還暦の修学旅行

 中学時代の恩師が上京して来られたので、東京圏に在住の教え子が昨晩、招集された。いろいろな話で盛り上がったが、とても印象に残る話を聞かされ、恩師の素晴らしさにあらためて感服した。
 第一期生は現在、77歳。彼らは中学の修学旅行へ行くことをとても楽しみにしていたが、紫雲丸沈没事件(1955年 昭和30年)が起きて、多くの修学旅行生に犠牲者が出たため、先輩達の修学旅行は急遽、中止になってしまったそうだ。
 恩師はその時の生徒達の気持ちをずっと胸にしまっておられた。そして彼らが還暦を迎えた時に、修学旅行を実施。しかも、当時、予定していた旅行のコースをそのまま再現するかたちで…..。
 その話を聞いて、46年後に修学旅行を企画した恩師の優しさ、そして、還暦を迎え、人生の第一舞台から降りて余裕を持った教え子達のはしゃいだ気持ちを、私なりに想像した。

運動会

 今日は近所の小学校と中学校がいずれも運動会。軍歌っぽい曲や、甲子園野球で聞き慣れている曲が次から次に聞こえてくる。
 だが、運動会そのものを嫌う方達がいると見えて、毎年、学校長の名前で、プリントが近所の各戸のポストにあらかじめ配布される。内容は「子供達の声がうるさくてすみませんが、どうかご理解ください」というものだ。
 そこまで校長は気をつかわなくてもいいのにと思うのだが、先手先手を打ってくる。
 年々、苦情社会になってきている。クレーマーが多すぎる。それがまたストレスを生む。たしかに病気で臥せっている方にはお気の毒であるが、運動会だから、大目に見てやってほしい。自分の小学生時代を思い出す日にしよう。

越後湯沢で森林浴

 新幹線で行くと、越後湯沢はあっという間に着いた。大宮と越後湯沢はわずかに1時間。1969年の冬に六日町に行った時には、川端康成の『雪国』の世界が味わえた。だが、もはやその情緒は無い。あまりにも便利すぎるから。
 宿泊した旅館にはインターンで働いている中国人女性がいた。そこで、しばし片言の中国語で話しかけたところ、気持ちよく応じてくれた。
 街を歩いていると、タイ料理店を見つけた。越後湯沢にもタイ料理店? だが、あいにくその日はお休みであった。
 冬は銀世界の南魚沼地方。ロープウェイに乗って千メートルまで上がり、遠くの八海山を眺めた。そして、アルプの里の高山植物を愛でながら森林浴を楽しむ。
 一週間前にヒマラヤをトレッキングして来たばかりの友人は、一人だけでスタスタと歩く。残された仲間と私はマイペースでのんびり歩いた。

正直者の若者

 日本全国には機織り女に関する話がいくらでも有ると思われる。新潟県魚沼地方には巻機山という山が有り、織姫伝説が残っているそうだ。その一例として、次なる話を読んだ。
 「すばらしい技術を有する娘が御機屋(特別な布を織るための霊威に満ちた部屋)で機織りに精を出していたところ、好きな男が訪ねてきたために逢瀬を楽しんだ。しかし、その後、斎戒沐浴をせずに機織りをしたため、娘は病気になった。神様の祟りを恐れた若者は、娘の親に事実を正直に話し、自分が悪かったといい、厳冬の中、冷水をざあざあと浴びながら祈った。同情した周囲の人間も若者と一緒に水垢離をして祈った。すると、やっと神様に聞き入れられ、娘の病気が治った。やがて、二人は正式に結婚し、男の子が生まれた。その家は今も栄えている」
 正直者の若者がいたからこそ、娘の機織りの技術は伝承され、子孫繁栄にもつながったという話だ。
 今、世の中は実にかまびすしい。我々は昔話を読んで、人間の原点に戻る必要がある。
 

機織り女

 ミニ同窓会の幹事が用意してくれた新潟に関する数ページに及ぶプリントに、帰京後、目をとおしている。すると、読めば読むほど、いずれのページも非常に興味深い。我が親友の研究者魂に脱帽。
 <機織り女>というページから一部、抜粋すると、こうである。
 「縮を形にする作業は、たくさんの労力がかかり、労力を賃金に計算して仕事するのではない。冬中、雪の中にこもっている女性たちが空しく過ごさなくてもすむ仕事なのである。
  縮を織る地域の嫁選びは、器量のよさより織りの技術が第一条件となる。親たちは、娘に幼い時から縮の技術を仕込み、十二、三歳から太い糸で織りを体得させる。
 縮は、十五、六から二十四、五歳までの若い時の気力で織ると上等の品ができる。老いてから織ると光沢がなく品質が落ちる」
 これらの記述には多くの示唆を含んでいる。若さは財産なり!

鈴木牧之記念館と『北越雪譜』

 ミニ同窓会の第2日目、幹事が「新潟に来たのなら、絶対に鈴木牧之記念館へ行くべきよ。新潟の人なら誰でも知っています、鈴木牧之のことを」と言って、塩沢宿に在るその記念館へ案内してくれた。
 鈴木牧之は、40年近くかけて『北越雪譜』(1837年)を江戸で出版し、それが当時のベストセラーとなったそうだ。幹事が用意してくれていたプリントには、次なる解説が有った。
 「江戸後期における越後魚沼の雪国の生活を活写した書籍。著者は現在の南魚沼市塩沢で縮(ちぢみ)仲買商・質屋を営んだ鈴木牧之。雪の結晶のスケッチから雪国の風俗・暮らし・方言・産業・奇譚まで、雪国の諸相が豊富な挿絵も交えて多角的かつ詳細に記されており、雪国百科事典ともいうべき資料的価値を持つ」
 温暖な四国で育った私、そして、かなりタイ人化している私にとって、雪国の生活の厳しさは、いまだもって、なかなかに想像しがたいものがある。

「五十嵐」という地名

 大学時代の寮の仲間4名によるミニ同窓会が新潟県で行われた。幹事が新潟市内に在住なので新潟駅に集まることになっていたが、最初の見物地は「新潟大学五十嵐キャンパス」。理由は、仲間の一人の旧姓が「五十嵐」。御先祖様が新潟県出身なので、五十嵐地区と関係があるかもしれないというルーツ探しの旅であった。
 幹事は歴史研究者なので、貴重な資料を用意してくれていた。ご苦労なことだと思っていたら、彼女が住んでいる自治区では周辺の地の成り立ちをしっかりと研究し、資料作りをしてきたとのこと。非常にレベルが高い自治区であることか!
 五十嵐という地名の由来は3つあるそうだ。①五十嵐神社が有り、そこに「五十日足彦命(イカタラシヒコノミコト)が祀られている。②語源は、アイヌ語の「インカルシ」で、眺望する所の意味。それが、イカラシに転訛した(金田一京助説)。③古語の「イカラシ」は「厳(いからし)」であり、「五十」は、「イソ(磯)」で、風の多い荒磯の意。
 いずれの考え方もごもっともだと思えるふしがある。地名の由来を知るのはなかなかに面白い。

今日からブログは17年目に入ります!

 2002年5月19日から書き始めたこのブログ、今日から17年目に入ります。旅行の時にはあえて書きませんが、昨年は骨折入院で休筆。思ってもみないことでした。
 健康でなければ、なにごとも持続しません。毎朝、頭の体操をと思って、PCに向かっていますが、それが叶うということは何と素晴らしいことか! 感謝です。
 ところで、今日は同窓会のため、一泊旅行に出ます。短歌が上手な先輩も参加されるので、短歌の手ほどきを受けて参ります。

มนุษย์ป้า(人間おばさん)

 昨晩、「タイ語上級 木曜日19:00」の授業を補助したが、補助しながら、私自身にとってもとても勉強になった。なぜならば、傑作な単語がゲットできたからである。
 傑作な単語とは、「มนุษย์ป้า マヌット・パー」。มนุษย์(人間)+ ป้า(おばさん)=自己主張が強くて、けたたましいおばさん、という意味に使われると、ボン先生は解説。
 ということは、タイ人から「人間おばさん มนุษย์ป้า」と言われたら喜んではいけないのだ。ほめられているわけではなくて、嫌われているということを察知しなければならない。
 宇宙飛行士はมนุษย์อวกาศ(人間+宇宙)。宇宙飛行士にはとうていなれないが、人間おばさんにもなりたくない。

『語りつぐ戦後史 Ⅲ』

 昨日、目白の古本屋で『語りつぐ戦後史Ⅲ』(編集・解説 鶴見俊介 思想の科学社 昭和45年刊)を買った。鶴見氏との対談相手は以下の11名。1)岡本太郎、2)いいだ・もも、3)堀田善衛、4)開高健、5)大江健三郎 6)小松左京、7)高橋和巳、8)金達寿、9)なだ いなだ、10)寺山修司、11)小田実。
 私は昭和44年(1969年)に社会人になったから、11名のお名前は時代的にものすごくインプットされている。だが、大江氏を除き、いずれも皆、鬼籍に入られた。
 来年5月に元号が変わる。昭和はまるで明治、大正と同じく、すでに遠い昔に追いやられているかの如くだ。平成に対する評価はさて、いかに? つまらない時代であったと、言われそうな気がする。