初級から入門へ、中級から初級へ戻る

タイ語を勉強していると、入門クラス(約6ヶ月)、初級クラス(約1年)、中級クラス(約1年半)へと、どんどん進んで行く。したがって、約3年で所定のテキストは終わってしまう。だが、実際のところ、すべてを理解し、単語を覚えたわけではない。
 たまには、レベルを下げて、初級から入門へ戻ったり、中級から初級へ戻ったりして、もう一度復習することをお勧めする。テキストに書かれている内容が、新しい視点で学び直すことができるからだ。
 別のタイ人講師に教わると、雰囲気が異なる。女性講師に教わるのと、男性講師に教わるのとでは、音程が異なる。男性生徒には、男性講師がいい。
 いずれにせよ、洋裁の返し縫いの如く、進んでは戻り、また進むを繰り返すと、理解力が増す。泰日文化倶楽部では、クラスの移動を自由に認めているから、たまには勉強し終わったテキストを持って、入門クラスや初級クラスに顔を出してほしい。

毎日、タイ語を書こう!

今週はB先生が風邪のため、私が代講している。代講することで、それぞれのクラスの進捗度がよくわかっていい。タイ人講師から習ったことをどのくらい把握しているかを確認し、日本人講師としての助言を与え、これまではっきりしなかった文法的質問や、単語の覚え方を指導する。
 昨日教えた3クラスでは、いずれもタイ語を書かせた。タイ人講師と会話をしたり、タイ人講師の話を聞いたりする勉強ばかりしていると、それだけで90分の授業は終わってしまう。タイ語を書くことがどうしてもおろそかになる。
 日常生活における簡単な単語を書いただけでも、声調のしくみがわかるはず。正しい声調を覚えていないと、正しく書くことができない。そして、末子音(~k, ~t, ~p, ~ng, ~n, ~m)の聞き取りがいかに曖昧であるかがわかる。間違うことはいいことだ。その時点で覚えていけばいいのだから。
 正しく書くことができた生徒さんは、タイ人とタイ語でラインをしているそうだ。毎日、タイ語を書いているとタイ語の感覚が身について、自然に書けるようになる!

五月晴れが恋しい

ゴールデンウィークが終わり、「さあ、頑張るぞ!」と気合いを入れた。だが、気温が3月に舞い戻ったため、出鼻をくじかれた。冷たい雨模様が続いている。なんとかならないものだろうか。ああ、五月晴れが恋しい。
 火曜日は午前中に1クラス、そして、夜間に2クラスを開講しているが、昨夜は、夜の出席者が少なかった。理由はゴールデンウィーク開けのため、仕事がいっぱい溜まっているから….。それを聞いて、やはり現役で頑張っておられる方達は、仕事後の夜の勉強は体力的にきついものがあるなあと同情した。
 大学生には「五月病」という言葉が有る。これから大学生活を謳歌したいものの、不安と悩みはつきない。しかし、悩むことこそが青春の証し。
 ひるがえって考えれば、悩みはいずれの世代にも有る。すぐに解決できるのであれば、それは悩みではない。だが、悩みが長引くのも芳しくはない。趣味の世界に身を置き、悩みを少しずつ融解しよう。いつも言うことだが、語学の勉強は頭の体操になり、かつ、自分を活性化してくれる。やめずに続けよう!

タイ語で「炊飯器」は何と言うか?

昨日、「タイ語中級 月曜日18:00」のクラスで、自由会話をしている時、炊飯器が話題になった。そこで「炊飯器はタイ語で何と言いますか?」と私が生徒達に単語チェックをすると、生徒の一人が単語集ですぐに調べた。
 「หม้อหุงข้าวです。しかし、何故、鍋(หม้อ)ですか? 鍋の形をしていないのになあ」
 「タイでは、昔、鍋でご飯を炊き、重湯はみんな捨てていましたよ」と、私。
 「電気で炊くのに、なぜ、電気という単語が使われないのですか?」と、また、生徒さん。
 「電気という単語を言わなくてもいいんです」と、私。
 生徒達に向かって、私は助言した。「単語はそのまま鵜呑みにして覚えましょう。いちいち疑問視するのはやめましょう」
 日本語でも現代の生活と適合しないものがいくつもある。「下駄箱」がそうだ。さすがに最近の住宅販売のちらしには「下足入れ」と書いてあるが、しゃべる時にはいまだに「下駄箱」と言っているような気がする。

今日からお盆休みまで頑張ろう!

黄金週間の休暇が終わった。泰日文化倶楽部は今日から講義を再開する。次なる長期休暇はお盆休みだ。それまでの3ヶ月間、大いに頑張ってタイ語を勉強しよう! 中国語(土曜日14:30)の生徒は中国語の学力向上をめざそう!
 昨日、茶道教室にお客様がいらした。茶道講師の昔の友人だそうだ。その友人の話が興味深かった。若い時は辛党でならし、夜な夜な六本木でよく遊んだ。甘いものは大嫌い。茶道を習っていても生菓子はパス。しかし、年齢を重ねるとともに嗜好が変わり、今はお菓子を買わずにはいられなくなった。今こそ感謝している、茶道をやめなかったことを、と彼女は締めくくった。
 彼女の話を聞きながら、私は茶道をタイ語に置き換えて考えていた。長い人生、いろいろなことに遭遇する。病気も然り。しかし、趣味や習い事が必ずや救ってくれるはず。タイ語を継続して習っていてよかったという日が必ず来る。その日まで、頑張って勉強しよう! 
 タイ国は心情的な面ではどんな国の人々でも大きく優しくつつんでくれる。末永くタイとのパイプを持ち続けよう!

中学時代の恩師

昨日の午後、中学時代の恩師(87歳)から電話が有った。用件は5月下旬に東京に行くので会いたいということであった。前回、上京して来られた時には、「孫が東京外国語大学に入ったんや」と嬉しそうにおっしゃっておられたが、そのお孫さんが今春、卒業され、東京に就職されたそうだ。ということは、恩師の上京は4年ぶりということになる。
 恩師には相当数の教え子がおられる。大学を出て新米教師として教えた時の第1期生のうち5人位が東京に住んでいるそうだが、皆さん、もう80歳近い。しかし、恩師の前に出ると、中学生の時の顔にもどる。
 恩師は声が大きい。東京の街中を歩いていても、声ですぐに見つけられる。野球部の監督として甲子園に行ったので、プロ野球の選手で活躍した人達も教え子の中にいる。
 今回の上京時には、毎日、教え子との食事会が入っているようだ。教え子に号令をかけ、そして有無を言わせず集合させる気合は60数年前と全く変わらない。杖をついて、ひとりで上京して来られるが、何ひとつ心配は要らない。

和菓子ミックス茶選華

今日は「子どもの日」。スーパーに柏餅のパックが並べられているが、3個入りでも、私には多すぎる。そこで、「和菓子ミックス茶選華」という袋菓子を買った。大きさは、温泉旅館に行った時に茶菓子としてテーブルに乗っているあの一口菓子と同じ。しばし、旅館に行った気分にひたろう。
 入っている和菓子の名前がいい。しかも9種類という数字がすばらしい。①栗どら焼 ②栗しぐれ ③栗小饅頭 ④力士餅最中 ⑤あずき最中 ⑥ひとくち大福 ⑦くるみ餅 ⑧桃山 ⑨一口きんつば。
 和菓子は小説の中にも出てくることがある。もしも、外国の翻訳家が日本文学を翻訳する場合は、これらの菓子を果たしてどのように訳すであろうか?
 反対のことも言える。一度も食べたことがない洋菓子を訳すのは難しい。タイの菓子も然り。日本人に理解させるのは容易ではない。

「タイ語入門 金曜日19:00」新規募集中

目下、新規開講のクラスを募集中である。それは5月11日から開講予定の「タイ語入門 金曜日19:00」のクラスだ。中国の女性が是非とも習いたいと言ってきたのが4月中旬。「申込者が3名集まれば開講しますが、それ以下なら開講は無理です」という返事をしておいたが、現在までのところ、やはり彼女以外、申込者が出ていない。
 中国の女性に実情を知らせたところ、「他校をあたってみます」と彼女。そして、その日のうちに彼女からメールが来た。
 「よその学院へ行きましたが、そこも私以外、いないと言われました。タイ語は美しい言語なのに、どうして日本人は学ぼうとしないのでしょうか?」
 私は返事を出した。「日本人は今、学ぶ力が減退しています」
 来週からまた通常の生活が始まる。ゴールデンウィーク中にタイへ旅行された方達、タイ語に目覚めてくれるといいのだが…..。

内田百閒文学賞

小説家を志望している人は想像以上に多い。その証拠に、毎年、公募している文学賞に参戦している作品数のなんと多いことか。
 昨日、文学賞の締切を見ていると、5月31日締切の「内田百閒文学賞」を見つけた。これは岡山県と岡山郷土文化財団が主催している文学賞である。したがって、岡山県をテーマにした作品であることというのが条件となっている。
 内田百閒をネットで調べてみると、『阿房列車』(1950年代)が有名だが、この本は旅に関するエッセー本のはしりであると解説されていた。約60年前からその傾向は見られたわけだが、内田百閒の場合は、当時有った一等車で贅沢な旅をしていた模様だ。
 岡山県には住んだことがないが、四国へ帰る時いつも通過しているので、瀬戸内沿岸の描写なら私にもできる。しかし、小説となるとロマンが要求される。そして、物語の構成力が鍵となる。

米屋の閉店

近所の米屋が5月9日で閉店するそうだ。昭和27年創業の精米店で、椿山荘にも卸していたのに…..。理由はわからないが、よく聞くところの、店舗の老朽化、及び、後継者不足、であろう。
 半年前には、豆腐屋が閉店。1年前には割烹店が閉店。かなり前には、魚屋が、そして、肉屋が閉店。佃煮屋もつぶれた。西暦1830年(天保元年)創業の呉服屋だけが頑張っている。
 老朽化した店舗はマンションに建て替えられる場合が多い。知らない人がやって来て、町の雰囲気は無機質化されていく。皆、黙々と地下鉄の駅へ向かうだけだ。
 最近、知った話だが、古くからやっている5店舗がお菓子を用意して、学校帰りの子供たちにふるまっているとのこと。親達がまだ帰っていない家にまっすぐ帰るよりも、お店の人達と会話を交わすだけでも勉強の疲れがとれる。「おかえり」という短い言葉掛けで、心はあたたまる。