御嶽山噴火

27日の土曜日、生け花を習いに来ている生徒さんに「今日、何かニュース、有りましたか?」と尋ねると、「みたけさんが噴火しました」と言った。それを聞いて、「御岳山? 東京の?」と、半信半疑で訊きかえすと、「岐阜県と長野県のほうです」と彼女は答えた。
 さっそく、スマホでニュースをチェックすると、その山は「御嶽山(おんたけさん)」であった。歌にもある<木曽の御嶽山>だ。
 昨日、そろそろ10月だからと思って、教室の壁に架けてあるカレンダーをめくった。すると、10月の写真は、山の写真であった。そして、俳句が添えられていた。
 「信濃路や どこまで続く 秋の山」(正岡子規)
 この句からはとても穏やかな山々が想像できる。だが、自然は怖い。時には牙をむき出して襲ってくる。

見学者のタイ語力

最近、見学者が多くなった。見学者からの問合せに対しては、次なる文面を書いて、返信している。
「泰日文化倶楽部の補充募集欄の中から、ご関心のあるクラスを選び、予約なしでどうぞいらしてください。1コマに限り、無料です。ご見学、心より歓迎申し上げます」
 見学者といっても、タイ語の勉強が全く初めてではないという方が多い。私の返信に対して、今度はタイ語で書いて来られる方がいらっしゃるのを見ると、どこか他校で勉強しておられたのであろう。中には独学の方もいらっしゃるが、独学でかなりのタイ語力をつけているということは、よほど忍耐強い方と言える。
 だが、タイ語の勉強はタイ人に会い、タイ人の醸し出す雰囲気に接することも大切だと思う。是非とも入会されて、タイ人のなまの発音を耳に入れることをお勧めする。

二十歳になった花子さん

26日、仕事で出かけた場所の近くに、泰日文化倶楽部の生徒さんであるM子さんの職場が有るのを知っていたので、昼休みの時間に彼女を訪ねてみた。彼女の職場は高齢者の為の介護福祉施設だ。
 私の突然の訪問にM子さんはびっくり。本来であれば、彼女はオフの日であったが、仕事が残っていたために、休日出勤をしていると話した。
 将来の参考にと思って、施設の中を案内していただいた。デイ・ケアの方達はコーラス指導を受けていた。声を出すこと、音をたくさん耳に入れることはとてもいいことだ。
 その後、M子さんとランチをしたが、その際、彼女の娘さんである花子さんがつい1週間前に二十歳を迎えたことを知った。M子さんがプーケットにいる時、そして、花子さんが4ヶ月の時、私はプーケットへ行き、彼女を抱いてあげた。その花子さんは今、アウトドア・スポーツに熱中する活発な娘さんに成長しているとのこと。20年の歳月はあっというまであった。

高校生からの近況報告

昨日、タイへ留学した高校生のK君から近況報告が有った。彼は4月から7月まで泰日文化倶楽部でタイ語の基礎を学び、交換留学生として、8月からタイへ行った。2ケ月が経過し、やっと心の余裕が出きたようだ。
 冒頭で、泰日文化倶楽部で勉強したことがよかったことをきちんと書いているので、なかなかに良し!彼はとても礼儀正しい男の子であった。
 タイの高校ではたくさんの友人ができ、みんな、K君と写真を撮りたがっているそうである。日本語の授業も有り、日本人の先生もおられたようだが、つい先日、日本に本帰国したので、淋しくなったとのこと。
 いずれにせよ、地方の高校とはいえ、日本語キャンプや日本語弁論大会が有るので、それらに参加すると、他校の高校生とも友達になることができ、すでに人気の的になっているようだ。

「メークマイ」というタイ料理店

 生徒さんから、大塚駅近くにタイ料理店があることを聞いた。店の名前は「メークマイ」というそうだ。その意味は果たして何という意味だろうか? 
 まず思い浮かんだのは、「新しい雲 เมฆใหม่」。しかし、店の名前に「雲」がつくことはまず考えられない。日本のように、「東雲 しののめ」という美しい言葉が有るのとちがって….。
 HPに書かれているお店の看板を見ると、「แมกไม้」と書いてあった。これまで見たこともない単語なので、辞書を引くと、「木の枝」と書いてあった。「小枝」という単語なら、「กิ่งไม้」がよく使われるから、前者の場合は、おそらく文学的な表現なのであろう。
 いずれにせよ、カタカナで書かれたタイ料理店の名前は、タイ文字を見ないと、きちんとした意味がわからない。
 最近はタイ料理店が有り過ぎて、店の名前もどうでもよくなった。だが、この「メークマイ」という名前の店は、何やら可愛い感じがするので、行ってみよう。

健康管理を第一に!

先日、神田川沿いの小道を歩いていたら、一人の女性とすれ違った。彼女はヘッドホンをしており、音楽に聴き入っている様子であった。
 そのお顔に見覚えがあった。だが人違いだと失礼なので、黙って通り過ぎようとすると、今度は彼女のほうが気づき、私に反応した。1年前におやめになった生徒さんであった。
 「体調をこわしたものですから……」と彼女は言った。
 「そうでしたか。お元気になられたら、またいらしてください!」
 それだけの会話であった。
 彼女は英語を教えている先生だと聞いている。だから、タイ語の勉強をしておられた時も、語学に対するくいつき方がすばらしかった。彼女には是非、また、泰日文化倶楽部に戻って来てもらいたい。

フランス語講座の一時閉鎖

泰日文化倶楽部では、2年前からフランス語講座を開講してきたが、現在の講師が通訳の仕事で多忙になられたため、受講生と話し合った結果、一時閉鎖することにした。
 これまでに2名の講師に教わったが、最初はアルジェリア人を父に持つR先生。彼女は留学生であった。卒業後、フランスに帰国されたが、今は再度、来日し、大阪に住んでおられる。おしゃれなマドモワゼルだ。特にネイルに関しては、パリの一流デパートでもネイリストとして働いていたことがあったので、彼女のネイル・アートを見るのが毎回、楽しみであった。
 去年の10月から今年6月までご出講いただいたT先生はフランス人男性と結婚しているスペイン人。2児の母親として、子供の教育、及び、しつけに厳しそうであった。授業ではいろいろと工夫して熱心に教えてくださった。
 留学生の講師とは友達感覚で、そして、マダムの講師とは大人の女性同士という感じで楽しい時間を持った。フランス語はなかなか身につかなかったものの、フランスやスペインの話をたくさん聞くことができ、知識が増えた。目指すは、フランス人が持つエスプリ(機知)。これがわかるには、やはりフランスで住まないと…..。

軽く、速く、タイ語を話そう!

2ヶ月前から日曜日の午後、プライベート・レッスンを受講しているE子さんから、昨日、とても嬉しい報告が有った。
 それは、タイからの顧客とタイ語を話すことに大成功をおさめ、周囲の関係者からも一目置かれたそうである。
 彼女は言った。「なんとなくコツがつかめました。タイ語は、軽く、速く、話せばいいってことを」
 それを聞いて、私はすかさず呼応した。「そうなのよ。軽く、流れるように話し、一つの文章を一気に話してしまうといいですね」
 彼女はまたまた繰り返した。「軽く、速く! ゆっくり言っちゃだめなんですよね」
 彼女は泰日文化倶楽部のグループ・クラスにも入って、タイ語をもっともっと勉強したい意向だ。「タイへ出張に行かされるかもしれません。私、おしりに火がついたんです」
 「おしりに火がつく」という表現、タイ語では何と訳せばいいですか?

聞いてください vs  来てください

タイ人に日本語を教えること、昨日で第19回目。生徒は少しづつやる気が出てきたらしく、会社でも日本人の同僚に、英語ではなくて、日本語で話しかけてくださいとお願いしているそうだ。
 教えていると、日本人には思ってもみなかった質問が有って、なかなかに面白い。
 「聞いてください」と、「来てください」の発音の違いがわからないと言われた。どうやら、「聞いて」の「い」が聞きとれないようだ。
 そうだとすると、「着てください」、「切ってください」、「切手ください」もわからないのではなかろうか。日本語には声調ではなくて、高低の差があるが、単語が連結されると、その高低差が消されてしまうことがある。たとえば、「早稲田 わせだ」は、最初の「わ」が高いが、「早稲田大学」になると、すべてが平らな発音になってしまう。
 もう一つ、追加すると、昨日の自由会話で「替える、変える」が出てきたが、生徒は「帰る」しか知らなかったので、不思議そうな顔をした。要は、たくさんの文章を聞いて、それを反復するように暗誦し、実際の場面で使って覚えていくしかない。

アート(art) & アース(earth)

『思うままに生きて 工藤和彦回想録』(工藤和彦著 せんだん書房 2014年)を読む。工藤和彦氏は、泰日文化倶楽部に生け花を教えに来られている華道講師が心酔してこの上ない大師匠である。その工藤氏が米寿を記念してお書きになったのがこの本だ。
 本の帯を引用すると、こうである。「昭和の激動期を生き抜いた花道家の波瀾万丈のドキュメント。第二次大戦中に中国に留学、戦後は炭鉱技術者として青春を謳歌した著者を、いけばなの世界が待っていた。現代いけばな界の重鎮が回想する半生の記」
 私は工藤氏の作品を何度も拝見したことがある。そして、80歳を過ぎても、使われている花の色が益々華やいでおり、枯れるところを知らないのが不思議でならなかった。だが、御著書を読んで、その疑問が解けた。彼は若い時、中国で暮らし、中国文明を肌で感じ取っている。そして、炭鉱という墨色の世界で働いた後、いけばな界にデビューするわけだが、エジプト、南米諸国、そして、インドを旅行し、それぞれの文明、かつ、諸文明が放つ独特の色を深く吸収しておられる。
 工藤氏の芸術(アート)は、地球(アース)規模である。よくよく見ると、”art” という文字は、”earth”→ ”e-art-h”の中に見え隠れしているではないか! アート(芸術)はアース(地球)の中にあってこそ、花開く。