冒険というタイ語

昨日、「タイ語中級 火曜日11:30」のクラスに見学者がみえたので、私も教室に行ってみた。
 授業中、生徒の一人がタイ人講師に向かって、「タイ語で<冒険>は何と言いますか?」と質問した。このクラスは教科書とは別に、いろいろな単語をたずねるのが好きなクラスらしく、ノートにたくさん単語を書いているとのこと。
 タイ人講師は<冒険>という日本語を知らなかったので、私が横から”adventure”と言うと、彼女はすかさず ผจญภัย とホワイト・ボードに書いた。
 ผจญ は「闘う」「打ち負かす」という意味。 ภัย は危害。したがって、「危害と闘う」という意味になる。
 日常生活には危険がいっぱい。危険や危害から逃れようと、日々、神経をとがらせている我々は、毎日、冒険をしていることになる。北極や南極、そして、秘境へ行くことだけが冒険ではない。それらは冒険家(นักผจญภัย)にまかせるとして、一般市民は一日が無駄に終わらないよう、新しい気分で、身の周りの危害と闘って行くしかない。

~秋奏で~

昨日、横須賀へ出かけた。「小原流横須賀支部花展 ~秋奏で~」を鑑賞するためであった。横須賀の街には制服を着た防大生が多く歩いており、いかにも軍港の街だという印象がぬぐえない。
 泰日文化倶楽部で実施されている「アジア女性のための華道教室」の講師は小原流の横須賀支部長の要職にあられる。会場でお会いした講師はご自分の出品作品に関して、次なる説明をしてくださった。
 「花瓶はタイから持ち帰ったものです。バンコクで教えていた時の韓国人の教え子がくれた瓶です。お花は、今年8月にマチュピチュへ出かけた時にたくさん見かけたエア・プランツです。やはりタイの花瓶には豪快な花が似合いますね」
 華道講師は海外旅行がお好きだ。花材探しの旅をなさっておられることが、講師の説明を通してよくわかった。海外で見かけた花を日本の生け花に採り入れる。世界の花を日本の伝統文化に活かしながら、楽しい空間とアートを創造していく。芸術家にとって、旅こそはヒントがいっぱい。

珈琲の香り

このところ、毎日のように喫茶店に行っている。喫茶店でコーヒーを飲みながらその日の疲れを軽減できればと思って…..。
 いろいろな店に入っているが、それぞれに長所短所があり、それはそれで面白い。
 昨日は中年夫婦が経営する目立たない店に寄った。珈琲専門店だから、主だったコーヒーは揃っていた。迷った末、イエメンのモカを注文。カウンター奥で豆を挽いて、お湯を注いで抽出する時に、それはそれは何とも言えない馥郁たる香りが店中にただよった。その香りをかいだだけで、疲労が飛んでいく気がした。
 奥さんに尋ねてみた。「このお店はもう何年ですか?」「15年になりました」と彼女は答えた。どうやらそこは中年仲間が集まって来る店のようであった。
 海外へ行く時間が無いので、しばらくは世界のコーヒーを飲みながら、南米、アフリカ、アジア等を旅した気分になろう。

珊瑚

昨夕、台湾青年が個人レッスンを受けに来た時に、<เ-าะ>という母音が出てきたので、「島 เกาะ」という単語を例に挙げて教えた。
 「1時間半近く、一人で勉強して疲れた」と彼は正直に言ったので、「最近、中国の船団が大挙して小笠原諸島にやって来て、サンゴを密漁しているのよ。英語のcoralね。」という話題を彼に向けてみた。
 しかし、サンゴもcoralも彼には通じなかったので、漢字を書くことにしたが、サンゴの漢字が思い浮かばず、スマホでチェック。漢字を見せると彼は一発で理解した。
 それにしても、先日、書いた「篝火」と同じく、珊瑚もまた、漢字を見ると、なかなかがっしりとしている。ネットで調べると、「珊瑚には、常に形成される骨格、すべての生体の基本構造という意味が有り、それがやがては、地道な継続、継続は力なりととらえられるとのこと。血流の刺激、強壮を表わし、ひいてはそれが実行力、推進力となる」とのこと。
 珊瑚の宝石言葉は「長寿・幸運」。昔、高知で珊瑚店をたくさん見かけたが、そんなにすばらしい宝石であるとは知らなかった。

仰光

先日、NHKの中国語テレビ講座を見ていると、ヤンゴンにあるチャイナ・タウンが紹介された。6年前にそのチャイナ・タウンを歩いたことがあるので、よく思い出しながら映像をじっくりと見た。そして気がついたことは、ヤンゴンのことを「仰光」と書いてあったことである。「光を仰ぐ」とは、なんと美しい漢字であることか!
 何故、このようなことを書くかというと、タイ語ではヤンゴンのことを「ย่างกุ้ง」と言い、それを訳すと「エビを焼く」になるからである。
 かつてはミャンマーの首都であったヤンゴン。一国の首都のことを「エビを焼く」というのはいささか失礼ではないかと私は前々から思っていた。したがって、「仰光」の漢字に魅了されたわけである。
 泰日文化倶楽部で8年近くにわたって実施されている「アジア女性のための華道教室」には、最初から現在に至るまで、ミャンマー女性がずっと参加しておられる。お子さんができた女性は高田馬場に在るミャンマー料理店に子どもを預けてから参加される。理由はミャンマー料理店の女性経営者がミャンマーの子供達に、空いた時間を利用してミャンマー語を教えているからだ。異国にあって、母国語を子供達に教えるということは、非常に大切なことであり、すばらしいボランティア精神だと思う。

ピンクの口紅

還暦を過ぎてから早くも8年。タイ人講師からピンクの口紅をプレゼントされた。1本の口紅を買えば3年近く持つから、まだまだ今のものでいけるのだが、新しいものを化粧ポーチに入れると気分が変わる。早速、今日からピンクにしよう。
 目下、『福縁伝授』(福原義春著 集英社 2011年)を読んでいる。元資生堂社長で、現在は名誉会長をしておられる著者の文章は内容が濃くて、実にお洒落である。銀座のこと、そして、資生堂の来歴がよくわかって面白い。
 「私の祖父に当たる資生堂創業者・福原有信は、もともと幕府の医学所、明治維新後に大学東校で薬学を学び、海軍病院の薬局長を務めていたが、粗悪な薬品が市場を席巻していることを憂い、民間で自由に商売しながら質の良い薬品を市民に提供したいと考えて独立した。軍閥や薩長の派閥争いに嫌気が差したこともあっただろうと思うが、ともあれ開明主義者で在野精神の持ち主であったことは間違いない」
 日々、仕事に追われているだけの生活では思考が止まったままだ。<開明>、そして、<在野>。これらの言葉がとても新鮮に思われる。

個人レッスンの大学生

昨日、大学生が個人レッスンを受けに来られた。申込みのメールを頂いたのはほんの2日前。速攻なる彼の姿勢に感服した。
 高いお金をかけて個人レッスンを受けに来た理由を尋ねると、バンコクにある大学に1年間、留学していたこと、そして、来年、就職する会社の支社がタイに在るので、もう少しタイ語の学力をつけておきたいとのことであった。
 担当されたボン先生の感想は、「彼は非常に丁寧な言葉を知っていますね」
 彼のノートを見ると、単語がぎっしりと書き込まれていた。自習で頑張っている様子がよくわかった。
 このまま個人レッスンを受け続けるのはきついので、グループ・レッスンを勧めた。
 彼は明るく言った。「お金を貯めて、また来ます!」
 久しぶりに爽やかな青年を見た。彼の視線はタイへまっしぐらだ。

101歳の看板娘

昨晩、「タイ語初級 火曜日19:00」のクラスの生徒さんが、招き猫のもなかを買って来られた。豪徳寺に因んだ招き猫として、有名な和菓子だそうだ。
 私の場合は、先日、立ち寄った北区の甘味屋のおばあちゃんが忘れられない。店の御主人に「おばあちゃん、何歳ですか?」と尋ねると、「101歳。昔は看板娘だったんですけどね…」という返事。
 そうはいうものの、ものすごくシャキシャキしている。むしろ、息子である御主人のほうがよぼよぼに見えた。
 101歳のおばあちゃんの仕事は店頭販売をしている赤飯やおいなりさん、そして、団子や草餅を買いに来るお客さんが来ると、店の奥にいる家の者に対して、「お客さん!」と言って、いち早く知らせることである。彼女の一点を見つめる集中心たるや、いやはやすごいの一言である。彼女の気迫にあやかろうと思って握手をさせてもらった。
 午前中にそのおばあちゃんを見たが、同じ日の夕方もその店に寄ってみた。おばあちゃんは相も変わらず虎視眈々と店番をしていた。

泰日文化倶楽部卒業生の在タイ第1回交流会

昨日、バンコク在住のK氏からメールが有った。「今晩、泰日文化倶楽部の卒業生達で食事会をします。題して、第1回交流会です。先生、スカイプをするようでしたら、スカイプでお話ししましょう」
 私はスカイプをしないと返信すると、今度はLINEが入ってきた。かくして、皆さんと次から次に無料電話ということになった。
 いやもう、実に嬉しかった。皆さんが元気に活き活きと生活しておられるのがよく伝わってきた。そして、皆の声をまとめれば、こうである。
 「タイに来る前に泰日文化倶楽部でタイ語を勉強しておいてよかったです!」
 昨晩、集まった方達はいずれも皆、日本大使館関係の面々であった。
 ここで少々、自慢させていただくとするならば、タイの日本大使館へ赴任される前にタイ語を習いにみえる外交官を泰日文化倶楽部は永きに亘りご指導してきている。彼らが喜んで下さると、私も非常に嬉しい。

バッグのデザイナー

泰日文化倶楽部に1年前から入会されたKさんはバッグのデザイナーである。ロンドンの芸術大学で学び、帰国後は、TOMOO というブランドを起ち上げ、感性豊かなバッグを創作し続けておられる。タマサート大学からの招聘を受けて、講師として5年、バンコクにも住まわれた経験がお有りなので、タイ語はかなりおできになる。
 先週、彼女のバッグを級友が買ったらしく、それを見る機会が有った。日本の着物の生地と、タイの少数民族が愛用している生地の両方を使ったバッグを見て、その発想に感心した。見事な融和であった。
 着物だけだと地味めだ。そこにエスニックを取り入れると、可愛くなる。そして、日本で縫製しているから仕上げが非常に丁寧である。このバッグだと、街の中でも一目置かれること間違いなし。