タイ万華鏡

日本好きのタイ人が日本への旅行を繰り返す。この傾向は年々顕著だ。彼らは平均的な日本人以上に日本を観察して楽しんでいる。逆も有り。すなわちタイ好きの日本人がタイの隅々へと足を延ばし、タイが放つオーラにひたって、日本では感じ取れなかった自由を満喫する。そして、ロングステイを選ぶ。

泰日文化倶楽部の生徒達から彼らの経験したタイやタイ人との思い出話を聞きながら、その一つ一つのピースを繋いで行くと、まるで万華鏡の如く映像が多色に展開し、キラキラと輝いて見えるような気がしてきた。

日本人がタイと本格的に貿易を始めたのは日タイ通商条約が締結された1887年前後からである。もちろんアユタヤ時代にも日本人は活動していたが、ここではそこまで遡らないことにする。バンコクに居住した明治の人達が現在のバンコクを天国から俯瞰するならば、果たして如何なる感慨を懐くであろうか? おそらく極天の万華鏡に見えるに相違ない。

今日のタイ語作文

1.日本では七十七歳を迎えた人を「喜寿」と言う。

2.これは日本だけの習慣だそうだ。

3.要するに、中国の『論語』の影響は受けていない。

4.七十にして矩を踰えず。

5.無くて七癖。

6.腹八分目をやめて、腹七分目を実践したい。

猫の相性

私の八戸行きには他にも理由が有った。それは猫カフェへ行って贔屓にしている黒猫(ヤマト君)に会うことであった。しかし、開店11時に飛び込んだものの、お目当ての猫はいなかった。店長に尋ねると、「他の猫と折り合いが悪いため、まだ別部屋から出していません」とのこと。

東京から遠路はるばる4年ぶりに会いに来たことを告げると、店長は私を気遣ってヤマト君を出して来てくれた。しかし、ヤマト君は部屋の中を落ち着きなくうろうろしてばかり。餌をやろうとしても私には寄りつかない。

そのうち、他の猫といがみ合いが始まった。店長が言った通りだ。ヤマト君の心に何が生じたのだろう? 彼は里子募集の対象になっていた。大事に保護されている環境にいながらも相性はいかんともしがたい。生き物同士に展開される相性問題について深く考えさせられた。

基本と応用

昨日(10月28日)は月1回の「アジア女性のための生け花教室」が開催された。参加者が少ない時は、私は2杯の生け花を生けることにしている。理由は遠方からいらしてくださる華道講師への謝礼と、そして、鮫洲から花を運んで来てくださる花屋への利益を考えてのことである。

「今日はプリンセスの花器で生けてください」と講師から言われた。すかさず講師の意図が読み取れた。それは「基本に戻りなさい」ということだ。約17年間、生け花の指導を受けているが、基本を習得できていないという歯がゆさを知った。素直に認めざるを得ない。

稽古ごとは、基本ばかりやっていても面白くない。さりとて、応用が利かせるほどには「技」は進んでおらず、自分の不甲斐なさを悔しく思う。とはいえ、花に負けてはいかん。花と仲良くしよう。

八食センター

八戸に到着した時、ホテルに荷物を預けた後、まず最初に元タイ人講師を案内した場所は「八食センター」という市場であった。そこに入るや否や、彼女は歓声を上げた。何故なら彼女は食通だから。ホタテ、エビ、イカ、サンマを買って、市場の中にある「七厘村」でそれらを炭火で焼いた。

そこには中国人がいっぱい来ていた。向かいに座っている男女も中国人。彼らは赤い魚を焼いていた。最初、日本人だと思って魚の名前を聞こうとしたら、彼らはわからないという仕草をした。元タイ人講師が「キンキよ」と教えてくれた。

福島の処理水の影響で中国人は日本の魚を敬遠しているかと思いきや、彼らは日本で魚を大いに食べている。新鮮で美味しいからだ。エビは大きくて立派だったが、魚屋のおばちゃんから「アルゼンチンからだよ」と教えられたときは、ちょっとびっくり。

誤ったタイ語標識

北海道を旅行中の元タイ人講師から、「ไม่เข้าใจเลย」と言う文言が写真とともにラインで送信されて来た。それは釧路の近くに在る温泉旅館に掲示された標識であった。日本語、英語、中国語、タイ語、韓国語の順に書いてあるが、タイ語だけが誤訳であった。

「関係者以外立ち入り禁止」をタイ語で、「ห้ามป้อนยกเว้นบุคคลที่เกี่ยวข้อง」と書いてある、これは「関係者以外は餌をやってはいけない」という意味である。動詞が間違っているわけだが、タイ語がわかる誰かが何故、最終チェックをしなかったのであろうか。

タイ人にとってタイ語標識が有るのは嬉しいが、意味をなさなければ、かえって迷惑だ。

 

今日の翻訳

『เด็กชายมะลิวัลย์』(ประภัสสร เสวิกุล著 สำนักพิมพ์ดอกหญ้า発行ค.ศ.๒๕๓๐)の「พ่อปู」から出題する。

1.ฝนลงเม็ดพรำๆ เมื่อพ่อกอดขวดเหล้าเดินโซซัดโซเซเข้ามาในตรอก

2.แม่ยืนหน้าบ้านนานแล้ว  อย่างน้อยก็ก่อนที่ฝนจะลงเม็ด สายตาของแม่ทอดไปตามทางยาวของตรอก….. แม้ว่าพ่อจะกลับบ้านผิดเวลาอยู่เป็นประจำ แต่แม่ก็ตั้งตารอและคิดอยู่เสมออีกไม่นานพ่อคงจะกลับมา

3.บ่อยครั้งที่แม่สัปหงกหลับคาหัวบันไดบ้าน  แต่แม่ก็ไม่ยอมละเลยหน้าที่ซึ่งถือเป็นเรื่องสำคัญในการดูแลปรนนิบัติพ่อ

4.เมื่อพ่อกลับถึงบ้าน  ข้าวจะต้องมีอยู่ในหม้อ กับข้าว ๒~๓ ชนิด จะต้องรออยู่ในตู้กับข้าว  แน่ล่ะ  ……

5.มันย่อมไม่ใช่หมูเห็ดเป็ดไก่หรืออาหารเลอเลิศที่คนมีเงินกินทิ้งกินขว้างกันตามร้านอาหาร  อย่างดีของเราก็แค่ น้ำพริกผักลวก  หัวหมูกับน้ำจิ้มพริกเหลืองที่ะพ่อชอบ กับผัดชะอมหรือผักคะน้าผัดกระเทียม …..

蕪島

元タイ人講師が北海道へ行くため、我々は八戸で別れた。その後、今年4月、「ウミネコ繁殖地の指定100周年」を迎えた蕪島へ私は行った。5年をかけて改修された神社だが、急な階段のため、階段下から手を合わせるだけにした。

蕪島は、「蕪(かぶ)→株」というふうに語路合わせができるので、株をやっている人達には人気スポットである。かつ、「人間の株が上がる」という捉え方も可なり。

だが、ウミネコには株式も人間の評価も全く関係ない。太平洋をのぞむ雄大な地、そして、豊富な漁場を心得て、3月上旬に蕪島に飛来し、4月に産卵、6月頃、ヒナがかえり、8月には他所へ飛び立つという生き方を繰り返す。

八戸とタイ人

10月20日午前10時発の十和田湖・奥入瀬行き「JRおいらせ号」に乗車するため、元タイ人講師と八戸駅西口バス停に行ったところ、タイ人女性5名がすでに立っていた。彼女達は北海道旅行を終えて青森県に移動して来たとのこと。

彼女達はチュラロンコン大学病院の看護師であった。リーダー格の女性から「オンラインで日本語を教えてください」と要望された。軽くお断りすると、「それではライン友達になって」と言われ、すぐに友達になった。

翌日21日に八戸線に乗ると、またしてもタイ人女性4名に出くわした。退職したので日本を旅行しまくっているそうだ。ローカル線の旅を楽しんでおり、地元の人の中にすっかり溶け込んでいた。タイ人のリピーターがリーダーとなり小グループをガイドするこのスタイルが主流になりつつある。日本人ガイドはもう要らない。