ケッタイな人

『なにわ魂 -したたかに生きのびる知恵』(藤本義一著・講談社 1998年)の中には、<ケッタイな人>という言葉がぎょうさん、書かれている。
 「大阪という土地から芽生える思考と表現はたしかにケッタイである。ケッタイは怪体であり、怪態であるというが、この奇妙さは決して意識して生まれたわけではない」と藤本氏はのたもうておられる。だが、念のためグーグルで調べると、「けったいとは、けたい(卦体)とか、きたい(希代)が変化したもので、不思議なさま、奇妙なさま、世にもまれな様子を意味する」とのこと。
 さて、この書の中に、なんと藤本氏がチェンマイの農村で感心したことが書かれてあった。それを要約すると、こうである。
 わずか1.5m²の水溜りに釣糸を垂れている釣人のタイ人が実にケッタイな人に見えた。「阿呆なことをしている。釣糸を垂れて釣れるのを待つより、池浚いをしたほうがいいのではないか」
 と、おれは通訳にいったものだ。炎天下で小さな小さな溜池に釣糸を垂れているタイのおっちゃんが愚かに見えた。
 「五人の家族がいて、今、三匹の魚を釣ったから、後二匹釣ったなら帰るよ。池を浚えたら、たくさん獲れるかもしれないけど、それ、いけないです。無闇な殺生してはいけない」と、おっちゃん。
 藤本氏は釣人のタイ人の真意がわかり、恐縮せざるを得なかった。おれの考えのほうがケッタイだったことになる。と、タイで悟るのである。

ことば通じて、意味通ぜず

季刊誌『考える人』(新潮社 2011年冬号)の中に、今年6月に逝去された西江雅之氏(言語学・文化人類学者)の連載が掲載されていたので、古本屋で買った。題して、「ことば通じて、意味通ぜず」。
 西江氏がソマリアへ行った時の体験は実に面白い。「日本という所には羊はほとんどいないのです」と言っただけで、羊を食べて暮らしている土地の人々は次のように解釈したそうだ。「日本には既に羊がいないということは、食料が尽きてしまった土地なのではないか、そして、そうした土地から逃れて来た流れ者なのではないか」と受け取り、怪訝な眼で彼を見たとのこと。
 西江氏は「あの人は保守的だと言っても、具体的なことになると、その評価から他の人が思い浮かべることはまちまちである。だからこそ、<ことば通じて、意味通ぜず>なのである」とも言う。確かに、同じ日本人同士であっても、本当は20%くらいしか共有しておらず、あとの80%はてんでばらばらの解釈で済ませているような気がする。日本語でもこうなのだから、ましてや外国語となると、解釈度数や如何に?
 単語はなんとか通じても、真意が伝わらないということは一大事。情報や批評が多すぎる現代社会に於いては、もはや隣人、友人、そして、親類縁者ですらも、外国人だと思っていたほうが無難かもしれない。

ブロードウェイ・スターの声量

 昨日、渋谷の東急シアターオーブで「Prince of Broadway」を観た。泰日文化倶楽部の生徒さんから「是非観てください!」と推奨されたので、久しぶりにブロードウェイ本場のミュージカルを味わってみることにしたわけである。
 と言っても、切符は当日売り。有るか無いかわからないまま行ってみた。ところが、ものすごくいい座席が残っていた。それだけでもラッキー!
 私の隣りの座席の方も当日売りの切符を手に入れた方である。彼女が私に英語で話しかけてきた。失礼とは存じつつ、どこの国の方かと伺うと、香港だと答えた。もしかすれば、タイ人かなあと思っていたが、それははずれた。
 ミュージカル・スターの声量には圧倒された。毎日、声帯を酷使して大丈夫なのかしらと心配になったが、そこはプロ中のプロ。彼らはコントロールの仕方を身につけている。だが、健康でなければあれだけの声は出ない。美しい声を聞くということは何とすばらしいことであることか。命の洗濯をさせてもらった。

トン先生 来訪

昨晩、教室に嬉しい来訪者があった。今年6月で泰日文化倶楽部の講師を辞し、7月にタイへ本帰国されたトン先生が現れたのである。東京に出張に来られることは知っていたが、時間が無くて寄れないという話を生徒から聞いていたので、もうびっくりポン。いわゆるサプライズであった。
 髪を短く切り、顔の輪郭がくっきりとうかんで見える彼は精悍そのもの。さすが、世界的に有名な外資系に勤務しているだけのことはある。日本語を勉強していた時のトン君は学生にしかすぎなかったわけだが、今や日本に出張に来るエリート・ビジネスマン!
 しかしながら、私にとってはまるで息子が我が家に帰って来たかのような感じがして、とても嬉しかった。残念なことは、生徒達のタイ語力がそれほど増してはいなかったことだ。皆さん、トン先生を前にして、なんだか照れ気味。次回、トン先生に会った時は、皆さん、頑張ってペラペラしゃべり、学習成果を見せようではないか、絶対に。

言葉のシャッフル

 今朝、テレビを見ていると、<頭の体操>として、言葉のシャッフル(置き換え)の問題が提起された。
「あせめとち」は何でしょうか? 答えは「ちとせあめ」。
 では、以下の問題は何でしょうか?
 ① ちいたに ② かんちいたぶに ③ ぶくんちいたにぶから ④ ばのかただば
 タイ語でもトライしてみましょう!
 ① ทนคไย ② ทษาดพูภาไย ③ นาจิฤพศกย ④ ลัยวิหมาทาย ⑤ญี่นราอหาปุ่

タイ語の月名はお経を唱えるが如く覚えよう!

タイ語の語彙数を増やすには、とにかくガンガン、どんどん、覚えていくしかない。しかしそれが出来ないから、生徒の皆さんは自分が嫌になる。
 なかなか覚えてくれようとしないのが、月の呼称である。まずは自分の誕生月だけでも覚えてほしいものだ。
 だが、どんなに出来ない生徒でも、「8月は言えます。シンハーコム สิงหาคม」と言う。シンハ・ビールが好きだからだ。
 月名に関しては、もはやお経だと思って、唱えるしかない。
 「モッカラーコム・クンパーパン・ミーナーコム・メーサーヨン・プルッサパーコム・ミトゥナーヨン・カラッカダーコム・シンハーコム・ガンヤーヨン・トゥラーコム・プルッサヂガーヨン・タンワーコム」
 コムは大の月(31日)、ヨンは小の月(30日)、そして、2月は例外のため、パンが、それぞれの語尾に付くが、それらをはずして、次のように唱えてもいい。
 「モッカラー・クンパー・ミーナー・メーサー。プルッサパー・ミトゥナー・カラッカダー・シンハー・ガンヤー・トゥラー・プルッサヂガー・タンワー」
 <唱える>という漢字をよくよく見ると、5つの口が見えてくる。毎回、最低5回は連続して暗唱し、お経を唱える境地に達してもらいたい。

漢字の遊び・タイ語の遊び

 一つの漢字にもう一つ画数を加えると、全く違った意味の漢字になる。
 口→日、日→白 白→百、目→自、十→土、木→本、大→犬、大→太、皿→血、了→子、等々。
 では、タイ語ではどうだろうか。一字、加えると、やはり全く異なる意味になる。
 ชา(茶)→ ชาย(男)、ตา(目)→ ตาย(死ぬ)、ทา(塗る)→ ทาง(方向)/ทาน(食べる)、 ปิด(閉める)→ เปิด(開ける)、รอ(待つ)→ รอง(副)/รอบ(~周)、สด(新鮮な)→ โสด(独身)/สุด(末の)、ขน(運ぶ)→ ขนม(お菓子)、มา(来る)→ หมา(犬)/มาก(たくさん)、หมอ(医者)→หมอก(霧)、 มอ(牛の鳴き声)→ มอง(眺める)/โมง(~時)、มด(蟻)→ หมด(無くなる)、หอ(タワー)→ หอม(香りがいい)、等々。
 枚挙にいとまがない。時間があれば、漢字遊び、タイ語遊びはいかが?

不等辺三角形

 毎朝(ทุกเช้า)、テトラポッドに近い形をしたティ―バッグの紅茶を目覚まし代わりに飲む。三角形(รูปสามเหลี่ยม)はどことなく安定感を与える。
 街を歩くと、旧い建物(ตึกเก่าๆ)の場合は、窓枠に三角の筋交いが新たに付け加えられているところが多々見られる。目白駅も筋交い補強工事に入った。次なる地震(แผ่นดินไหว)に備えてであろう。
 そう言えば、華道講師がいつも強調して指導される点がある。
「小原流では不等辺三角形に生けます」
 正三角形はすっきりとしていて、それはそれで美しい。だが、不等辺三角形(รูปสามเหลี่ยมที่ด้านข้างไม่เท่ากัน)の中にこそ美が潜んでいるということだ。どこかいびつなところにこそ自然の奥深さ、そして、人生に通じる示唆が隠されているというわけか。

有気音 と 無気音 を練習しよう!

 授業をしていていつも思うこと、それは日本人にとって有気音と無気音の発音が難しいということである。発音している生徒達は何故、ダメなのか気づいていないようだ。
 今日は日曜日。のんびりと休日を楽しむ余裕のある方は、以下の文章を何度も発音してほしい。
① พ่อเพื่อนผัดผักเผ็ดๆแปดนาที
② ป้าไปปักกิ่งกับพี่สะใภ้ปีนี้
③ คุณกินกาแฟเย็นเก้าแก้ว
④ เขาเคยขายไข่ไก่ที่ขอนแก่น
⑤ ตอนเที่ยงเธออยู่ที่ไหน
⑥ ต้องตัดต้นไม้จนถึงวันอาทิตย์ 

寒天工房 讃岐屋 

一昨日、下落合駅近くの神田川沿いを散策していたら、「寒天工房 讃岐屋」という茶屋が目にとまった。食事を終えたばかりであったが、「讃岐」という文字にひかれて、店内に入った。寒かったので、ぜんざいを頼む。「少々、お時間がかかりますよ」と言われたので、店に置いてあるちらしを見て待つ。
 この店は創業大正三年(1914年)であった。したがって、もう101年が経っている。店主はおばあさん。
 そのおばあさんが工房の中からひょいと出て来たではないか。さっそく、私はたずねた。
 「あのー、讃岐屋というお店ですが、何故、讃岐ですか?」
 「わたし、香川からきたからです。50年前に」
 「わたしも50年前に、香川から東京に来ましたよ」、と私。
 その後は同郷人同士として、ものすごく気が合った。彼女はこのお店に嫁いで来たのであろう。
 私が彼女(76歳)に感心したのは、非常に丁寧な仕事をしていることであった。日本一の寒天造りに誠心誠意、邁進している姿に、私は学ぶものが多かった。