北千住 → 北干住

 一昨日、ネットでニュースを見ていると、「北千住が北干住に」という見出しがあった。一体、何のニュースかと思うと、駅のホームにかかげられている駅名を入れたボードの中のひとつが、<千>と書くべきところ、<干>の漢字になっているという指摘が通勤客からあったという内容だ。
 なるほど、大勢の乗客は、毎日、全く問題視しないまま、乗降していたということになる。誤字を見つけた方は時間に余裕があったか、あるいは、漢字に敏感な方だと思う。
 私も以前、同じような経験をしたことがある。以前、本を書いた時に、本の背表紙に書かれた本のタイトルが、『タイ語会話』と印刷されているものだとばかり信じ込んでいた。しかし、出版してから1年半後に、生徒から指摘が有った。『タイ語会語』となっていますよ、と。彼女は校閲の仕事をしている方であったので、プロとして、すかさず気づいたわけだ。
 我れ関せず、当たり前、いつも見慣れている、といった状況においては、あまりにも無神経になりすぎている。
 暑いことは暑いが、この猛暑の中で、字の誤りを見つけるために街を探索するのも、案外、面白いかもしれない。

記憶を育てる

 今年5月に亡くなった詩人の長田弘氏が著した『なつかしい時間』(岩波新書 2013年)の中に、「記憶を育てる」という項目がある。次なる引用は、結末の文章である。
 「人の考える力、感じる力をつくってきたのは、つねに記憶です。けれども、もっぱらコンピューターに記憶をゆだねて、自分を確かにしてゆくものとしての生きた記憶の力が、一人一人のうちにとみに失われてきているように見える今日です。あらためて、人間的な記憶を日々に育ててゆくことの大切さを、自分の心に確かめたいものです」
 長田氏は、こうも言っている。「自分の記憶をよく耕すこと。その記憶の庭にそだってゆくものが、人生とよばれるものだと思う」
 語学だけ出来ても、別にたいしたことではない。人間的に成長をとげるためなら、他に方法がいくらでもある。だが、外国語が好きな方は、一つの外国語に取り組み、その国や人々を知ることによって、もっと学習意欲を掻き立て、さらに前向きになる。単語から表現へ、表現から文章へと進んでいけば、外国語はどんどん面白くなる。単語だけの単なる記憶ではなくて、学習する過程において、文章構成力をつけながら、自分をよく見つめるということが大切であり、それが人生となっていくのであろう。

ฎ (ドー・チャダー) というタイ文字

 7月もそろそろおしまい。私はいつも、その月の名称を生徒にタイ語で書かせているが、月名を正しく書ける生徒は少ない。それだけ難しいということか….。
 7月は、กรกฎาคม(カラッカーダーコム)。ฎ(ドー・チャダー 冠)の文字を使った単語は、初心者が使うテキストにはなかなか出てこない。例:กฎหมาย(法律)
 辞書を引くと、この文字が単語の頭に使われる単語は、たった一つだけしか挙げられていない。すなわち、ฎีกา(ディカー)=直訴。
 タイでは、直訴の手法が昔から有り、王宮の門前の銅鑼を叩いて、王様に直訴していた。日本でも農民や町民の苦しみを見て、あるいは、不条理な世の中に耐えかねて、直訴した話が有る。
 今はいくら何を言おうが、その声は虚しくかき消されていく。お上はもっと一般の人々の良識ある声を聞くべきだ。

明治時代の留学

 『竹内 好 ~ある方法の伝記』(鶴見俊輔著 岩波書店 2010年)の中で「留学」について、次なる記述が有った。
 ー 明治に入ると、全五百七十例のうち清国が四例、香港が一例あるだけで、あとはすべて欧米である。その後、明治、大正。昭和と、海外留学の行く先は主に欧米にかぎられていた。陸軍から朝鮮にむけておくられた留学生はあったし、アジア諸国にむけての留学生は、国策の都合上、試みられてはいたが、それほど日本の青年の希望するところではなかった。欧米先進国の文明にまなぶのが、官民ともに望むところだった。そして、官費留学生の目標は欧米諸国にならって日本国家の富をまし、勢力を大きくすることにあった」
 この内容は誰しもが首肯する点であるから、今更、批評を加える必要もない。だが、もしも、アジア諸国に留学した青年が多ければ、そして、アジアへの正しい理解が明治の頃からなされていれば、日本の近代史は違った方向に向かっていたのではなかろうか。
 いずれにせよ、最近は日本の大学生のアジア留学が盛んになってきた。アジア諸国で多くのことを学び、その学んだことが、将来、国際関係において、大いに役立つことを願う。

「第99回アジア女性のための生け花教室」

 7月25日、「第99回アジア女性のための生け花教室」を実施した。2007年1月から無料開講して8年半。タイ人的に考えると、「第99回」はおめでたい数字だ。
来月はいよいよ第100回を迎える。
 一昨日の参加者には台湾からの女子留学生が入っていた。可愛いくて、素直な女性だ。日本滞在中に日本の文化を少しでも身につけてくれれば、それだけで嬉しい。
 この日、生けた花の名前は、太藺(フトイ)と河骨(コウホネ)。太藺は、畳表をつくる藺草に似た植物。形は全然太くなくて、すらりとした細身(ほそみ)。一方、河骨は、スイレン科なので、葉っぱは睡蓮の小型版。根茎が細くて白いので、<骨>という漢字が当てはめられたようだが、聞いただけでは、どことなく気持ちが悪い。
 しかしながら、太藺と河骨を生けると、涼が感じられた。生け花っていいなあ。

映像作家

 昨晩、根岸の精進カレー料理店「オンケル」へ行った。屋上で隅田川の花火大会を見るためである。近くにタワー・マンションが建ったために、花火は少ししか見ることができなくなったらしい。だが、東京スカイツリーと花火の両方を見ることができ、大満足。
 集まって来たお客さん達は約15名。オンケルの店主のお兄さんも参加。彼と私は3歳違いだから、話がよく合った。
 「小さい頃からバスに乗って浅草へ行き、映画館で映画ばかり見てました。映像美に惹かれて、今の職業があります」
 彼は世界遺産を撮影する映像作家だ。幼い時の体験がいかに大切であることか!
 昨夜の集まりではまたまた偶然にも同郷の人に会った。これまでにも2回ほど会ったことがあるが、出身地までは知らなかった。私よりも10歳年下。丸亀の話でもちきりになった。

東京オリンピック2020まで、あと5年

 昨日は、東京オリンピック2020まであと5年、というニュースで持ち切りだった。そして、今日のインターネットを見ると、「あと1826日」と出ている。
 5年という時間は長いのであろうか? それとも短いのであろうか?
 5年間、死にもの狂いで勉強すれば、希望の職種の資格が取れるはず…..。
 5年間、真面目に働いて節約を心がければ、まとまった貯金ができるはず…..。
 5年間、運動をきちんとすれば、健康な体を維持できるはず…..。
 5年間、タイ語を学べば、難易度の高い語彙が増えるはず…..。
 個人個人の意識と努力にかかっている。

鶴見俊輔氏の訃報

 夜中3時頃、いつも目を覚ます。スマホで「今日のニュース」をチェックすると、哲学者の鶴見俊輔氏の訃報が目に飛び込んできた。93歳だから、天寿を全うされたことに違いはないが、ああ、残念。
 鶴見氏の著作は実に読みやすく、かつ、面白い。読んでいると、さらなる興味を覚え、世界が広がる。彼自身の出自、体験、経験、及び、交友の幅が、並みの人間とは桁外れているからであろう。だが、彼は市井の人に向ける眼も優しい。毎日の出来事が、そして、すべての人々が彼の視界の中におさまる。『隣人記』(鶴見俊輔 晶文社 1998年)の中に彼はこう書いている。
 「私は今七十歳をこえて自分の教養をふりかえると、生徒として学校にいた時間は十一年半にすぎず、教室よりも座談が、私にとっての教育の時間だった」
 『鶴見俊輔座談/全10巻』(晶文社)のちらしを引用すると、「思想は対話に始まる。会って話した50年、200人。これは、まれにみる人物事典であり、比類ない哲学事典であり、心の手引きである。二十一世紀を生きる思想の種子がここにある」
 夏休みに読もう!

老美女

 一昨日、新宿から山手線に乗ると、優先席にとても美しい女性が坐っていた。たまたま彼女の隣りの席が空いていたので、座ってみた。するとその女性が私に話しかけてきた。
 「お暑いですね」、と。私は軽く応じた。「そうですね」
 「私、84歳なの」、と彼女。私は驚いたような仕草をした。しかし、本当に驚いたことは事実。老美女だったから。
 「私、77歳まで働いたんですよ。エステは40歳からずっとやっておりますの」
 「何のお仕事をなさっておられたのですか?」、と私。
 「看護師です。40歳から学校へ行って、資格(คุณวุฒิ 又は คุณสมบัติ)を取りました。定年退職(เกษียณ)後も、仕事はいっぱい。面接すると、明日からすぐ来てくださいと言われたのよ」
 大粒のエメラルド(มรกต)の指輪が美しかった。もちろん、洋服も緑。色合わせがすばらしい。林住期に入った彼女には余裕が見られた。

同郷

 昨日、上智大学で期末試験を実施した。学生達は時間内に答案を出して教室を出て行った。すると、入れ替わりに知らない男子学生が2名、教室のドアを開け、私に入室の許可を求めた。私は快諾し、彼らと少しだけ会話した。私は一人の学生のアクセントがやや関西風であることに気づいた。
 「あなた、関西出身?」
 「四国です。香川県」
 「香川県のどこ?」
 「丸亀です」
 それを聞いた途端、私はすぐに讃岐弁に切り替えた。彼と私は高校が異なっていた。したがって正確には私の後輩ではなかったが、とても親しみやすい青年であった。
 「東京に来てよかったです。いろいろな人に会えましたから」
 その意見には同感である。他県出身の友人を持つことは大切。上智大学だと、世界各国から来ている学生と交流ができる!