伊能忠敬(1745-1818)

先月、所用で郷里の丸亀に帰った折り、町歩きをしていると、明治時代の建物のところで足が止まった。かつて「本陣」が在った場所だ。土佐藩主である山内容堂や明治天皇の従者が利用したことが書かれていたが、伊能忠敬の名前も有った。
 伊能忠敬と言えば日本を測量し、『大日本沿海輿地全図』という地図の作成に携わったことであまりにも有名だ。しかし最近のとらえ方は、彼が50歳で隠居し、自分の好きなことを死ぬまでやったということで、大いに参考にすべしということだ。
 調べてみると、彼が四国を測量したのは、1808年から1809年に実施された「第六次測量」の時であった。丸亀滞在は1808年9月下旬から10月上旬。10月1日には瀬戸内海の塩飽諸島で日食を観測している。
 今年は没後200年の記念の年だ。1800年から1816年の17年間に彼が歩いた足跡は、点となり線となって、今でも追跡できる。