バンコクぶらぶら(6)

飼い猫に爪で引っ掻かかれた右手の傷に絆創膏を貼っていたが、そろそろ取り外してもいいだろうと思って剥がしてみると、大変! 引っ掻き傷の他に、血管が黒ずんでいる。これから先、どうなっていくのであろう。
 そこで、20日の朝、スクムビット通り3に在るバムルンラート病院へ行った。私は44年前からタイへ行き始めたが、これまで一度もタイの病院にお世話になったことがない。これ幸いと思い、嬉々として出かけて行った。
 日本語が分かる受付けの方に向かって手順に関して尋ねてみると、「その傷はそのうち治ります」と、まるで医者の如く言った。「でも、私、どうしても治療を受けたいんです」と言って、診察券作成係に進み、診察券を取得。
 16階にある外科へ行くと、看護師が、「ミズ・キーコ」と私の名前を呼んだ。身長と体重、そして、血圧を測定したが、血圧がいつもより上昇していた。
 通訳をお願いするか否か迷ったが、自分のタイ語力を試してみるつもりで、一人で診察室へ。ドクターは日本人みたいな風貌。タイ語がうまいと誉めて下さった。
 カルテを書いて頂き、注射室へ。別の看護師さんが、「ミズ・カイコ」と私を呼ぶ。注射後、渡された用紙を読むと、あと2回、注射をしに来るようにと書いてあった。「3日後には帰国します。1回だけの注射でもいいかしら?」と看護師に相談。看護師は困った顔をした。

バンコクぶらぶら(5)

2月19日夕方、泰日文化倶楽部で学んだ元生徒さんT氏と食事をした。バンコク駐在2度目だそうで、気さくな雰囲気で現れた。
 「昨晩はシンガポールでした。宴会で中華を食べましたから、豚はパスです」と、彼は言った。そこで野菜中心のタイ料理を注文。彼はお酒が呑めない体質なので、ジュースで乾杯!
 T氏はマレーシア、ベトナムへも度々、出張しておられる社長さん。話に花が咲いた。
 帰国後、御礼メールを出すと、面白い返事が来た。
 「話があまりにも楽しかったので、翌朝、30分、寝坊してしまいました。この日はホワヒンへの社員旅行。定刻通りに集まったことがないタイ人達が、この日に限って、皆、出発時間にちゃんとバスに乗り込んで勢ぞろい。遅れたのは私だけ。こんなこと初めてです」

バンコクぶらぶら(4)

2月18日と19日はサイアムスクウェアーのノボテルホテルに泊まった。誰かと待ち合わせをするにはベストなロケーションだ。
 ロビーで待っていて下さったのは泰日文化倶楽部の元講師であるN先生。チュラ大法学部を総代で卒業した弁護士だが、会うたびに仕事を減らしているとおっしゃる。それはそれでいいことだ。何故ならば、彼には油絵や水彩画を描くという趣味が幼少期からある。
 しかしながら、ちゃんと仕事をしている証として、仕事でブータンへ行かれた時の写真を見せてくださった。ブータンの男性服を着ている姿はブータン人そのもの。いやはやびっくり。彼の奥様も弁護士だが、ブータン女性の服を着ていると、彼女もやはりブータン人!
 51歳のN先生は健康のことを考えて小食になっておられた。私も真似をして健康食を注文。N先生と話をしていると25年前に泰日文化倶楽部でご指導いただいていた光景がありありと浮かんできた。

バンコク ぶらぶら(3)

お手伝いのブアさんの後任者はミャンマー女性で37歳。愛称はノーイ(น้อย)。タイ語がうまい。「どうしてうまいの?」と尋ねると、「毎日、使っているから」、という返事。一番、明解な回答だ。
 泰日文化倶楽部の元講師であるK先生の家は2500坪。池も有る。野菜はすべて自家栽培。農薬を全く使わない。
 飼っていたゴールデンレトリバーのマーリーが先月1月に死んだそうだ。池でボートに乗り、一緒に遊んだ思い出がある犬だ。その代わりに新しい犬がいた。シベリアン・ハスキー犬で、名前はタロ。日本名の太郎かと思っていたら、タロ芋のタロだそうだ。
 猫4匹のうち3匹は私に寄って来て甘える。残りの白猫は高いところから私を見つめるだけ。頭をなでてあげようとすると、手で私の右手をひっかいた。すかさず血が出始めた。傷口を消毒液で洗った。ミャンマー人のノーイさんが絆創膏を貼ってくれた。優しい。
 ところがである。2日後、ひっかき傷が赤黒くなり、血管が黒ずんできた。これは大変。病院へ行くはめとなった。

バンコクぶらぶら(2)

TG661便は定刻5時25分にスワンナプーム空港に到着。入国審査の前にトイレに寄って、東京から着て来た冬服を脱ぎ去り夏服に着替える。日本人よ、さようなら。私はもうタイ人よ。
 私を迎えに来て下さった方はマリさん(มะลิ=ジャスミン)。女性の名前のように聞こえるが、れっきとした男性だ。泰日文化倶楽部の元講師(1994年頃)のご家族が雇っているおかかえ運転手さんである。彼とは20年前からの知り合いなので気心が知れている。スコータイ(สุโชทัย)出身だ。
 いつも泊めていただく元講師の家には大型犬18頭、小型犬10頭、猫4匹。そして、リス1匹いる。リスは息子さんの頭上に乗るのが好きで、まるで仏像の頭に乗っかっている螺髪の如し。
 今回、残念に思ったことは、私と同年齢であったお手伝いさん(ブア บัว=蓮)が完全に引退し、故郷のローイエット(ร้อยเอ็ด)に戻ってしまわれていたことだ。30年以上に亘って勤められたブアさん。タイ家庭料理を作ってくださった。もう2度とお会いすることはない。

バンコク ぶらぶら(1)

2月17日午前0時20分、羽田を出発。タイ航空は満席。いやはやタイへ行く方達のなんとまあ多いことか。
 何故、私は丸2年間もタイへ行かなかったのであろうか。自責の念にかられた。ああ、失われた2年間….。
 客層はさまざま。私の隣りに坐ったおじさんは、完全に遊びのようだ。気楽でいいなあ。そうかと思うと、通路を隔てて斜め前に坐っているビジネスマンは、会議のためのレジュメに目を通しっぱなし。そして、『タイ語自遊自在』という本を座席の網ポケットにしまっているではないか。
 「およしなさいな。そんなことでは間に合いませんよ。タイ語は沼のごとく奥が深いんですからね」と、私は声を殺して、彼の背中に向かって語りかけた。
 今回の旅で、タイ語がますます好きになった。私を鍛えてくださるタイ人がいれば、最初から鍛え直してもらいたくなった。

バンコクへ参ります。

今晩からバンコクへ参ります。帰国は24日朝です。その間、ご不便をおかけしますが、何卒よろしくお願いいたします。
 2年ぶりのタイです。発展し過ぎるバンコク……。それはそれでいいのですが…..?? 古き良きバンコクを探したいですね。

神父修行中のT君

2013年4月から2015年3月までの2年間、タイ語を履修したT君は、最後の期末試験後、私に次のように言った。
 「4月から神父になるために1年間、修行をします。外界との接触を絶って、教会の施設に籠ります。メールも手紙も一切、禁止です」
 それを聞いた時、彼の信念の強さが本物であると思った。
 メールやラインで簡単に連絡できる昨今、他者の時間を奪っていることになり、かつ、自分の時間を失っていることにもなる。昔の歌謡曲を聞いていると、「三日遅れの便りを乗せて~」とかいう歌詞が有るが、もうなんだか聞いていられない。いつも連絡を取り合っていると、数年ぶりに会っても、懐かしさがわかなくなった。
 T君のように外界との関係を絶つことは不可能だが、そういう気持ちだけはどこかに持ち、もっと精神を統一しなければならない。

勝男武士

 昨日、鎌倉七里ガ浜に在るホテルですばらしい結婚式が挙行された。引出物に鰹節が入っていた。説明書には次のように書かれてあった。
 「かつおぶしは<勝男武士>とも言われ、勝利を願う思いが込められました。また、削る前の状態がとてもかたく、簡単には割れないということから結婚式の際には<人と人との絆が固く結ばれますように>と、縁起物として引出物には欠かせないものとなっております」
 昨日の新郎はとてもしっかりした方だったので、彼と奥様が築く新しい家庭は安定したものとなること間違いなしだ。
 タイ語で引出物のことは、「ชำร่วย(チャムルアイ)」という。この単語は、縮小形になると、「ช่วย(チュアイ=助ける)」という単語になっていく。なるほど、宴会の席では人手を要するので、手伝いに来た人達の労をねぎらって、ほんの気持ちばかりの品を渡すわけだ。日本の場合は結婚式産業が発達しているので、引出物の額も馬鹿にならないが、タイではほんの気持ちというのがとてもいい。

今日は結婚式に参列

今日は元生徒さんの結婚式に招かれている。そろそろ支度を始めなければならない。
 昨晩、「タイ語中級 金曜日19:00」のクラスで、「明日、結婚式に行きます。婿殿(เจ้าบ่าว)は警察官(ตำรวจ)です。皆さん、花嫁(เจ้าสาว)の職業(อาชีพ)をあててみてください」と言ってみたが、生徒達は首をかしげるだけであった。
 「看護師(พยาบาล)です」と教えてあげると、タイ人講師のミカン先生がすかさず反応した。
 「タイでもその組み合わせはよくあります。兵隊(ทหาร)と看護師もありますが….」
 いずれにせよ、新しいカップルが誕生するということはまことに目出度いことである。ただし、国会議員(ส.ส. すなわち、สมาชิกสภาผู้แทนราษฎร)同士の結婚はいただけない。二人の収入を合計すると、ものすごく高いものになるから、それはやめてほしい。