哀悼のタイ王国(1)

2016年10月13日夜、国王崩御の報に接し、ついにその日が来たということを静かに受け止めた。しかし、ラインや電話が入って来たので、それらの対応に追われた。やがて、再び考える時間がやって来た。私は何をすべきか? そうだ、タイへ行こう。
 だが、当面の仕事を処理するまでに5日を要した。そして、18日の火曜日、大学の講義を終えてから羽田へと向かった。急遽、タイ航空の航空券を予約したので、いい席は取れなかった。私の座席は機内食を置いてある場所のすぐ横。そのため客室乗務員の動きがよくわかった。通路と内部を隔てるカーテンを見た時、ハッとした。何故ならば、黒のカーテンになっていたからだ。
エアホステスの一人は黒いタイシルクを身にまとっていた。美しくもあり、悲しくもある光沢….。 
19日の午前4時半(現地時間)、まだ薄暗いスワナプーム空港周辺の景色を飛行機の窓から見下ろした。車の動きが異常に少ない。以前と比べると、何かがちがう。

哀悼のタイ王国(2)

19日午前4時50分、スワンナプーム空港に着いた。飛行機を降りてから入国審査所までゆっくりと歩いた。何故ならば、迎えに来る方には6時に来てくださいと言っていたからである。入国審査のすぐ近くまで来ると、「タイ人? タイ人はあっちだよ」と言われた。
 バンコクに初めて行った1972年、当時のドンムアン空港には入国審査のブースは、タイ人用が一つ、そして、外国人用が一つしかなかった。その時も、タイ人用に並びなさいと言われたのを思い出した。
 それ以来44年間、いつ来てもプミポン国王はタイにおわしました。だが、今回は…..。
 税関を通って外に出た。空気が重苦しい。高級ホテルから迎えに来ている人達の表情もかたい。私は一時間近く、ベンチに座ってタイ人達を観察した。ベンチの一番端のところで、靴を脱ぎ、壁に向かって足を組んで、顔を下に向けている女性がいた。彼女は白いTシャツを着ていた。背中には黒色で「0」という数字が書かれていた。「0」とは何を意味するのか?

近所のフランス料理店

昨晩、茶道講師と一緒に近所のフランス料理店へ行った。その店には以前にも行ったことがあるが、まだ2回しか行っていないので、オーナー・シェフは私のことは覚えているよしもない。茶道講師は常連。そのため、食後、オーナー・シェフと親しく話を始めた。私は横でなるほどなあと思いながら聞いているだけであった。
 「全部、一人でやっています。人を雇うと、その人が失敗した分、余計にロスが生じます。何故ならば、最初からまた作り直しをしなければなりませんから。そして、その人の給料を捻出するために、ダブルで働かなくてはなりません。叱ると、むくれるし。すぐにやめていくのであれば、最初から雇わないほうがいいです」
 オーナー・シェフの苦労は痛いほどよくわかる。「40歳でこの店をオープンしました。満6周年を迎えたばかりです。あと20年、66歳までやるつもりです。特別な宣伝はしません。少しずつお客さんが増えればそれでいいです」

黒いリボン

泰日文化倶楽部のタイ人講師達は黒い服を着て教室に来られている。服喪であることが一見してわかる。ミカン先生はこれから先、一年間、黒か白の服を着るつもりであることを、生徒の前で明言された。「新宿のユニクロの店から黒い服だけが売り切れになったそうですよ。おそらくタイ人が買ったのでしょう」
 そのミカン先生が、「黒いリボンを作りました」と言ってカバンの中から安全ピンがついたリボンを取り出して見せてくれた。「黒い服が無い場合は、これを左の腕につけてください」と、彼女。悲しみを表わす黒いリボンを、生徒と私は頂いた。
 ミカン先生は時間が許す限り、自室で黒いリボンを作り続けているそうだ。そして友人達に配るとのこと。このような服喪の仕方が有ることを身近なところで知って、タイ人のタイ人たるところをしかと観た。
(注)10月19日から24日までバンコクへ行きますので、しばらくブログは休みます。

洋服架けが折れた

 一週間前、帰宅した時の話である。部屋の中に入ると、洋服架けに架けていた洋服が全部、床に落ちていた。地震が有ったわけでもないのにどうして? 洋服を架けすぎたせいかもしれない。そう思い、洋服を拾い上げると、理由が判明した。洋服架けの支柱が、真ん中よりやや下のところで、ぽっきりと折れていた。
 その洋服架けはクリスマスツリーのような形状をしていて、スチールでできている。スチールが折れる? 有り得ないことだ。よく見ると、ジョイント部分のパーツが破損していた。
 折れたことは事実として致し方ないが、私は急に気味が悪くなった。以前、大事にしていた植物が幹の途中から折れた時、教え子の訃報が入って来たのを思い出した。今回も何かが有りそうだ。そう思っていた矢先、タイからプミポン国王の崩御の一報が入って来た。

丸亀うちわ と ラオス人研修生

今朝、NHKのニュースを見ていると、丸亀うちわを造る職人が20名しかいなくなり、このままでは伝統がすたれると危惧した職人の一人がラオスから研修生として来てもらった5名にうちわ造りを指導している様子が報道された。ラオスには竹がいっぱい有る。そのことに目をつけたことがすばらしい。
 郷里に帰るたびに思うこと、それは外国人が増えていることだ。アジアから来た研修生達にとって、四国は温暖な地だからとてもいいと思う。特に瀬戸内海沿岸はのんびりとしていながらも、産業に従事する場所が有り、生活もらく。そこそこ貯金も出来る。研修の合間にうどん造りを学べば、ラオスでヒットすること間違いなし。
 いずれにせよ、丸亀とラオスがつながったこと、その思いがけないことが、私にとってはとても興味深い。

国王崩御

プミポン国王崩御。ついにその日が……..。数日前から御容体が芳しくないということが発表されていたので、昨日は一日中、気が気でなかった。
 崩御に関するNHKの報道は短いものであった。タイに関心が無い日本人には一つのニュースでしかなかったことであろう。しかし、タイが大好きな日本人は受け止め方が違う。皆それぞれの心の中で、プミポン国王の偉大さに敬意を表したに相違ない。
 私が翻訳した『王朝四代記』は、1889年から1946年までの間に起きた事象(近現代史)を横糸に、そして、一人の女性の一生を縦糸に織り込んだ物語である。物語の最後は、ラーマ8世が崩御されて悲しみにくれる中、ラーマ9世が新しい御代を切り開いて行くであろう希望で終わっている。その御代は70年も続いた。そして、2016年10月13日午後3時52分、静かに終焉を迎えた。

<気ぜわしい>という単語

先日、茶道教室が終わったあと、先生と生徒4名でいつも行く中華料理店へ行くことにした。その店は人気が高く、夕方5時の開店と同時に入らないと、予約の人が押しかけて来てしまう。
 私が先発隊で行って、息せき切りながら、店員に話しかけた。「5名です。ここの席、お願いします」
 店員はまだエンジンがかかっていない様子。そこで、私はもう一度言った。「ここの席、お願いします。ごめんなさい。気ぜわしそうに言って」、と。 すると、店員が口を開いた。「気ぜわしい? それって、どういう意味ですか?」
 私は驚きながら答えた。「せわしいという意味です。急がしそうに言うことですが」
 店員はれっきとした日本人。若い女性だ。「そんな言葉、聞いたことがありません」と言われると心配になった。世代の相違? それとも、育った環境の違い?

男性の生け花教室

 今朝のテレビ東京「モーニングチャージ」で、男性専用の生け花教室が紹介された。生け花といえば女性、そのように思われている傾向がまだまだ強いので、男性は教室に入りにくいそうだ。だが、紹介された教室では、男性講師のもと、生徒も皆、男性。余計な気をつかわなくて済む。
 「生け花を習うことの利点は?」という質問に対して、「会社でメールを書く際、文章が簡素化されて、わかりやすく書けるようになりました」と、一人の生徒が答えた。
 確かに、生け花は無駄な葉を落とすことが肝心。そして、色をまとめることも大切。疎(そ)の部分と密(みつ)の部分をうまく作り出すこと。要は、間(ま)が肝要。
 ストレス解消に、生け花はとてもいい。四季の花に接するだけで、一年が心豊かに暮らせる。

offering (献金)

 我が家にホームステイしているタイの女の子と彼女のお母さんを案内して、昨日、大学巡りをした。大学だけ行っていると飽きるので、東京カテドラル教会にも寄ってみた。荘厳な雰囲気に、二人とも感嘆しておられた。
 ”offering”と書かれた箱が目にとまった。教会維持に協力してほしいという文面が添えられていた。そこで、私は気持ちを表わした。カトリック教徒ではないけれど、毎週、出講している上智大学がローマ法王庁と大いに関係があるからだ。
 それにしても、”offerring”という単語は素敵な響きがする。「オファーが有った」という表現は、ビジネス界で使うものだが、どこかに打算が働いているような気がしてならない。しかし、宗教界で使うと、人間の本性を問われるような気がする単語だ。