やっぱり英語

 先日、授業が始まる前に生徒の一人と話をした。彼はこう言った。
 「やっぱり英語の勉強が必要だと思います。企業の場合、いつ外国人の社長がやって来るかもしれない時代です。<さあ、今日からは英語で会議をしましょう>と言われてでは間に合いません」
 私は彼がどこに勤務しているのか知らなかった。彼は私に名刺をくださった。それを見て驚いた。有名な製薬会社の名前の中に、財閥系の名前が入っていたからである。統合されていたことを初めて知った。
 彼はさらに続けた。「さらなるビッグな会社が統合してくるかもしれません」
 新聞を読むと、アベノミクスの恩恵を受けた会社といえども、収益において明白なる上下がついているという。とすると、さらなる弱肉強食が繰り返されるというわけだ。
 タイ語はマイナー、英語はメジャー。しかし、タイ語を勉強する方達はビジネスとはそれほど関係が無いから、のんびり、楽しく勉強しようではないか。何語を勉強しても、語学センスはつくと思う。

和紙絵作家

昨日、アジア雑貨店「エイジア・パニック」の店主に誘われて、上野の都美術館で開催されている「第40回 太陽美術展 ~フランス官展ル・サロンとの交流~」を観に行った。そこで和紙絵作家と談笑する機会を持った。油彩やアクリル画が多い中で、和紙の作品は和み(なごみ)を与えてくれるような気がした。
 「母が亡くなった時、イメージがわいたの」と、初老の作家は言った。絵のタイトルは「星のゆりかご」。
 話をしていく中で、彼女がアメリカに住んで、アメリカ人に和紙絵を教えていたことがわかった。
 「アメリカの何州に住んでおられたのですか?」とたずねると、「オハイオよ」と答えた。
 私はさらに「オハイオのどこですか?」と訊くと、「コロンバスです」とのこと。
 オハイオには兄夫婦が住んでおり、義姉は和紙を使ったアートをやっているので、和紙絵作家にものすごく親近感を覚えた。彼女は和紙をたくさん蒐集しておられ、和紙を保管するためにわざわざ古民家を借りて、そこに作品も保存しておられるそうだ。

授業が面白くないという大学生

昨日、大学の講義が終わったあと、男子学生が私に近づいて来て、こう言った。
 「専門の授業が面白くないっすよ」
 「じゃあ、タイ語は?」
 「面白いっす」
 私は助言した。「教授はその道の専門家です。長く研究をして来られた方なのですから、授業が面白くないとか言わないで、しっかりと聴いてください」
そうは言いながらも、私は内心、彼が私の授業を愛してくださっていることが嬉しかった。今年4月に初めて会った時からすねたような態度を取っている彼に対して、私は根気よく彼を褒め続けてきた。その効果は彼のタイ語の発音にてきめんに現れてきている。とても上手になってきたのだ。嬉しい。

角度・視点の違い

「地方自治法施行60周年記念シリーズ」という記念切手の中で、今年9月10日に売りに出されたのが香川県の切手であった。昨日、新宿郵便局へ行った時、10シートを買った。同郷の友達にもプレゼントをしようと思って。
 香川県の切手は、①栗林公園 ②丸亀城 ③琴弾公園の銭形砂絵 ④平賀源内エレキテル ⑤小豆島のオリーブの5種類。
 丸亀出身の私としては、丸亀城の写真が気に入らない。何故ならば日頃から親しんでいる構図とはかなり異なっており、丸亀城の特徴である扇形の石垣の美しさが全く見られないからである。
 写真の提供元は丸亀市となっているが、写真を請け負った会社、そして、写真を撮った人は丸亀とは関係ない人であろうと想像する。
 いずれにせよ、角度や視点が異なると、趣きも風情も皆、変わる。ものごとを360度、じっくり見ることはなかなかできない。他者の視点も参考にすべきところだが、凝り固まった頭を溶解するには時間がかかりそうだ。

水嚢

 和紙で有名な埼玉県小川町のことをネットで調べていると、この小川町は和紙のほかに、地場産業として、絹織物、建具、日本酒、鬼瓦、そして、水嚢があることを知った。
 水嚢(すいのう)? 恥ずかしながら、どんなものか知らなかった。水嚢とは、「エゴの枠木に竹を編みこんで作った竹ざるで、そばやうどんの水切りをする」ところの厨房用品であることがわかった。
 水切りなら知っている。だが最近では竹ではなくて、金網タイプのものばかり。昔の名称を知って、少し賢くなった気がした。
 ついでに加えて言うならば、「背嚢」という言葉に関してはまだまだ知っている。だが、若者達はわからないだろうなあ…。何故ならば今ではリュックとか、バックパックと言っているからである。
 しかし、この背嚢という単語は兵隊や戦争と連動して時代錯誤的イメージが強いので、使わないほうがいいかもしれない。

銀杏

昨日、新潟から上京された方から銀杏をいただいた。100粒ほど入ったパックは200円也。安い!彼女は銀杏の殻を割るための専用ペンチまでも持参しており、割り方を実演してみせてくれた。そして、割った銀杏を茶封筒に入れて、それを40秒間、電子レンジに入れれば出来上がり、とも教えてくださった。
 銀杏の漢字は読めるようで読めない。何故ならば、「ぎんきょう」と読んでしまいがちだからだ。調べてみると、「ぎんなん」は、「ぎん+あん」が連声化のために、「ぎんなん」となったそうである。実が杏子に似ているので、そして、白いので、「銀+杏」から「銀杏」になったそうである。「観音」が「かん+おん」から、「かんのん」になったのと同じだ。
 明治・大正時代の小説では、「公孫樹」という漢字を目にする。これまた調べた情報によると、いちょうの木は、植えてから25年以上経たないと実をつけないので、中国人は孫のために植えておくそうである。
 また、中国では「鴨脚樹」とも書き、「鴨脚」の発音<ヤーチャオ>が、日本に入ってからは<イチョウ>になったということも知った。単語の由来を調べてみるのは面白い。

11月の退会者

今年もあと1ヶ月半を残すのみとなった。
 8月から入会されたI御夫妻が今日で退会される。そして、12月にはタイへ出発とのこと。わずか3ヶ月だけの勉強であったが、お二人ともクラスにとけこんで、とても楽しそうにしておられたのが印象的である。タイでのお仕事の御成功を祈願し、なおかつ、タイを好きになっていただきたいと思う次第である。
 かなり前の生徒さんからメールを頂戴した。赴任する前に、泰日文化倶楽部でブラッシュ・アップをしたかったが、時間がとれないままあわただしくバンコクにやって来てしまったこと、そして、不動産関係の仕事をしているが、想像以上にややこしいことが多いことが書かれてあった。しかし、彼なら諸問題をきっと克服できると思われる。
 いずれにせよ、タイでの仕事となると、自由会話ですまされるわけではない。書類を正しく読むという作業が50%も占めてくる。したがって、時間が有る時にこそ、翻訳能力も培っておく必要がある。

11月の入会者

今週、2名の入会者が有った。
 先週、見学された男性が、3つのクラスを見学後、「タイ語中級 水曜日15:00」のクラスがご自分にとっては最適だとお決めになられた。
 彼は82歳の紳士。泰日文化倶楽部にとっては最高齢者をお迎えしたことになる。
 70歳から80歳まで、バンコクでタイ語を習っておられたということで、語彙力はすばらしい。泰日文化倶楽部でこれから90歳まで学ばれ、タイ語力をさらに増してほしいものだ。
 昨日は、元気な女性が入会された。来春、駐在員の御主人が待つバンコクへお子さんと一緒に行かれるそうだ。お勤めも持っておられるようだから、木曜日の午後、早退して個人レッスンを受けることになった。
 タイ人講師の感想を伺うと、音感がものすごく良い方だそうだ。今から15回くらい、すなわち、約20時間、タイ語の発音と基本文型を習っていかれるだけでも、タイの生活は相当に前向きになれる。

神学生の祈り

タイ語を習っている学生の中に神学生がいる。彼は朝5時半に起きてお祈りをし、それからミサに出るそうだ。
 「来年は3年生ですか?」と私が問いかけると、彼は答えた。「いいえ、休学します」
 私は彼が留学するのだと思った。しかし、違った。休学して、外界との関係を絶ち、ひたすら祈りの時間の中に自分を置くとのこと。
 それを聞いて、私はそれ以上の質問をやめた。そして、我が身を恥じた。
 社会に出て45年半、ひたすら働き続けてきた。満員電車に乗って、鞄の持ち手を壊しながらも、電車に乗った…..。
 彼のように、20歳で1年間、俗界と離れ、祈ることをしなかった。40歳も、60歳も休みなく働いた。
 祈る時間と空間、それらは大切だ。そう思う。

アメリカ在住の太陽君からメール

 アメリカ在住の太陽君からメールが届いた。メールの内容を要約して起承転結の形式で書くと、次のようになる。
(起)先生の学校はいかがですか? 
(承)アメリカのデンバーは怖いところだと思って留学して来たけれど、アメリカ人はフレンドリーです。アジア大陸からの学生は一人もいません。日本人もいません。僕は大学に於いては、”rare species”です。
(転)ここの白人はタイのことを、台湾の首都だと思っています。アホみたい。僕は必ずや、また日本に戻り、日本で勉強したいです、
(結)来年の夏休み、東京に立ち寄りますから、どうぞよろしく。鰻丼が食べたいです。
 一昨年の夏、太陽君が私のところでホームステイしていた時に、私は彼に対してシアトルにある大学を勧めた。アジアの人がたくさんいるから、アジアの料理が食べられると思ったからである。しかし、彼はあえてデンバーを選んだ。アジアの人がいないほうを…。そして、彼は今、アメリカの大自然を愛し、とても幸せである。