後半をマイペースで過ごそう!

今日から2021年の後半がスタートする。竹の節目にたとえるならば、今年に入ってから2つの節が形成され、これから後、あと二つの節を作って行く節目のスタート地点に立ったような感じだ。ニュースに右往左往されないようにと自分に言い聞かせながらも、結局はなんの成果も得られない前半であった。近隣の家庭菜園の茄子がたわわに実っているのを見て、茄子に嫉妬する自分がいる。

 次はアメリカの詩人であるエミリー・ディキンスンの詩である。

 一つの心が壊れるのをとめられるなら/ わたしの人生だって無駄ではないだろう/ 一つのいのちの痛みを癒せるなら/ 一つの苦しみを静められるなら/ 一羽のコマツグミを/ もう一度、巣に戻してやれるなら/ わたしの人生だって無駄ではないだろう

今日の翻訳

ただ漫然と翻訳するのではなくて、基本的文型を参考にしよう。出典は『รู้และป้องกันยาเสพติด』からである。

1.ยาบ้าสามารถทำให้คนคลุ้มคลั่งกลายเป็นฆาตกรฆ่าคนตาย

2.ฤทธิ์ของยาบ้าทำให้คนที่เสพคลุ้มคลั่งคิดไปเองว่ามีคนตามมาจะทำร้ายจึงมักจับเด็กหรือผู้หญิงเป็นตัวประกัน

3.ยาบ้าเป็นอันตรายกว่าที่ผมคิดไว้มากเลย

4.พอยาบ้าหมดฤทธิ์ คนขับก็ยิ่งอ่อนเพลียและง่วงจนหลับใน เกิดอุบัติเหตุทำให้คนเจ็บและตายเป็นจำนวนมาก

5.ถ้าอย่างนั้น เมื่อมีคนเสพยาบ้ากันมากๆก็จะยิ่งเป็นอันตรายต่อคนอื่นไปทั่วประเทศใช่ไหม

6.สำหรับประเทศไทยของเราก็มีปัญหายาเสพติดอยู่มาก ไม่แพ้ชาติอื่นๆในโลก

レマン湖畔のIOC本部

私は2009年11月2日、ローザンヌへ行った。旅の目的はラーマ9世が幼少時からローザンヌ大学を卒業するまでお住まいになっておられたアパルトマンを訪ね歩き、そして、現代は図書館になっているかつてのローザンヌ大学の雰囲気を直接、見分することであった。

 その時、タイの僧侶を3名、偶然お見かけした。スイスに在るタイの寺院から世話係が運転するワゴンでローザンヌにやって来られ、私と同じくラーマ9世の足跡をたどっておられた。誘われるがまま、レマン湖畔に立つ美しいサーラーへ一緒に行った。それもまたラーマ9世のメモリアルである。

 一行とはそこで別れ、2~3分、歩くと、IOCの本部の正面に着いた。今朝、調べてみると、IOC創設125周年を記念して、同じ敷地に「オリンピック・ハウス」が約160億円で建設され、2019年6月23日に記念式典が開催されたとある。私は2009年にIOC(旧建物)の正面まで行ったが、なんだか胡散臭い感じがしたので中に入る気がしなかった。たとえ新しい建物であろうと、絶対に入らない。

和菓子の水無月

昨日の茶道教室で主菓子に三角形の「水無月」が用意された。この和菓子は6月末に食されるのが定番である。したがって、これを見ると一年の半分が過ぎたことが否が応でも知らされる。

 三角形をした白い外郎(外郎)は昔の京都の人が氷に見立てたもの。その上に甘く煮込んだ小豆(あずき)がいっぱい乗せられている。小豆は健康に良い。あと半年、元気で生活しようという願いが込められているそうだ。

 毎日のコロナ情報にはうんざり。異常気象の中で暮らすのには気分転換が必要。自分自身で想像をめぐらし、何か不都合なものを好都合なものに転換できる発想ができないものであろうか。何かを何かに見立てて、一人遊びしながら、日々、それなりに楽しんで暮らそう。

今日の作文

タイ語と英語で書いてみよう。

1.先週、上野公園で双子のパンダが生まれた。

2.今年12月にシャンシャンが中国に返還されることになっているので、双子の誕生はとても嬉しいニュースだ。

3.アメ横商店街はコロナ以前の活気を取り戻した。

4.有名な中華料理店やフランス料理店の株価が上がった。

5.飼育員達は交代しながら24時間つきっきりで飼育にあたる。

6.白黒の模様がはっきりして、歩き出す日がくるのが待ち遠しい。

啄木の歌

一昨日、元生徒さんから東京の本社勤務に戻った旨の挨拶状が届いた。

 「エゾヤマザクラの開花を見ることなく釧路を立ち、約2年ぶりに関東に戻ってまいりました。5月1日付で本社整理部勤務となり、記事の最終的な校閲業務に携わっております。関東から遠く離れた道東で、雄大な自然やユニークな文化に触れることができ、得難い勤務となりました。この経験を活かしつつ、より一層精進してまいります」

 まだ文面は続くが、最後に啄木の歌が添えられてあった。

「浪淘沙 ながくも声をふるはせて うたふがごとき旅なりしかな」

積極的な生徒さん

 今月から個人レッスンを受講し始めた生徒さんが、タイ語の歌詞に挑戦しておられることがわかった。「訳した歌詞をチェックしてください」と頼まれたので快く応じた。びっくりした点は初心者であるのに慣れたタイ文字を書いておられることであった。聞くところによると、タイ文字の学習に於いて一度挫折をしたことがあるとのこと。その悔しさをバネに、再度、挑戦しているわけだ。

 タイ語の歌詞には英語訳もついているので、意味はほぼ理解できていた。ただし、彼女の希望は、タイ語から直接、歌詞を味わいたいことであった。そこで、タイ語→英語→日本語ではなくて、タイ語→日本語へと直結させてあげた。

 唯一書き間違えていたのは、「夢の中 ในฝัน 」と書くべきところを、「歯の中 ในฟัน」と書いていた点だけだった。恋愛の歌だから、「あなたの歯の中に入りこみたい!」でもOKかも。気持ちはものすごく通じる。

今日の翻訳

 元タイ人講師からのラインである。基本的な動詞がたくさん使われているのに注目。読んで傑作なイメージが想像できるかな?

1.กำลังขับรถกลับบ้าน เจอฟ้าสวยกับเครน เลยต้องจอดถ่ายเพราะบริษัทฉันขายเครน

2.เห็นกองดินอยู่ เลยขึ้นไปเพื่อถ่ายจากมุมสูง ปรากฏว่ามันแห้งข้างบน ตกยวบไปครึ่งเข่า

3.และเหม็นมากเพราะมันเป็นกองขี้หมูสดๆ เหม็นแทบอวกเลยไปล้างตัวในน้ำ น้ำก็ดูสกปรก

4.กลับมาที่รถ มีน้ำแร่ขวดใหญ่อยู่๑ขวด ยอมเสียสละเอามาล้างก็ยังไม่หายเหม็น

5.รีบกลับบ้านอาบน้ำอยู่๔รอบใช้Dettolล้างฆ่าเชื้อ ขัดล้างตัวเป็น๑ชั่วโมงเลย

本の処分

そろそろ本の処分を始めなければと思い、一冊一冊、手に取って、捨てるかどうかを考えては、またまた保留にしてしまう。一日に一冊を捨てれば一年に365冊。仮にもしあと10年生きるとすれば、3,650冊しか処分できない。その間にまた買い込むから、本は一向に無くならない。

 先日、古書店から「本を買います」という封書が来た。しかし、買取りに来てもらうほどの貴重な本はわずか……。というわけで、ダンボルールにまたしまい込む。

 立花隆氏の訃報が報じられた。一日に百冊くらい本を読んでいたということをどこかの記事で知ったが、あの猫ビルで、いかなるスピードで本に目を通していたのか知りたかった。

○○ボウ

 東京は昨日(6月21日)より「まん防」に切り替わった。「マンボウ」と言われても、すぐに思い浮かぶのは水族館のマンボウだ。頭の体操のために「○○ボウ」という単語を以下に列挙する。

 陰謀、遠望、監房、官房、感冒、希望、参謀、辛抱、羨望、絶望、存亡、探訪、展望、木偶の坊、東尋坊、繁忙、変貌、民暴、麺棒、欲望、乱暴、等。

昔、「ヤン坊ニン坊トン坊」というラジオドラマが有った(1954~1957)。黒柳徹子が日本で初めて声優(大人が子供の声を出す)としてデビューしたものだ。いまだに彼女の声が耳底に残っている。