスに揺られて旅をしている気分にひたれた。そして、村人の生活ぶりがよくわかった。昔のアジアがまだまだ残っている。
 一昨日、私はベトナム語の通訳をしている男性に会った。彼は2年間の猛勉強で通訳になったそうだ。タイ語は5声、そして、ベトナム語は6声。泰日文化倶楽部でも一時、ベトナム語クラスを開いたことがあるが、完全に習得した方はわずかに一人。声調がひとつ増えるだけでもものすごい負担に感じたのを覚えている。
 通訳をしている彼は言った。「私にはベトナム語がとても合いました。一緒に勉強していた人でどうしても合わない人がいました」
 それを聞いて、私は「そうですね」とすかさず同意した。語学にも相性がある。ぴたっと合えば、勉強は楽しい。そして、実力がついていく。
 

「敬う」というタイ語

 今日は「敬老の日」。全国で65歳以上の女性が2千万人を超えたそうだ。老人意識はまだまだ持ちたくないので、「老」という漢字は無視して、「敬」という漢字について考えたい。
 「敬う」という漢字は、これまでにいやというほど書いて来た。何故ならば、私の名前だからだ。「草カンムリ+句」という成り立ち方は気に入っている。自然の中で、多種多様な表現が短くとも上手にできるようになればいいなあと日々、願っている。
 ところで、「敬う」をタイ語では何というか。それは、นับถือ(ナップトゥー)である。นับ(数える)+ ถือ(保持する)が合成されて成立しているが、以前からこの合成語がどうして「尊敬する」という意味になったのか不思議でならなかった。だが、นับも、ถือも、別の意味として、いずれも「見なす」という意味を有しているので、「見なす+見なす=崇める/尊敬する」となったのであろう。因みに、「信仰する」も同じくนับถือと言う。

懐かしい生徒達との邂逅

 昨日、三鷹ネットワーク大学へ出講すると、協賛しているアジア・アフリカ語学院の事務局の方が「ああ、吉川先生! お待ちしていました!」と言って明るく出迎えてくださった。
 受講生は前日聞いていた6名から9名に増えていた。男性7名、女性2名。43歳から70歳までの幅があったが、20代、30代は一人もいなかった。皆さん、私の授業を傾聴してくださり、久しぶりに気持ちが良かった。
 授業後、カップルの方が私に声をかけてきた。その二人はインドネシア語を受講されたとのこと。彼らは三鷹市の市報で私の名前を見つけたので、私にどうしても会いたいと思っておられたようだ。
 彼らは24年前にアジア・アフリカ語学院でタイ語を学んだ生徒であった。昔、撮った集合写真を見せてくれた。皆、若かった。
 彼らとの懐かしい邂逅を楽しむこと20分。帰ろうとすると、受講生の一人が私を待っていた。彼も私の生徒であったと聞かされた。「20数年前にお借りしていた本をどうしてもお返ししたくて….」と言った。私はすっかり忘れていた。彼ともいろいろと話をし、三鷹駅のホームで別れた。

三鷹ネットワーク大学へ出講

 今日の午後、三鷹駅前に在る三鷹ネットワーク大学へ出講する。タイ語に申し込んで来られた受講生は三鷹市周辺に在住する方達で6名。まずまずの人数だ。
 これまでも数回、この三鷹市民大学で教えたことがあるが、残念なことに、その後、本格的にタイ語を勉強しようという方は現れなかった。いたとしても、ほんの1名くらいだから、クラスが成立しなかった。
 過去、横浜へ教えに行ったことがある。申込者が50名もいた。新宿区が募集したタイ語生も50名。会場の関係で30名にしぼった。大田区の図書館へも行ったし、海老名の公民館、そして、大宮へも行った。
 タイ語を本当に勉強したい方達もいらしたが、公の機関が開催するから、受講費がワンコイン程度。いろいろな言語を覗き見しながら参加している方達も…..。
 いずれにせよ、タイ語を習ってくださる方達には感謝、感謝。

京都発 老人六訓

 呉服屋さんから送って来た最新の通信に、「京都発 老人六訓」というのが書かれてあった。長いので、第一訓から第六訓まで、それぞれ前半部分だけを抜粋する。興味がある方は、タイ語に翻訳してみてください。
1)年をとったら出しゃばらず 憎まれ口に泣きごとに 人のかげ口いわず 他人のことはほめナハレ。
2)勝ったらアカン 負けナハレ いずれお世話になる身なら 若いものには花もたせ 一歩下がってゆずるのが 仲ようゆくコツ。
3)お金の欲は捨てなハレ なんぼゼニカネあってでも 死んだら持ってイカレマヘン。
4)昔のことはみな忘れ 自慢話はしなハンナ わしらの時代はもうすぎた ナンボ頑張り力んでも 体がゆうことききまヘン。
5)我が子に孫に世間さま どなたからでもしたわれる ええ年寄りになりなはれ。
6)そやけどそれは表向き ホンマはゼニをはなさずに 死ぬまでしっかり持ちナハレ 人にケチやと云われても お金は大事 みんなベンチャラゆうてくる これ内証やけどホンマダッセ。

禅語「閑坐聴松風」

 先日、参加した茶道教室の床の間には、「閑坐聴松風」という禅語の御軸が掛けられてあった。読み方は、「かんざして しょうふうをきく」。その意味は、「静かに座り、釜の中でお湯がしゅんしゅんと沸きたつ音に耳を傾けて聴く」。
 一昨日あたりから涼しくなった。草むらから鈴虫の音が聞こえるとほっとする。虫たちは自分達の出番だとうれしそう…….。
 今年の夏は異常であった。猛暑は嫌いだ。台風も飽きた。夏の疲れは底知れず残っている。そして、日頃の仕事からおそわれるストレスたるや、つのる一方だ。こういう時にこそ、上述の「閑坐聴松風」の禅語が生きてくる。

新しい女性の生徒 2名

 昨日、「タイ語入門 火曜日13:00」を新規開講することができたのは大いなる喜びである。
 生徒は58歳の女性が一人だけ。彼女は初めてのタイ旅行から帰ってすぐに泰日文化倶楽部に電話をかけて来られた。「私、タイ語を習いたいのです!」 彼女の声には真実味が感じられた。私はそれに応えようと思った。初めてのタイ語の授業を、彼女は少女のように目をくるくるさせながら楽しそうに聴き入った。
 「タイ語中級 19:00」にも新しい女性が入会されることになっていた。この女性は「見学は不要です。即入会しますから」という固い決意をメールで伝えて来ていた。
 実際にお会いした時に、「なぜ、泰日文化倶楽部を選んでくださったのですか?」と尋ねると、意外な答えが返って来た。「主人が吉川先生のところに行きなさい、と勧めたからです」
 彼女の名字から察するに、そのご主人は32年前に某大学で教えた時の生徒だとすぐにピンと来た。もう30年近く会ってはいないが、彼のイメージは私の脳裏に焼き付いている。いやはや、何とまあ嬉しいことであることよ。

中文老師のお土産

 生徒達からの要望で、「旅の中国語 土曜日14:30」を開講してから、丁度1年が経った。のんびりムードでやっているから、成果はまだ見えていない。
 先週の土曜日、中文老師が生徒達にモンゴル産の干し肉をお土産として配った。1袋を開けて、その中から、小分けされた干し肉を配るのかと思いきや、生徒と私の計5名に5袋を用意していた。
 生徒の一人が尋ねた。「先生、多すぎます。すごい! ところでおいくらくらいするものですか?」
 中文老師はすかさず答えた。「1袋 2千円です」
 それを聞いて、我々はびっくり。「先生、お土産なんですから、そんなにまでしなくても」と言った。
 しかし、中文老師の表情たるや、余裕しゃくしゃく。太っ腹の大きさに、中国の大きさを感じた。

「しかとする」という日本語

 昨夕、6人で食事会をした。集まったメンバーの出身地は、以下の通り。1)青森県70歳、2)福島県69歳、3)東京都55歳、4)神奈川県72歳、5)兵庫県52歳、そして、6)香川県71歳。
 何かの話のなかで、東京都出身者が、「そんな時、しかとする」と言った。私は「しかとするって、どういう意味なの?」と訊いた。すると、福島県人も私に続いて、同じ質問を発した。
 ネットで調べてみると、「しかとする」とは、「花札の10月の絵柄である鹿がそっぽを向いているところから、俗に、無視すること」と出ていた。他の4人は「しかとする」の意味を知ってはいたが、語源までは知らなかったようだ。
 71年生きて来て、知らない日本語に初めて出くわしたことがとても新鮮であった。