ことば通じて、意味通ぜず

季刊誌『考える人』(新潮社 2011年冬号)の中に、今年6月に逝去された西江雅之氏(言語学・文化人類学者)の連載が掲載されていたので、古本屋で買った。題して、「ことば通じて、意味通ぜず」。
 西江氏がソマリアへ行った時の体験は実に面白い。「日本という所には羊はほとんどいないのです」と言っただけで、羊を食べて暮らしている土地の人々は次のように解釈したそうだ。「日本には既に羊がいないということは、食料が尽きてしまった土地なのではないか、そして、そうした土地から逃れて来た流れ者なのではないか」と受け取り、怪訝な眼で彼を見たとのこと。
 西江氏は「あの人は保守的だと言っても、具体的なことになると、その評価から他の人が思い浮かべることはまちまちである。だからこそ、<ことば通じて、意味通ぜず>なのである」とも言う。確かに、同じ日本人同士であっても、本当は20%くらいしか共有しておらず、あとの80%はてんでばらばらの解釈で済ませているような気がする。日本語でもこうなのだから、ましてや外国語となると、解釈度数や如何に?
 単語はなんとか通じても、真意が伝わらないということは一大事。情報や批評が多すぎる現代社会に於いては、もはや隣人、友人、そして、親類縁者ですらも、外国人だと思っていたほうが無難かもしれない。