青森旅情(11)

 八戸にやって来た2週間前の最初の夜、八戸の中心街を歩いた。「Sawasdee」というタイマッサージ店が一等地に陣取っていた。先日、発表されたばかりの今年のこの場所の路線価格は1㎡が10万円。坪に換算すると、1坪33万円。
 恐山へ行く時にむつ市を経由したが、バスから「ワットポー」というタイマッサージ店が見えた。本州最北端にタイ人が住んでいるっていうこと? 恐山に行くために下北バスに乗っているのに、恐山よりも先にワットポーを参拝しなさいということ?
 本八戸駅のそばに猫カフェが有る。毎日、そこの前を歩いているが、看板にタイ文字が使用されている。気になって仕方がなかったので、その店に入り尋ねた。「何故、タイ文字なんですか?」 店主は答えた。「パソコンで引き出して、ただ絵文字として使っているだけです」
 ニャンとも不思議な感じがした。お金を払い、客として入店すると、黒猫(名前はヤマト)が寄って来て、私の脛をひっかいた。バンコクで猫にひっかかれて病院へ行ったのを思い出した。

青森旅情(10)

 そろそろ帰京の日が近づいて来た。青森最後の週末であった昨日、本八戸から八戸、野辺地を経由して大湊線の下北駅で下車し、バスで恐山へ向かった。バスの運転手さんが恐山冷水というところでバスを一時停車。乗客は皆バスから降りて口をぬぐった。霊験あらたかなる冷水に手を浸すこと10秒。冷たい。身も心も引き締まった。
 二度と来ることはなかろうと思いながら、恐山の中を歩く。暑かったがどんどん歩けた。五智山展望台まで行って、周囲の景色のすがすがしさに心うたれた。
 ゆっくり見て歩いたがそれも40分で終わり。硫黄の温泉(無料)が有ったので、旅の思い出に入ってみた。帰りのバスまでまだ2時間も残っている。寺の休憩所で休ませてもらった。汗がどっと出てとまらない。
 バス停の休憩室に、江戸時代後期の旅行家である菅江真澄(1754-1829)のことが紹介されていた。彼は38歳から41歳の間、下北に逗留し、恐山に5度も登ったそうである。今でも熊が出ているという下北。さぞかし不気味な踏破であったことであろう。

青森旅情(9)

 昨日(土曜日)は、午前中で仕事が終わったので、午後から、三沢市に在る「寺山修司記念館」へ行った。行く途中、日本一のごぼう畑が広がっていた。上空から見れば、近くの米軍基地の広さはそれ以上だと思うが…..。
 寺山修司記念館は真っ赤な扉だ。外観も奇抜であったが、内部も奇抜であった。丁度、20周年記念展をやっていた。私の青春時代は寺山修司の時代であったが、特に演劇を観に行ったわけでもない。書を読んだわけでもない。
 しかし、今回、ゆっくりと彼の系譜と考え方を館内に仕掛けられたいろいろな設備と配置により教えられるものが多かった。寺山修司と青森県(津軽、青森、三沢)。その因果によって、彼の秘められた情熱と世間に対する反発が彼の作品を生み出したことを知った。

青森旅情(8)

 いわて銀河鉄道は、目時駅から盛岡駅の間を往復している第三セクター路線で、元はと言えば東北本線だ。この目時駅から「アテンダント」という女性が黒いカバンを携えて乗車して来た。優しい声で、「何なりとお申しつけください」と放送後、車内を回り始めた。
 私の両隣りはお年寄り達。彼らに向かって、アテンダントは腰をかがめ、同じ目線で話しかける。「あんしん通院切符」という証明書をチェックしているようであった。右隣りのおばあさんが「忘れた」と言うと、「じゃあ、今度お願いします」と優しく応じる。少しの割引が有るようだ。盛岡駅から病院までの割安タクシー利用券も販売していた。
 老人の切符チェックが終わった後、不思議な光景を目の当たりにした。学校へ行きたくなくて泣きじゃくっている女の子をそのアテンダントがずっと抱きしめ、女の子の背中を軽く撫でてあげている。10分位、私はその光景を見ていた。やがて女の子は級友にうながされて降車した。

青森旅情(7)

 昨日(7月6日)は仕事が無かったので、青い森鉄道といわて銀河鉄道を乗り継いで渋民駅で下車し、石川啄木記念館へ行った。わずか26年間の彼の人生。だが、啄木の生き様と情熱が十分に凝縮された展示であった。
 その後、バスで盛岡へ出て、もりおか歴史文化館で盛岡藩の歴史や南部家の至宝を鑑賞。非常に勉強になった。
 そこから歩くこと3分。東京駅舎とそっくりな岩手銀行赤レンガ館の前にやって来る。そっくりな理由は建築家(辰野金吾+葛西萬司)が同じであったからだ。
 その建物の反対側にタイ国旗がひらめいていた。タイ料理店だ。遅いランチをそこでとることにして、パッタイを注文。盛岡は冷麺が有名だから、パッタイの麺も冷麺の麺に近く感じられた。日本人女性オーナーにいろいろと尋ねると、彼女はこう答えた。「ここで10年、やってます。以前はタイ人シェフがいたのですが…..」

青森旅情(6)

 7月1日(日)に久慈(岩手県)から三陸鉄道に乗ると、定年退職組の高齢者がたくさん乗っていた。話しかけると大阪から来たことがわかった。道理でにぎやかだ。「修学旅行みたいですね」と私が言うと、「終活旅行なのよ」と、おばさんは陽気に答えた。
 私が三陸鉄道に乗ってとても感心したことが有った。それは、宮古からの帰り道の出来事である。途中から80歳近くのご夫婦が乗車して来た。しばらくして、ワンマン運転の運転手さんがめがねを持ってやって来て、「あのー、待合室にお忘れでしたよ」と言いながら、おじいさんに手渡した。おじいさんは勿論とても喜んだ。
 電車が停まるたびに、運転手さんがホームの待合室の椅子を軽く点検することを、その時、私は知った。ほんのちょっとした心配りが旅の思い出を旅行者の心に残してくれる。

青森旅情(5)

 青森県に来て1週間が経過した。最初、地元の方達のアクセントがものすごく気になったが、もうすっかり慣れた。そして、「スロー・スピード」にストレスを覚えていたが、これも順応することにした。
 昨晩、本八戸駅の近くにある個人経営の居酒屋へ行った。カウンターに座って上を見上げると、世界各国の外国紙幣をおさめた額が2枚、飾られていた。プミポン国王の御姿も! 50バーツと100バーツ紙幣であった。
 大将に尋ねた。「外国紙幣を集めるのがご趣味ですか?」
 彼はこう答えた。「お客さんが持って来てくれるんだよ。少額紙幣は空港で両替してくれないそうだね」
 お客さんというのは地元の人? それとも、長期の仕事で来ている人? 
 いずれにせよ、八戸港はフェリーが発着する大きな港だ。この居酒屋に海外の紙幣が集まって来ていることが面白かった。

青森旅情(4)

 7月1日(日曜)、三陸鉄道に乗って岩手県の久慈から宮古まで行ってみた。赤字路線だからということで、「赤字せんべい」を売っていた。思わず買おうかと思ったが、饅頭にした。
 八戸から日帰りだから、帰りの電車を考えると、宮古では1時間しかいられない。そこで駅周辺をうろうろして終わり。しかし、よく考えると、ここには45年前に来たことがあった。浄土ヶ浜の見物にである。
 駅の中に、「外国人旅行者に 安心・安全の東北旅行を」ということで、5ヶ国語の冊子があった。タイ語も入っていた。しかし、文字があまりにも小さい。
 さらには、「Visit the Tohoku Pacific Coast」という冊子があり、これは「英語+タイ語」の版が有った。しかし残念ながら、表紙から誤植が多い。タイ語が知らない活字編集者は、第一声調記号(ไม้เอก)がゴミだと思って削除することが多い。これでは意味が通じない。ああ、残念。

青森旅情(3)

 昨日、八戸線陸奥湊駅で下車して館鼻岸壁朝市へ行った。朝3時頃からやっているそうだから、7時半には売り切れの店も続出。若い人も年寄りも、自慢の商品を並べて意気軒高だ。気取らない素(す)の姿がなんともうらやましい。
 岸壁の行き止まりには食堂が有った。中に入ってみると、朝からマイクを片手に歌っている女性がいた。歌が上手い。それを熱心に聞いているお客さんたち。なんとなく、タイっぽい感じがした。
 2週間近く青森に滞在することになりそうだが、新鮮な魚を食べていると、東京に帰ってからが心配だ。鮮度が違うから….。八戸漁港、いやもう見直した。

青森旅情(2)

 ホテルが無料で提供している読売新聞(6月27日付け)の青森版を読むと、「八戸市営書店 本領発揮」という見出しが飛び込んで来た。副見出しは、「専門書充実■売り上げ予想以上」。
 町から書店が消えて行くのを憂慮して、八戸市が市の中心部に半年前にブックセンターを開いたそうだ。どんな書店か気になったので、昨日(6月30日)、仕事が終わった後、行ってみた。書店の建物も雰囲気も実にしゃれていた。
 「一般の書店で手に入りにくい芸術や自然科学などの専門書を充実させているのが特徴で、予想を上回る売り上げを維持している」という記事は事実であった。ただし、タイ関連の本は無かった。
 八戸市は運営費(年6千万円)を負担するそうだ。売り上げ(予想)の2千万円を差し引いても、4千万円は赤字だ。しかし、城下町である八戸市には良書を求める人々が多いと感じ取れた。