利休百首

昨日、お茶の稽古が有った。かねてよりミカン先生が見学したいと言っておられたので御招待した。ふくらはぎを真っ赤にしながらも、3時間、お茶の世界にひたっている先生。関心の度合いは本物と見た。
 ところで、茶道には小さな扇子を使う。長さは約14センチ。昨日、私が茶道講師に授業料をお支払いする時に使用した扇子をご覧になって、「あら、利休百首が書かれていますね」とおっしゃられた。私はこれまで何が書かれているのか無頓着であったが、その扇子は40年前に習っていた時の茶道講師から頂いたものであった。
 利休百首の中から、現在の講師が一首をそらんじた。
「けいことは一よりならい十を知り十よりかえるもとのその一」
 もう十分に理解したと思っても、また最初に戻って、勉強のやり直しをする必要性を説いている。

言葉と度胸

リオ五輪はそろそろ終わりに近づいた。どのチャンネルを回しても中継や録画をやっているので、8月はまさしくオリンピックで明け暮れた感がする。
 メダルを取った日本の選手達が繰り返しテレビに登場するたびに思うことがある。それは、競技技術もさることながら、彼らが繰り返し海外遠征することで、外国の空気に触れ、言葉の面でももはや物怖じしていないということだ。
 錦織選手が早くからアメリカ留学していたことは知っていたが、卓球の水谷選手が14歳でドイツへ留学していたことは知らなかった。中国へ留学するならまだわかるが、ヨーロッパへとは! やはりアジアに閉じこもっているだけではだめだ。欧米人の強靭な論理と思考を肌で感じる必要がある。言葉にコンプレックスが無くなれば、度胸もおのずから身につく。

感情移入

昨日の朝、教室の掃除のために高田馬場へ行った。そして、午後は早稲田松竹映画館へ。久しぶりの映画だ。
 1本目は、『放浪の画家ピロスマニ』。グルジアの映画は初めてであった。1969年の作品。1969年という年は、私が社会人になった年だ。
 2本目は、『FOUJITA』。小栗康平監督が10年ぶりにメガホンをとった映画。画家の藤田嗣治のパリ時代と第二次世界大戦中の日本に於ける生き様の二部仕立てになっていた。
 藤田(フジタ)はオダギリジョーが演じた。演技力豊かなプロのフランス人達のなかに入って、フランス語で演じるのは大変であったろう。最後のクレジットを見ると、彼のそばには日本人の通訳がついていたことがわかった。だが、感情移入となると、それは俳優そのものの実力である。外国語で、感情をきめこまやかに表現するのは難しい。タイ語の勉強でも、これからは感情移入に力点をおいてみることにしようか。

仏像の手

私がタイ大使館(Royal Thai Embassy)に勤務していた時の話である。上司が某大使館の外交官の家で開催されたパーティーから帰って来られた翌日、彼はものすごい不快感を表わした。その理由は、招かれて行った邸宅に仏像の手がアートとして飾られていたからである。タイ人にとって、仏像の体をばらばらにして、その一部を装飾品として飾ってはいけないことをその時、私は知った。欧米人は骨董扱いにして、オリエンタリズムよろしく、部屋に飾るのが好きなようだが……。
 昨日、知人がラインで写真を送って来た。彼女の友人が作った庭の写真であった。東南アジアから送らせた仏像の頭が見えた。私から見ると、その仏像の頭の高さが地面に近すぎだ。低すぎると、歩いている人間の頭のほうがどうしても高くなる。もしもタイ人がそれを見たならば、果たしてどう思うであろうか? 
 40年前にスコータイへ行った時、仏像がひな壇の如く並んでいた。すぐ横に石段が有ったので、上って行こうとすると、タイ人からきつく言われた。「女性は上がってはいけない」、と。タイ人は自分よりも目上の人の前を通る時は、必ず腰をかがめる。とても美しい習慣だ。

ご主人は?

 昨晩、在日半年のタイ女性と一緒に食事をした。
 「先生、ご主人は?」と、彼女が私に尋ねた。一瞬、びっくりしたが、私は落ち着いて答えた。
 「独身です。だから、いません」
 すると、今度は彼女がびっくりした。「ちがいます。先生はどこから来たの?」
 「ああ、それなら、ご出身は?ですね」、と、すかさず発音を直してあげた。
 タイ人にとって、<ご主人(ごしゅじん)>と<ご出身(ごしゅっしん)>は、発音しにくいことがわかった。
 我々日本人も、発音ができないタイ語が多い。จุ(ジュ cu 収容する)と จุด(ジュット cut 点)の聞き分けができず、教室で何回も試みても、生徒さんはダメであった。

アフターサービス

泰日文化倶楽部の夏休みは今日から後半に入った。前半では、個人レッスン受講中の生徒さんが、講師のミカン先生と私をご自宅に招いてくださり、素敵な時間を過ごすことができた。2016年夏のとてもいい思い出になった。後半では、「タイ語中級 土曜日14;15」のクラスのパーティーが予定されている。生徒達のタイのみやげ話が今から楽しみだ。
 ここ数日、特に用事が無い。のんびりしている。これでいいのであろうか? と、思っているところに、20年前の生徒から電話が入った。「タイ語を添削してください」という依頼であった。私はすかさず承諾した。
 昨晩、添削した原稿をFAX送信すると、感謝のメッセージが来た。私は生徒の依頼であれば、いくらでも協力することにしている。20年前の生徒であろうが、30年前の生徒であろうが、関係ない。アフターサービスは大切なこと。そう自分に言い聞かせている。

浜松市のこと

知人が今年5月から浜松市へ行って仕事をしている。その関係で、いつかは遊びに行ってみたいと思い、ネットで浜松のことを調べてみた。
 浜松は東京と大阪のちょうど中間に位置し、人口は80万人強。第16番目の政令指定都市だ。泰日文化倶楽部の生徒で、もう20年以上、勉強に来てくださっているMさんは、この浜松市の出身。帰省するたびに、うなぎパイやうなぎボーンのおみやげを買って来てくださる。
 私にとって、浜松は東海道新幹線で通過する駅にしか過ぎなかったが、こうして浜松に関心を持つと、ニュースで流れて来るアナウンサーの声が、「浜松で…..」と言い始めた途端、敏感に反応するようになった。なんでもいいから、関心を持てば、興味のアンテナが何本も立つということを思い知った。

戦争に関するタイ語

今日は71回目の終戦記念日。戦争はあってはならないが、戦争に関するタイ語をいくつか列挙する。
 ๑) สงคาม ๒) สงครามโลกครั้งที่๒ ๓) ทหาร ๔) นายทหาร ๕) ทหารบก ๖) ทหารเรือ ๗) ทหารอากาศ ๘) ปืน ๙) ปืนกล ๑๐) ลูกระเบิด ๑๑) ลูกระเบิดปรมาณู ๑๒) กลยุทธ์ ๑๓) ยุทธศาสตร์ ๑๔) ยุทธศึกษา ๑๕) เกณฑ์ทหาร ๑๖) หมายเกณฑ์ ๑๗) เครื่องบินทิ้งระเบิด ๑๘) ผู้บัญชาการ ๑๙) ศัตรู ๒๐) การสิ้นสุดสงคราม ๒๑) สนธิสัญญา ๒๒) สันติภาพ
 戦争に関係する単語はまだまだ有るが、あとは夏休みの宿題とする。

富田克也監督 受賞おめでとう!

泰日文化倶楽部でタイ語を習われたことがある富田克也監督(44歳)が、スイスのロカルノ映画祭において、『バンコクナイツ』という作品で、2度目の快挙を果たした。今回の受賞は、「若手審査員部門賞」だ。
 彼の才能は着実に、そして、確実に伸び続けている。すばらしい。おめでとう!
 彼は2011年にもロカルノ映画祭で受賞している。『サウダーヂ』という映画だ。その映画には、私もほんの少しだけ出演している。国会議員の選挙対策婦人部長として…。
 その次はタイで撮影をすると彼は言っていた。私の出番も考えてほしいとひそかに期待していたが、今回はお声がかからず残念。
 彼はライン(7月16日付け)で、「バンコクナイツ、もう少しで完成です!」と知らせて来た。それから約1ヶ月。すばらしい快挙だ。

日々の心得

 ピカピカ先生のお母様と毎日、ライン交換をしていることは以前にも書いたが、昨日、送られて来た文章は日々の心得を説いたものであり、タイ語の構造としては大変にわかりやすいものであった。参考までに引用させていただく。ただし、出典は、FB/ThanabuddhoStory だから、お母様の引用を、私は孫引きすることになる。
 ใช้เวลาที่มี…ทำสิ่งดีๆให้แก่กัน ไม่จำเป็นต้องเป็นวันสำคัญ เพราะทุกๆวัน…เป็นวันดีๆอยู่แล้ว
泰日文化倶楽部の生徒さんは、自力で翻訳してみてください。
 いずれにせよ、殺伐とした日々が続く昨今、タイの寺院で僧侶から法話を聞き、心穏やかになりたいものだ。