美濃和紙

 今日で5月も終わり。着物の世界では、袷(あわせ)から単衣(ひとえ)に衣替えだ。そこで袷の着物をたたみ、買って来ておいた「呉服たとう紙」にしまう。そのたとう紙は美濃和紙で作られており、説明書きには次のように記されていた。
 「千三百年余年前、天平時代の文化が発展したころ、中国より美濃の国に伝来し、山々に群生していた楮(こうぞ)の木を利用して、鵜飼で名高い長良川の清流で漉かれた世界一美しいと言われる美濃和紙が完成しました。美濃和紙の特徴である<流し漉き>の方法で、紙質は柔らかく、絹の様な肌ざわりから、この和紙を絹漉と呼んでいます」
 たとう紙を触ってみると手触りが実にいい。伝統が醸し出す優しさに接した感を覚えた。なかでも「本美濃和紙」というものは、世界文化遺産に選ばれているそうだが、納得。
 ひるがえって、話をタイ語に向けてみよう。我々のタイ語学習においても、タイ航空のモットーである”Smooth as silk”(シルクの如くなめらかに)を真似て、シルクのような滑らかさを目指したいものである。
 

タイ文字の勉強

 タイ文字の判読がいつまで経っても苦手な生徒が多い。しかし、その苦手意識を払拭して、ただただタイ文字を書きまくる必要が有る。書いて書きまくれば、タイ文字の仕組みがわかり、面白さにも気づくはずだ。
 そのためには、習ったタイ語を毎日、少しでも書き写すこと。基本単語(動詞・名詞・形容詞)の中から50語を選んで、それらを何回も書いてみると、親しみがわいてくるものだ。
 私の場合は、母音だけ、子音だけを一気に教えることはしない。それよりも、単語そのものを書かせるようにしている。漢字を覚える時と同じように….。
 タイ文字に馴染めない生徒に対しては、声調の規則を一度に全部教えても、かえって混乱を招くだけである。ある程度、わかってきた時には、総合的にまとめるものの、最初から規則、規則という授業はしたくない。
 とにかく、タイ文字で学習が立ち往生している生徒は、早く、タイ語の川を渡って、反対側の岸に向かってもらいたい。タイ文字が読めるようになれば、タイ語の世界は広がるから。

昼間の勉強 vs  夜間の勉強

 泰日文化倶楽部では昼間も夜間も授業を組んでおり、グループ・レッスンは、現在のところ、全部で20クラスが展開している。昼間が好都合な高齢者と、仕事帰りに通って来られる夜間の会社員にわかれており、両者が交流することはまず無い。だが、私はその両方の雰囲気を知っているので、いつも人間観察をしている。
 昼間と言っても、火曜日、木曜日、そして、土曜日は、朝から授業を実施しているので、生徒達の頭はすっきりしており、タイ語の勉強を楽しんでいるかのように見える。
 それに引きかえ、夕方から夜にかけて通って来られる生徒達は、すでに仕事で疲れている。だが、それでも高田馬場の泰日文化倶楽部まで通って来てくださるのだから、頭が下がる。大いに褒めてあげなければいけない。
 先日、旅行した新潟県の塩沢で、「ちくちく縫い」という縫い方が有ることを知った。ほころびた古着にちくちくと針を刺して、また使う。雪国ならどこでもやっていることだとは思うが、すばらしい節約精神だ。
 ひるがえって、タイ語の勉強はいかに….? 「こつこつ習い」を実践して、これまでの勉強をおさらいしながら、さらに自信をつけていこう!

直心是道場

 昨日、茶道教室に参加した。床の間にかかっていた御軸は、「直心是道場」。その意味をネットで調べてみると、臨済宗黄檗禅の公式サイトには以下の説明が有った。
 「直心(じきしん)」とは、真っすぐな心、素直な心、あるいは直接という意味で、真実にぴったりと合った心など、いろいろな意味が含まれている。しかし、そういう直心を身につけることは、決して容易ではない。直心を保つことは、自分を鍛える道場にほかならない」
 この禅語は、剣道や茶道ではよく浸透しており、「誠実な心こそが修行を完成させる場である」という意味合いに解釈されているとのこと。
 入梅近し。我々は心身ともに疲れている。体の調節も心の清浄化も、全く思うようにはならない。だが、「直心是道場」の禅語を肝に銘じて、自分と仲良く対峙しようではないか。

還暦の修学旅行

 中学時代の恩師が上京して来られたので、東京圏に在住の教え子が昨晩、招集された。いろいろな話で盛り上がったが、とても印象に残る話を聞かされ、恩師の素晴らしさにあらためて感服した。
 第一期生は現在、77歳。彼らは中学の修学旅行へ行くことをとても楽しみにしていたが、紫雲丸沈没事件(1955年 昭和30年)が起きて、多くの修学旅行生に犠牲者が出たため、先輩達の修学旅行は急遽、中止になってしまったそうだ。
 恩師はその時の生徒達の気持ちをずっと胸にしまっておられた。そして彼らが還暦を迎えた時に、修学旅行を実施。しかも、当時、予定していた旅行のコースをそのまま再現するかたちで…..。
 その話を聞いて、46年後に修学旅行を企画した恩師の優しさ、そして、還暦を迎え、人生の第一舞台から降りて余裕を持った教え子達のはしゃいだ気持ちを、私なりに想像した。

運動会

 今日は近所の小学校と中学校がいずれも運動会。軍歌っぽい曲や、甲子園野球で聞き慣れている曲が次から次に聞こえてくる。
 だが、運動会そのものを嫌う方達がいると見えて、毎年、学校長の名前で、プリントが近所の各戸のポストにあらかじめ配布される。内容は「子供達の声がうるさくてすみませんが、どうかご理解ください」というものだ。
 そこまで校長は気をつかわなくてもいいのにと思うのだが、先手先手を打ってくる。
 年々、苦情社会になってきている。クレーマーが多すぎる。それがまたストレスを生む。たしかに病気で臥せっている方にはお気の毒であるが、運動会だから、大目に見てやってほしい。自分の小学生時代を思い出す日にしよう。

越後湯沢で森林浴

 新幹線で行くと、越後湯沢はあっという間に着いた。大宮と越後湯沢はわずかに1時間。1969年の冬に六日町に行った時には、川端康成の『雪国』の世界が味わえた。だが、もはやその情緒は無い。あまりにも便利すぎるから。
 宿泊した旅館にはインターンで働いている中国人女性がいた。そこで、しばし片言の中国語で話しかけたところ、気持ちよく応じてくれた。
 街を歩いていると、タイ料理店を見つけた。越後湯沢にもタイ料理店? だが、あいにくその日はお休みであった。
 冬は銀世界の南魚沼地方。ロープウェイに乗って千メートルまで上がり、遠くの八海山を眺めた。そして、アルプの里の高山植物を愛でながら森林浴を楽しむ。
 一週間前にヒマラヤをトレッキングして来たばかりの友人は、一人だけでスタスタと歩く。残された仲間と私はマイペースでのんびり歩いた。

正直者の若者

 日本全国には機織り女に関する話がいくらでも有ると思われる。新潟県魚沼地方には巻機山という山が有り、織姫伝説が残っているそうだ。その一例として、次なる話を読んだ。
 「すばらしい技術を有する娘が御機屋(特別な布を織るための霊威に満ちた部屋)で機織りに精を出していたところ、好きな男が訪ねてきたために逢瀬を楽しんだ。しかし、その後、斎戒沐浴をせずに機織りをしたため、娘は病気になった。神様の祟りを恐れた若者は、娘の親に事実を正直に話し、自分が悪かったといい、厳冬の中、冷水をざあざあと浴びながら祈った。同情した周囲の人間も若者と一緒に水垢離をして祈った。すると、やっと神様に聞き入れられ、娘の病気が治った。やがて、二人は正式に結婚し、男の子が生まれた。その家は今も栄えている」
 正直者の若者がいたからこそ、娘の機織りの技術は伝承され、子孫繁栄にもつながったという話だ。
 今、世の中は実にかまびすしい。我々は昔話を読んで、人間の原点に戻る必要がある。
 

機織り女

 ミニ同窓会の幹事が用意してくれた新潟に関する数ページに及ぶプリントに、帰京後、目をとおしている。すると、読めば読むほど、いずれのページも非常に興味深い。我が親友の研究者魂に脱帽。
 <機織り女>というページから一部、抜粋すると、こうである。
 「縮を形にする作業は、たくさんの労力がかかり、労力を賃金に計算して仕事するのではない。冬中、雪の中にこもっている女性たちが空しく過ごさなくてもすむ仕事なのである。
  縮を織る地域の嫁選びは、器量のよさより織りの技術が第一条件となる。親たちは、娘に幼い時から縮の技術を仕込み、十二、三歳から太い糸で織りを体得させる。
 縮は、十五、六から二十四、五歳までの若い時の気力で織ると上等の品ができる。老いてから織ると光沢がなく品質が落ちる」
 これらの記述には多くの示唆を含んでいる。若さは財産なり!

鈴木牧之記念館と『北越雪譜』

 ミニ同窓会の第2日目、幹事が「新潟に来たのなら、絶対に鈴木牧之記念館へ行くべきよ。新潟の人なら誰でも知っています、鈴木牧之のことを」と言って、塩沢宿に在るその記念館へ案内してくれた。
 鈴木牧之は、40年近くかけて『北越雪譜』(1837年)を江戸で出版し、それが当時のベストセラーとなったそうだ。幹事が用意してくれていたプリントには、次なる解説が有った。
 「江戸後期における越後魚沼の雪国の生活を活写した書籍。著者は現在の南魚沼市塩沢で縮(ちぢみ)仲買商・質屋を営んだ鈴木牧之。雪の結晶のスケッチから雪国の風俗・暮らし・方言・産業・奇譚まで、雪国の諸相が豊富な挿絵も交えて多角的かつ詳細に記されており、雪国百科事典ともいうべき資料的価値を持つ」
 温暖な四国で育った私、そして、かなりタイ人化している私にとって、雪国の生活の厳しさは、いまだもって、なかなかに想像しがたいものがある。