ケッタイな人

『なにわ魂 -したたかに生きのびる知恵』(藤本義一著・講談社 1998年)の中には、<ケッタイな人>という言葉がぎょうさん、書かれている。
 「大阪という土地から芽生える思考と表現はたしかにケッタイである。ケッタイは怪体であり、怪態であるというが、この奇妙さは決して意識して生まれたわけではない」と藤本氏はのたもうておられる。だが、念のためグーグルで調べると、「けったいとは、けたい(卦体)とか、きたい(希代)が変化したもので、不思議なさま、奇妙なさま、世にもまれな様子を意味する」とのこと。
 さて、この書の中に、なんと藤本氏がチェンマイの農村で感心したことが書かれてあった。それを要約すると、こうである。
 わずか1.5m²の水溜りに釣糸を垂れている釣人のタイ人が実にケッタイな人に見えた。「阿呆なことをしている。釣糸を垂れて釣れるのを待つより、池浚いをしたほうがいいのではないか」
 と、おれは通訳にいったものだ。炎天下で小さな小さな溜池に釣糸を垂れているタイのおっちゃんが愚かに見えた。
 「五人の家族がいて、今、三匹の魚を釣ったから、後二匹釣ったなら帰るよ。池を浚えたら、たくさん獲れるかもしれないけど、それ、いけないです。無闇な殺生してはいけない」と、おっちゃん。
 藤本氏は釣人のタイ人の真意がわかり、恐縮せざるを得なかった。おれの考えのほうがケッタイだったことになる。と、タイで悟るのである。