天明二年(1782年)創業の店

 私は食事を作らない。というと語弊があるが、家で食べないわけではない。言葉を補足するならば、時間をかける食事は作らないということだ。
 昨日、頼んでおいた佃煮が届いた。箱を開けると、折ったちらしが入っていた。「創業天明二年 おいしさ届けて 三世紀」と書かれており、さらに次なる説明が続いていた。
 「新橋玉木屋は、一七八二年、江戸片側町(現在の新橋)にのれを揚げて以来、三世紀にわたって、伝統の味・日本の味を守り育ててまいりました」
 私は1782年に注目した。バンコク遷都の年であり、現ラタナコーシン王朝が始まった年だ。日本では天明の時代であったということを初めて知った。
 そこで、天明時代を調べてみると、1782年=天明の大飢饉 1783年=浅間山大噴火 死者2万人 1784年=志賀島金印発見 1786年=田沼意次失脚 1787年=天明の米屋打ちこわし、等々。
 高校時代に習った日本史を思い出した。

大阪弁の力

 『小説一途』(田辺聖子・瀬戸内寂聴 著 角川学芸出版 平成22年)の中で、著名な女流作家二人が、「ユーモア小説を書ける才能」について対談している。
 瀬戸内=「田辺さんはユーモア小説がうまいわよ」
 田 辺=「それは大阪弁の力やないかと。大阪弁で考えると、考え方は全部ユーモアになってしまうの。最後もいっこうにしまらへんのよ、笑ってしまって、そういうところがありますね」
 瀬戸内=「私は徳島の出身だけど、大阪に近いものがある。徳島は昔から大阪の文化が入ってきてますからね」
 第153回芥川賞の栄冠に輝いた又吉直樹氏の『火花』。私はまだ読んでいない。だが、彼は大阪の寝屋川市出身だそうだから、彼の文章を読んでみたくなった。いろいろな方達の書評を聞いていると先入観が入ってきてしまうので、早く読まないと……。

高校生、タイから帰国

 昨日、706号教室にいると、玄関扉のブザーがピンポンとなった。授業がある時間帯ではなかったので、セールスの人かと思い、インターフォンに出た。セールスなら、即、お断りだ。ところが、そうではなかった。
 「あのー、昨年お世話になった高校生です。タイから帰国しました」
 それを聞いて、私はすかさずドアを開け、彼を教室に招き入れた。泰日文化倶楽部で昨年2月から7月までタイ語を勉強し、8月からタイの高校に留学していたK君だ。
 「一週間前に帰国しました」
 「えっ、もう1年が経ったの?」 とにかく時間があまりにも早く過ぎたことに私はびっくり。
 彼を806号教室へ誘い、「タイ語中級 土曜日14:00」の会話クラスに参加させた。タイ語に接する時間を彼に持たせたかったからである。
 タイ人講師の彼に対する評価は、「発音がいい」、ということであった。楽しい高校生活をタイで1年過ごしたK君。これからの人生に絶対にプラスになったにちがいない。

鈴虫の音

 5月末に生徒がさんから頂いた鈴虫の赤ちゃん。それが今では立派に成人し、堂々たる姿になった。そして、数日前から鳴き出した。
 だが、私の耳には最初の鳴き声が「ガーゴーガーゴー」と聞こえた。変な声にがっかり。
 しかし、それはほんの最初だけ。次第に鈴虫らしい鳴き声に変わり、「チンチロリーン」。
 籠の中には8匹くらい住んでいるが、互いに声を競い合い、すばらしい饗宴となっている。
 鈴虫の成長過程を観察しながら、それをタイ語教室にも当てはめてみた。
 最初はなかなか発音が出来ない。しかし、クラスの仲間で互いにいい意味で刺激し合えば、だんだん調子が出てくる。そうあってほしい。

或る繋がり(2)

 昨日、韓国語クラスの仲間のことを書いたが、今日もその流れで…..。
 去る5月、韓国語クラスのKさんからメールが送られてきた。
 「義母の葬儀の際、主人の従兄夫婦が来ました。いろいろと話しているうちに、その従兄の奥さんが吉川先生にタイ語を習ったことがあると言ってました。覚えてらっしゃいますか?」
 「もちろん覚えておりますとも。姓が非常に珍しいお名前でしたから」と私は返信した。
 すると、Kさんから再度、メールが有った。「彼女、今ではタイ語を教えているそうですよ」
 それを知って、私としてはあれあれ?と思ったが、タイ語教本の自費出版をなさってもおられるようだから、彼女の積極性に脱帽。
 いずれにせよ、韓国語の仲間達を通して、タイ語との繋がりが見え隠れするのが、私には不思議でならない。

或る繋がり

 昨日、韓国語クラスの打上げが有った。韓国語クラスは月に1回、教室をお貸しするというかたちで続行している。3年前は、生徒数が8名であったが、その後、次第に減って行き、今は私を含めて4名だけ。
 昨晩の食事会には、現在、休学中の生徒さんが一名、参加された。彼女は数十年前、上智大学でタイに関する歴史と考古学を学び、ゼミで黄金の三角地帯にも行かれたそうである。
 「学生の時に、真面目にタイ語を勉強しておけばよかったわ。語学は若い時に頑張らないと駄目ね」、と彼女。
 いろいろと話している中で、お住まいを尋ねると、上野毛であることがわかった。
 「友人が亡くなったので、先月、お通夜と告別式で上野毛教会へ行きました」、と私。
 すると、彼女は上野毛教会所属のクリスチャンであると教えてくださった。友人のご主人のことはご存知なかったが、名前をお教えすると、「あら、私の旧姓と同じだから覚えやすいわ。じゃあ、今度、その方にお声をかけてみますね」と、彼女は言った。
人と人との繋がり。不思議な縁である。
 
 

27 と 30

 昨日、2通の手紙を出しに新宿郵便局へ行った。家から貼って行った¥82円の切手(แสตมป์)だけで果たして足りているか否かが心配だったからである。郵便局員に重さを量ってもらうと¥92。やっぱり、不足だ。先方様にご迷惑をかけずにすんだのでやれやれ。
 追加の切手を買いながら、ふと近くを見ると、年賀はがきの当せん番号を知らせる紙片が置いてあった。ここ数年、当たっていてもわざわざ取りに行ったことがない。ほんの数枚しか当たらないからだ。干支の切手の絵柄にも魅力を感じない。
 因みに、3等の当せん番号は、下2桁が、「27」と「30」。少々、暇を持て余しているので、今年もらった年賀状をもう一度、見直しながら、この2つの数字を探してみることにしようか。それよりも、書き損じの年賀状や未使用のはがきを¥5を払って交換しないと、たまる一方である。
 いずれにせよ、郵便局へ行くのは面白い。人間模様がよくわかるからだ。ところが、私の家の近くに在る小さな郵便局に今月初め、なんと強盗(โจร)が押し入った(บุกรุก)。くわばら、くわばら。

新人講師と泰日文化倶楽部

 新人講師であるピカピカ先生は23歳。6月17日から出講していただいているので、そろそろ1ヶ月になる。タイ語を教えるのは初めて。そのため、発音を中心にやっていただくことにし、授業の展開と文法の説明は私がやっている。真面目に頑張ってくれているので一安心だ。
 帰る時はいつも一緒に帰る。高田馬場駅のホームに立って電車を待ちながら、昨晩、私は次のように言った。
 「泰日文化倶楽部はそろそろ満27歳。あなたは23歳。ということは、あなたが生まれる前から、私は高田馬場でタイ語教室をやっていたことになるわね」
 赤ちゃんどころか、影も形もなかったタイ人が、今、こうして私を手伝ってくださっている。なんとまあ有難いことか。
 タイに関わってから46年。泰日文化倶楽部の講師達よりも私のほうが古き良きタイを知っている。しかし、郷愁にひたっているだけではいけない。未来に向かって進もう!

夏休みのお知らせ

 泰日文化倶楽部の夏休みについてお知らせいたします。ここ数年、猛暑続きなので、今年は思い切って夏休みを2週間、もうけることにしました。8月7日(金曜日)から20日(木曜日)までの2週間です。約27年間、タイ語教室として実働してきましたが、こんなこと初めてです。
 理由はいろいろ。大きな理由は、タイへ旅行される生徒の皆さんが多いということ。とてもいいことです。今年3月に帰国されたアイス先生の結婚式もあることですし。
 会社が休みだと、夜の授業のために、わざわざ家から出かけて来るのが億劫だという方達もおられます。その気持ち、よくわかります。
 最近、泰日も高齢化してきておりますから、高齢者達の健康にも気遣いをしなければなりません。救急車を呼ぶわけにもいきませんから。
 お子さんがいらっしゃる主婦達はお子さんと出かけたいですしね。
 というわけで、2週間、お休みいたしますが、私は休めません。タイ人がホームステイに来ますから。

校正ミス

 本を読んでいると、ほとんどの本に校正ミスがあることに気づく。一昨日、購入した『鴨居玲 死をみつめる男』(長谷川智恵子著 2015年)の中にも有った。
 「玲さん。貴方は、その時どきの‟自画像”や、数々の‟静止した刻”を、私達に残してくれました。これからも、それ等の作品が私達をゆすぶり、励まし続けてくれましょう。私達は、貴方の絵によって、独り生きることから、救われるのです。あとがとう、玲さん」
 上記の文章は鴨居玲に対する親友の弔辞である。本の最後のほうに出てくる。感動を持って読んできたのに、<あとがとう>はない。ああ、どうして、もっと校正を数人の目できちんとしなかったのであろうか。「ありがとう」という言葉はあまりにも当たり前すぎて、誰も注視しなかったに違いない。
 何故、そのように言うかというと、私自身が校正を何度もやったことがあるものの、100%、完成を見たことがないからだ。著者達の残念な気持ちが痛いほどわかる。校正作業、恐るべしかな。