高田馬場のにぎわい

全国、及び、アジアからの新しい学生達が、4月から高田馬場にやって来ているため、駅周辺は人、また、人である。特にアジアからの学生達が多いこと、多いこと! 皆さん、日本語の能力をつけるため、元気に学校に通っている。彼らから活発な感じが伝わってくる。人間が活発な様子は、タイ語で、กระฉับกระเฉง(グラチャップ・グラチェーング)。ほかにも言い方があるが、まずはこの単語を覚えよう。
 おかげで高田馬場はいつになくにぎやかである。いろいろな人々が行き交い、街の雰囲気が盛り上がっている様子をタイ語で言うと、「จอแจ ジョージェー」。この単語から、わいわいがやがや、という雰囲気が十分に伝わって来る。
 しかし、高田馬場駅から早稲田通りを中野方面に向かって5分ほど歩いたところにあった蒲鉾店が3月末で閉店した。それを知ったのは一昨日のこと。「明治30年に創業しましたが、建物の老朽化と店主の高齢により閉店しました」と張り紙がしてあった。店主は4代目くらいであったのかしら?

蜂の大群騒動

昨日、「タイ語初級 水曜日13:00」のクラスを代講したが、授業開始早々、早稲田通りがなんだか騒がしい。警察官がマイクで通行人に注意を促している。「銀行側ではなくて、反対の道をお通りください」
 どうやら銀行近くで事件が発生した模様。そこで私は勝手な推測をして、生徒達に言った。
 「黄金週間が終わって、お金を使い果たした人が銀行強盗に押し入ったのにちがいありません」
 その後、「タイ語中級 水曜日15:00」の生徒達が現れた。生徒の一人が次のように教えてくださった。
 「みずほ銀行の外壁に蜂の大群が女王蜂と一緒にやって来ていたので、銀行に入らないようにと言われましたが、私は入りました」
 そこで、授業中、「ผ ผึ้ง ポー・プング 蜂のポー」という文字が出て来るたびに、我々一同、緊張感が走った。授業後、「今日のニュース」をチェックすると、この蜂騒動が一大ニュースになって報じられていた。

タイ語の発音、難しいです。

4月からタイ語を勉強し始めた大学生達。黄金週間が終わって、昨日から再び授業再開。若いから吸収力が有るのは当然だが、2週間の間が空いたため、少し、感覚が鈍りがち。さて、どうするか。ガンガン、授業するしかない。
 しかし、学生達の多くは「タイ語の発音、難しいです」と言う。教師としては、それを素直に受け止めなければならない。そして、発音の訓練に時間を割く。繰り返し、繰り返し、発音をさせる。
 昨日の授業では、自分の汗が教科書に落ちるのを見た。長いことやっていると、タイ語の発音がそんなに難しいとは思わなくなっているが、常に初心者の気持ちに寄り添うのも大切だと反省。

神父様 と スナック経営

『対話の達人』(遠藤周作 女子パウロ会 2006年)の中に所収されている各界の著名人との対談はいずれも面白い。この中で、ジョルジュ・ネランという神父様の来歴に興味を覚えた。履歴を本から引用すると、以下の通りである。
 1920年、フランスに生まれ、陸軍中尉を経て、50年、司祭となる。52年、宣教師として来日。最初は長崎で宣教活動。外国人が珍しい時代だから、土地の皆さんから大事にされたそうだ。特に、五島列島では賓客扱いを受けたとか。その後、東京に来て、東京大学、慶応大学、立教大学でフランス文学を教え、1980年、大学を定年退職した後は、歌舞伎町でスナックを開き、サラリーマンのための「本音で話す場」を提供した。このスナックは2011年、彼が亡くなるまで続いたようだから、90歳過ぎまでやったことになる。
 私が興味を覚えたことは、この神父様はいつも「人が人と対話すること」を考えていたことである。もちろん、数人の人達が会話の花を咲かせることも。いつも言葉を重点に置いていたことに対して、私も、少しでも、あやかり続けたい。

マンション住民の誕生会

黄金週間中に、日頃から付き合いのあるマンション住民5名で誕生会が行われた。理由は、5名中の3名が5月生まれであったからだ。
 Mさんがいつも場所を提供してくださる。そして、メインの料理も作ってくださるので、残る4名は自分達が食べたいものや飲みたいものを持参していくことになっている。私はフルーツの担当である。
 ところで、Mさんがこう切り出した。「箸の発音をしてみてください。皆さんのために買って来た箸をご用意していますので、発音が正しければ、渡します」
 私はピンと来た。兵庫県出身のYさんと香川県出身の私は、アクセントが関西風だから、Mさんは我々のアクセントをチェックするんだということを。そういうMさんは福島県だ。残るSさんは青森県、そして、Yさんの奥さんであるH子さんが東京出身。
 私は東京のアクセントにあわせて、「箸」を発音するようにしているが、本当は、「端」と同じ発音をするほうがラクだ。
 いずれにせよ、マンションって、日本全国からやって来た人々の寄り合い所帯であることを再確認した。

橋(はし)と ○橋(○ばし)

 ホームステイをしているタイのギフトさんが、一時、タイへ帰国していたが、昨日、一人で元気に帰京した。明日からの日本語学校の授業にそなえて、しっかり予習をしてきたそうだ。そこで早速、私に質問。
 「先生、สะพาน(サパーン)ですが、なぜ、<ばし>と読むのですか?」
 「ああ、いい質問ですね。橋という漢字一字ですと、<はし>と読みますが、何か他の単語と合成されると、<ばし>になることが多いです。例外は有りますが、まずはそのように覚えておいてください」
 そこで、「橋」のつく地名を列挙した。日本橋、新橋、竹橋、一ツ橋。しかし、一の橋や三の橋、などは、濁音化しない。苗字の場合は、高橋、橋本、組橋は濁らないが、馬橋は濁る。目下、NHKの朝のテレビ小説の主人公の苗字の読み方は、小橋(こばし)ではなくて、(こはし)だ。
 今年、高田、鎌田という学生がいるが、出席を取るたびに、読み方を間違わないように意識すると、結構、緊張する。

今日から授業再開します!

 黄金週間もそろそろ終わりです。泰日文化倶楽部は今日から授業を再開いたします。
 タイ旅行を満喫された生徒さんは、その乗りで勉強に拍車をかけてください。
 日本でいろいろな「和」を楽しまれた生徒さんは、再び、アジアへの熱を燃やしてください。
 いろいろな文化や歴史を学ぶのは楽しいものです。タイの伝統文化、料理等は、タイ語で勉強しましょう。
 そのほうがはるかにタイに近づくことができます。タイとの心の距離をタイ語で縮めようではありませんか!

会話と動作

『老いてこそ遊べ』(遠藤周作著 河出書房新社 2013年)を読んで、面白いことがいっぱい書いてあったので、連休中、一人、ゲラゲラ笑ってしまった。しかし、参考になることも書いてあった。
 それは、友人で作家の阿川弘之氏と一緒にイギリスへ行った時の話である。阿川氏は英語が得意。しかし、イギリス女性と話している時の動作はあまりスマートではなく、「平生やりつけていない男が肩をすぼめ両手をひろげ、ヤング レディと話しかけ、ニタッと愛想笑いをするのを見ると、友人としてさむ気がしたのも事実だ。彼は英語はうまいが、それに伴う動作がうまくなかった。英語は会話と同時に動作の習得も必要なのだとその時しみじみと感じたのだった」
 タイ語にも同じことが言える。まずは、合掌の仕方から学び、タイ人と話す時、気分を乗らせていくにはどうすればいいかを考えよう。日本人の動作はいつも硬いから。

小学校校長からのお願い

今日は「こどもの日」。快晴でよかった。ただし、30度近くになりそうなのが心配。
 先週、郵便受けの中に、近所の小学校の校長が書いたお願い文が入っていた。内容は、「これから運動会シーズンをむかえるに際して、子ども達が練習をするので、その時に出る掛け声や歓声、その他もろもろの騒音でご迷惑をおかけしますが、なにとぞご理解ください」というものであった。
 それを読んで、最近、幼稚園創設を反対する住民のことを思い出した。子ども達の声がうるさいからという理由だ。
 思うに、大人はもっと寛容でないと。確かに病人がいればつらいかもしれない。しかし、子どもが大勢いると嬉しいではないか。
 小学校の校長がそんなお願い文など、周辺各戸に配布する必要はさらさら無い。文句を言って来る住民に毅然として立ち向かう自信を持っておくことのほうが大切だ。。

中野の老舗洋品店 と 中国人

昨日、中野方面に仕事に行ったので、帰りに中野のブロードウェーの商店街に寄ってみた。私の好きな店は中年女性向きの洋服をたくさん揃えている洋品店だ。
 「私、昭和40年からこのお店に来ているのですが、創業はいつですか?」と、尋ねてみた。
 「昭和28年です。このあたり、お店がずいぶん変わりましたけど……。うちの店の商品はすべて日本製です。ですから、中国人がたくさん買いに来てくれます。何も知らないで買ってかえった服が中国製であることに失望したお客様が大勢、おられるようです。それからというもの、うちの店をみつけ、日本製であることを喜んでくださいます」
 そこの店は良質の品物を用意している。だが、私の感想では、以前と色目が変わって来ているような気がする。明らかに中国人を対象にしているような感じだ。だが、いずれにせよ、日本のいいものを求める中国人は、これからもますます増えていくことであろう。