沖縄の方言の表記

朝日新聞夕刊(9月21日)の第一面に、「沖縄の方言 どう発音。 継承へ音声録音・辞典作り」という記事が有った。
 沖縄県多良間村の表示板や道標には、一般の日本人が発音できない音がカタカナで書かれたまま残っているそうである。たとえば、カタカナの「イ」や「リ」の右上に「○」がついたもの。実際の音を聞いてみないとわからないが、「イ+○」は、もしかしたら、タイ語の「yi」かもしれない。「リ+○」は、記事によると、英語の「L」に似ているそうだ。となると、沖縄の人々は、昔から、「L」と「R」の違いができたのであろう。
 いずれにせよ、過去において、言語学者達が沖縄の方言を残そうと思ったが、いずれのカタカナ表記を採用するかで、意見が一致せず頓挫してしまったそうだ。今のままでは沖縄の方言が消えて行く。話せる人からはやく録音採取をしておかなければならない。
 方言をカタカナ表記化しても、所詮、それは気休めであって、本当の音は再現されない。とにもかくにも、耳で覚え、何度も話してみるに限る。土着が持つ言霊(ことだま)に近づくのは容易なことではないのだ。

熊さん バンコクで入院

「タイ語中級 金曜日19:00」のクラスで勉強している熊さん(หมี)は、茅ケ崎から高田馬場まで通うこと、かれこれ15年。彼の熱心な態度に、私はいつも敬意を表している。
 その熊さんが、昨晩やって来られて、開口一番、「いやあ、今回、バンコクで怪我をしまして….」と言いながら、目の上に貼ってある絆創膏を指差した。そのあと、状況説明を聞くと、地下鉄のATMでお金を引き下ろした時、お金だけが出て来てカードが出て来ないので、精神的に動転をしているうちに気を失ったそうである。その際、頭をどこかにぶつけて血がたらたら。気がついたら、バムルンラート病院のベッドの上….。
 ありとあらゆる診察をされて15万バーツ。「いやあ、今回は検査のためにバンコクへ行ったようなものです」と、熊さん。「チェックインしただけのホテルから荷物が運ばれて来て、ホテルの人がすばらしい個室の中にいる熊さんの話し相手になってくれたとか。日本語ペラペラのタイ人通訳が3人交代でつき、タイ語を話す機会はほんの少々。頼んでもいないのに日本料理ばかりが提供され、タイ料理を食べずに帰って来たのが残念だと、熊さん。帰国してから日本の病院に抜糸に行ったが、経過報告の写真をタイの病院へ送り続け、タイ人医師がメールでちゃんとコメントしてくれているそうだ。

言の葉、はらはら

今日は秋分。目白通り沿いの銀杏の木から銀杏が落ちている。そして、どんぐりもコロコロ、転がっているではないか。長月の長雨は残念。だが、あと一週間の辛抱だ。
 私は料理をほとんど作らない。というよりも、作って、いざ食べようとすると、仕事の電話が入る。よって、作ることはもうあきらめている。しかし、今日はカレーでも作ろうと思い立ち、朝4時半、鍋をガス台に置いた。ガス栓をカチッとひねった時に、携帯が鳴った。仕事だ。すぐにガスを消して、始発の電車に乗って出かけた。
 通訳はあらゆることにアンテナを巡らしておく必要が有る。そして、言葉の勉強が好きでたまらないことが肝要だ。さらに大切なことは、人間が好きだということ。外国語であれ、我が母国語の日本語であれ、覚えるべき言葉はいくらでもある。今年の成果は果たしてどの程度?、幹を太くし、枝ぶりを整え、たくさんの「言の葉」をつけたであろうか。
 えっ、何? はらはらと落ちる一方? それはいかん。早く拾いなさい。えっ、もうだめ? ぐじゃぐじゃに踏みつぶされている? では、来年の春まで待とう。それまで栄養補給をして、2017年に期待しよう。

小学校での英語教育

小学校5年生6年生に対する英語教育を義務化するか否かで、小学校教師にアンケートをしたところ、約75%の教師達が反対しているという結果が出たと、数日前、新聞記事で読んだ。4人に3人が反対していることになる。
 反対理由としては、負担が重いというのが多かった。授業の準備が増えることになるからだ。英語が好きな先生ばかりとは限らない。英語教授法を知っているプロをやとえばいいという意見もあるが、予算面でおそらく無理であろう。
 ピアノやバレーのような稽古事と同じく、習いたい生徒だけが英語を習えばいい。中学校から英語を勉強しても英語が話せない。たとえ2年早く始めても、上手にはならないと思う。義務化するとますます英語が嫌いな子供が増えるだけだ。

นักเรียน แค่คนเดียวเอง 生徒一人だけ

昨晩、2クラスの授業が予定されていたが、1クラスは休講になった。台風の余波で悪天候が想定されていたので、生徒達みんなで早々に休講を決めたようだ。
 もう1クラスの「タイ語入門」も、3人の生徒のうち2名が欠席届をラインで送って来た。残るは1名。
 私は教室の清掃をして、机を拭いて生徒を待った。19時20分(๑ทุ่ม ๒๐นาที)、生徒のKさんがいつものように自然体で現れた。その5分後、タイ人講師のピカピカ先生がやって来られた。台風であろうが、なんであろうが、マイペンライ。
 先生2名と生徒1名の授業がさっそく開始された。Kさんは言った。「一人だと、緊張しますね」
 その気持ち、分からなくもない。そこで、90分のうち、数回、休憩時間を入れた。だが、勉強時には緊張感が大切なのである(สำคัญมาก)。10月からは、緊張感+集中力で、タイ語の学力を向上させよう!

或るボランティア活動

生徒さん(70歳の男性)に、「夏休み中、何をなさいましたか?」と尋ねると、「目の不自由な方達をボランティアで国立博物館へ案内し、ギリシャ展を観ました」という返事が戻ってきた。
 そのようなボランティア活動が有ることを私は知らなかった。目の不自由な方達は博物館、美術館、等の会場にただよう雰囲気を感じ取り、それを楽しまれているとのこと。
 今朝、リオのパラリンピックが閉会した。身体にハンディキャップが有っても、みんな一緒になって頑張った。刺激が無い生活を送っていてはもったいない。
BE INNOVATIVE!

動物に関する単語をタイ語で書こう

 昨日、牝牛(แม่วัว)という単語を書かせたところ、生徒達は「牛 วัว」という単語がスムーズに書けなかった。そこで、動物に関する単語をタイ語で書く練習をしてみよう。
 まずは、タイ語の子音字の名称に充てられている動物名から列挙する。これだけはどうしても書けるようになってほしいから。
 ไก่ ควาย งู ช้าง เต่า หนู ม้า ลิง เสือ นกฮูก
 次は、以下の動物をタイ語で書いてください。
 ①熊 ②鹿 ③ライオン ④豹 ⑤キリン ⑥ワニ ⑦シマウマ ⑧リス ⑨アリ ⑩鳥 ⑪ツバメ ⑫オウム ⑬魚 ⑭鮫 ⑮鯨 ⑯犬 ⑰猫 ⑱豚 ⑲カニ ⑳カエル

三茄子(成す)守り

深川不動尊で、「三茄子(成す)守り」というストラップのお守りをいただいた。三本の茄子が仲良く並んだ形状が珍しい。
 茄子は語呂合わせから言って、成すに通じるということで、台紙には、次のように書かれてあった。
 ①財なす(金運招福)、②福なす(開運幸福)、③人物なす(立身出世)
 今日から来週いっぱいにかけて、休みが多い。生徒の中にはすでに海外へ行かれた方がおられる。台風から逃れてタイの風にあたるのはいいことだ。日本残留組は、タイ語をしっかりと勉強しよう。
 休み中の宿題は、上記の3項目をタイ語に訳すこと。短いけれど、訳すのは難しい。

深川不動尊の特別大護摩供

昨日、午前中で仕事が終わったので、帰途、門前仲町にある深川不動尊にお参りをした。正式には、成田山東京別院深川不動尊というらしい。本堂の二階には、四国八十八ヶ所のミニチュア版の部屋が有ったので、88のお寺の名前を刻んだ88本の護摩車に手を当てて回した。第72番札所の曼陀羅寺は遠縁にあたる。
 午後3時から、大本山成田山貫首猊下による「ご巡錫特別大護摩供」が厳修されるということで、私も末席に座って待った。すると、私の隣りや前列に中国人達のツアーがやって来た。茶色い禅宗の服に身をつつんでいるので尼さん達であることはすぐにわかった。中国人のガイドさんもついていた。日本の護摩焚きの様子を見物に来たみたいだ。
 成田山の貫首による法話で印象に残ったのは、「私は91歳。今日まで長生きしてまいりましたが、人間は生命を伝えて行くということが大切だと思います」

服のボタン

私はジムトンプソンのコットン生地が好きだ。タイで仕立てたブラウスを、今年の夏も大いに愛用した。なかでも、象柄のものは、「今日も一日がんばるぞう(象)!」という気持ちで着ていた。だが、いつのまにかボタンの一つ(กระดุม ๑ เม็ด)がゆるみ、ぐらぐら。ボタンを落としては大変。何故ならば、替えのボタンを持っていないから。あわてて新しい糸で補強した。
 だが、数日後、別のボタンが落ちているのに気がついた。落ちた場所はわからない。歩いている時に落ちたのであろう。ああ、こうなると、ボタンを新たに買って来なくてはならない。来年の夏にしよう。
 しかし、ぐらぐらになったボタンの糸を補強する時、何故、あとのボタン3個の糸の張り具合も点検しなかったのであろうか。反省材料だ。
 反省した結果、やっとあきらめたところ、洗濯機の中に何かが残っていた。よく見ると、ボタンだ。小さなボタンとはいえ、私に教訓を与えてくれた。「点検は部分的ではなくて、全体にわたってしなさい」