流しのタイ人と生徒さん

昨夜、タイへ旅行中の生徒さんからラインで動画が送られて来た。そして、次のような文面が添えられてあった。
 「流しのお兄さん、初めて見ました。サナームパオの駅前のシーフードレストランでした。思わずリクエストしました」
 流しのお兄さんは、40歳半ばに見える。人生の酸いも甘いもわかる年齢に達しているせいか、哀感がこもった歌い方だ。生徒さんは、すかさず、「うまいね」と言う。ただし、それは日本語。
 共感を覚えた生徒さんは、途中から一緒に歌い始めた。それを聞いた彼の音程に私はびっくり。うまい!
 教室では毎回、彼に対して声調の間違いを注意しているが、彼の歌を聞いていると、うまくリズムに乗っているではないか!そして、流しのお兄さんに共感しているから、彼も乗り乗り。
 その乗り乗り感を日本でも発揮してもらいたいと、再度、動画を見ながら思った次第である。

清張さんの優しい教え

『清張さんと司馬さん 昭和の巨人を語る』(半藤一利 2001年 NHK人間講座)を読み返していると、それはそれは示唆に富んだヒントが盛りだくさん。だから捨てずに長らくしまっておいたのであろう。昨日は、次なる段落に興味を覚えた。
 「清張さんの優しいお人柄については、すべての編集者が口を揃えて言うことでしょう。こんな話を聞いたことがあります。これは女性編集者です。銀座で待ち合わせたとき、なんと、この女性は四十分くらい清張さんを待たせたらしい。″ごめんなさーい″と甘えて言ったら、無言のまま、清張さんはさっさと勘定を払って店を出ると、件(くだん)の女性を和光へ連れていった。そして時計を買って与えたというんですね。そして、″編集者は時間を守らなきゃいけない″と、ただ一言。いらい、その女性編集者は時間には決して遅れないようになったとか。厳しくも、また優しい教えなんですね。清張さんは、失礼ながら、あの風貌からは想像できないかもしれませんが、それくらい優しい人なのです」
 携帯が無かった頃の話とはいえ、いろいろと考えさせられる。

痔瘻

どこのテレビ局も健康に関する番組が多い。個人差が有るからどこまで信じていいのかわからないが、年をとるにつけ、以前よりも真面目に見るようになった。
 先日、NHKのEテレで「痔ろう」を取り上げていた。わかりやすいCGで患部の切除の仕方が説明されると、なるほどと見入ってしまった。
 しかしながら、私には別の関心が有った。「痔瘻」と書かず、何故、「痔ろう」と書くのであろうか? それは、「痔瘻」の「瘻」の字が画数が多すぎて、難しすぎるから。「憂鬱」を「憂うつ」と書くのと同じなのであろう。そう、思っている。
 今日のタイトルは「痔瘻」であるが、痔(ริดสีดวงทวาร)の話をしたいわけではない。あくまでも画数の多い漢字はやっかいだと言いたいのである。
 今日から数えて38日後に新しい元号が発表される。公的書類にはあくまでも元号がつらぬかれるので、願わくば画数の少ない漢字の組み合わせにしてもらいたい。「平成」の元号が発表された時、ピンと来なかったが、30年間も書き続けてくると、「平成」という漢字は、書くのにはまあラクなほうであったと思う。

英語をタイ語に訳しなさい

 昨日、パンを買ったら、ビニール袋にすばらしい英語が書いてあった。英語とタイ語の双方の同時勉強を兼ねて、英語からタイ語に訳してみてはどうだろうか。
 英会話学校の授業料はものすごく高い。日常生活の中で英語を毛嫌いせずに、英文の構造に接していれば、英語の力も少しずつつくはず。 
 英語とタイ語における文の構造はほぼ同じ。そういった意味では、タイ人の英作文能力のほうが、日本人よりもすぐれていると私は思う。
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夏目漱石の英語教師像

『随筆 一隅の記』(野上弥生子著 新潮社 昭和43年)の中に、「夏目先生の思い出」という章がある。野上女史は懇意にしていた田辺元氏(哲学者)が一高時代に漱石から英語を教わったことを知り、漱石先生に対する印象を尋ねたくだりを次のように紹介している。
 [学力はすばらしいと思った。けれども、非常に冷淡で、生徒に対しても親身でなかった。つまり、ほんとうに身を入れて教えてくれるという熱意がなくて、ぼくはいやでした。嫌いな教師でした]
 野上女史は御主人である野上氏を通じて、<漱石山房>のことをよく知っていたし、直接、漱石に会ったことも5~6回有るそうだ。田辺氏の漱石先生に対する率直な感想を聞いて、彼女なりにそれを肯定的に受け止めている。
 語学は人に教わるのは20%程度に抑え、あとは自分で勉強するものだ。教師云々ではない。よく出来る学生はすぐに教師を追い越すことができる。
 私も大学で教えていた時、次なる経験が有る。1クラス40名の生徒がいた場合、ものすごく出来る学生もいれば、20点に近い学生もいた。そこで、平均値をとって、わかりやすい授業を心掛けた。ところが、一人の学生に言われた。「手を抜いている」、と。そんなつもりは全くなかったが、こちらの真意は曲解されるものだと、その時、つくづく思った。

久々の中国語クラス

「旅の中国語:土曜日14:30」のクラスは、中国人講師のご都合により2ヶ月ほど休講にしていた。だが2月16日から授業再開。受講生4名のうち3名が参加。「好久不見」と言いながら、なごやかな空気が流れた。
 タイ語講師であるパック先生にも中国語クラスを受けることをお勧めした。何故ならば、「タイ語中級:土曜日12:15」のクラスが13時45分に終わり、次のクラスの「タイ語初級:土曜日16:10」が始まるまでの約2時間半、近くのカフェへ行ってもらっても人がいっぱいで、落ち着いて時間を過ごすことができないであろうと思ったからである。
 若いタイ人男性が参加したことで、中国人女性講師は興奮気味。生徒はやはり若ければ若いほどよいということだ。
 私は初めて中国語を勉強するというパック先生の勉強ぶりを観察した。途中からどんどんエンジンが回転し始めた。何故ならば、彼は中国系タイ人(=広州の中の潮州)で中国語の音には知らず知らずのうちに慣れているからだ。それに語順(=文法)は中国語もタイ語もほぼ同じ。
 一方の日本人は外国語を勉強しても進捗度が遅い。島国であることのハンディはまだ当分続くであろう。

入門クラス 新規開講!

昨日(2月16日)から「タイ語入門 土曜日18:00」のクラスを新たに開講した。去年9月以来の新規クラスとなる。参加者は少ないが、生徒達のタイ語を習いたいという熱意に応えてスタートさせた。
 すると、「タイ語初級 土曜日16:10」の生徒達が復習を兼ねて、一緒に参加した。復習することはいいことである。
 新しい生徒さんを迎えて、教室に「梅一輪」が咲いたみたい。昨日の参加者は男性であったから、「白梅」にたとえられよう。来週からは日本語教育をしっかりと受けられ、日本人並みの日本語能力を持っている中国人女性が参加することになっている。彼女は「紅梅」。
 そして、3月1日からは「タイ語入門 金曜日18:30」を新規開講する。参加者は女性2名。雛祭りも近いから、彼女達を「桃の花」にたとえよう。そうこうするうちに、桜だ。タイ語を習いたいという方達がたくさん現れることを期待している。

今日の宿題

久々に宿題を出す。以下に列挙するタイ語に相当する部類の単語をタイ語で書いてみよう。初級レベルの生徒は5語ずつ、そして、中級レベルの生徒は10語以上を目指すこと。
(1)เครื่องปรุงรส

(2)เครื่องมือ

(3)เครื่องดนตรี

(4)เครื่องเขียน

(5)เครื่องสำอาง

「左手のピアノ国際コンクール」とタイ人ピアニスト

昨日、NHKのBSで、「第一回左手のピアノ国際コンクール」(於:箕面市 2018年11月2~4日)が再放送された。ピアノの音色を聞きながら編物をしていたところ、突然、私の手が止まった。何故ならば、そのコンクールにタイ人青年が参加しており、タイ語が聞こえてきたからである。
 NHKは出場者の数人に関して、彼らの精神的苦悩を生活の場にまで入って取材していたが、その中の一人として、タイ人青年のガン・チャイキティワタナさん(21歳)も含まれていた。
 したがって、映像はバンコクに飛び、ガンさんがマヒドン大学の恩師を尋ね、恩師から「左手のピアノ国際コンクール」に出ることを勧められる様子が映し出された。その恩師は日本人女性で、バンコクに20年も居住し、タイ人にピアノ指導をしておられるとのこと。コンクール当日にも応援に駆けつけておられた。すばらしい指導者であることか!
 ガンさんは2位であった。彼はヨーロッパのオーケストラと一緒に演奏したこともあるので、高度な技術と精神力の持ち主であることが素人の私にもわかった。局所性ジストニアという病気(=脳が誤作動を起こし動かしたい部位が思うように動かなくなる)を抱えた彼。しかし、同じ病気をかかえる日本人ピアニストと同じく、ピアノにかける情熱はプロ級であった。

91歳の女性

泰日文化倶楽部が入っている雑居ビルに、独り住まいの高齢者が二人(男性と女性)おられる。そのお二人とエレベーターホールでお会いすると、積極的に声をかけてあげることにしている。特に、女性とは立ち話をして、健康へのエールを送ってあげる。先日、彼女はこう言った。
「娘が自分の家の近くに介護施設を予約してくれており、いつ行ってもいいことになっていますが、私は行きません。施設に入ったら、買物に行けなくなりますからね」
 彼女の御主人は税理士(นักบัญชี)であられた。7年前に他界されたが、かつて私はそのご主人と一緒に管理組合の理事をしていた。したがって、税理士事務所にもお邪魔したことがあるが、その際、奥様がしっかり計算をしておられる姿を見た。
 15年後の今、彼女は91歳。もうすぐ92歳だそうだ。一回も骨折をされたことがないとのこと。骨格が強いのであろう。
 いずれにせよ、数字に強いことはいいことだ。まだまだ一人暮らしはできる。
 ひるがえって語学を習う我々は単語を覚えることで脳を鍛えよう。そして、90代を目指そう。