密 vs. 蜜

「3密をお願いします!」とお上がいくら懇願しても、目標達成までにはまだまだほど遠い。「3密」という言葉が上滑りして耳横をかすってしまっているだけだ。
 この「密」の字、なんだか負のイメージを背負っていて気持ちが悪い。この漢字を最初に覚えるのは、おそらく「秘密」ではなかろうか。その後、大人になっていくにしたがって、「密告」、「密談」、「密約」へと進んでいく。
 お上の懇願にしたがって、まじめに自粛している。だが、この「密」の字はもう聞き飽きたので、「蜜」の字に頭を切り替えることにした。「蜂蜜」、「黒蜜」、「餡蜜」、「蜜豆」、等々。すると、頭の中が動き始めた。甘い食べ物をイメージするのはなかなかよろしい。
 気分を直したところで、「般若波羅蜜多」を唱えてみよう。「波羅蜜」=到彼岸、究境は、タイ語では <บารมี バーラミー>である。

タイのマスク

昨日、元タイ人講師(愛称 แจ่ม)から、マスクを送りたいというラインが有った。

   แจ่มจะส่งหน้ากากผ้าไปให้อาจารย์ค่ะ อาจารย์เอาไหมคะ
 มีfilterด้วย ซึ่งกรองเชื้อโรคในทางการแพทย์ค่ะ
 ซักได้๓๐ครั้ง ถ้าอาจารย์เอา ช่วยเลือกลายและระบุจำนวนด้วยค่ะ
 เป็นห่วงอาจารย์และทุกๆคนที่อยู่ที่ญี่ปุ่น เพราะเห็นข่าวว่าติดเชื้อกันแยะค่ะ

  「写真が添付されていて、「14種類の模様の中から選んでください」といわれても目移りがする。それにいずれも高そうだから遠慮することにした。彼女の上記の文章の中に「อาจารย์(先生)」という単語が4度も使われている。彼女の私を思う気持ちはもうそれだけで十分!

物々交換

元タイ人講師から次から次に傑作な動画が送信されて来るので、この非常事態におけるタイ人の気持ちがよくわかる。昨日は、自宅待機をせずに山越えをしようとしている車に対して、野象が一台一台、検問する様子の動画が届いたが、見ているだけで冷や冷やものであった。
 だが次に、タイ人達がボランティアで食事(ビニールに入れたもの)を提供する寺院での光景を映した動画を見てほっとした。タイ人は洪水等、被災した時には皆で助け合う精神が徹底している。もちろん、対人距離を保ち、検温をし、手も消毒した上での話である。
 3番目の動画は、プーケットに住む漁師達が「魚が売れず困っている。明日の米がない」と嘆いていると、誰かが干し魚にすればと助言。そして、ネットにその話を載せると、たちまちのうちに東北タイ(จ.ยโสธร)の方から、「米が有る。交換しよう」と反応が有った。「ชาวเลมีปลา ชาวนามีข้าว」 という言葉で動画は結ばれていた。

今日の宿題

緊急事態宣言後、仕事が休業に追い込まれている者達にとって、収入面だけに限れば公務員が羨ましく思われる。しかし、公務員が楽しい仕事であるかと言えば決してそうではない。従って、皆が皆、公務員を目指す必要はないと思う。この苦難の時代に於いて、自分の来し方を見つめ直し、新規なる仕事を創造しなおそうではないか。
 『食べていくための自由業・自営業ガイド』(本多信一著 岩波書店 2004年)に、自由業・自営業に従事するための心得えが書かれている。
 1)本人自身の固い決意がある
 2)本人に”自由業適性”がある
 3)本人にやってみたい営みがある
 4)貧乏に耐え抜ける資質がある

 上記の4項目をタイ語と英語に訳してみてください。自分には資産が有り働く必要が無い方、あるいは、もう働きたくはない、趣味の世界を楽しみたいという方は、この宿題を免除します。

これからの仕事

いよいよ全国に「緊急事態宣言」が出されることになった。政府がチョロチョロ出しにするものだから、そう言われても危機感が感じられない。愛媛県知事が奇しくも言った。「まるで朝令暮改のようなもので、わけがわからない」
 それよりも心配なことは、仕事をストップさせられることだ。昨夜のNHK「クローズアップ現代+」で慶応大学教授が「フリーランスの仕事をしている人達を守る法律がこれまでに無かった」と言っていたが、それを聞いて、あらためて大変だと思った。
 フリーランスは専門の知識と技術を持って、一発屋で頑張っている。保証は無いに等しい。しかし、彼らがいないと社会はまわらない。「縁の下の力持ち」だから、彼らの存在は見えないけれど…….。
 さて、これからの仕事をどうすればいいか。仕事が無い状態が1年も続けば、きわめて苦しいと思う人ばかり。価値観を変えて、新しい仕事を模索し創造しよう。
 私は先日、或る通訳をしたが、タイ語の実力というよりも、経験値と心情を全面に押し出して解決の目途を導いた。大転換を迎えた今、「心」を頼みとした仕事に立ち向かおうではないか。

あきない(商い)

「士農工商」により、江戸時代は商売人が低く見られていた。だが、商売がひとたびあたれば、これはこれで楽しいものである。算盤をはじくのも楽しかったはず。商いは、「飽きない」に通じ、店の主人は飽きずに頑張ってきたのである。
 現在、この令和2年において、お上からの要請で自粛休業に入った店主達は皆、泣いている。そこで、「あきない」を文字って、思いつきの句を苦しまぎれに作ってみた。

 (1)愛する我が店 きまじめにやって来た なんという政府の愚策 息絶え絶えに訴えたい

 (2)悪政ここに極まれり 期待度はゼロ以下 なぜ出来ぬ迅速なる支給 生きるも地獄死ぬるも地獄

 この2句、タイ作文をして、一緒にぼやいてください。

島村抱月と松井須磨子

昨日、『歴史読本』(新人物往来社 2006年8月号)を面白く読んだ。見出しだけでもすごい。たとえばこうである。
 特集史論 日本史の女性 真の実力。
 特集ワイド 物語 日本の良妻賢母
 特別事典 明治・大正を生きた女性人物事典
 特集ドキュメント 日本純愛夫人列伝/日本「お騒がせ」夫婦伝/日本毒婦列伝

 「日本毒婦列伝」には副題として、<つくられた「悪女」たち>というのが並記され、[松井須磨子<女優の純愛殉死事件>]という話があった。松井須磨子と島村抱月の二人の最期に関する文章を読んで、どきりとした。
 「大正七年十一月五日、須磨子のスペイン風邪がうつり、抱月は肺炎で急死した。須磨子は二日後には舞台に立ち、その後も芝居をこなした。女優という命の糧がある。芸術座もある。やっていけるかもしれないと模索したことであろう」
 だが、須磨子は翌大正8年(1919年)1月5日に縊死した。

今日の宿題

今日は以下に列挙する単語の意味を書いてください。タイ語作文は難しすぎるという声が聞こえて来ているので、気分を変えるため、単語だけにとどめます。

1)กักตัว / กักขัง / กักด่าน / กักบริเวณ

2) ข่าวลือ / ข่าวคืบหน้า / สรุปข่าว / ผู้สื่อข่าว

3) ทำผิด / ทำร้าย / ทำมาหากิน / ทำหน้าที่

4) บังคับใจ / ข้อบังคับ / ผู้บังคับการ / ไม่บังคับให้พูด

5) เล่าเรียน / เล่าให้ฟัง / เล่าลือ / เล่าเรื่องอดีต

子供用マスク

3月下旬に、鳥取県在住の元生徒さんから次なるラインが来た。
 「先生、子供用マスクでよかったら送りますよ。亡くなった妻が子供達の健康を気遣ってたくさん買い置きしていたのが有りますから」
 その際には私は遠慮した。だが、コロナ事態が長期戦に入って来たので、どなたかのお子さんに役立てればいいなあと思って、3日前に、「やはりマスクを送ってください」とお願いしたところ、すぐに送ってくださった。
 お願いしたとたんに、鳥取県にも感染者が出たという報道を知り、心が痛んだ。なぜならば、彼にも3人のお子さんがいらっしゃる。奥様は昨年4月末に若くしてお亡くなりになられ、彼は食事やお弁当をつくるのに四苦八苦しているのに、私のわがままを聞き入れてくださり、本当に感謝している。その胸の内を彼に伝えると、こう返信して来られた。
 「先生にやっと恩返しができました。23年前に先生はこうおっしゃいました。鳥取に帰っても、おそらくタイ語を使う機会は無いでしょうから、1年間の研修中は東京を大いに楽しんでください」
 彼がタイ語になじめなかったことに対して、私は婉曲にこう励ましたらしいが、「辛口の中にも、先生の教師としての愛情を感じ取っていたから大丈夫」という返信が有り、一件落着。

ピカピカ先生 と パック先生

泰日文化倶楽部で約5年間、真面目にタイ語を教えてくださったピカピカ先生は、4月1日から東京のゲーム会社に就職された。彼女は犬が大好きだから、犬の動画をラインで送信すると、珍しくすぐに返信が有った。彼女も4月13日からはテレワークだそうだ。
 彼女はバンコクの芸術大学(ม.ศิลปกร)を卒業後、来日し、日本語学校で日本語を1年間、勉強した。そして、念願のゲーム専門学校に入学し、4年間、技術を磨き、グループで制作した卒業作品が優勝し、ご褒美にハワイへも行って来られた。
 いよいよ社会人1年生としてスタートしたばかりなのに、コロナ事態に遭遇したわけだ。「何か困ったら、ご遠慮なく言ってください。病院代わりの部屋が有りますから」と私が再度、ラインをすると、「ありがとうございます。先生の言葉だけで心強いです」と、またもやすぐに返信して来られた。
 ところで、今月から慶応大学医学部大学院博士課程に入学を予定していたパック先生にもラインをして、近況を尋ねてみた。彼からは次なる返信が有った。
 「アメリカでの研修から帰国後、僕はまだ一度も慶応大学へは行っておりません。目下、オンラインで勉強をしております」
 私にとって、タイ人講師達は息子であり娘であるので、彼らに何か有ったらタイのご両親に代わって、力になってあげようと思っている。