ขี้ร้อน(暑がり) ขี้หนาว(寒がり)

昨日、個人レッスンのご指導を16時半からD先生にお願いしていた。先生が来られる前に教室を暖かくしておこうと思い、706号教室に行くと、D先生はすでにホワイト・ボードの前に坐っておられた。
 「寒いでしょうから、ヒーターをつけてください。そして、足元にも電気ストーブをつけてくださいね」と、言うと、彼女は、すかさず言った。
 「ฉันเป็นคนขี้ร้อน พ่อก็ขี้ร้อนค่ะ 私、暑がりなんです。父もそうです」
 したがって、ヒーターはつけず、足元用のストーブだけ、生徒さんの方に向けて勉強した。
 その他のタイ人講師達の中には、極端に寒がり(ขี้หนาว)がいる。その先生はいつもストーブが離せない。同じタイ人でも、皮膚感覚が違うわけだ。
 そう言えば、タイ人であっても、タイ料理に郷愁を示さない先生がおられる。
「タイ料理、食べたいと思わないの?」とたずねると、「辛いもの、好きじゃないんです」、という返事であった。
 なるほど、タイ人すべてが辛い料理を食べているわけではないんだ。「日本料理が好きです。卒業後は日本で働きたい」と言われると、不思議な気分ではあるが、応援したくなった。

親孝行なタイ人女性

昨日は滅茶苦茶な天候であった。江東区まで仕事に行くことになっていたが、風が強くて(ลมพัดแรง)、非常に歩きにくい(เดินลำบาก)。したがって、地下鉄を利用して行くことにした。新宿三丁目で都営新宿線に乗り換えると、ホームからタイ語が聞こえてきた。老父、老母、そして、娘さんの3人であった。
 老父も老母も杖(ไม้เท้า)をついている。娘さんがガイドしているのはすぐに分かったが、彼らは果たしてどこへ行くのであろうかと思ったら、九段下で降りた。九段下から半蔵門線に乗り換えて、東京スカイツリーへ行くのかもしれない。
 娘さんは日本人と結婚して東京に住んでいるみたいだ。てきぱきとした行動から、それが感じとれた。娘に会いに来た老夫婦が東京見物をしている。だが、お二人とも杖に頼らなければならないのが痛々しい。おそらく来日できるのはこれが最後になるかも….。 娘さんの内心や、いかに?

ง่ายๆ (簡単、簡単)という単語

昨晩、「タイ語初級 木曜日19:00」のクラスで、テキストの中に次なる表現が出てきた。
 เอาไปญี่ปุ่นลำบาก 日本へ持って行くのは厄介だ。
 เอาไปญี่ปุ่นง่ายๆ日本へ持って行くのは簡単、簡単。
 ลำบากは、厄介、面倒、難しい、などの意味が有り、 ง่ายは、簡単、易しい、という意味があるが、いずれも良く使う形容詞であり、副詞でもある。
 授業中、いつも思うことは、日本人にとって、ง(ng)で始まる単語を発音するのがとても難しいということだ。
 昨晩、出席された生徒の中で、この発音が全く不得手であると自覚しておられる方がいた。彼は、เงิน(お金)も、 งาน(仕事)も、単語としては嫌いだそうだ。何故ならば、発音ができないから。
 そんなこと言えば、ง่วงนอน(眠い)の発音も難しいということになる。ง่ายๆ(簡単、簡単)というタイ語も、これまた、発音は非常に難しい。

目標は段階的に新たに決めていこう。

 昨晩、タイ語がとてもよく出来る生徒さんと話をする時間が有った。彼は多忙な方なので、出席日数が少ない。
私:「来年もいらっしゃいますか?」
彼:「はい、来る予定です。しかし、タイ語を習う目標が無くなりました」
私:「目標? それは、その都度、新たに作っていけばいいのではありませんか? もう習うことは無いということは決してありません。しっかり勉強して、知的レベルの高いタイ人をやりこめるくらいになってください」
彼:「そういうタイ人とは英語で話しますよ」
私:「いいえ、タイ語で押し通し、ここぞという時に、タイ人を敬服させてください」
 勉強する目標が無くなったと感じるならば、やめたほうがいいかもしれない。しかし、角度を変えて目標を探せば、まだまだいくらでもある。「勉強」という山は、富士山よりも、エベレストよりも高い。どこからでも登って行くぞという気迫、それが目標設定に通じる。
 

生後45日の赤ちゃん

昨日、銀行(ธนาคาร)の前で若いお母さんが生まれたてに近い赤ちゃんを片手で抱いている。あらあら危ないと思ったら、もう片方の手は2歳の女の子の手を引いていた。
 「生まれて何日ですか?」とたずねると「1ヶ月半です(เดือนครึ่ง)」とお母さんが答えた。
 「赤ちゃん、寒くないの(ไม่หนาวหรือ)?」と心配そうに私が言うと、「そうですね」と彼女は言った。
 だが、赤ちゃんはすやすやと眠っているだけ。寒いと文句を言うこともなく、あるがままを受け入れている感じ。
 生後45日の赤ちゃんの姿から教えられるものがあった。あるがまま、時間を享受すべし。

古い古本

古本置き場にしていた部屋をリフォームすることにしたため、ここ2週間をかけて古本を別の部屋に運んだ。段ボール箱に詰め込んでいた本を一冊ずつ手に取ってみると、買った時のことが思い出されて、それはそれでとても懐かしかった。しかし、いちいち見ていたために2週間もかかってしまった。
 大半の本は1965年(昭和40年)以降、すなわち上京してから買ったものばかりだが、長くしまっていたために、古本が古古本になってしまっている。
 古い本の良さは、当時の時代に人気が高かった本がページを開いた途端、息を吹き返し、その当時を主張してくれることである。そして、使用されている単語に馥郁たる香りと余韻が感じられ、その時代に戻れることだ。
 新しい本にどことなく親しみが持てない昨今、これからは古古本ともう一度、向き合おう。そして、いつか捨てないといけない……。

古池や蛙飛び込む水の音

関西の某俳諧クラスでは、俳友として入会を認めるテストとして、芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」の俳句をもじって何か新しい句をつくるようにというのがあるそうである。
 そこで、私も挑戦したいところだが、<もじる>のは自信が無いので、適当に作ってみた。
 (1)教室や 全部忘れた 新単語
 (2)教室や いまだできない 声調が
 (3)月名や いまだ覚えぬ 生徒たち
 (4)声調や なぜかできない 日本人
 (5)タイ国や いつも行きたし 時間なし
 (6)タイ人や みんなはつらつ うらやまし

ロシア語劇観劇

昨日、上智大学ロシア語学科の学生達によるロシア語劇「委任状」(N.エルドマン原作)が上智大学10号館講堂で上演された。私の授業を2年間、熱心に受講してくださっているT君が出演するので、激励の意味も込めて観劇した。
 素直に感心した点は、学生の皆さんがロシア語をとちることなく、1時間半、ペラペラとよくしゃべっていたことである。誰か一人でも下手くそであれば、劇は台無しになるが、そういうことはまずみられなかった。1年生から4年生まで仲良く、上手に劇を進行させていった。
 そして、もっと考えさせられたこと、それは、革命を経たロシアの文学は極めて奥が深く、作家の人間観察が幾層にも及んで台詞の中に漬け込まれ、人間の嘘が次から次へとあばかれ、揶揄されていったことだ。植民地化されたことのないタイ、暑い国のタイとは全く違う。ロシアの歴史、文学、芸術、等を真から理解するには相当の時間が要求される。

慶祝 プミポン国王 88歳!

本日12月5日はプミポン国王の御生誕の日であります。御年88歳。日本的に言えば米寿です。心よりお慶び申し上げます。
 国王は1927年12月5日、米国マサチューセッツ州のハーヴァード大学近くに在る病院でお生まれになられました。その病院を取材したことが有りますが、産婦人科の病棟には国王と王妃の写真が掲げられていました。
 2歳の時、タイへお戻りになられましたが、父君の早逝により、母君はスイスでの生活を決断。幼稚園からはスイスのローザンヌで御育ちになられ、ローザンヌ大学を御卒業。したがいまして、フランス語がペラペラであらせられるとのこと。
 マサチューセッツ州のアパート、そして、ローザンヌのアパートの前まで行ってみたことがありますが、それはそれは質素な普通のアパートでした。
 1946年6月からラーマ9世になられ、在位は69年半。難題いっぱいのタイ。ご心痛が絶えないことでしょう。
 しかしながら、見事なる発展を遂げつつあるタイを、どうか末永くお見守りください。

タイ語を教えることの幸せ

昨晩、2ヶ月ほど休学しておられた生徒さんが復学された。とても嬉しい。そこで張り切って授業をした。
 授業をしながらつくづく感じた。タイ語を教えている時が私にとっては一番幸せな時間だと。
 ところが、どんなに熱心に授業を展開し、発音を直してあげても、上手にならない人は上手にならない。がっかりする。そして、私は不幸だなあと思う。
 いや、待てよ。落ち込むのはよそう。来週の授業に期待しようではないか。と、自分を鼓舞しながら家路につく。
 1年が、5年が、10年が、20年が、そして、40年の時間があっというまに過ぎた。私はいまだ幸せではない。生徒達がタイ語に食らいつき、営々と精進して、その結果、上手になってくれさえすれば、私の幸福感のベクトルは右肩上がりに上昇する。