融資・投機・破産というタイ語

昨日、「タイ語中級 火曜日10:30」のクラスで、いろいろな話題が展開していく中で、「投機するという言葉はタイ語で何と言いますか?」と、生徒さんから質問が出た。私はこれまで一度も投機するというタイ語の場面に遭遇したことがなかったので、「投資する ลงทุน」と答えたが、投機と投資は意味が異なるという指摘を受けて、確かにそうだと思った。
 辞書で調べてみると、「投機する เก็งทุน」と書いてあった。冨田竹次郎先生の辞書なので、「เก็ง= 経」というふうに、漢字も併記されている。おそらく潮州語かもしれない。いずれにせよ、タイ語ではない。
 ついでに書くと、「融資を受ける กู้เงิน」。「กู้=救」であるから、これも漢字から来たもの。「破産する เจ๊ง」も漢字から来ている。冨田先生によると、「種」という漢字かもしれないが、あまり自信がないとのこと。
 いずれにせよ、経済や賭博に関するタイ語は中国から来たものが多い。やはり華僑の生活がタイにそのまま持ち込まれたことがわかる。銀行から多額の融資を受けて、それを投機に使えば、破産するのは自明だ。

バンコクに関する描写

タイに関係ない本を読んでいても、意外や意外、タイに関する記述が出て来る。作家達がいかにタイに滞在、あるいは、通過したかがわかる。
 昨日、『辺境・近境』(村上春樹著・新潮社 1998年)の中の、<アメリカ大陸を横断しよう>(注:1995年に書いたもの)という文章を読んでいると、次のような記述があった。要約すると、温水プールのついたモーテルは、狭くて、水が汚い。そして、建物の中庭に温水プールがあるため、建物じゅうが湿気を含んでもわっとしている。以下の文章はそのまま引用する。
 「要するに全部サウナみたいになっているところが多いわけだ。僕らはこの手の温水プールつきモーテルにはずいぶんひどい目にあわされた。インディアナ州の小さな町のモーテルに泊まったときには、まるでバンコク空港でのトランジットを想起させる寝苦しい一夜を送ることになった」
 この場合のバンコク空港とはドンムアン空港のことだが、このような喩えに使われているとは……。

閑坐聴松風

 昨日はお茶の稽古に参加した。掛け軸に書かれた行書体の漢字は、「閑坐聴松風」。そして、掛け軸の下には、鈴虫の絵が入った香合。花は木槿(むくげ)。
 野分の頃、一人、静かに坐して、松風の音を聴く。なんと風流なことか。
 学習院大学のそばを歩いていると、蝉の合唱が聞こえてくる。仕事で出かけているので聞き流して終わりだ。このときの「聞こえる」は、タイ語では ได้ยิน dai-yin 。しかし、夜、帰宅時に聞こえてくる鈴虫の音には、心して耳を傾けて聴く。このときのタイ語は ฟัง fang 。蝉と鈴虫と、うまく住み分けしているのが面白い。

キツネ それとも カエル

 タイ人のニックネーム(ชึ่อเล่น)に英語が多用される傾向があることは知っている。ビッグ、トップ、サン、ギフト、等々。
 昨日、耳にしたニックネームは「フォック」。私はてっきり「フォックス fox」、すなわち、「キツネ」だと思った。何故ならば、タイ人は英語の末子音を発音しないからだ。
 ところが、タイ語で書いてもらうと、「ฟร๊อก」。えっ、これだと、「フロッグ frog」、すなわち、カエルではないか。
 そこであらためて考えた。最近のタイ人は、二重子音(kl, kr, tl, tr, fl, fr,等)をほとんどはっきりとは発音しない。だから、フロッグが、フォックに聞こえたわけだ。
 カエルという愛称は、昔から好まれている。地面に這いつくばった状態がタイ人には好印象だからだ。特に可愛い赤ちゃんの姿がカエルにたとえられてもいる。だが、これまではタイ語の「กบ ゴップ」を使っていた。したがって、カエルまでが、英語化されているところに、或る種の面白さを覚えた。

包装紙

 昨日、到来物が有った。滋賀県に住む元教え子からであった。滋賀県の産物かと思いきや、よく見ると福岡県産。「焼きあご、かつお節、うるめいわし、真昆布、海塩をつかった茅の舎だし」というものであり、パック入りだから、料理をするにはとても便利。
 製造元を見ると、「創業明治二十六年 久原本家 茅の舎」と書いてあった。そして、包装紙は朝顔の絵。紙質もすばらしい。額縁に入れたいほどだ。包装紙の端に書いてある説明が目にとまった。
 「茅の舎は、日本画の作家とともに、四季折々の魅力に溢れた日本文化の素晴らしさを伝える活動をしています」
 これはすばらしい考え方だ。日本画の若手作家も元気づくであろう。日本の色はこよなく美しい。身近なところで四季の色が味わえるのはとても幸せである(มีความสุขมาก)。
 

下町訪問

昨晩(เมื่อคืนนี้)、台東区下谷にお住まいの鮨職人さんのお宅を訪問した。2年前にうかがった時、あまりにも気さくなご家庭であり、かつ、お料理が美味しかったので、また遊びに行きたいなあと思っていたが、それが実現して嬉しかった。
 前回はご主人がいらっしゃらなかったが、昨晩は対面でたくさんお話しすることができた。ご主人(65歳)は雑司ヶ谷生まれの下谷育ち。奥様(63歳)は新橋育ち。ご夫妻のご実家はともに鮨店を営んでおられたとのこと。1964年の東京オリンピック時、聖火が街を通り抜けるのを見た思い出話を興奮して語ってくださった。
 狭くて古いマンションだが、押し入れには町内会のお祭りグッズがしまってあるそうだ。そして、小さな台所で料理を作り、お祭りの炊き出しを一手に引き受ける。下町の絆の深さを見た。そして、宵越しの銭は持たないという精神が伝わってきた。

磨く楽しみ

今日から9月(เดือนกันยายน)。しかしながら、今日も夏日。なんと東京は45回目の夏日だそうだ。もう少し、暑さに耐えよう。
 今年の夏、私はのんびりと暮らした。自由時間がたくさん有って良かった。読書もした。小説(นวนิยาย)を書くまね事もしてみた。題材はいっぱい持っている。だが、やめた。小説全体をまとめる力に欠けることがわかったからだ。大学時代に英文学の評論などやっていたのに、あれは一体何であったのか。
 では、今夏、何が楽しかったの? それは鍋(หม้อ)や皿(จาน)、カップ(ถ้วย)やコップ(แก้ว)を磨くことであった。「お料理からお掃除まで 重曹」というのを買って来て、磨きに磨いた。シンクのくすみ、冷蔵庫内のお掃除に、油汚れ、茶シブ、山菜のアク抜きにも使える重曹。
 磨き始めると止まらない。楽しい。何故ならば、ピカピカになるから。だが、これらのものは、一回使うと、すぐにまた汚れる。毎日、そのたびに洗わなければならない。ぬめりのぬめぬめ、茶シブのシブシブとの闘い。仲良くするしかない。

目白のタイ料理店

かつて、目白にはタイ料理店が3軒ほど有ったが、今は1軒だけ。その店は新大久保から移転してきた店だが、私は一度も行ったことがない。もう5年くらいやっているから常連客がいるのであろう。
 今から45年位前の東京にはタイ料理店はなかった。唯一、新橋の広東料理店がタイ料理も提供していた程度であった。銀座のはずれにタイ料理店ができたことはあったものの、すぐにつぶれた。ところが現在はものすごい数のタイ料理店だ。全国、どこへ行ってもタイ国旗が目に入る。
 つい先日、マンションの友人から「何やらアジアの料理店が目白駅のそばにできていますよ」とおしえられた。ネットで調べると、タイ料理店であった。そこで、昨日、ランチに行ってみた。去年11月にオープンしたらしい。知らなかった。
 ランチのお客さんは中年の女性ばかり。ゆったりと食事を楽しんでおられた。食後、タイ語の勉強をしてくださるといいのだが……。

足場の組立て

泰日文化倶楽部が入っているビル(ตึก)は1984年に建設された。目下、第二回目の大規模修繕に入っている。本来であればもう少し早くから大規模修繕に入るべきであったが、いろいろな人が入居しているので、意見をまとめるのに時間がかかった。そうこうしているうちに、資材も人件費も高騰してしまった。
 8月(เดือนสิงหาคม)に入り、足場を築き始めたが、11階建て(๑๑ชั้น)のビルだから、まだ終わらない。ビルの周囲全体に足場を築くのがいかに大変かということを、毎日のように観察している。そして、大規模修繕工事費の中で、この足場組立て代が一番高いかということも知り、あらためていろいろと考えさせられるものがある。
 ものごと全て、基礎工事が大切だ。それにはお金をかけなくてはならない。時間もかけなくてはならない。

外国語の「超」勉強法

教室の中に本がたまってしまったので、少しずつ自宅に持って帰っている。持って帰れば、今度は家の中にそれらの本がごろごろするわけだが、なかなか捨てきれない。
 かつて1993年頃、野口悠紀雄氏の『「超」整理法』というのがよく売れたが、その第二弾として、『「超」勉強法』(1995年)も出版された。これを読み返してみると、第二章に、英語の「超」勉強法というのがあった。それをまとめた部分を抜粋して引用すると、1)丸暗記法2)英語細胞で考える 3)聞き取りへの準備 4)インターネットは書く時代、と書いてあった。これはいずれの外国語にも当てはまる。タイ語ももちろんである。
 野口氏が指摘する点は、会話で使う英語と、文章で書く英語は異なる。メールの時代だから、立派な文章が書けないと欧米人から馬鹿にされる。文章をきちんと書けるようになろうという助言は、はたまたタイ語にも当てはまる。