磨く楽しみ

今日から9月(เดือนกันยายน)。しかしながら、今日も夏日。なんと東京は45回目の夏日だそうだ。もう少し、暑さに耐えよう。
 今年の夏、私はのんびりと暮らした。自由時間がたくさん有って良かった。読書もした。小説(นวนิยาย)を書くまね事もしてみた。題材はいっぱい持っている。だが、やめた。小説全体をまとめる力に欠けることがわかったからだ。大学時代に英文学の評論などやっていたのに、あれは一体何であったのか。
 では、今夏、何が楽しかったの? それは鍋(หม้อ)や皿(จาน)、カップ(ถ้วย)やコップ(แก้ว)を磨くことであった。「お料理からお掃除まで 重曹」というのを買って来て、磨きに磨いた。シンクのくすみ、冷蔵庫内のお掃除に、油汚れ、茶シブ、山菜のアク抜きにも使える重曹。
 磨き始めると止まらない。楽しい。何故ならば、ピカピカになるから。だが、これらのものは、一回使うと、すぐにまた汚れる。毎日、そのたびに洗わなければならない。ぬめりのぬめぬめ、茶シブのシブシブとの闘い。仲良くするしかない。

目白のタイ料理店

かつて、目白にはタイ料理店が3軒ほど有ったが、今は1軒だけ。その店は新大久保から移転してきた店だが、私は一度も行ったことがない。もう5年くらいやっているから常連客がいるのであろう。
 今から45年位前の東京にはタイ料理店はなかった。唯一、新橋の広東料理店がタイ料理も提供していた程度であった。銀座のはずれにタイ料理店ができたことはあったものの、すぐにつぶれた。ところが現在はものすごい数のタイ料理店だ。全国、どこへ行ってもタイ国旗が目に入る。
 つい先日、マンションの友人から「何やらアジアの料理店が目白駅のそばにできていますよ」とおしえられた。ネットで調べると、タイ料理店であった。そこで、昨日、ランチに行ってみた。去年11月にオープンしたらしい。知らなかった。
 ランチのお客さんは中年の女性ばかり。ゆったりと食事を楽しんでおられた。食後、タイ語の勉強をしてくださるといいのだが……。

足場の組立て

泰日文化倶楽部が入っているビル(ตึก)は1984年に建設された。目下、第二回目の大規模修繕に入っている。本来であればもう少し早くから大規模修繕に入るべきであったが、いろいろな人が入居しているので、意見をまとめるのに時間がかかった。そうこうしているうちに、資材も人件費も高騰してしまった。
 8月(เดือนสิงหาคม)に入り、足場を築き始めたが、11階建て(๑๑ชั้น)のビルだから、まだ終わらない。ビルの周囲全体に足場を築くのがいかに大変かということを、毎日のように観察している。そして、大規模修繕工事費の中で、この足場組立て代が一番高いかということも知り、あらためていろいろと考えさせられるものがある。
 ものごと全て、基礎工事が大切だ。それにはお金をかけなくてはならない。時間もかけなくてはならない。

カマンベール・チーズ

元生徒さんから、「認知症にならないために、先生、カマンベール・チーズを食べてください。特に白いかびがいいそうですよ」と言われた。そういう年齢に達しているから、早速、北海道からチーズのパックを3箱も取り寄せた。カマンベールだけではなくて、いろいろなタイプのチーズが入っているから飽きが来ることはなさそうだ。そして、それぞれのチーズの賞味期限が異なっているので、時期をずらしながら食べることができる。
 ところで、カマンベールは、Camembertと表記する。フランスのCamembertで初めて生産されたからだそうだ。それを知らないと、正しい表記ができそうにない。特に日本人にとっては、末子音を全部、発音する傾向が強いから、最後の「t」も読んでしまいがちだ。
 ひるがえって、タイ語の末子音「t」もほとんど聞こえない。舌を上歯の裏の歯茎にあてるだけだが、それが日本人には難しい。どうしても「to ト」の発音をしてしまう。何とか、できるようになってもらいたいと、授業中、いつも願っている。

外国語の「超」勉強法

教室の中に本がたまってしまったので、少しずつ自宅に持って帰っている。持って帰れば、今度は家の中にそれらの本がごろごろするわけだが、なかなか捨てきれない。
 かつて1993年頃、野口悠紀雄氏の『「超」整理法』というのがよく売れたが、その第二弾として、『「超」勉強法』(1995年)も出版された。これを読み返してみると、第二章に、英語の「超」勉強法というのがあった。それをまとめた部分を抜粋して引用すると、1)丸暗記法2)英語細胞で考える 3)聞き取りへの準備 4)インターネットは書く時代、と書いてあった。これはいずれの外国語にも当てはまる。タイ語ももちろんである。
 野口氏が指摘する点は、会話で使う英語と、文章で書く英語は異なる。メールの時代だから、立派な文章が書けないと欧米人から馬鹿にされる。文章をきちんと書けるようになろうという助言は、はたまたタイ語にも当てはまる。

頭髪にまつわる動詞

今日は頭髪にまつわる動詞を列挙したい。
①散髪する ตัดผม ②洗髪する สระผม ③パーマをかける ดัดผม ④髪を染める ย้อมผม ⑤剃髪する โกนผม ⑥髪結い ทำผม ⑦髪をとく หวีผม ⑧髪をそぐ ซอยผม 等々。
まずはこのくらい知っていれば่่十分であろう。
 少々気が早い話になるが、来年3月にタイへ本帰国するキック先生に向かって、生徒が尋ねた。
 「日本から買って帰りたいものは何?」
 すると、彼女は「ที่เหน็บผม」と答えた。ジェスチャーを交えながら答えたので、それが「ヘア・アイロン」であることはだいたい想像できた。
 授業が終わって帰宅すると、元タイ人講師からラインが入って来た。
「ผมหงอกแยะมาก ย้อมผมบ่อยๆ กลัวเป็นมะเร็งเลยซื้อวิกผมบางๆมาแปะผมหงอก」
 この文章の中に「かつらを貼りつける」という表現が入っている。このタイ人講師は22年前の先生である。

サマータイムの有効利用

ここ数日、早朝から家を出ている。たくさんの人がすでに通勤しているのを知り、私も頑張らなくてはと刺激を受けた。
 先日、新聞を読んでいると、「2020年の東京オリンピック時は、サマータイムを!」をという記事が目に止まった。これまでサマータイムを採用してきた会社はあるが、早く出社しても終業時間に仕事が残っていると、ついつい残業してしまい、結局、働きすぎになるというので、サマータイムを廃止する会社が多いそうだ。
 2時間早く家を出ると、通勤地獄からも逃れられる。空気が違う。通勤中、思考力も上がる。そして、勉強も出来る。暗記力も冴える。夏はもうすぐ終わるが、気持ちはいつもサマータイムで過ごすようにすると、時間と体力を有効利用することができて、とてもいい。

集中力抜群の煎餅屋さん

昨日から教室を再開したので張り切って行こうとしたのだが、なんと腕時計の秒針が止まったままであることに気がついた。そこで、いつも電池交換をしてくれるところへ行った。今どき、昔風の時計屋ははやらないので、その店は煎餅屋も兼業している。
 行ってみると、時計屋には張り紙がしてあった。「目下、外出中」 煎餅を焼いているところを見ると、3人でひたすら煎餅をころがしながら、焼け焦げをつけている。時計屋は昼食に出たのであろうと思い、編物教室へ先に行き、3時間後に戻ってみると、「目下、外出中」のままであった、
 ついに、私は煎餅屋の女性を店頭に呼び出して、「いつ頃、戻って来られますか?」と尋ねると、「今、煎餅を焼いております。煎餅を焼いている時は、電池交換はしません。時計なら、お預かりしておきます」と答えた。
 奥を見ると、確かに時計屋が煎餅を焼いていた。煎餅の焼き加減を一律にするために、他のことは一切せず、集中力が肝要であることを初めて知った。

今日から授業再開!

2週間の夏休みが終わりました。今日から授業再開です。
 2016年1月1日から数えて、今日は237日目。あと129日、残っています。要するに三分の二が終わり、三分の一が残っているということです。
 さて、その三分の一をどのように使うか、どのように頑張るか、そして、どの程度、学習意欲を向上させて行くか。ひとえに本人自身の自覚にかかっています。
 タイ語の基本をおさえながら、応用にも挑み、あと4ヶ月でタイ語の学力を納得の行くレベルにまで上げてください。

坊やと公衆電話

一昨日(เมื่อวานซืนนี้)、目白駅改札口にある公衆電話(โทรศัพท์สาธารณะ)の横で人を待っていると、5歳位の坊やを連れたパパとママが私のすぐそばを通った。「ちょっと買い物して来るから」と言って、パパがさっさと行ってしまった。そこでママと坊やは歩くのをやめ、公衆電話の前に立ち、パパを待つことにした。
 すると、坊やが背伸びをしながら公衆電話の受話器(หูโทรศัพท์)をどうにかこうにか取り外し、「もしもし、もしもし」と言い始めた。「受話器が反対よ」とママが注意。私の視線に気づいたママはこう言った。「この子、いつでもこうなんです。電話が大好きなんです」
 最近の子供は幼児の時からスマホで遊んでいる。スマホさえ持たせておけば泣いていた子も黙る。だから従来の電話機にはもはや関心が無いのだと私は思っていた。駅で見た坊やにとって公衆電話は珍しいおもちゃ(ของเล่น)であった。古い機器で遊ぶ子供にもっともっと会いたい。