たまには休みを

今朝、ヨーグルトのカップを開けると、ふたの裏(หลังฝา)に、「たまには休みを」という言葉が書かれてあった。朝食を終えたあと、さてブログを書こうかとPCを開けると、ブログのソフトがうんともすんとも反応しない。1時間近く奮闘したがだめ。なるほど、ブログも休みを取りたいというわけだ。数時間後、やっと開通した。
 今夕、ホームステイを予定しているタイの女子高校生とお母さん、そして、泰日文化倶楽部のボン先生が、私の家を見に来られることになっている。掃除は万全だ。誰かが来るとなると、掃除や片付けに拍車がかかるから、それはそれでいい。
 女子高校生の愛称はギフト(gift กิฟท์ )。ギフトには、贈物、進物、という意味があるが、他に、天賦の才という意味もある。これから6月末まで彼女をお世話することになるわけだが、素敵な愛称を持っているので、とても呼びやすい。
 いずれにせよ、長期戦の80日間を乗り切るには、私自身、しっかりと休んでいないとだめだ。

香港女性と個人レッスン

3月から開講したばかりの「タイ語入門 水曜日19:30」の講座を、先週、香港女性が無料見学された。声調言語には抵抗感が無いはずだから、グループレッスンをお勧めしたが、最初から勉強したいということで、しばらくは個人レッスンを受けることになった。
 昨夜、第1回目の授業を実施したが、すべての発音が完璧であった。無気音と有気音ははいずれも完璧。末子音の~k、~t、~pも完璧。声調は第4番目の高声だけ、最初、分かりにくそうにしていたが、発声の仕方を教えてあげると、なんなく出来るようになった。
 何故、出来るのか? タイ語と広東語の両言語にはきわめて近似性があることがわかった。香港女性にとってタイ語はお茶の子さいさいだ。台湾青年もうまかったが、香港女性のほうが発音においては数段、楽そうに発音をしている。
 タイ女性(タイ人講師)、日本女性(私)、そして、香港女性(生徒)の3人が夜9時まで一緒に語学をやるという光景は、ビデオに撮ってお見せしたいほど素敵なものであった。

見る・聞く・話す

今年2月から茶道を習い始めたが、現在までのところ、お点前をするまでには至っていない。帛紗や茶巾のたたみ方の割り稽古だけを受講し、あとはもっぱら先輩方の所作を拝見しているだけである。
 昨日は、茶道講師が着物の着付けを教えてくださった。これまた、私は見るだけ。なるほど、なるほどと思って帰宅後、自分で帯を結んでみたが、残念なことにさっぱりできない。見るだけではだめか。やはり何度も着て、体で体得しなければならないようだ。
 ひるがえって、タイ語の勉強やいかに? 教室でタイ人講師の発音をしっかり聞くことから始めよう。しかし、日本語にはない子音や母音は、どの生徒達にとっても難しそうである。勉強は訓練の積み重ねだから、倦まずたゆまず続けるしかない。そして、聞くことのほかに、もっと大切なことは話すことである。しかし、話す内容が無いようではお話にならない。常に話題を探しておくことも肝心!

トリビアの語源

昨日、「同窓生トりビア」について書いたが、トリビアという単語の語源を調べてみると、3つほど、書いてあった。
 ①ラテン語の「tres(三)+via(道)」で、三叉路という意味。どこにでもある場所、ありふれた場所、という意味から派生して、くだらないこと、瑣末なこと、という意味になった。
 ②中世に於ける「文法、修辞学、弁証法」の三学のことを といい、初歩的でつまらないという意味に転じた。
 ③日本のテレビ番組「トレビアの泉」で、雑学的な事柄や知識という意味に用いた。
 いずれにせよ、三叉路(สามแยก)という言葉には興味が有る。私の名字のイニシャルは Y である。まっすぐ進んで来ると、右(ชวา)へ行くか、それとも、左(ซ้าย)へ行くか、どちらかの選択が待っている。後戻りはできないから、どちらかを選ぶ。しかし、右を選ぼうが、左を選ぼうが、行った先には、また左右の選択が待っている。新たなる挑戦と思えばいいのだ。

同窓生トリビア

母校の東京女子大学から「同窓会会報(2016.3)」が送られて来た。真っ先に見るのは一番後ろに書いてある<謹弔>だ。この半年間で多くの先輩が亡くなっている。そして、後輩も10人ばかり….。
会報をぱらぱらとめくっていたら、「同窓生トリビア」の記事が目にとまった。今日(4月2日)の放送をもって終了したNHK朝の連続ドラマ「あさが来た」の原案である『小説 土佐堀川-女性実業家・広岡浅子の生涯』(1989年)を書いた古川智映子さんが卒業生であることが紹介されていた。私よりも15年、先輩だ。
 そして、去年、放映された「マッサン」の原作の一つである『リタとマッサン』を書いた植松三十里さんも卒業生で、私よりも8歳年下の後輩であることがわかった。東京女子大学の卒業生には何かを書きたくて書きたくてたまらない人達が多い。

タイ語をしっかり勉強しましょう!

今日から新年度のスタート。タイ語の勉強もフレッシュな気持ちに切り替えて、さらなる上達を目指しましょう!
 決心というものは、とかく1月1日元旦に宣言するものですが、4月1日に宣言するのもいいことだと思います。
 タイ語の勉強に関して言えば、やはり、一にも二にも発音ですね。発音が下手だとタイ人に伝わらないですから。
 タイ語教室でタイ語を習うにあたっては、発音を磨いてください。発音ですよ。発音が肝心。
 次に、単語をたくさん覚え、語彙力をつけてください。そして、言いたいことを正しい語順で発言なさってください。
 タイ人講師に向かって、一日の行動、そして、自分の考えや感想を伝えてみてくださいね!

音感が肝心

個人レッスンを受講しておられるMさんが昨晩、最後の授業を受けに来られた。わずか6回、時間にして9時間しか勉強されなかった。理由は4月中旬にはもうバンコクへの赴任が決まっているからである。
 毎回、タイ人講師と私の二人で効率良く授業を展開したが、Mさんの音感の良さにはほれぼれとした。タイ人講師も同感であった。語学を習うには音感が肝心。これに尽きる。
 皆さん、「タイ語は趣味です」とよくおっしゃるが、教える側から言わせていただくと、趣味だと言って自分を甘やかせていると、上達するのに時間がかかる。若い時の情熱を思い出して、ご自分に厳しく号令を発し、脳みそも、そして、発声器官も鍛えよう。集中する時間も肝心ですよ。

物真似の上手・下手

昨晩、「タイ語中級 火曜日19:00」のクラスを久しぶりに視察した。『タイ語中級』の最後の章である第15課に入っていた。生徒は全員が出席。
 第15課の内容は趣味を話題にしている。会話文の中でカメラ(กล้องถ่ายรูป)という単語が出てくるが、皆さんにとって発音が難しそうであった。タイ人が写真を撮るという文章は、「คนไทยถ่ายรูป khon-thai thaai-ruup」であるが、タイ人のthaiと、写真を撮るのthaaiの発音の相違が分からないと生徒達に言われた。
それは皆さん、耳が悪いとしか言いようがない。タイ人講師はネイティブとして、完璧なるタイ語を発音しているわけだから、しっかりと物真似するしかないのである。
 俳優や声優にタイ語を教えたことがあるが、彼らは物真似が上手だった。勘がいい。身体ごと覚えようとするから、とても教えやすかった。「何故、そんなにすぐ発音できるのですか?」と尋ねると、きっぱりと答えた。
「何度もNGを出しているようでは、次から仕事がもらえません」

山手線で会ったアメリカ女性

 昨夜、高田馬場の教室へ急いで行こうとして、品川から山手線に飛び乗った。車両は混んでいた。大きなスーツケースを持ったアメリカ人女性二人が座席に座っていたが、一人がさっと立ち上がり、高齢の日本人男性に席を譲った。そして私にも座りなさいと指示を出す。身体が大きな彼女が立ち上がったところには二つの空席が出来たからである。
 私は座っているもう一人の女性に話しかけた。彼女はロサンゼルス在住で、日本に来たのは初めて。桜見物に来たそうだ。
 「ああ、桜ね」と、私が言うと、「サクーラ? What?」と聞いてきたので、「cherry blossomのことよ。発音はサクーラではなくて、サクラ。もし発音が難しければ、Sacramentoのsacraと思って発音してみればいいわよ」と教えてあげると、すぐに発音が出来た。
 席を譲ってくれた女性は横田に住んでいるとのこと。米軍関係者であろう。とてもさばさばした女性であった。これからの一週間、友人を案内して京都、広島へ行くそうだ。

短編小説

『日本短編文学全集』(昭和43年)所収の「質屋の女房」(安岡章太郎著)を読んだ。青年が学校へも行かず、悪所通いをしていたが、金欠のために外套を質に出す。だが何度も質屋に通ううちに、多くの青年達が戦争に行く前に質屋に持って来た文学全集の整理を質屋の女房から頼まれる。やがて、過去が有りそうな彼女とほんの瞬間だけ心が通い合った。彼女が青年の胸に飛び込んできたからである。帰宅すると、母親から赤紙が来ていると知らされる。出征の日、質屋の女房は彼が質に出した外套を持って来て、「途中で風邪をひかないように….。それから、これは失礼かもしれませんけれど、あの方はあたしからのお餞別にさせて」と言って手渡す。なかなかしんみりとさせられる小説だ。
 昨日、私は仕事で板橋の方へ行った。日曜日なのでチェーン店を除き、ほとんどの食堂が閉まっていた。どうにか見つけた食堂に入ると、店主は普通に頑張っていた。かなりの歳かなあと思いながら、それとなく尋ねてみると、私と1ヶ月しか違わなかった。もっといろいろと話したかったが、横にいる奥さんの目が複雑そうであったので、そそくさと店を出た。私も短編小説がかけそうだ。