生け花は何歳からでも大丈夫

 昨日、「第78回アジア女性のための生け花クラス」が開催された。78回もやってきて、日本人だけの参加というのは初めてのことであった。いつもはミャンマー女性が参加し、ミャンマー語が飛び交うのであるが、8月は、皆さん、ミャンマーにお里帰りされたそうだ。親戚に会って、楽しい日々を過ごされておられることであろう。
 ところで、何回やっても一向に上手にならないので、華道講師にこう言った。「芸事は小さい時からやらないと駄目ですね」 
 すると、講師はすかさず答えられた。「そんなことありません。音楽関係は別ですが、生け花の場合は違います。世の中のことが幅広く見られるようになるのは大人。それからでも決して遅くありません。何歳からでも大丈夫です」
 それを聞いて、安堵した。では、もう少し、続けてみよう、世の中の森羅万象に驚きながら.....。

スーパーの真ん前にコンビニ

 泰日文化倶楽部のすぐ近くにあった高級レストランが62年間の経営の後、閉店したのは今年5月。立派な建物なので、次にどのような業種が入るのであろうかと思っていたら、コンビニになった。
 しかし、道路を隔てた反対側には、これまた50年以上も続いている大型スーパーが有る。スーパーの前にコンビニとは、なんと強気なことか。新しいコンビニの50メートル手前にはすでに別のコンビニが有るというのに。
 買物をする場合、スーパーでもコンビニでも全く会話をする必要が無いので、それはそれでらくなのだが、こういう状態が進んで行くと、会話の少ない日本人がどんどん生まれてきそうである。
 バンコクへ行っても同じことが言える。コンビニで買物をするだけなら、そして、BTSに乗るだけなら、タイ語は要らない。せっかく旅行しても、タイ語をしゃべるのは、ゴルフ場のキャディーとマッサージ店の女性だけならば、会話の内容はおのずから決まってしまう。タイへ行くなら、タイ語をしゃべる場所を開発しなければいけない時代になってきた。

茶道30年

 泰日文化倶楽部が入っているビルにはたくさんの税理士事務所がある。ご主人が税理士、奥さんが事務員という形態が多い。私は管理組合の理事をしている関係で、どの奥さんとも親しく言葉をかわしている。
 昨日、エレベーターで一緒になった一人の奥さんと話をした。「お茶のお稽古、いかがでございますか?」
 彼女は答えた。「はい、続けております。でも、お茶とお菓子をいただきに行っているだけですの」
 それを聞いて、それは謙虚なものの言い方であり、彼女が30年以上も茶道に精進していることがすぐにわかった。
 彼女はさらに言った。「やめたら終わりですからね」 私も同意した。「そうですよね。やめたら終わりですよね」
 日本の伝統的な芸道に対して、研鑽を積む日本人は多い。精神世界を求めているのであろう。それに比べると、日本人の外国語に対するくいつきようは甘いと思う。やめないで、とにかく続けてみようではないか。
 

「野」という漢字

 昨日、タイ人に漢字を教えていると、「野」という漢字が出てきた。「野原」「野菜」「野性」、等々。この漢字は、「の」と読んだり、「や」と読んだりするので、外国人にはまぎらわしいことであろう。
 「野原」とか、「飯野」の如く、「の」と読むと、小規模的で、なんだか落ち着いた気分になれる。しかし、「荒野」とか、「広野」のように、「や」と読むと、いかにもワイルドである。
 この感触から言うと、「野球」もワイルドであり、アウトドアのスポーツである。今はドーム型の球場が主流になっているが、少年達がどこまでも白球を追いかける姿は実にさわやかである。
 イチローが「日米通算4000安打」を達成した。その瞬間を今しがたテレビ中継で見たが、彼の表情はいつもの如くであった。通過点に過ぎないのであろう。野原で球を打った少年時代の彼、まだまだ遥かなる精神世界の広野に向かって行くのは誰しも疑いようがない。
 

森ガール と 麻の服

 「山ガール」という言葉を聞いてからもう久しいが、それに加えて、最近は「森ガール」だそうである。その「森ガール」のファッションについて、泰日文化倶楽部でフランス語を習っているダブルAパニック店主のYさんが教えてくださった。
 Yさんによると、森ガールのファッションは、ナチュラルであること、そして、縛りが無いふわーっとしたもので、麻の服などは最適だそうである。彼女はその麻製の服を仕入れるため、今週、インドへと向かう。
 確かに、麻の服はなんとも形容しがたいほど着心地がいい。私も今夏はタイで買って来た麻のブラウスを愛用している。どんな猛暑であろうとも、麻なら涼しい。難点は、皺が目立つこと。だが、皺こそが麻の象徴でもある。
 かつて、バンコクで昔の生徒さんとお会いした時、彼は白い麻のスーツで現れた。彼はもう天国に旅立ってしまわれたが、彼のファッションだけは脳裏に焼き付いて離れない。

不思議な展開と縁

 最近、古本市で、『フク・ホロヴァーの生涯を追って』(吉澤朎子著 草思社 2002年)という本を購入した。20世紀にチェコで暮らした福という日本女性の話が書かれている。裏表紙に、ヤン・レツルという人物の略歴が書かれており、その人が広島物産陳列館(原爆ドーム)を設計した建築家であることを知った。それだけではなくて、上智大学1号館(注:関東大震災で潰れる)も設計したことを知り、親近感を持った。
 ヤン・レツル(注:一般的表記は、ヤン・レッツェル)はボヘミア生まれのチェコ人である。ネットで検索していると、日本に関係あるチェコ人の一人として、アントニン・レーモンド(1888-1976)という著名な建築家が出てきた。彼はライトの部下として来日して以来、たくさんの建築物を残しているが、そのうちの一つが東京女子大学の礼拝堂、及び、東寮・西寮である。
 その東寮に私は3年間、住んでいた。しかし、1923年9月1日の関東大震災直前に竣工されたばかりの寮は、数年前に大反対のうちに解体された。いくら歴史的に価値があろうとも、その維持が難しいという理由で。
 何気なく買った一冊の古本から、まさか自分の学生時代の日々にまで戻っていくとは思いもしなかった。ネットのおかげである。

映画2本 「愛、アムール」 & 「偽りなき者」

 昨夕、早稲田松竹へ行き、映画2本を鑑賞した。「愛、アムール」は老夫婦の最期の生き方に関する内容であった。ちらしの説明を引用すると、「パリ、音楽家の夫婦。人生の最終章をともに生きると決めた至高の愛の物語。世界を震撼させた壮絶な愛の決断。あなたは、愛する人の最期を決められますか」
 私としては、フランス人がどのような考えを持って老後を送るのかが知りたかった。そして、フランス語を聞くのも目的であった。
 もう1本の映画「偽りなき者」は、デンマーク映画であった。デンマーク語とポーランド語は全然わかる由もないが、映画づくりは緻密で、提起するものが多かった。子供の嘘により自分の人生を破壊された男が決して譲れない尊厳をかけて闘っていく....。
 日本のどこにでも有り得る、いや、自分の身の周りにおいてすら、今日にも遭遇しそうな問題であったので、寒々としてきた。

今日から授業再開!

 夏期休暇の1週間が終わりました。今日から授業を再開します。是非、いらしてください。
 授業予定表から言いますと、2013年の3分の2がすでに終了し、あと3分の1となりました。これからは、涼風を期待したいところですが、猛暑はまだまだ続きます。さらには、これからは台風もやって来ますが、自然現象を泰然として享受し、タイ語の勉強を楽しみましょう。
 8月はタイへ旅行された生徒さんが多いです。皆さん、タイ語をたくさんしゃべり、タイ語の学力を実感されたと思います。また教室に戻って来られ、新しい単語や表現をたくさん学び、次のタイ旅行に備えてください!

<食い逃げ> をタイ語で言うと

 太陽君が東京にやって来たのは6月14日。2ヶ月以上、お世話してきたが、いよいよ明日、東京を離れることになった。「そんなにまでお世話するということは、彼の家に対して相当の恩義を感じるものが有るからですか?」と訊いてくる人がいるが、そんなものは何も無い。有るとすれば、彼の母親が20年前に、泰日文化倶楽部で熱心に教えて下さった恩義をいつまでも覚えているので、私は息子さんに優しくお返しているということであろうか。
 太陽君は美食家である。昨晩、面白い表現を教えてくれた。「<食い逃げ> という言葉を教えましょうか。กินแล้วชักดาบ と言います。<食べ終わると、刀を抜く> というのですが、これは日本映画のシーンから採用されたんです。サムライが団子を食べたあと、金が無くて、食台をひっくり返し、刀を抜くシーンから採ってます」
 私は言った。「太陽君が食い逃げするのは大丈夫。私がちゃんと払っておきますからね」
 

甲子園で聞く校歌

 甲子園で行われている高校野球は今年で第95回目。この記念大会に母校が出場したので、後援募金通知を受け取った時、すかさず送金した。対戦相手が横浜であったから、多くを望むことは無理という気持ちが半分以上、しかし、もしかしたら、好試合を展開してくれるかもという期待も持ちつつテレビの前で応援した。結果はやはり....。
 何よりも良かった点は、母校の校歌を久しぶりに聞いたことだ。卒業して48年。高校時代に野球の応援に行ったことが思い出された。
 目下、夏期休暇中なので、高校野球を毎日見ている。格別、応援するチームはないが、試合が面白ければいい。毎回、各校の校歌を聞いていると、なかなかにすばらしいと思う。山紫水明の景色が歌詞に盛り込まれており、行ったことの無い地方でも、その美しさが想像できる。
 新しい学校だと、校歌もポップな曲や軽い歌詞になりつつあると聞いているが、校歌はやはり重厚なるほうがいい。ちなみに、我が母校の校歌を作詞した人は、作家の中河与一である。