鈴木牧之記念館と『北越雪譜』

ミニ同窓会の第2日目、幹事が「新潟に来たのなら、絶対に鈴木牧之記念館へ行くべきよ。新潟の人なら誰でも知っています、鈴木牧之のことを」と言って、塩沢宿に在るその記念館へ案内してくれた。
 鈴木牧之は、40年近くかけて『北越雪譜』(1837年)を江戸で出版し、それが当時のベストセラーとなったそうだ。幹事が用意してくれていたプリントには、次なる解説が有った。
 「江戸後期における越後魚沼の雪国の生活を活写した書籍。著者は現在の南魚沼市塩沢で縮(ちぢみ)仲買商・質屋を営んだ鈴木牧之。雪の結晶のスケッチから雪国の風俗・暮らし・方言・産業・奇譚まで、雪国の諸相が豊富な挿絵も交えて多角的かつ詳細に記されており、雪国百科事典ともいうべき資料的価値を持つ」
 温暖な四国で育った私、そして、かなりタイ人化している私にとって、雪国の生活の厳しさは、いまだもって、なかなかに想像しがたいものがある。

「五十嵐」という地名

大学時代の寮の仲間4名によるミニ同窓会が新潟県で行われた。幹事が新潟市内に在住なので新潟駅に集まることになっていたが、最初の見物地は「新潟大学五十嵐キャンパス」。理由は、仲間の一人の旧姓が「五十嵐」。御先祖様が新潟県出身なので、五十嵐地区と関係があるかもしれないというルーツ探しの旅であった。
 幹事は歴史研究者なので、貴重な資料を用意してくれていた。ご苦労なことだと思っていたら、彼女が住んでいる自治区では周辺の地の成り立ちをしっかりと研究し、資料作りをしてきたとのこと。非常にレベルが高い自治区であることか!
 五十嵐という地名の由来は3つあるそうだ。①五十嵐神社が有り、そこに「五十日足彦命(イカタラシヒコノミコト)が祀られている。②語源は、アイヌ語の「インカルシ」で、眺望する所の意味。それが、イカラシに転訛した(金田一京助説)。③古語の「イカラシ」は「厳(いからし)」であり、「五十」は、「イソ(磯)」で、風の多い荒磯の意。
 いずれの考え方もごもっともだと思えるふしがある。地名の由来を知るのはなかなかに面白い。

今日からブログは17年目に入ります!

2002年5月19日から書き始めたこのブログ、今日から17年目に入ります。旅行の時にはあえて書きませんが、昨年は骨折入院で休筆。思ってもみないことでした。
 健康でなければ、なにごとも持続しません。毎朝、頭の体操をと思って、PCに向かっていますが、それが叶うということは何と素晴らしいことか! 感謝です。
 ところで、今日は同窓会のため、一泊旅行に出ます。短歌が上手な先輩も参加されるので、短歌の手ほどきを受けて参ります。

มนุษย์ป้า(人間おばさん)

昨晩、「タイ語上級 木曜日19:00」の授業を補助したが、補助しながら、私自身にとってもとても勉強になった。なぜならば、傑作な単語がゲットできたからである。
 傑作な単語とは、「มนุษย์ป้า マヌット・パー」。มนุษย์(人間)+ ป้า(おばさん)=自己主張が強くて、けたたましいおばさん、という意味に使われると、ボン先生は解説。
 ということは、タイ人から「人間おばさん มนุษย์ป้า」と言われたら喜んではいけないのだ。ほめられているわけではなくて、嫌われているということを察知しなければならない。
 宇宙飛行士はมนุษย์อวกาศ(人間+宇宙)。宇宙飛行士にはとうていなれないが、人間おばさんにもなりたくない。

『語りつぐ戦後史 Ⅲ』

昨日、目白の古本屋で『語りつぐ戦後史Ⅲ』(編集・解説 鶴見俊介 思想の科学社 昭和45年刊)を買った。鶴見氏との対談相手は以下の11名。1)岡本太郎、2)いいだ・もも、3)堀田善衛、4)開高健、5)大江健三郎 6)小松左京、7)高橋和巳、8)金達寿、9)なだ いなだ、10)寺山修司、11)小田実。
 私は昭和44年(1969年)に社会人になったから、11名のお名前は時代的にものすごくインプットされている。だが、大江氏を除き、いずれも皆、鬼籍に入られた。
 来年5月に元号が変わる。昭和はまるで明治、大正と同じく、すでに遠い昔に追いやられているかの如くだ。平成に対する評価はさて、いかに? つまらない時代であったと、言われそうな気がする。

大榮華茶包 と 急須

黄金週間に香港へ旅行に行かれた生徒さんから、昨晩、「大榮華茶包」というティー・バッグと、「芝麻味大餅干」というビスケットをお土産にいただいた。いずれもネーミングがすばらしい。
 茶包のパッケージには、中国茶を淹れる急須の写真があしらわれている。それを見て驚いた。なぜならば、10年位前に蘇州で購入したお一人様用の小さな急須を、たまたま一昨日、久々に自分の机に置いて眺めては、蘇州の風景を思い出していたからだ。
 蘇州の急須が大榮華茶包を呼び寄せた。なんという偶然性! 小さな急須とて、あなどるなかれ。何かが秘められている。

勝ち虫

 着物や帯には実にさまざまな模様があしらわれていて、日本の伝統美を感じる。生き物もたくさん登場する。
 トンボのことを、着物の世界では、「勝ち虫」といい、目出度い模様の一つだそうだ。なぜ、目出度いのか?
 ネットで「勝ち虫の由来」を調べてみた。こう書いてあった。
 「トンボは勝ち虫とよばれ縁起物であり、前にしか進まず退かないところから、<不退転>。決して退却をしない精神を表わすもの」
 武具やスポーツ・グッズにも採用されているのは、この精神の現れということ。私には、<トンボ鉛筆>が小さい時から刷り込まれているが、このような理由であることを全く知らなかった。
 さらに、調べると、トンボのことを、昔の人は「秋津」と言ったそうだ。そして、日本のことを「秋津島」と言い慣わしていたとのこと。トンボは「蜻蛉」とも書く。漢字から見ると、なんか頼りなさそうである。現在の日本の政治みたい…….。

母、そして、女性

昨日は、「母の日」。プレゼントを贈って、「お母さん、ありがとう」ではいささか商業主義に踊らされている感が有る。
 『成熟と喪失 〝母″の崩壊』(江藤淳著 河出文藝選書 昭和50年)を読むと、「父親の権威失墜は<敗戦>によるものだ。そして、日本人の生活全般に及ぼされている母親の影響の強さは<家>のなかでの母親の位置に由来しており、農民的・定住者的な感情というものである」という内容が書かれてあった。この点に於いて、子供の独立を早く促す欧米の母親とは真逆だと、江藤淳は評論している。
 いずれにせよ、子育てを終えた母親は女性として人生を大いに楽しめばよいと思う。だが、最近、私の周辺で認知症になった女性達の話をよく耳にするようになった。たんなる物忘れであればいいのだが…..。そうならないためには、いつも社会的刺激を求めて、五感を大いに働かせよう。とりわけ喋ることは重要だ。

有る vs  無い

黄金週間が終わり世の中が再び動き出した昼下がり、山手線内でパパと坊やの会話を耳にした。坊やは3歳位かな? 顔を見たわけではないので、はっきりとはわからない。坊やはパパとのお出かけを喜び、明日もお出かけするつもりでいたようだ。
 しかし、パパは坊やに言って聞かせた。「パパ、明日、御用 有る」、と。 
 すると、坊やは、すかさず言った。「ごよう ない」
 二人は、「御用 有る」と、「ごよう ない」を数回、繰り返した。坊やの反応が速かった。1~2秒で意思表示をしっかりとしているところが実にいい。
 生徒の皆さんも二人一組になって、「有る มี」と「無い ไม่มี」を使った文章を互いに言い合い、話す速度をスピード・アップしてみてはいかが?。

『関西弁事典』

ひつじ書房から『関西弁事典』(真田真治監修 定価6,200円)が今年3月に刊行されたそうである。
 「関西弁を対象にしたエッセイや社交用語ガイドの類は他方言に比べて圧倒的に多い。しかしながら、その全容を示す総合的な解説書、また本格的な<事典>はいまだ存在していない。本書はそのような渇望を満たすべく編纂したものである。関西弁の歴史、関西弁の地理、関西弁の位相、関西弁の変容、関西弁施策などに関して、学術的な記述を含みつつ、関西のことばに関心のある人なら誰もが手軽に利用できるよう、平易な説明を心がけた」
 上記はひつじ書房の宣伝であるが、なかなかに興味深い。腰をすえてじっくりとページをめくれば、関西地方はもちろん、関西弁の影響を受けている地方(例:香川、徳島)の人々にも納得する点が多いと思われる。