大辛口

日頃、「タイ語中級 火曜日19:00」のクラスを教えてくださっているミカン先生(อาจารย์ส้ม)が、スイスのダボスで行われる歯学学会に出席されるということで、昨晩は、私がクラスを代講した(สอนแทน)。
 生徒さんの一人が、新潟旅行のお土産をみんなに配った。「大辛口 柿の種」である。帰宅後、中国人の生徒さんから頂戴した韓国土産の林檎酒と一緒に、それを食べてみた。辛いことは辛いが(เผ็ดก็เผ็ด)、耐えられない辛さではない。プーケットで食べた兜蟹の卵煮の辛さと比べたら問題じゃない(สู้ไม่ได้)。
 それでは、<大辛口>の上を行く表現は、はてさて何と言うのであろうか。<激辛>という表現は、もうすでにラーメンで馴染んでしまった。それでは、<激震大辛口>というのはどうであろうか? 余震ばかりが続いているので、発想が、つい、地震がらみになってしまった。ついでに書き添えると、私のかつての辛口授業は、最近は大いに甘辛に転じた感が有る。

地震警報

昨晩、9時20分頃、地震警報がスマホから聞こえて来た。丁度、帰宅途中(ระหว่างทางกลับบ้าน)であったので、揺れは全く感じなかったが、周囲を見回すと、歩行者の皆さん、及び、道路工事中の方達が、一斉に携帯を見ている。地震情報をいち早く知りたくて、皆、同じ行動を取っている光景がいかにも現代的であった。
 ホームステイしているタイの女の子のことが気になって、急いで帰ると、やはり、彼女、相当に驚いたようである。「テレビがガタガタしました」と言った。私としては買ったばかりの4Kテレビが倒れなくてすんだことに安堵。そして、彼女にこう言った。「東京はよく揺れます。なれるしかないのよ」
 彼女はわかったような、わからないような顔をした。これも体験だと思えばよろしい。だが、逃げる方法、そして、逃げる場所も教えておかなければ。

手元にある教科書をもう一度!

私はバンコクへ行くと、洋服をまとめ買いしてくる。だが、そのうちの3分の1はしまいっぱなしだ。まことにもったいない話だこと。
 ところが、昨日、着るのを躊躇していた洋服を取り出して着てみると、全く違和感がなかった。どうしてこれまで着なかったのであろうか? 時間が経過すると、気分が変わるのに気づいた。
 ひるがえって、タイ語の教科書はどうか? おそらく、生徒の皆さんはたくさんのテキストをお持ちのはず。だが、いずれの本も完璧に制覇してはいないと思われる。あるいは、目を通すことすらやめてしまったテキストも…..。
 そこで、提案。時間を見つけて、自分なりに勉強し直してみてはいかがでしょうか? いろいろな発見が有り、かつ、語彙の増強にも役立つこと間違いなし。

嬉しい復帰者2名

昨日から、元生徒さん2名が復帰して来られた。大歓迎である。そのうちの1名はバンコクへ数年行っておられた方なので、かなりのタイ語力がついているはず。したがって、既存のどのクラスが最適なのか、しばらくは判断しかねるかもしれない。クラスを移籍するのは自由だから、ご自分でお好きなクラスを選んでほしい。
 もう一人の方は、プライベート・コースでしばらく勉強しておられたので、果たしてグループ・レッスンの雰囲気が合うか合わないか、それが心配。しかし、女性同士、仲良く勉強していただきたい。
 泰日文化倶楽部の最近の傾向として、男性は男性クラス、女性は女性クラス、というように、性別でクラスが分かれるようになった。それはそれでいいかもしれない。何故ならば、男性と女性で話題が異なるからである。
 しかし、若い生徒達であれば、やはり男女仲良く勉強してほしい。話題が明るくて楽しいから!

ラインで写真交換

3月末に来日されたピカピカ先生のご両親と会食後、お母様とラインを交換することになった。お母様が案じているのは娘のこと。したがって、授業中の様子を写真におさめ、即、送信。リアルタイムで娘さんのことがわかるようにしてあげている。
 しかし、毎日、ラインが来るようになったので、私は、撮りためている花の写真を送ることにした。だが、それも毎日のことだと飽きられそうだから、日本料理や果物、お菓子の写真を送る日もある。
 すると、お母様も、仏教関係の写真ではなくて、鳥の写真も送って来てくださるようになった。昨日は美しい海の写真であった。そこへ行くことはかなわないが、気分だけでもリゾートしているみたいで、疲れた身体と精神が少しだけやわらいだ。
 今日と明日は代々木公園でタイフェス。皆さん、楽しんでらしてください!

高田馬場のにぎわい

全国、及び、アジアからの新しい学生達が、4月から高田馬場にやって来ているため、駅周辺は人、また、人である。特にアジアからの学生達が多いこと、多いこと! 皆さん、日本語の能力をつけるため、元気に学校に通っている。彼らから活発な感じが伝わってくる。人間が活発な様子は、タイ語で、กระฉับกระเฉง(グラチャップ・グラチェーング)。ほかにも言い方があるが、まずはこの単語を覚えよう。
 おかげで高田馬場はいつになくにぎやかである。いろいろな人々が行き交い、街の雰囲気が盛り上がっている様子をタイ語で言うと、「จอแจ ジョージェー」。この単語から、わいわいがやがや、という雰囲気が十分に伝わって来る。
 しかし、高田馬場駅から早稲田通りを中野方面に向かって5分ほど歩いたところにあった蒲鉾店が3月末で閉店した。それを知ったのは一昨日のこと。「明治30年に創業しましたが、建物の老朽化と店主の高齢により閉店しました」と張り紙がしてあった。店主は4代目くらいであったのかしら?

蜂の大群騒動

昨日、「タイ語初級 水曜日13:00」のクラスを代講したが、授業開始早々、早稲田通りがなんだか騒がしい。警察官がマイクで通行人に注意を促している。「銀行側ではなくて、反対の道をお通りください」
 どうやら銀行近くで事件が発生した模様。そこで私は勝手な推測をして、生徒達に言った。
 「黄金週間が終わって、お金を使い果たした人が銀行強盗に押し入ったのにちがいありません」
 その後、「タイ語中級 水曜日15:00」の生徒達が現れた。生徒の一人が次のように教えてくださった。
 「みずほ銀行の外壁に蜂の大群が女王蜂と一緒にやって来ていたので、銀行に入らないようにと言われましたが、私は入りました」
 そこで、授業中、「ผ ผึ้ง ポー・プング 蜂のポー」という文字が出て来るたびに、我々一同、緊張感が走った。授業後、「今日のニュース」をチェックすると、この蜂騒動が一大ニュースになって報じられていた。

タイ語の発音、難しいです。

4月からタイ語を勉強し始めた大学生達。黄金週間が終わって、昨日から再び授業再開。若いから吸収力が有るのは当然だが、2週間の間が空いたため、少し、感覚が鈍りがち。さて、どうするか。ガンガン、授業するしかない。
 しかし、学生達の多くは「タイ語の発音、難しいです」と言う。教師としては、それを素直に受け止めなければならない。そして、発音の訓練に時間を割く。繰り返し、繰り返し、発音をさせる。
 昨日の授業では、自分の汗が教科書に落ちるのを見た。長いことやっていると、タイ語の発音がそんなに難しいとは思わなくなっているが、常に初心者の気持ちに寄り添うのも大切だと反省。

神父様 と スナック経営

『対話の達人』(遠藤周作 女子パウロ会 2006年)の中に所収されている各界の著名人との対談はいずれも面白い。この中で、ジョルジュ・ネランという神父様の来歴に興味を覚えた。履歴を本から引用すると、以下の通りである。
 1920年、フランスに生まれ、陸軍中尉を経て、50年、司祭となる。52年、宣教師として来日。最初は長崎で宣教活動。外国人が珍しい時代だから、土地の皆さんから大事にされたそうだ。特に、五島列島では賓客扱いを受けたとか。その後、東京に来て、東京大学、慶応大学、立教大学でフランス文学を教え、1980年、大学を定年退職した後は、歌舞伎町でスナックを開き、サラリーマンのための「本音で話す場」を提供した。このスナックは2011年、彼が亡くなるまで続いたようだから、90歳過ぎまでやったことになる。
 私が興味を覚えたことは、この神父様はいつも「人が人と対話すること」を考えていたことである。もちろん、数人の人達が会話の花を咲かせることも。いつも言葉を重点に置いていたことに対して、私も、少しでも、あやかり続けたい。

マンション住民の誕生会

黄金週間中に、日頃から付き合いのあるマンション住民5名で誕生会が行われた。理由は、5名中の3名が5月生まれであったからだ。
 Mさんがいつも場所を提供してくださる。そして、メインの料理も作ってくださるので、残る4名は自分達が食べたいものや飲みたいものを持参していくことになっている。私はフルーツの担当である。
 ところで、Mさんがこう切り出した。「箸の発音をしてみてください。皆さんのために買って来た箸をご用意していますので、発音が正しければ、渡します」
 私はピンと来た。兵庫県出身のYさんと香川県出身の私は、アクセントが関西風だから、Mさんは我々のアクセントをチェックするんだということを。そういうMさんは福島県だ。残るSさんは青森県、そして、Yさんの奥さんであるH子さんが東京出身。
 私は東京のアクセントにあわせて、「箸」を発音するようにしているが、本当は、「端」と同じ発音をするほうがラクだ。
 いずれにせよ、マンションって、日本全国からやって来た人々の寄り合い所帯であることを再確認した。