タイ女性と代理出産

最近のニュースとして、タイ女性(21歳)の代理出産が話題になっている。代理出産であれば他国でも実施されているであろうから、それだけならニュースにもならない。しかし、タイ女性が産んだ双子のうちの一人がダウン症であったため、依頼主のオーストラリア人夫婦がその子の引き取りを拒否したことに端を発し、オーストラリア首相までがコメントを出し、さらには、多額の寄付が集まっていることに対して、当該のタイ女性が明るく会見している姿をテレビで見て、これから先のことをつい案じてしまった。
 30年前の話になるが、その頃、幼児誘拐が多発し、ヨーロッパへ売り飛ばされて行った事件があった。何とかわいそうなことであろうかと思ったが、今回の事件は代理出産業というビジネスが問題だ。依頼する側にとっても、そして、依頼される側にとっても、リスクが大きすぎる。問題が発生すれば、仲介業者はおそらく責任をとろうとはしないであろう。
 私は仕事上、複雑な家庭環境で育ったタイ女性と接することが多々有るが、いつも願うこと、それは、タイ人の持ち前の明るさを維持し、普通の生活をしてほしいということだ。代理出産をしたタイ女性は、「貧乏だったから」と答えた。この言葉を私はこれまでにいやというほど聞かされてきた。貧乏から逃れるために、女性であることを売り物にしてはいけない。やむを得ずやってしまっても、十分に反省をし、それを繰り返してはならない。タイの少女達には教育の機会をできるだけたくさん与え、判断力のある女性に育ってほしいといつも願っている。

蝉の大合唱

毎朝6時前に目が覚める。学習院の森から蝉の大合唱が聞こえてくるからだ。窓を開けて空気を換える。すると、蝉がマンションの木に飛んで来て、ミンミンと鳴き始める。
 蝉という漢字は、「虫」+「単」だから、イメージ的には静かな感じがするが、なんのなんの、うるさいったらありゃしない。「うるさい」は、「五月蠅い」と書くが、蠅のほうが断然、静かだ。
 タイ語で蝉は「จักจัน ヂャッカヂャン」。鳴き声から由来していると思われる。そう思えば、ヂャッカヂャンとも聞こえないでもない。
 しかし、8時を過ぎると、蝉の声は聞こえなくなる。朝寝の時間かもしれない。
 その代わりとして、車の往来の音が聞こえる。東京の中でも大動脈の環状4号線。すなわち、明治通りだ。外国人観光客に人気のある明治神宮の静寂さとは対照的なる経済活動の音! 一日の始まり、始まり。

滝 or 池ポチャ

昨晩、「タイ語初級 18:00」のクラスを手伝った。生徒の一人が、「13日からタイへ旅行します。チェンマイのドイインタノン山にも登ります。滝を見るのが楽しみです」と、嬉しそうに言った。
 そこで私は白板に、「น้ำตก nam-tok 滝」と書いた。
 すると、Hさんが、「私は ตกน้ำ tok-naam 池ポチャでしたよ」と言った。どうやらタイへ行って、ゴルフ三昧の休暇を過ごして来られたばかりのようであった。
 滝というタイ語は、「水+落ちる」、そして、ゴルフの池ポチャは、「落ちる+水」。語順が変わると、別の意味になるわけだ。
 この日は、扇風機の話も出た。扇風機は、「พัดลม phat-lom 扇+風」。もし、「ลมพัด lom-phat 風+吹く」だと、風が吹くになる。語順が変わると異なる意味になる場合がタイ語には山ほど有るから、こつこつ勉強していくしかない。
 授業後、いつもの通り、東京で一番安い居酒屋へ行き、反省会かたがた皆でワイワイやり、頭の疲れをとった。

自然の中の生活

昨日、池袋西武デパート内のリブロで行われている古本市に行った。多くの人が暑さを逃れて、いえいえ、叡智を求めて、古本を物色していた。たくさん買い過ぎると持ち帰るのが重いので、5冊にとどめた。
 そのうちの1冊は、『ソローとアメリカ精神 米文学の源流を求めて』(日本ソロー学会 2012年 金星堂)。ヘンリー・ソロー没後150周年を記念して、日本の米文学研究者達が書いた論集である。
 2006年9月、私はプミポン国王の生誕地を取材するため、ハーバード大学近くの病院へ行ったり、実際に住んでおられたアパートの写真を撮ったりした。そして、ソローが住んでいたボストン近郊のコンコードまで足を伸ばし、レプリカではあったものの、<ソローの小屋>の様子を見、自然を愛したソローの生き方に少しばかり触れてみた。さらには、近隣に住んでいたオルコット(『若草物語』の作者)の家へも行き、彼女の執筆デスクも目におさめた。
 あまりにもスピード化された現代。東京の生活は疲れる。だが、避暑に行く時間が無い。せめて、この本を読んで、「自然なる生活」を取り戻さなければ….。

「絶対に通じる旅のタイ語」 & 土曜日の新規クラス

昨日、11時から「絶対に通じる旅のタイ語」に、1名の参加者が有った。彼はもう10回以上もバンコクへ出張しておられるそうだが、これまで独学であったため、そろそろ発音を磨かなければという意識がめばえてきた時期であった。若いので、発音はいくらでも矯正可能とみた。
 12時30分からは、予定通り、「タイ語入門 土曜日12:30」を開講した。これには4名の見学者が参加された。90分、丁寧に教えた。だが、このクラスに正式の生徒として学ぶ予定であったKさんは現れなかった。
 私は見学者達に言った。「このクラス、生徒さんがいないので、今日限りです。幻のクラスとなりました」
 彼らは状況がつかめず、きょとんとするばかり。住んでいる場所を尋ねると、一人の女性は「鎌倉です」と答えた。
 「鎌倉は遠いですね。通ってくるのが大変。お住まいの近くでタイ語教室を探されたほうがいいかもしれません」と、私。
 すると、彼女はすかさず応じた。「あの、実を言いますと、私、7年前にもここに見学に来たことがあります。その時も全く同じことを言われました」
 それを聞いて、相変わらず商売っ気が無いなあと、思わず苦笑した。
 いずれにせよ、授業後、見学者達は全員、泰日文化倶楽部に入会することを表明してくださった。

てるてる坊主

 日本語を習っているタイ人から、「これ、何ですか?」といって見せられたのは、てるてる坊主であった。
 「ああ、これはですね、てるてる坊主と言います」と答えると、彼はさらに尋ねた。「何のため?」
 そこで、私は説明してあげた。「子どもが遠足に行く時、雨が降らないようにと願って、てるてる坊主を作り、縁側につるして置く習慣があります」
雨といえばスコールのイメージが強いタイ。そのタイから来た彼には、私がいくら説明してあげても、納得がいかず、ただただ気味わるがるばかりであった。
 そういえば、最近、てるてる坊主を見なくなった。いつも庇のところにぶらさげていた民家があるが、もはやその家は朽ち果ててしまい、はたして住んでいる人がいるのかどうかも怪しくなった。子供達が成長し家を出たようだ。
 大正ロマンの香るお屋敷も解体され、マンションとして生まれ変わった。鉄骨の窓枠に〝てるてる坊主″はもうみられない。

在宅看護

泰日文化倶楽部が入っているビルの4階に、在宅看護を専門とする会社が事務所を構えている。8月、7回にわたって、その会社はセミナーを開く。泰日文化倶楽部の教室を貸してほしいと申し出てきたのは5月であった。
 昨日、教室の机の配置を見たいということで、4名の中年女性が下見に来られた。20脚のイスをきちんと配し、白板消しにいたるまで、すべて文房具は新しく整え、窓ガラスも磨いていたので、私としては自信満々で彼女達を迎えることができた。
 聞くところによると、東京の場合、有料老人ホームは1ヶ月に30万円以上、かかるそうである。しかも、入所までに相当に待たされるとのこと。さらに、回復の見込み薄の老人の場合、病院をたらい回しにされた挙句、最後は自宅に帰るほかない、とも聞く。
 となると、在宅看護のビジネスは、今後、とても忙しくなりそうだ。何故ならば、第一次ベビーブームの人達がどんどん年をとって病気になっていくから…。
 病気になってしまうと体力も気力も、そして、記憶力も衰える。そうなる前に、日頃から、頭も口もきたえておこう。それには、外国語の勉強が一番。こつこつ学ぶと、持久力もつく。

結構、つながってるもんだ

昨晩、「タイ語中級 水曜日18:30」のクラスで4年間、真面目に通って来られている千葉県在住のMさん(写真館経営)から、会うや否や、こう話しかけられた。「先生、大学生のN子さんを教えてるでしょ?」
 私はすぐに彼女の顔が浮かんだ。「はい、よくできますよ」
 すると、彼は話を続けた。「彼女の成人式の写真、私が撮ったんです!」
 あらあら、Mさんと私の間にN子さんが入って来てつながるとは不思議である。
 つい、先日も、薬膳カレー屋のマスターと話しているところに、一人の男性がやって来られた。彼が帰ったあと、マスターが言った。
 「彼は普茶料理『梵』の店主です。彼とは幼馴染。彼の店にも行ってやってください」
 それを聞いて、私はすかさず答えた。「その店なら16年前から食べに行ってます。教え子の女子大学生のお母さんがその店でバイトをしており、招待されたのがきっかけです」

徳川夢声 と 活弁 

『日本人は何を捨ててきたのか』(鶴見俊輔・関川夏央の対談集 筑摩書房 2011年)を面白く読んだ。その中に、徳川夢声(弁士。作家。1894-1971)のことが書かれてあった。
 弁士とは、<活動写真弁士>の略語である。そういえば、映画のことを、昔の人は<活動>といっていたことまで、なつかしく思い出された。
 無声映画というものを映画館で一度だけ観たことがある。もちろん、徳川夢声の記念特集という企画で。白黒の画面の中で、彼の声が一コマ一コマを自由自在に斬りまくった。
 今のテレビは雑多な音が垂れ流しである。真面目に聞きたいニュースですら、民放ではおどろおどろしい音楽をつけてドラマ化している。
 徳川夢声の語りがもう一度聞きたい。彼の話術の中にみられる間の取り方、そして、落ち着いた語りをもう一度…..。

名無しのプレゼント

昨日の午後、教室に用事が有ったので外出しようとして玄関の扉を開けると、外側のドアの取っ手にビニール袋がぶら下がっていた。このようなことはかつて一度もなかっただけに不思議な感じがした。
 ビニール袋の中にはタイ語の本が2冊入っていた。添書きは一切、無し。一体、誰が? 
 急いでいたので、上がり框のところに置き、帰宅したら捨てようと思った。しかし、歩きながらとても気になって仕方がなかった。マンションの住民とも考えられない。何故ならば、皆さん、タイには全く関心が無いから….。
 帰宅後、マンションの管理人にも尋ねてみたが、廊下の掃除をしている時にはビニール袋を見かけなかったそうだ。
 しばらく考えてから、もしかすれば、今年4月に私の家に泊まったタイ人女性かもしれないという結論に達した。
 いずれにせよ、本でよかった。タイ人と日本人のハーフの赤ちゃんでも置き去りにされれば大変。子育て経験が全く無いからだ。