一葉知秋

昨日、小原流横須賀支部が開催している花展へ行った。今年のテーマは「一葉知秋」。テーマにふさわしく、色合いは秋一色。興味深かったのは、花とかぼちゃを横長の皿にうまく並べている作品であった。ハロウィーンを先取りしているらしい。
 泰日文化倶楽部で9年9ヶ月にわたり実施している「アジア女性のための生け花講座」の華道講師は横須賀支部長である。毎年、お招きを受けているので、私はそのたびに横須賀へ行っているわけだ。
 昨日、サプライズが有った。その会場で元生徒さんご一家とばったり。奥様はタイ人で、泰日文化倶楽部にも教えに来て下さっていたことがある。現在、華道講師はその奥様からタイ語を習っておられるので、ご一家を招待されていたというわけだ。
 元生徒さんは言った。「実は、昨日、昔のテキストを出して見ていたら、吉川先生のお若い時の写真が載っている新聞記事が出てきました。まさか今日、こうしてお会いするとは!」

しなびた野菜

昨晩、元生徒さんが会いに来てくださったので、一緒に食事をした。「何年ぶりになりますか?」と尋ねると、「結婚式以来です」と彼は言った。2000年に結婚したそうだから16年ぶりになる。16年が長いか短いか? 私にとっては短かかった。海外に駐在されていた時の話をうかがうことができ、大変に興味深かった。「卒業して20年になりますから、みんなで集まりたいです」と彼は付け加えた。
 目下、また東京で研修に入っているそうだから、精力をつけてもらおうと思って焼肉店へ行った。肉だけではバランスが悪いので、野菜も注文した。ところが、鮮度が落ちていた。
 そこで考えた。8月31日は、「野菜の日」であったが、こう暑いと、野菜もしなびてしまうのかしら? ネギはやはり冬に食べるのが一番いいんだなあ。野菜スープの中の大根も繊維ばかりが感じられて、まろやかさがなかった。白菜キムチもパリパリ感がなかった。だが、文句は言うまい。ネギも大根も白菜もがんばっているんだから。

วันนี้ วันดี

今朝、タイからラインが来た。書いてある文章は、以下の通りである。
 วันนี้ วันดี วันที่9 เดือน9 ปี59 ขอให้โชคดี มั่งมีเงินทอง เหลือกินเหลือใช้ มีสุขตลอดไป
この文章の出典元は、พระนพดล(ノッパドン僧侶)の『ขอให้มีสุข』。僧侶の名前の前半であるノッパ(นพ)には、<新しい>という意味と、<9>という意味が有る。そして、後半のドン(ดล)には、①層、地面 ②到達する ③霊感が有る、の意味を有す。したがって、このノッパドン僧侶は、「9層の地面に到達し、霊感を起こさせる」という御方なのかもしれない。
 今日は9月9日。タイでは、仏暦2559年だから、9という目出度い数字が3つ、並んだことになり、タイ人にはとても幸福な一日なのである。
 目白には、「九十九餅」というのが売られている。今日はこれを買って、99歳までの展望を一考してみよう。

ウタイのおめでた

一昨日、上野公園から嬉しい発表が有った。14年前に愛子様の御生誕を祝してタイから贈呈されたウタイとアティの2頭の象の間に待望のベビーが誕生することになったとのこと。出産予定は来年6月。
 ウタイはタイ語では、อุทัย と書く。その意味は「日の出」。だから、日出子さんだ。一方、アティだが、これは日本人向けの命名であり、本来ならば、「อาทิตย์ アーティット 太陽」。だが、日本人にはこの発音が難しいから、アティになったと思われる。雄象の名前としてはとても力強い。男性の名前としても古くから用いられている。
 今日は象に関する単語を列挙しよう。①ลูกช้าง ②งาช้าง ③งวงช้าง ④หางช้าง ⑤ช้างป่า ⑥ช้างเผือก ⑦ช้าง ๑ เชือก ⑧ช้างเอราวัณ ⑨ควาญช้าง ⑩ขี่ช้าง おまけは、เบียร์ช้าง です。

融資・投機・破産というタイ語

昨日、「タイ語中級 火曜日10:30」のクラスで、いろいろな話題が展開していく中で、「投機するという言葉はタイ語で何と言いますか?」と、生徒さんから質問が出た。私はこれまで一度も投機するというタイ語の場面に遭遇したことがなかったので、「投資する ลงทุน」と答えたが、投機と投資は意味が異なるという指摘を受けて、確かにそうだと思った。
 辞書で調べてみると、「投機する เก็งทุน」と書いてあった。冨田竹次郎先生の辞書なので、「เก็ง= 経」というふうに、漢字も併記されている。おそらく潮州語かもしれない。いずれにせよ、タイ語ではない。
 ついでに書くと、「融資を受ける กู้เงิน」。「กู้=救」であるから、これも漢字から来たもの。「破産する เจ๊ง」も漢字から来ている。冨田先生によると、「種」という漢字かもしれないが、あまり自信がないとのこと。
 いずれにせよ、経済や賭博に関するタイ語は中国から来たものが多い。やはり華僑の生活がタイにそのまま持ち込まれたことがわかる。銀行から多額の融資を受けて、それを投機に使えば、破産するのは自明だ。

バンコクに関する描写

タイに関係ない本を読んでいても、意外や意外、タイに関する記述が出て来る。作家達がいかにタイに滞在、あるいは、通過したかがわかる。
 昨日、『辺境・近境』(村上春樹著・新潮社 1998年)の中の、<アメリカ大陸を横断しよう>(注:1995年に書いたもの)という文章を読んでいると、次のような記述があった。要約すると、温水プールのついたモーテルは、狭くて、水が汚い。そして、建物の中庭に温水プールがあるため、建物じゅうが湿気を含んでもわっとしている。以下の文章はそのまま引用する。
 「要するに全部サウナみたいになっているところが多いわけだ。僕らはこの手の温水プールつきモーテルにはずいぶんひどい目にあわされた。インディアナ州の小さな町のモーテルに泊まったときには、まるでバンコク空港でのトランジットを想起させる寝苦しい一夜を送ることになった」
 この場合のバンコク空港とはドンムアン空港のことだが、このような喩えに使われているとは……。

閑坐聴松風

 昨日はお茶の稽古に参加した。掛け軸に書かれた行書体の漢字は、「閑坐聴松風」。そして、掛け軸の下には、鈴虫の絵が入った香合。花は木槿(むくげ)。
 野分の頃、一人、静かに坐して、松風の音を聴く。なんと風流なことか。
 学習院大学のそばを歩いていると、蝉の合唱が聞こえてくる。仕事で出かけているので聞き流して終わりだ。このときの「聞こえる」は、タイ語では ได้ยิน dai-yin 。しかし、夜、帰宅時に聞こえてくる鈴虫の音には、心して耳を傾けて聴く。このときのタイ語は ฟัง fang 。蝉と鈴虫と、うまく住み分けしているのが面白い。

キツネ それとも カエル

 タイ人のニックネーム(ชึ่อเล่น)に英語が多用される傾向があることは知っている。ビッグ、トップ、サン、ギフト、等々。
 昨日、耳にしたニックネームは「フォック」。私はてっきり「フォックス fox」、すなわち、「キツネ」だと思った。何故ならば、タイ人は英語の末子音を発音しないからだ。
 ところが、タイ語で書いてもらうと、「ฟร๊อก」。えっ、これだと、「フロッグ frog」、すなわち、カエルではないか。
 そこであらためて考えた。最近のタイ人は、二重子音(kl, kr, tl, tr, fl, fr,等)をほとんどはっきりとは発音しない。だから、フロッグが、フォックに聞こえたわけだ。
 カエルという愛称は、昔から好まれている。地面に這いつくばった状態がタイ人には好印象だからだ。特に可愛い赤ちゃんの姿がカエルにたとえられてもいる。だが、これまではタイ語の「กบ ゴップ」を使っていた。したがって、カエルまでが、英語化されているところに、或る種の面白さを覚えた。

包装紙

 昨日、到来物が有った。滋賀県に住む元教え子からであった。滋賀県の産物かと思いきや、よく見ると福岡県産。「焼きあご、かつお節、うるめいわし、真昆布、海塩をつかった茅の舎だし」というものであり、パック入りだから、料理をするにはとても便利。
 製造元を見ると、「創業明治二十六年 久原本家 茅の舎」と書いてあった。そして、包装紙は朝顔の絵。紙質もすばらしい。額縁に入れたいほどだ。包装紙の端に書いてある説明が目にとまった。
 「茅の舎は、日本画の作家とともに、四季折々の魅力に溢れた日本文化の素晴らしさを伝える活動をしています」
 これはすばらしい考え方だ。日本画の若手作家も元気づくであろう。日本の色はこよなく美しい。身近なところで四季の色が味わえるのはとても幸せである(มีความสุขมาก)。
 

下町訪問

昨晩(เมื่อคืนนี้)、台東区下谷にお住まいの鮨職人さんのお宅を訪問した。2年前にうかがった時、あまりにも気さくなご家庭であり、かつ、お料理が美味しかったので、また遊びに行きたいなあと思っていたが、それが実現して嬉しかった。
 前回はご主人がいらっしゃらなかったが、昨晩は対面でたくさんお話しすることができた。ご主人(65歳)は雑司ヶ谷生まれの下谷育ち。奥様(63歳)は新橋育ち。ご夫妻のご実家はともに鮨店を営んでおられたとのこと。1964年の東京オリンピック時、聖火が街を通り抜けるのを見た思い出話を興奮して語ってくださった。
 狭くて古いマンションだが、押し入れには町内会のお祭りグッズがしまってあるそうだ。そして、小さな台所で料理を作り、お祭りの炊き出しを一手に引き受ける。下町の絆の深さを見た。そして、宵越しの銭は持たないという精神が伝わってきた。