articulate という英語

昨日、ABCニュースでアメリカ大統領予備選挙の様子を見ていると、‟articulate”という言葉が耳に残った。この単語を初めて習ったのは1965年。大学1年の英語発音学(phonetics)の授業の時だ。この時は、<調音する>という意味であった。
 だが、昨日のニュースでは、<明瞭に述べる>という意味で発せられていた。
 そこで、articulate という動詞を調べてみると、articulate a belief(信念を述べる)、 articulate one’s idea(考えをはっきりと述べる)、articulate one’s dream(大いに夢を語る)、 articulate one’s position(立場を明確に述べる)等、いくらでもある。いずれも日本人が弱い、というか、小さい時から訓練されていない行動だ。
 語学の成績は、日本ではまだまだペーパーテストが残党の如く残っているが、自分の意見をはっきり言えないと、国際社会では太刀打ちできない。生徒数が多いクラスにおいては理想的な授業は無理だ。先生にも限界が有る。したがって、語学が上手になりたければ、ひたすら独学をしたほうがいい。
そして、‟articulate”(①言葉を発する、②はっきりと話す、③はきはきと話す)の単語を頭に浮かべ、言葉と文章を力強く話そう。タイ語も然り。

受ける喜び・授ける喜び

稽古事をやっていると、先生からいろいろなことを教えていただくので、心さえ素直であれば、受ける喜びが何ともたまらない。資格をとろうとか、その道を極めようとか思わず、趣味的に習うのは、いたって楽しい。
 しかし、まてよ。受けるだけで満足していてはいかん。惰性になってはいかん。
 来週火曜日(16日)から1週間、バンコクへ行く予定なので、今週はたくさんのクラスに出て、クラスの現状を把握するようにしている。そして、助言を与える中において、やはり、私は「受ける」よりも、「授ける」ほうが好きであることに気がついた。
 私の授業が面白い、楽しい、分かりやすい、と言って下さる生徒さん達には、いついつまでも教え続けたい。あと10年はまだまだ「授」の立場をつらぬこう。

音感のいい生徒さん

昨晩20時から個人レッスンを始めた。新しい方とお初にお目にかかることは、いつもとても楽しみである。
 4月にはバンコクへ赴任予定なので、受講回数はおそらく10回程度だろう。したがって、細かい説明は抜きにして、『タイ語入門』のテキストを毎回、2課ずつ進ませることにした。
 第1回目の授業は、挨拶、名前、場所、そして、家族の呼称に関して指導したが、音感が実に素晴らしい女性であった。タイ人講師の発音が聞き取れ、ほぼ物真似ができた。
 タイへ行ったこともないのに、そして、タイに関する豆知識も無いのに、タイ語に素直に反応するセンス。若いということはいいことだ。そして、希望に満ちあふれているということは羨ましい限りである。
 こんなことを書くと、中高年の方達がつむじを曲げそうだが、若者に負けぬだけの気概を呼び覚まして、日々、精進、精進。

発声訓練は大切

昨晩、中学時代の友人から電話が有った。とりとめもないことを喋ること、1時間。最後は大いに笑って電話を切った。
 彼女は言った。「あなたの声はいつも張りがあるわね」
 私は答えた。「勿論ですとも。お腹の底から声を出していますから」
 彼女はすかさず応じた。「そう言えば、喋らないと、喉の筋肉も衰えてしまい、年寄りくさくなるみたいよ」
 彼女の声は昔と変わりがなかった。私も同じく発声には苦慮しない。
 一人暮らしの方は語学を習うとよろしい。認知症の予防になると言ってタイ語を習いに来られている方がおられるが、それだけではなくて、発声の訓練をすることは気持ちがいいものである。
 自分の衰えは声からも感知できる。寒い、寒いと言って部屋にこもってばかりいないで、語学教室へ行って、大いに声を出そう。

女性5人のつながり

昨日から、茶道教室に入会した。初心者クラスなので、昨日、初めてお目にかかった生徒さんは3名。講師は同じマンションの方だからすでに昵懇の仲である。
 40年ぶりに稽古を再開した。思い返せば、この40年間、無我夢中で働いてきた。したがって、茶道に集中する時間が無いと思い、諦めていた。だが、そろそろ精神統一の必要性を心から感じるようになり、茶道を再びやり直すことにした次第だ。
 稽古後、私ともう一人の新人を歓迎するということで、場所を中華料理店に変えて歓迎会が有った。華道講師は数年前まで渋谷でブティックを経営しておられた。生徒3名はその時の顧客だそうだ。そして、いろいろと話しているうちに、そのブティックの店と同じビルの同じフロア―で、しかも真向かいに「サラタイ」というタイ料理店が有ったということを知らされ、びっくり。そのタイ料理店なら数回、行ったことがある。
 それが分かると、急にタイの話でもちきりになった。皆さん、サラタイのオーナーをよくご存知であったからだ。

或る指輪

私は装飾品にはあまり興味が無い。かと言って、全くつけないわけでもない。かつては買いたくてたまらない時期が有ったから、数点は持っている。
 今日は何故、指輪を話題にするかと言うと、毎年、2月上旬になると、或る指輪が私の記憶を呼び覚ますからだ。
 泰日文化倶楽部は1988年10月からスタートしたが、翌年1989年夏頃から一人のタイ人青年がアシスタントとして手伝ってくれるようになった。彼の通称はペン君。当時20歳。心根の優しい青年であった。
 翌1990年2月上旬、ちょっとバンコクへ帰りたいというので、私は快く応じた。しかし、彼は日本に帰って来なかった。交通事故に遭い、天国へ行ってしまったのだ。
 ペン君は日曜日には代々木公園でのフリーマーケットに参加し、タイのグッズを売っていた。商家の息子さんだったから、商品を販売することが好きだったようである。私は彼から指輪を買った。1個¥400。
 その指輪を大切に取ってある。普段はあまり気にしていないが、2月上旬になるとその指輪が気になって仕方がない。
 ペン君が生きていれば、46歳になる。天国から、「泰日文化倶楽部、まだやってるんだね」という声が聞こえてきそうだ。

出前出張講義

4日の夕方、福島県へ行き、5日の出前出張講義に備えるべく、ホテルで一泊。5日の朝、東京で地震が発生したとのニュースを聞いて、やはり余裕を持って旅行するに限ると思った。
 午前10時から午後5時までの授業を乗り切るには精力をつけておかなければと思い、福島牛のローストビーフを食べた。地元で造った地ビールと一緒に食すると、実に美味い! これで講義の成功を確信した。
 受講生はタイ語の学力を増強したいという意識が高い方達だったので、その熱意に応えて、私も全力投球した。
 毎週、先生について勉強できる環境に恵まれている方達は<学ぶ飢え>を知らない。だが、地方在住の方達はタイ語のブラッシュアップを熱望しておられる。
 要請を受ければ、どこへでも出前出張講義に行きたい。そして、文法的な悩みをすっきりと解消してさしあげたい。

蜂蜜

今日は立春。昨日、パステル・カラーのセーターを買った。春を先取りした気分はすこぶる良い。
 ところで、昨日、朝から晩まで仕事をし過ぎたので、今朝、喉の調子が悪い。そこで早速、買い置きしていた蜂蜜セットの箱を開けた。
 中には3種の瓶が入っている。驚いたのは、国産とばかり思っていたのに、実は外国産の蜂蜜であった。アカシア蜂蜜はルーマニア産、オレンジ蜂蜜はメキシコ産、クローバーはカナダ産。有効期限はいずれも2017年6月まで。
 外国へ行かなくても、諸外国の産物が家庭に入り込んでくる時代。それはそれで面白い。
 そう言えば、以前、「patagonia」というブランドのスポーツウェアを買ったが、服に付けられたタグには、スリランカ製と書いてあった。
(お知らせ)今日から地方出張のため、明日のブログは休みます。

上司の紹介

昨日、3年前に個人レッスンを受講されていた方からラインが入って来た。現在、バンコクに駐在しておられることが書かれてあった。
 用件は東京で採用したばかりの女性に対して、バンコク勤務前に、是非ともタイ語を受講させたい、従いましては、個人レッスンをよろしく、というものであった。
 上司が部下にタイ語学習を勧めるということはすばらしいことだ。初歩の初歩でいいから、タイ語に触れておくこと、そして、発音の仕方を心得ておくことは、バンコク生活にとって有益なことである。
 早速にも来週から個人レッスンをスタートすることにし、受講者も承諾された。すべてスイスイと事が運んだ。おそらく20時間位のレッスンになると思われるが、要領よくご指導したいと思っている。

茶道帛紗

お茶の稽古のために、昨日、帛紗を買いに行った。真面目に稽古するために、高級な帛紗を選んだ。創業正徳二年(1712年)の老舗のものである。
 あまりにもたくさんの色目のものがあり、迷いに迷った。そして、選んだ色は、「利休白茶」。利休鼠という色は聞いたことがあるが、そろそろ春も近いので、やや淡いほうの色にすることにした。
 昨日、BSテレビで「京都の和菓子は3度の楽しみがある」と解説していたが、それは、色によって季節を味わい、お菓子につけられた銘を聞いて、和歌を思い出し、最後に、使われている材料の融合をおいしくいただくとのこと。
 タイも王朝文化を持っている。暑い国なのですべてが強烈な感じを受けるが、みやびなものは伝統的に残っている。外国からの安物に押されることなく、タイ固有の美をしっかりと残していってもらいたいものだ。