新しいフランス語講師

 フランス語講師のレイラ先生が留学を了えてパリに帰ってしまわれた。そこで新しいフランス語講師を探すことになった。泰日文化倶楽部の生徒に「誰かフランス人のお知り合いはいませんか?」と、尋ねてみたところ、先月から入会されたばかりのK氏がすかさず言った。「知ってます!」
 その後は、話がとんとん拍子に進み、一昨日、新しいフランス語講師とお会いすることができた。スペイン女性だが、フランスでフランス語を勉強したから教えることができるそうだ。彼女と私の会話は英語であるが、英語の先生をお願いしても大丈夫なくらい上手であった。アメリカで英語を勉強されたそうだ。
 彼女は「泰日文化倶楽部まで自転車で来てもいいですか?」と私に訊いた。「駐輪場もあるのでかまいませんが、東京は坂が多いですからね」と、答えた。
 そして、話が進んでいくうちに、私がタイ人、もしくは、ハーフだと思ったらしい。「れっきとした日本人です。でも、もしかすると、祖先はタイから来たかもしれません」と言うと、彼女は納得した。
 新しい講師の名前はテレサ先生である。

「首がすわる」というタイ語

 昨日、今年の4月から産休に入っていたノン先生が、赤ちゃんを連れて、教室に挨拶にみえた。赤ちゃんは4ヶ月。泣くこともなく、女性の生徒達の人気者になった。「首、すわってますね」という誰かの声に、ノン先生が「はい、すわってます」と答えた。
 タイ語では、「首がすわる」を、「首が硬い คอแข็ง」と言うそうだ。それを聞いて、「あらあら、酒が強い คอแข็ง という表現と全く同じですね」と、私が言うと、皆、大笑いとなった。男の赤ちゃんだから、将来、酒が強くなっても決しておかしくはない。女の赤ちゃんだと、少々困るけれど….。
 辞書を見ると、「คอแข็ง」には、他に、「参ってしまい言い返すことができず黙っているさま」、とか、「寝違えて首が回らぬ状態」、とか、「夜会服などの硬いカラー」、という意味もあると書いてある。
身体名称を使ったいろいろな表現をノートに書きつけることはとても勉強になるので、時間があればたくさん調べてみるといい。特に、「口」、「手」、「目」、そして、「心」に関するタイ語表現は、タイ人のものの考え方が分かって面白い。
 

大阿闍梨の酒井雄哉師の『一日一生』

 大阿闍梨の酒井雄哉師が先月(9月23日)に逝去された。千日回峰行を1980年と1987年の2度に亘って達成された大阿闍梨に関しては、その精神の強靱さがどこにあるのであろうかと、常々、不思議に思っていたが、聞き書きしてまとめられた『一日一生』(朝日新書 2008年刊)を読んで、疑問がとけた。
 大阿闍梨は若い頃から歩くのがお好きであったようだ。東京で住んでおられた時、三鷹から日本橋まで、毎日、歩いて往復していたのを知ると、千日回峰行で毎日30キロ~70キロを歩くのは、その延長線上であったものと思われる。
 本の中でご自分の来歴をわかりやすく述べられているのを読んで、何事を成すにも、その前の準備段階が要ることをあらためて教えられた。ひたすら歩く。それを毎日続ける。師の言葉をお借りすれば、「毎日、くるくる、同じことを繰り返す」ことだそうだ。
 語学の勉強も同じ。毎日、こつこつ単語を覚えれば、小さな成果が得られるであろう。その小さな成果と成果をパッチワークの如く結びつけながら、日々、繰り返していけば、何かが見えてくる。見えなければ、見えるまでとにかく、くるくる、こつこつ、繰り返すしかない。

「聞く」、「聴く」、「訊く」というタイ語

 日本語にも、「聞く」、「聴く」、「訊く」というように、その使い方によって、漢字が異なるが、そういうことは、タイ語でもみられる。
 「聞く」、「聞こえる」は ได้ยิน 、「~と聞いている」は、ได้ยินว่า
「聴く」は、ฟัง 、 「歌を聴く」は、ฟังเพลง
「訊く」は、ถาม、 「彼に訊いてみる」は、ถามเขาว่า
その他に、「~という情報を得ている」は、ได้ข่าวว่า 、「~という噂を聞いている」は、มีข่าวลือว่า もある。
長く勉強していると、これらの動詞の使い分けはきちんとできるようになるが、初心者にはむずかしい。
 さらに、よく間違える動詞が有る。それは、「わかる」という単語である。これには、「理解する เข้าใจ」、「知識として知っている รู้」、「経験を通して知っている รู้จัก」などというふうに、タイ語では分かれるので、初心者はこんがらがる。
 混乱を防ぐには、なるべく応用例を覚えて使ってみることだ。そして、失敗を繰り返し、講師から何度も訂正されながら、覚えて行くことをお勧めする。

インドネシア語を習った学生

 インドネシア語を前期に習ったという学生が10月からタイ語を受講することになった。「インドネシア語をやめて、何故、タイ語を受講することにしたのですか?」と尋ねると、彼は答えた。「後期からは、取りたい授業とインドネシア語のクラスが重なったため、やめました」 
 彼の理由が納得できたので、代わりにタイ語を選んでくださったことに感謝し、前期の授業分を少しでも取り戻すべく、タイ語を易しく、そして、優しく、教えている。そうすることで、前期から継続して勉強している学生と後期からの学生のレベルがかなり接近するのではないかと思っている。
 幸い、その新しい学生は素直で、何でも興味深そうに聞いてくれる。すぐに発音ができるようにはならないけれど、タイやタイ人について話すことで、タイ語を覚えようという気持ちにさせたい。その私の趣旨を、彼は自然に受け止めてくれているので、教えやすいし、かつ、教えがいがある。
 来年から社会人になる彼は就職先も決まっている。入社予定の会社はバンコクにも支社があるそうだ。それを聞いて、彼に対してタイ語を教える熱がさらに高まった。

ご近所さん

 私は住んでいるマンションの大規模修繕委員をしている。先日、管理組合理事会と合同で会議をした時、お向かいに住んでおられる方が、タイ文字の入ったTシャツを着て出席されたので、大変に驚いた。何故ならば、まさかご近所さんがタイに関心があるとは思われないので、非常に不思議な気がしたからである。そして、最近、わかったことは、お向かいの息子さんがタイへ赴任されたということである。タイのTシャツを着ているということは、おそらくご家族でタイへ遊びに行って来られたか、あるいは、息子さんのおみやげかもしれない。
 隣りに住んでおられる方からも、「私の同級生があなたからタイ語を習ったと言ってますよ」と言われ、どきりとした。その彼とはいまだに年賀状を交わしている。
 泰日文化倶楽部が入っている雑居ビルでも私は理事をしているので、いろいろな話題が入ってくるが、何らかのつながりがある方が数人おられる。東京広しといえども、世間は狭い。人間関係はややこしいが、対人関係はうまく取って、つかず離れずでいかなければならない。

契約書? それとも 処方箋?

 昨日の「タイ語中級 土曜日14:00」のクラスを見学すると、発音の違いから生じた面白い場面が有ったので、以下に書いてみる。
 生徒のK氏はタイの不動産に関心が有る方だ。したがって、不動産関連の語彙がかなり増えてきている。授業中、タイ人講師に向かって、「ใบสัญญา 契約書」と発音したが、講師には一向に通じない。来年、タイに帰って医者になる予定のアイス先生には、K氏の発音が、「ใบสั่งยา 処方箋」に聞こえるということで、話の内容が全くかみ合わない。
 契約書は、bai-san-yaa、そして、処方箋は、bai-sang-yaa である。問題点は、日本人が不得手とする末子音の n と ng の発音だ。さらには、声調の違いが問題となった。契約書の中にある真ん中の音節である sanは上声で、処方箋の中にある真ん中の音節 sang は、低声でなければならない。
 日本人の発音に慣れた講師であれば、あまり気にせず、発音も直さないと思われるが、医者の卵であるアイス先生には、完全に処方箋と聞こえたため、K氏に向かって、丁寧に発音を直しておられた。
 あるいは、逆も考えられる。もし、病気になって、タイの医者に診てもらった時、「処方箋をお願いします」と言いたいのに、「契約書をお願いします」と間違って発音するならば、タイの医者は、「この患者、どこかおかしい?」と首を傾げることであろう。

40年前にタイの寺院で修行された御住職

 昨日、泰日文化倶楽部にとても珍しい客人がいらした。その方は、都内のお寺の御住職であった。厳密に言うと、今年の3月まで御住職をしておられたそうだが、御子息にその地位をお譲りになり、現在は「先住」という肩書であられるそうだ。
 要件は、タイの寺院に手紙を書いてほしいというものであった。以前に一度、電話で依頼を受けていたので、「わざわざお来しいただかなくても結構ですよ」と申し上げたが、「いやいやそういうわけにはまいりません」とおっしゃられて、来訪された。
 電話の声はかすれた感じであったが、実際にお目にかかると、ものすごく矍鑠(かくしゃく)としておられ、理路整然とお話をなさった。そして、40年前にタイの寺院で修行をされた時の写真を見せてくださった。40年前といえば、私もすでにタイ語を教えていたので、同じ時期を生きている感じがした。失礼を承知で御年をうかがうと、なんと83歳。血色もよく、とてもお元気なご様子にびっくり。
 しかしながら、御高齢のため、もうタイへ行かれることはないと公言された。「お寺でのあの生活はもう無理です。井戸を掘るから、拝みに来てくださいと言われても、もう行けません」
 御住職(先代)は、これまでに弟子を数人、タイのお寺へと送り修行させたそうである。来年、久々に弟子をタイへ送り込むのだとおっしゃられて、とても意欲的であられた。

銭湯の日

 昨日、泰日文化倶楽部の近くに有る銭湯へ行った。10ヶ月ぶりであった。熱い湯につかって夏の疲れをとろうと思い、番台でお金を支払うと、銭湯のオーナーから、「はい、どうぞ」と言われ、タオルをプレゼントされた。「どうしてですか?」と尋ねると、「今日は銭湯の日なんですよ」と教えてくれた。10月10日が銭湯の日であることを初めて知った。もしかすれば、毎月10日は銭湯の日なのかもしれない。
 銭湯へ行ったもうひとつの目的は、銭湯のオーナーが飼っているカメレオンに会いに行くことであった。だが、午後4時過ぎのカメレオンはどことなく眠そうで動きが鈍かった。暑さが続いている昨今、無駄な動きを停止しているようである。
 昨晩の授業に、先週の木曜日に引き続き、K氏がタイから遊びに来ている彼女を教室に連れて来られた。授業後、彼女は銭湯に行くと語った。タイ人は他人と一緒に風呂に入ることを嫌う傾向にあるので、彼女の行動が不思議であった。とても日本人的であるからだ。K氏が教えてくれた。「彼女は銭湯、大丈夫なんですよ」
 それを聞いて、日本語が上手な彼女は、日本の庶民文化にまで率先して馴染もうとし、それが功を奏しているなあと思った。

おしゃれなタイ文字

 タイへ旅行された生徒達から、タイのおみやげをたくさんいただく。昨日は、ジャスミン入りの石鹸とチョコレートをまぶした干しバナナをいただいた。いずれの包装も、とてもデザインが良く、開けるのがもったいないくらいである。そして、英語の文字のほうが圧倒的に使われている。”Natural Soap ” & “Gluta Jasmine” とか、“banana society” & “Chocolate Dipped Solar Dried Banana” などと書いている。説明も全部、英語である。明らかに、輸出の拡大を目指していることが見てとれる。
 だが、よく見ると、かすかにタイ文字の併記も有った。例:ส่วนประกอบ/Ingredient, กล้วยตาก/Dried Banana, น้ำตาล/Sugar, น่้ำมันปาล์ม/Palm Oil, โกโก้ผง/Cocoa Powder、等々。だが、これらのタイ文字は、見た目には、英語っぽく見える。
 授業中、よく話題にのぼるのが、教科書の中に出てくる活字体のタイ文字ではなくて、広告等に使用されているおしゃれなタイ文字のフォントのことだ。これらの文字を読むには慣れが必要だ。活字体から、どのようにくずされて変形していったのか、その過程を少しばかり勉強すれば、そのようなフォントにもなじんでくるはずだが、タイ語を勉強し始めた初心者には大変に難しい。語彙を増やして、文章をたくさん読んでいけば、すなわち、タイ語の単語が自分のものになっていれば、どんなフォントで書かれていようとも、理解できるはずだ。