「八戸は魚が旨いよ」と言われていたので、お土産は魚にしようと思い、陸奥湊駅前に在る朝市へ行って、魚を冷凍で友人に発送した。そして、生徒の皆さんには乾燥した魚のおつまみを買った。生干はぎ、焼あじ、焼いわし、あぶり焼小いわし、そして、開ぴんすけ、等々。「高級珍味 八戸産」の袋に惹きつけられたからである。
ところが、ホテルに帰って来てそれらをもう一度見ると、生干はぎの原産国名はベトナム、そして、焼あじはなんとタイであった。八戸に来てタイの魚? 加工だけが八戸?
八戸に来て、最近、漁獲量がかなり減ってしまったという嘆きをあちこちで聞いた。そして、デーリー東北新聞を読んでいると、三陸沖に中国の漁船が来ており魚を獲りまくっていると書かれてあった。海上保安庁の監視船もお手上げだそうだ。何故ならば、尖閣諸島で起きたような体当たり事件が小規模とはいえ、実際に発生しているから。
青森旅情(16)
昨日、東武伊勢崎線の西新井へ行った。仕事はすぐに終わったので、午前11時半過ぎ、春日部方面から来た急行電車に乗って北千住まで行き、日比谷線に乗り換えた。土曜日なのに、西新井から北千住までは超満員。普段の山手線の通勤時間帯以上の混み具合にびっくり。中年男性の背中と私の背中がピッタリとくっつき、彼の汗と体温が伝わって来て気持ちが悪かった。
ひるがえって、八戸市内を走るバスの話をしよう。中心街から本八戸までバスに乗った時のことだ。私の乗ったバスが本八戸駅で停車しなかった。JRの駅を素通りするバスに驚いた私は運転手に向って言った。「あのー、駅で降りたかったのですが」 すると、運転手は「お客さん、ボタンで知らせないからですよ」と怒った。
よくよくバスの中を見渡すと、乗客は私一人であった。東京だと、誰かが先にボタンを押すから、いつもそれに甘えていた。 それにしても、乗っている客もいなければ、バスに乗り込んで来る客もいない。道理で時代遅れの型をしたバスが走っているわけだ。
青森旅情(15)
昨日の午後3時過ぎ、あまりにも暑いので、目白駅近くに在る地下の喫茶店に潜り、新聞を読んだ。すると、父親と小学校6年生の女の子がやって来て、私の背後の席で話し始めた。
「修学旅行で青森へ行くことになったの。これまでは京都だったのに….。青森、行きたくない。見るところ無いもん。ああ、京都へ行きたい」と女の子が言った。それを聞きながら、残念だなあと思った。青森のイメージが悪すぎる。
「青森は青い森がいっぱいで空気が美味しいのよ。京都へはご両親とゆっくり行くといいでしょう。思い出の修学旅行は友達と青森の自然に触れてらっしゃい」と、私は心の中で彼女に言った。
そういう私も青森のことをほとんど知らなかった。しかし、今回の旅行で一生分のさくらんぼを毎日食べながら、そして、新鮮な魚を直接、市場で買いながら、青森の地元の魅力に惹かれて行った。
青森旅情(14)
昨晩遅く帰京した。だが、貴重な見聞をしたので、この青森旅情はもう少し続けたい。
昨日の午前中、三戸に在る櫛引八幡宮へ行き、国宝の「赤糸威鎧兜大袖付」と「白糸威褄取鎧兜大袖付」を鑑賞。青森県には国宝が3つ有るが、そのいずれもが八戸に有るというのが、八戸市の自慢でもある。たしかに、実に見事なお宝であった。
そのあと、中心街の八日町というところにある「安藤昌益資料館」へ行った。ちらしには、こう書いてあった。
「世界最初のエコロジスト。今から250年以上昔、自然の中での人の在り方を説き、平等を唱えた安藤昌益。その思想は、現代も多くの人々に受け入れられています」
彼は独創的な発想で「字解」を試みたそうだ。館内のガイドが私に「男女という漢字2文字をどう読みますか?」と質問した。答えに窮する私。「ひと」と読むとのこと。医学を修めた安藤昌益は男女は平等という思想を実践していた。
青森旅情(13)
昨日で仕事が終了したので、夕方、八戸市を紹介する場所であるポータルミュージアムへ行った。通称「はっち」と呼ぶそうだ。1階は東北地方の物産が販売されていた。そして、海猫で有名な蕪島の写真コーナーが有った。その裏手に回ってみると、南部菱刺しと、南部裂織の展示が有り、東北の女性のリサイクル精神がよくわかった。菱刺しの模様はタイの刺繍の模様と全く同じに見えた。不思議、不思議。
2階には漁業関係の展示が有り、美しい海岸線の紹介もたっぷり。3階には八戸ゆかりの方達のコーナーが有り、立派な精神の持ち主が数多く八戸のために尽くしたことを学んだ。最近では、何と言ってもオリンピック金メダル4連覇の伊調馨さんが市民の誉れになっている。
八戸市は今年、市制施行88周年を迎えて盛り上がっている。私は、八鶴と八仙という酒を呑んだ。よく行った猫カフェの名前は「猫八」。「八」づくしの八戸。またいつか訪れたい。
青森旅情(12)
恐山へ行く時、八戸から野辺地まで行くというご夫婦が私の前に座っていたので、45分間、大いに喋った。昭和20年生まれのお二人は幼馴染。40代半ばの息子さん二人が六ヶ所村で働いているが、二人とも独身。近所迷惑になってはいけないので、借りているアパートの庭の草刈りに、息子達には事前に知らせずに行くのだという。息子達との間には全く会話が無いとご夫婦は嘆く。
恐山からの帰り、野辺地から偶然にもまたお二人と一緒になった。ご主人はビール缶を片手に喉を潤している。顔に赤みがさしてきて饒舌になった。若い時は七つの海をまたにかけた船乗り。パナマ運河だけ通過していない。美味しいワインもいっぱい飲んだ。航海士をやめた後、神奈川県の工場に勤務したこともあったが、72歳の今は小学校のプールの管理員。朝3時から起きて、5時にはプールに行くと語った。
航海士時代の話をする時の彼の顔は輝いていた。目が純粋であった。テレビの国会中継で見る政治家先生達や官僚達の顔つきがますます胡散臭く思われてきた。
青森旅情(11)
八戸にやって来た2週間前の最初の夜、八戸の中心街を歩いた。「Sawasdee」というタイマッサージ店が一等地に陣取っていた。先日、発表されたばかりの今年のこの場所の路線価格は1㎡が10万円。坪に換算すると、1坪33万円。
恐山へ行く時にむつ市を経由したが、バスから「ワットポー」というタイマッサージ店が見えた。本州最北端にタイ人が住んでいるっていうこと? 恐山に行くために下北バスに乗っているのに、恐山よりも先にワットポーを参拝しなさいということ?
本八戸駅のそばに猫カフェが有る。毎日、そこの前を歩いているが、看板にタイ文字が使用されている。気になって仕方がなかったので、その店に入り尋ねた。「何故、タイ文字なんですか?」 店主は答えた。「パソコンで引き出して、ただ絵文字として使っているだけです」
ニャンとも不思議な感じがした。お金を払い、客として入店すると、黒猫(名前はヤマト)が寄って来て、私の脛をひっかいた。バンコクで猫にひっかかれて病院へ行ったのを思い出した。
青森旅情(10)
そろそろ帰京の日が近づいて来た。青森最後の週末であった昨日、本八戸から八戸、野辺地を経由して大湊線の下北駅で下車し、バスで恐山へ向かった。バスの運転手さんが恐山冷水というところでバスを一時停車。乗客は皆バスから降りて口をぬぐった。霊験あらたかなる冷水に手を浸すこと10秒。冷たい。身も心も引き締まった。
二度と来ることはなかろうと思いながら、恐山の中を歩く。暑かったがどんどん歩けた。五智山展望台まで行って、周囲の景色のすがすがしさに心うたれた。
ゆっくり見て歩いたがそれも40分で終わり。硫黄の温泉(無料)が有ったので、旅の思い出に入ってみた。帰りのバスまでまだ2時間も残っている。寺の休憩所で休ませてもらった。汗がどっと出てとまらない。
バス停の休憩室に、江戸時代後期の旅行家である菅江真澄(1754-1829)のことが紹介されていた。彼は38歳から41歳の間、下北に逗留し、恐山に5度も登ったそうである。今でも熊が出ているという下北。さぞかし不気味な踏破であったことであろう。
青森旅情(9)
昨日(土曜日)は、午前中で仕事が終わったので、午後から、三沢市に在る「寺山修司記念館」へ行った。行く途中、日本一のごぼう畑が広がっていた。上空から見れば、近くの米軍基地の広さはそれ以上だと思うが…..。
寺山修司記念館は真っ赤な扉だ。外観も奇抜であったが、内部も奇抜であった。丁度、20周年記念展をやっていた。私の青春時代は寺山修司の時代であったが、特に演劇を観に行ったわけでもない。書を読んだわけでもない。
しかし、今回、ゆっくりと彼の系譜と考え方を館内に仕掛けられたいろいろな設備と配置により教えられるものが多かった。寺山修司と青森県(津軽、青森、三沢)。その因果によって、彼の秘められた情熱と世間に対する反発が彼の作品を生み出したことを知った。
青森旅情(8)
いわて銀河鉄道は、目時駅から盛岡駅の間を往復している第三セクター路線で、元はと言えば東北本線だ。この目時駅から「アテンダント」という女性が黒いカバンを携えて乗車して来た。優しい声で、「何なりとお申しつけください」と放送後、車内を回り始めた。
私の両隣りはお年寄り達。彼らに向かって、アテンダントは腰をかがめ、同じ目線で話しかける。「あんしん通院切符」という証明書をチェックしているようであった。右隣りのおばあさんが「忘れた」と言うと、「じゃあ、今度お願いします」と優しく応じる。少しの割引が有るようだ。盛岡駅から病院までの割安タクシー利用券も販売していた。
老人の切符チェックが終わった後、不思議な光景を目の当たりにした。学校へ行きたくなくて泣きじゃくっている女の子をそのアテンダントがずっと抱きしめ、女の子の背中を軽く撫でてあげている。10分位、私はその光景を見ていた。やがて女の子は級友にうながされて降車した。