平成最後の合同忘年会

昨日、高田馬場のベトナム料理店で、イー先生関連の生徒達による平成最後の合同忘年会が開催された。何故、ベトナム料理店? それは毎年、その店を使っていてなにかと便利だからである。そこにはタイ人スタッフもいて、タイ語を話す機会も有る。
 昨日の参加者は18名。タイ人スタッフはナコンシータマラート県(南タイ)出身で、とても明るい女性。彼女は生徒達の愛称を即座に覚えた。愛称が無いという生徒にはすかさず愛称をつけてみせた。そのセンスたるや、まるで手品の如し……。
 楽しい3時間はあっというまに過ぎた。最後に私が感謝の辞を述べた。「皆さん、タイ語を長く勉強してくださり有難うございます。泰日文化倶楽部は昭和63年からスタートしました。平成が終わります。来年5月から新しい元号になりますが、どうぞ継続していらしてください。三つの御代を生き抜く泰日文化倶楽部です!」

駅名「鬼子母神前」の英語表記

昨日、都電(荒川線)に乗った。鬼子母神前から大塚までのほんの10分だ。帰りも同じく都電にした。そして、気づいたことがあった。
 それは、英語表記になった「鬼子母神前」が、「Kishibojinmae」ではなくて、「Kishibojimmae」と書いてあったことである。地下鉄銀座線の日本橋でも、「Nihonbashi」ではなくて、「Nihombashi」と書いてあるので、別に驚くことではない。何故ならば、日本語においては、両唇韻(b, m)が後ろに来る場合、その前の末子音(n,ng)は[m化]されるからである。
 しかし、タイ語は違う。「涼しい? เย็นไหม」は、「yenmai」であって、「yemmai」にはならない。「上手ですか? เก่งไหม」は、「kengmai」であって、「kemmai」にはならない。生徒達の発音を見ていると、皆さんすぐに口を閉じている。それではタイ人には通じない。

鬼子母神

昨日、都電(荒川線)に乗った。鬼子母神前から大塚までのほんの10分だ。帰りも同じく都電にした。そして、気づいたことがあった。
 それは、英語表記になった「鬼子母神前」が、「Kishibojinmae」ではなくて、「Kishibojimmae」と書いてあったことである。地下鉄銀座線の日本橋でも、「Nihonbashi」ではなくて、「Nihombashi」と書いてあるので、別に驚くことではない。何故ならば、日本語においては、両唇韻(b, m)が後ろに来る場合、その前の末子音(n,ng)は[m化]されるからである。
 しかし、タイ語は違う。「涼しい? เย็นไหม」は、「yenmai」であって、「yemmai」にはならない。「上手ですか? เก่งไหม」は、「kengmai」であって、「kemmai」にはならない。生徒達の発音を見ていると、皆さんすぐに口を閉じている。それではタイ人には通じない。

猪 & 豚

昨日、編物教室へ行くと、小口ようかんが御茶菓子として出された。箱には来年の干支(นักษัตร)である亥(กุน)の絵がパッケージに描かれていた。今年もあと2週間余。そうだ、そろそろ「猪さま」のご登場だ!
 猪はタイ語で「หมูป่า 野性の豚」という。今日は豚(หมู)が出て来る単語を以下に列挙する。意味を書いてください。
1.หมูแดง 2.หมูหยอง 3.หมูสามชั้น 4.สีเลือดหมู 5.โรคลมบ้าหมู 6.หมูตอน 7.หมูสนาม 8.หมูไปไก่มา 9.หมูๆ
 さらに追加。「猪突猛進」をタイ語で説明してください。

20年選手を目指そう!

「タイ語中級 水曜日18:00」のクラスは私が担当するクラスである。生徒はわずかに2名。5年前は5名近く学んでいたが、親の介護が生じたので、やむなくやめて行かれた。
 残った2名はもう10年選手である。マイペースで勉強しておられるから際立った進展はみられないものの、とにかく根気よく通って来られる。その精神に応えるべく、私はこの水曜日18:00のクラスを存続させているというわけだ。
 だが、10年ほど勉強すれば学習態度にはおのずから落ち着きがみられる。したがって教える側にしてみれば教えやすい。授業の内容を幅広く展開させていくことが感じられ、我ながら楽しい。
 10年過ぎれば、次は20年を目指そう! 仕事とは関係ない世界で、外国語を楽しむ余裕を長く長く持続させよう!

タイ語を上手に話すコツ

昨晩、タイ人講師が都合がわるくなったので、私が代講した。2018年を総括するにあたり、生徒の皆さんがどのくらいのタイ語力をつけたかを見るのが楽しみであった。
 「พยายามเรียนภาษาไทยให้ดี เท่าที่จะทำได้ 出来る限りタイ語が上手になるように頑張って勉強します」という文型が出て来たので、生徒達に応用文を作らせた。生徒達はめいめいに上手に文を作った。
 だが、一人の生徒が言った。「タイへ行くと、なんだか単語しか発していないような気がします。長い文章をしゃべりたいです」
 そこで、私は助言した。「関係代名詞のที่やซึ่งを使って、思いついた表現をどんどん足していけばいいと思います。一輛の電車に連結器をつかって、後ろにどんどん車輌をつないでいけばいいのです。しかし、のろのろと運転していると間延びしますから、新幹線のようなスピードで話せるように訓練することです」
 生徒達の口もとを観察すると、皆が皆、こわばっていた。寒さのせいではない。訓練不足である。

和装の美と格

今朝のニュースで、ノーベル賞授賞式の様子が報道された。本庶先生は紋付の羽織袴で臨まれた。堂々としておられ、実にすばらしかった。
 授賞式に臨む数日前、「何故、燕尾服を着ないのですか?」という記者からの質問に対して、「日本人には燕尾服は似合わない」と言い放ったところは小気味よかった。
 令夫人の和装もはっと息を吞むようであった。着物の美しさを世界中に発信してくださった感がある。やはりニュースで見たが、奥様の着付けを担当される専門家が3名、ストックホルムに同道したとのこと。着物は着付けひとつで、きりりともするし、だらだらにもなる。
 日本の伝統美は日本人の精神で支えられている。伝統美を味わえば味わうほど、日本人が「格式」を重んじていることがよくわかる。

含翠という銘の茶碗

昨日はお茶の稽古日であった。軸は「無事是貴人」。その意味は、今年もどうにかこうにか無事に暮らせたことに感謝し、自分自身の生き方を貴ぶ、ということらしい。香合は張り子の犬。戌年であるワンちゃんとそろそろお別れなので、名残を惜しんでのこと。花は真っ赤な椿。
 そして、茶碗は「含翠」という銘で、大石内蔵助が討入り前に滞在していた京都の来迎院という寺院の中に建てた茶室である「含翠軒」から由来しているそうだ。右二つ巴の陣太鼓の印もちゃんとついている。
 そういえば、12月14日の討入りの日が近い。敵討ちの物語はあまり好きではないが、敵討ちがなければ文学は生まれない。古今東西、いくらでもある話だ。
 銀杏の葉もかなり落ちた。寒くなった。緑が恋しい。それには、松を仰ぎ、苔を見よう。

100グラム vs 1 キロ

昨夜、泰日文化倶楽部の元講師からラインで写真が送られて来た。ものすごく太った女性の写真であった。そして、次なる文章がついていた。
 「ไม่ต้องถามทำไมเราถึงอ้วน เพราะลดวันละขีด กินวันละโล」
(訳:私がなんで太っているかなんて訊かなくてもいいわ。だって、1日に100グラム減量しても、1日に1キロ食べてるからよ」
 では、この文章を応用して、次なる文をタイ語で書いてみてください。
1)私が何故タイ語を話すのが上手にならないか訊かなくてもいい。理由は、1日に1語覚えても、1日に10語忘れるから。
2)私が何故、金持ちにならないか訊かなくてもいい。理由は、1日に5千円稼いでも、1日に1万円使うから。
3)彼がどうして仕事がのろいのか訊かなくてもいい。何故なら、1日に2時間働くが、1日に6時間、休憩しているから。

更紗文様

古本屋で買って来た『きもの文様事典』(本吉春三郎著 婦人画報社 昭和54年)をパラパラとめくっていると、<更紗文様>という説明に目が止まった。
 「更紗は室町時代から桃山時代、江戸初期にかけて南蛮船で舶載された、木綿を主とする南方諸国の色彩的な染物(インド更紗、ペルシア更紗、ジャワ更紗、シャム更紗)をいう。モチーフは、人物、鳥獣、花卉、蝶、虫などが、それぞれの産地のローカルカラーで特色づけられている。佐羅紗、皿紗、華布、印華布などの字をあてる。語源はインド西海岸のスラートという古い港町からでたといわれる」
 長い引用になったが、更紗文様が南蛮船によって日本にもたらされ、そして、自然を愛してやまない日本人に素直に受け入れられたことが興味深い。これから先、人的交流によって、いかなる文化が日本にどのように取り入れられ、かつ、定着して行くか…..。それには百年以上を要するであろう。