伊能忠敬(1745-1818)

先月、所用で郷里の丸亀に帰った折り、町歩きをしていると、明治時代の建物のところで足が止まった。かつて「本陣」が在った場所だ。土佐藩主である山内容堂や明治天皇の従者が利用したことが書かれていたが、伊能忠敬の名前も有った。
 伊能忠敬と言えば日本を測量し、『大日本沿海輿地全図』という地図の作成に携わったことであまりにも有名だ。しかし最近のとらえ方は、彼が50歳で隠居し、自分の好きなことを死ぬまでやったということで、大いに参考にすべしということだ。
 調べてみると、彼が四国を測量したのは、1808年から1809年に実施された「第六次測量」の時であった。丸亀滞在は1808年9月下旬から10月上旬。10月1日には瀬戸内海の塩飽諸島で日食を観測している。
 今年は没後200年の記念の年だ。1800年から1816年の17年間に彼が歩いた足跡は、点となり線となって、今でも追跡できる。

生徒さんの復学 大歓迎!

先週から、昔の生徒さんが泰日文化倶楽部に戻って来られた。3年ぶりの再会だ。「タイ語を基礎から学び直したい!」という意欲が伝わってきたので、私も熱烈授業をしたくなった。
 退会、もしくは、休学する方達にはそれぞれの事情がお有りであろうから、私としてはやむなくさよならするしかない。しかし、復学される場合は、大歓迎だ!
 3月は別れの季節である。転勤が決まって東京を離れる方達…..。地方でタイ語教室を探すのは難しい。しばらくは独学をするしかないであろう。しかし、勉強の持続こそが肝心。数年後、東京に戻って来た時には、また泰日文化倶楽部に戻って来てほしい。なつかしい級友が待っていますからね。そして、口やかましい吉川も待っていますから。

着物警察

数日前、ネットで「着物警察」というニュースを読んだ。70歳にして着物に関心を持ち始めた私としては、一体、どういうニュースなのか、内容を読むまで不思議で仕方がなかった。
 「着物警察」とは、着物が着くずれたり、帯がほどけそうになっている若い女の子を駅構内の洗面所で見かけると、着物にうるさい中高年のおば様達が、「ちょっと失礼」と言って、彼女達の着物や帯をなおし始めることが多くて、そのような表現になったとのこと。
 ほとんどの若い女の子は「ほっといてよ」という心境らしい。だが、日本の美しい和装姿を後世に残したいおば様達はそれがいやでいやで仕方がない。
 他人の欠点を注意するのは難しい。素直に聞き入れてくれる人は少ないからだ。しかしながら、<厳しい人>も必要だ。「発音を指摘しなくなったら、吉川先生ではありません」と言う生徒がいる。それを聞くと、渾身の熱意を込めて、これからも細かく発音矯正を続けよう。

「群青」という歌

昨日、大学時代の寮友が所属する「府中アカデミー合唱団」の第32回定期演奏会を聴きに行った。第1部は日本の抒情歌(早春賦、叱られて、みかんの花咲く丘、群青)、そして、第2部はミサ曲第6番変ホ長調D950(シューベルト作曲)というプログラムであった。
 私は『群青』という曲にうたれた。何故ならば、この曲は福島県南相馬市立小高中学校の卒業生(平成24年度)が書いた思いを、小田美樹先生が歌詞にまとめた曲であると聞いたからである。
 「ああ あの町で生まれて 君と出会い たくさんの思いを抱いて 一緒に時間を過ごしたね 今 旅立つ日 見える景色は違っても 遠い場所で 君も同じ空 きっと見上げてるはず <またね>と 手を振るけど 明日も会えるのかな 遠ざかる君の笑顔 今でも忘れない あの日見た夕日 あの日見た花火 いつでも君がいたね あたりまえが 幸せと知った 自転車をこいで 君と行った海 鮮やかな記録が 目を閉じれば 群青に染まる (続く)」
 指揮者も福島県出身の方であった。

パックチー料理

 昨日、マンションを出ようとすると、住民の一人から声をかけられた。
 「吉川さんに聞きたいことがあります。テレビで見たのですが、タイ人は、日本人が最近もてはやしているパックチー料理が不思議でならず、違和感を覚えているとか。それは本当ですか?」
 「はい、パックチーは料理の上にふりかけるのに使われますから、日本の三つ葉と同じく、彩り、そして、香りづけのためが主たる目的です。ことわざに<パックチーをふりかける ผักชีโรยหน้า>というのが有りますが、その意味は、<見せかけ>ということであります」
 すると、彼はすかさず切り返してきた。「私は見せかけだけの人間ではありません。ぱらぱらとふりかけるのではなくて、皿いっぱい食べていますから、本物志向の男です」
 彼は欧米での生活が長いからパーティー慣れしている。そのため、マンション住民の集まりでも必ず軽妙なるジョークを飛ばす。

話題は豊富なほど良い

昨晩、「タイ語中級 金曜日19:00」のクラスの様子を見たが、生徒さん達はおとなしい方達ばかりだから、自由会話がはずまない。そこで私は次なる助言をした。
 「3月15日に確定申告が終わったわけだから、税務署に収入、税金、を申告しましたという文章を作ってみてください。収入という単語がわかれば、その対語である支出もついでに頭に浮かび上がらせると、語彙が増えます。申告するという動詞は、警察に通報するという動詞と同じですから、応用が効きます。収入の話から、景気の話に発展させることもできます。経済の話が嫌であれば、話題を変えましょう。もしも時間とお金が有れば、もう一度大学に入って勉強をし直したい、という話題はどうですか? 何学部に入りたい、何を専門にしたい、という話に発展させれば、これまでに習った単語を大いに活用できます」

語学は財産だ

昨日、20数年前の生徒さんから久々の近況報告が有った。彼は札幌在住だ。北海道旅行に来るタイ人がかなり増えて来たので、毎月、タイ語を使うチャンスが有ること、そして、「語学は財産です!」と最後に締めくくっていた。
 それを読んで、20年間、タイ語力を維持して来られた彼の努力に私は深く感じ入った。
 現在、自分のタイ語力の停滞にげんなりしていても、あるいは、どうしても弾みがつかないということが有っても、めげずにこつこつタイ語を愛することが20年後の仕事に通用することになる。そう思って、今日も30分、頑張ろう。明日は45分、明後日は1時間、と学習時間を増やしていけば、脳裏に定着する度合いも必ずや増えていくはず。今日は30分。明日は0分…..。では、いけませんよ。

沈丁花

一昨日、所用で新橋の方へ出かけた。用事は正午で終わり。ビルの外に出ると気持ちよく晴れ渡っている。そこでしばらく歩いた、日光浴も兼ねて。
 すると、なんともいわれぬ沈丁花の香りが私の足を止めさせた。花に近寄って行ってスマホでパチリ。この沈丁花を写真に撮る行為は私の春一番の行事である。何故ならば、シンガポールで頑張っておられるY子さん(元生徒)が大好きなので、彼女に日本の春を知らせたいがためだ。
 Y子さんは20年前に日本を出てバンコクへ。そして6年後、シンガポールへ転進。彼女は今、生き生きと仕事をしている。日本に本帰国する様子はさらさらない。語学センス抜群。アジアで生き抜く力を持った女性として魅力的!

速読の訓練が必要

昨晩、「タイ語中級 火曜日19:00」のクラスを代講した。テキストは中級Ⅱを使用。単語だけを読ませると、意識して読むせいか、声に力が入っていて良いと思った。
 ところが、文章を読む段階に入ると、速読する力の無さが露呈された。タイ語の文章をすらすらと読み進める勉強が足りない。声に出して、読んで読みまくる必要が有る。これなら一人でいる時でもできるはずだ。
 以前、某研修中にタイムウオッチを持って、速読時間を計ったことがある。何回も読むと、暗記も出来るというものだ。
 今年初め、三重県から上京して来た元生徒が、一緒に食事をしている時に、中級Ⅱのテキストの中の文章を「先生、今でも暗記していますよ」と言って、いくつかの文章を諳んじて聞かせてくれた。その彼は来月からチェンマイに在る日本領事館に栄転される。

北タイのプレー県

昨晩、「タイ語中級 月曜日18:00」のクラスで、北タイのことが話題になった。タイ人講師は「チェンマイには行ったことがありません。しかし、プレー県には毎年行っています。父方のお墓が有りますから、4月上旬の清明節の時に親戚兄弟皆そろって寝台列車で行き、お墓参りをします」
 生徒達は<プレー県 จังหวัดแพร่>という県名を知らなかった。そして、先生の発音が、プレーではなくて、ぺーにしか聞こえなかったので、何の話題かピンと来なかった。
 「タイ人はお墓を持たないと聞いているけど、先生のところは有るの?」と生徒が尋ねた。
 「父の両親は中国から来た中国人です。だからお墓が有ります」、と先生。
 話は北タイのことへと発展して行った。私は壁に貼っていたタイ全土の地図を取り外し、机の上に置き、プレー県の位置を指差した。
 我々日本人は、チェンマイ、メーホンソーン、そして、チェンラーイまでは馴染みが有るが、北タイにおけるそれ以外の県をほとんど知らない。観光地化され過ぎたところへ行くのはしばしやめて、素朴な田舎生活を見るのも勉強になる。タイ語の発音が悪いと、外国人観光客を知らない人々は、想像を働かせてくれないので、おそらくタイ語が通じないであろう。田舎でタイ語が通じれば、あなたのタイ語は本物だ。