神田川日記(23)

タイ文字の歌 บทกวี ของ สศหอฮ(余行=SSHOH)
 สามารทสิ่งที่ทำได้(やるべきことはやれるとも)
ศึกษาค้นคว้าความจริงของชีวิต(人生の真実を追求しよう)
ห้ามเกเร ต้องขยันเข้มแข็ง(怠けるな 勤勉であれ)
อยากเรียนรู้หลายอย่าง(いろいろなことを学びたい)
ฮวงจุ้ยกับโหราศาสตร์ก็น่าสนใจมาก(風水も占星術も面白そうだ)
 入院中、多くのことを見聞した。そして、見舞いに来る患者の家族達や友人達を通して、彼らの過去や現在が観察できた。私はこれまで理屈重視で考えて来たが、世の中はそうそううまく行くものではないことを思い知った。私の場合は骨折だから、リハビリをしながら、ただひたすら骨がくっつくのを待つだけ….。退院して行く人、入院して来る人。いやもう、人間デパートだ。

神田川日記(24)

神田川沿いに在る病院は2階と3階が病室で、そこに40名ほどが入院していた。私は3階の大部屋にいたが、或る一人の男性が朝夕、洗面を終えたあと、必ず女性の大部屋に入ってこようとした。嫌らしい意味ではなくて、彼はどうやら方向感覚がつかめないようであった。洗面所で彼に会った時、私は尋ねてみた。「あのー、どこがお悪いのですか?」 すると、彼はすかさず答えた。「頭」
 バイクの転倒で骨折した男性は別室にいる男性とよく話していた。聞くところによると、二人は過去、某会社で働いていた時の同僚だそうだ。病室の入り口に掲げられている名前がかなりユニークであったので、声をかけてみたところ元同僚と判明。奇遇!
 バイクの男性は元ホテルマン。その後いろいろな職業を転戦し、現在に至っているとか。話が実に面白かったので、彼としゃべるのが楽しみであったが、ヘルパーさんから注意された。「吉川さん、異性とはしゃべらないように」
 そう言われて、腰を痛めて動けないおばあちゃん達とは違って、私は女性として見られていたんだなあと気づくと、苦笑せざるを得なかった。

神田川日記(25)

ぎっくり腰で入院している男性(65歳)がいた。「家で家具を動かしていてぎっくり腰になっちまった。仕事は建設業。親方として働いているが、仕事の時は緊張しているから絶対に失敗が無い。これじゃあ、弟子達に笑われるよ。早く退院しないとえらいことになる。仕事がいっぱい。2020年の東京オリンピックまでは仕事がいっぱいだからね」
 ある夜中、看護師達がバタバタした。「患者さんの容態が悪い。早く電極を! 家族を呼ばなくては…..」とか言いながら、その患者を個室に入れた。朝になって、その方が亡くなられてすぐに病院から運び出されたことを知った。病院にいても、死ぬときは死ぬ。そう思った。
 カバンで向こう脛を骨折した女性はずっと個室に入っておられた。理由は会社の仕事をしておられたからだ。夜中になるとアメリカにいるご主人に電話。個室でないとできないことだ。私の場合は大部屋でおばあちゃん達の生きざまを観察。

神田川日記(26)

私よりも5日くらい後に入院して来られた女性は、淋しさのせいであろうか、いつも「あーちゃん」と発していた。病室が離れていたので、一体、何を言いたいのかわからなかった。看護師達やヘルパーさん達もわからないようであった。「あんちゃん? かしら」と言っていた。
 そのうち、「あちゃん」とも聞こえるようになった。もしも彼女が「アーチャーン(先生)」と言えば、私は「はい」と答えようと思っていた。
 そして、ある日のこと、彼女が部屋の前でひなたぼっこをしていたので、リハビリ歩行を兼ねて近くまで寄って行った。そして、彼女に手を差し出すと、彼女はとてもうれしそうな顔をして手を出した。我々はついに握手をした。
 彼女の発声は「かあちゃん」が正しかった。だが、遠くにいると、「あちゃん」にしか聞こえなかった。

神田川日記(27)

2階にいた女性が3階の大部屋に転室して来られた。病院から借りたパジャマの上に紬の着物をほどいて自分で縫った素敵な上っ張りを着ておられた。早稲田大学の大隈講堂が見える辺りにお住まいだとのこと。83歳。娘時代に新宿の文化服装学院で学ばれたので、ご自分のものは全部縫っておられるそうだ。
 「うちの家、何の商売をしていたかわかりますか?」と訊かれたので、雀荘かと思ったが、失礼があってはいけないと思い、答えなかった。すると、「カクボウよ」と教えてくれた。それが「角帽」であることはすぐにイメージできた。
 「主人は85歳まで角帽を作っていました。先代は神田でお店をやっていましたが、早稲田に移り住んで来て、早稲田の学生さんの角帽を作っており、総長の角帽(卒業式用)も作りました。店をたたんだ3日後に入院。3年前に亡くなりました。角帽作りの様子をテレビ局が取材に来ましたよ」
 私はその話を聞いて、すかさずスマホで調べてみた。すると、早稲田の大学生達とお店の前で一緒に並んでいるご主人の写真が出て来た。温厚そうな方で、いかにも職人気質の男性だ。彼女は言った。「主人のミシンは絶対に売りません」

神田川日記(28)

私の隣りに寝ていたおばあちゃん(92歳位)はどうやら転院させられるようであった。お嫁さんが3人の子供を連れて来たことがある。介護認定士に向かって、子供の世話だけで手がいっぱいだから、おばあちゃんの面倒は看られないことをはっきり言っていた。小学校1年生の孫がおばあちゃんに言った。「おばあちゃん、歯を磨かないから歯が無いんだね。さあ、今からしっかり歯磨きをしてちょうだい」、と。おばあちゃんはただにこにこするだけ。
 そのおばあちゃんが転院したあと、そのベッドに29歳の女性がやって来た。3日間だけという限定付きである。彼女は落ち着きがなかった。丁度、座間事件が発覚した時と同じ頃だったので、私は眠りを妨げられた。彼女はベッドに入るや否や、充電器が無いかどうか看護師に尋ねている。そして、がばっと起きたかと思うと私のところに来て充電器を貸してほしいと言った。人が信じられないというわりには、3日間、ラインをしまくりであった。

神田川日記(29)

3日間で退院して行った若い女性は病院で手話通訳をしているそうだ。だからお見舞い客も手話ができる方であった。二人は手話で話していたので、話の内容はわからずじまい。
 手話娘が出て行くと、88歳のおばあちゃんが窓際のベッドからそこに移された。彼女は発話が不自由そうであった。だから、私がいつもナースコールを押して上げて、彼女の要望を看護師達に伝えてあげた。
 このおばあちゃんは夜中に荷物をまとめるのが癖になっており、ガサゴソ、シャワシャワ、いろいろな音がカーテン越しに聞こえてきた。看護師達から「何を言っているかわからない」と言われるたびにおばあちゃんはしょげかえり、荷物をまとめ、早く家に帰りたいと言った。
 今回の入院で、どんなに病気をしようが、自分の言いたいことは要点をつかんで、明瞭に話さなければならないと思った。60歳を過ぎて、語学を習うことはいいことだ。たとえ上手にならなくても、いつも発声をしていれば、喉の筋肉が鍛えられて、発話の力が衰えないからである。

神田川日記(30)

101歳のおばあちゃんと同じ部屋にいた93歳のおばあちゃんはもう退院してもよさそうなくらい病状が回復したのに、あえて退院しそうもなかった。理由は家に帰っても一人暮らしだから。時間が来ると三食必ず提供してくれる病院のほうがいいと言うのである。その気持ち、わからないでもない。だが、私の場合、いつまでも病院に甘えていては大きなマイナスだ。
 そのおばあちゃんには息子さんが3人もいるそうだが、近くに住んではいるものの、同居はしていないとのこと。年をとると、息子よりも娘がいたほうがいいなあと思った。
 その他に、子供がいないというおばあちゃんがいた。甥御さんが頻繁に見舞いに来てはいたものの、それはそれで大変なことである。ご主人に先立たれて一人残されたおばあちゃん達も多かった。結婚していようが、独身であろうが、子供がいようが、いまいが、結局のところ、一人で病いを乗り切らなくてはならないのである。

神田川日記(31)

白菜の葉っぱで滑って背骨を圧迫骨折した高田3丁目のおばあちゃんが退院した数日後、個室から73歳の女性が大部屋にやって来た。彼女の話によると、長年にわたり、自宅で介護していた母親が去年、103歳で亡くなり、その後、無気力になり、コンビニのおむすびかパンばかりでどうにか暮らしていたら、この11月に突然立ち上がれなくなり、入院することになったそうである。介護の疲れと栄養バランスの悪さが原因であろう?
 コンビニの食べ物ばかり食べていれば体がおかしくなるのは当然だ。実は退院して自室に戻ると、机の上にコンビニで買ったロールパンが2個、袋の中に入ったままであった。よく見ると、買った時と同じような照りが表面に見られ、カビが全く生えていない。防腐剤のせいとはいえ、気持ち悪かった。73歳の女性の話が現実味を帯びてきた。
 71歳の男性は、「あと5年くらいで、もう死んでもいいよ」と言う。しかし、女性達は違う。みんな、どんなに腰がいたかろうが、100歳を目指して、ベッドの上で寝ていた。

神田川日記(32)

毎朝6時起床。熱いおしぼりで顔を拭く。7時40分頃にお茶が来て、8時に朝食。ゆったりとした時間が過ぎる。7時頃、廊下の奥にある窓まで行って、新しい空気を吸った。神田川の水面(みなも)に水鳥が一羽泳いでいる。そこへもう一羽がやって来た。つがいであろう、と思った。ところがまた次なる水鳥がやって来た。子どもかしら?
 そう思いながらしばらく見ていると、鳥の数がどんどん増えて行った。理由はパンくずを投げる赤いジャケットのおじさんがやって来たからである。鳥達は生きる術(すべ)をよく知っている。
 午後3時頃、同じ窓に立つと、水面がきらきらと輝いている。少ししか開かない窓に立って、ひなたぼっこをすると、急に元気になるのを覚えた。太陽は有り難い。ビタミンDを体に取り入れて、骨を早くくっつけようと思った。