大学の講義が終了したので、今は泰日文化倶楽部に全力を注いでいる。具体的に言うと、タイ人講師達の授業の補佐をしながら、生徒達の上達ぶりを見ている。
その中で気がついたことは、ネイティブに習っても、タイ語の発音が一向に上手になってはいないことだ。いくら矯正しても直らない。
すると、還暦近い男性がこう言った。「老いらくの恋をしなければなりませんなあ」
その通り。恋をすればすべてに艶が出る。発音もしかり。
老いらくの恋をタイ語では何と言うのかと、その生徒が知りたがったので、タイ人講師に通訳しながら尋ねた。
答えは、「กินหญ้าอ่อน 若草を食べる」というそうだ。若草(หญ่าอ่อน)は、若い娘のことである。年増の女性はダメか….。
埼玉県からの生徒達
昨日は雨が雪に変わり、東京も白いものがひらひら。雪の日は緊張する。何故ならば、タイ人講師が来られないことを想定して、備えておかなければならないからだ。LINEで様子を尋ねると、来る意思あり。
しかしながら、生徒達の参加も当然、悪くなる。昨日は埼玉県から習いに来られている生徒達が3名、休まれた。帰りの足が心配であったからだ。
ところで、埼玉県熊谷在住の方がおられるが、高田馬場まで来る交通費が馬鹿にならない。気の毒だ。東京に近いところまで勤務していた時は定期があって、それが使えたが、退職した途端に交通費が跳ね上がった。それでもやめずにタイ語を習いに来てくださる。有難い。
聞くところによると、埼玉県にはタイ語を教えているところが無いそうだ。そこへ行くと、東京にはあちらこちらにタイ語を教えているところがある。高田馬場駅2分のところにある泰日文化倶楽部。駅から近くてよい。山手線、西武新宿線、そして、地下鉄東西線の沿線に住む方々からは有難がられている。タイ語教室としての存在意義は大きい。
女性雑誌
先日、早稲田にある穴八幡にお参りした。祈ったこと、それはもちろん、「タイ語の生徒さんがたくさん来ますように」
帰りに早稲田の古本店に寄った。『戦争と女性雑誌 1931年~1945年』(近代女性文化史研究会 ドメス出版 2001年)を購入。あとがきに、女性雑誌の存在意義をまとめていた。
「雑誌はその商業性や恣意性も色濃く反映するが、一方では女性をとりまく家庭・政治的環境の変化、女性自身の意識のあり方や変化を明確に読みとることができる。さらに家庭環境・居住地・学歴・職業の違いを越えて、多くの女性の持つ問題・悩みをとりあげ、解決を考えあう<広場>の役割をもっていた」
この意見に同意する。ネットの時代になってから書籍や雑誌の販売が厳しくなっているが、やはり本の体裁を成したものであれば、長く保存できる。そして、それが歴史の証明になる。
教えることは楽しい!
月曜日は祭日が多いため、「タイ語中級 月曜日18:00」のクラスだけは、授業を休むことにしている。理由は、会社員の生徒達から、「祭日はあまり外出をしたくありません。ですから、休みにしましょう」という要望が出ているためである。
昨晩、タイ人講師が風邪のため来られなかった。そこで私が代講した。今年になって初めて会う生徒達。皆さん、お元気な姿で現れた。ただし、約1ヶ月近く、休みが有ったために、彼らのタイ語に対する感覚は鈍り気味であった。休みが多く有るのはよくないなあと思ったが、取り決めたことだから致し方ない。
いずれにせよ、皆さんから今年もタイ語をマイペースで習う気持ちが伝わって来たので一安心。
「やめたらおしまいですよ。続けましょうね!」 私は檄を飛ばした。
昨晩は、「タイ語初級19:30」のクラスも代講した。生徒達がタイ文字が読めるようになっていて嬉しかった。タイ語を教えることは本当に楽しい。
もみじのような手
昨日の朝、高田馬場駅の構内で、ノーン先生のご家族と偶然にお会いすることがあった。御主人とは電話で話したことがあるものの、お会いするのは初めて。
ベビーカーの中の坊やは1才7ヶ月。1年前に教室に連れて来られた時は机の上にお座りさせて、生徒のみんなであやしたものだ。今はりりしい感じのお顔になっていた。
タイで生まれ、半年後に日本にやって来た彼は、最近1ヶ月半、タイへ行っていたので、タイ語にも反応する。
ノーン先生が「サワッディー・クラップ。ワーイ(合掌)しなさい!」と号令をかけると、坊やは本当に手を合わせた。もみじのような手。可愛い! 思わずその手に触った。
タイの子どもが赤ちゃんの時から合掌することを教えられていることは、実際に見て知っている。この坊やも、日本には住んではいるけれど、挨拶はタイ人ばりばりだ。
「ちょっと….」という日本語
今年に入って、タイ人に2回、日本語を教えた。日本語を教えることはとても楽しい。だから、私は生徒達に向かって、普通のスピードでどんどん話しかける。
日本語で、「いいです」と言うと、それには、情況次第で、そして、発音の仕方次第で、「良い」と、「要らない」の両方に解釈できる。「結構です」も然り。「すばらしい」と、「不要です」の両方の意味を有する。日本人であれば、そのような混乱は起きないが、日本語を勉強し始めたばかりの外国人には、まだまだわからないことが多いらしい。
昨日、「ちょっと」という単語がテキストに出てきた。使われている場面は、「ここの席、空いてますか?」という質問に対して、「あのー、ちょっと…..」という返事であった。
生徒は、実際にそう言われたことがあるらしく、私に訊いてきた。
「ちょっとという単語は、ちょっと待ってください、ということだと思っていました。ですから、私はそこでずっと立って待っていました」
私は笑いながら、答えた。「あのー、ちょっと…..と言うのは、この席には家族とか、友達が座る予定だけど、トイレ等へ行っているから、今はここにはいない、そのうち戻って来る、という意味合いが含まれていますよ」
あくせく働かない
昨日、個人レッスンを受講されている奥様にタイ語を教えた。3月にタイへ行かれるので、ものすごく頑張って勉強しておられるのがよくわかった。
彼女は年末年始に初めてタイへ行き、バンコクの活気を肌で感じて来られたようだ。いろいろ話を聞いていると、御主人が住んでおられるマンションは、オール日本人なので、そこだけは日本の生活と全く変わりがなかったとのこと。
「マンションの玄関先にシーロー(四輪車)が待っているので、近くへ行くのはとても便利ですが、運転手さんは午後になると、もう働かないのかしら?」
私は答えた。「おそらく借りている車でしょうから、午後2時を過ぎると、会社に返しに行くんだと思いますよ」
あくせく働くことはせず、マイペースで働くタイ人の生活スタイル。これからタイへ行って住む奥様には不思議に思われたようだ。
一枚のレシピ
1月12日19時半から30分間、放映されたNHK番組の正式なタイトルは忘れたが、たしか「一枚のレシピ」に近かったように思う。
夜7時のニュースが終わってすぐ、池袋の街が画面にあらわれた。一体、どんな内容かと興味を持って見ると、それは、奥さんが病死したため閉店していたパン屋さんを、御主人が仲間の励ましを受けて、再び再開したものであった。奥さんの書き残した「一枚のレシピ」には、「絶対にパンを焼いてください」と書いてあったそうだ。
奥さんはパンを焼いては、池袋のホームレスの人達に配っていたことをこの番組で初めて知った。ご自分の行為を御主人に託したのだ、「一枚のレシピ」を残すことで。
遺影の中の奥さんは本当に清く、美しかった。そして、御主人の表情も優しい。
たった一枚の紙だけれど、とても意味がある一枚だ。奥さんの意思は今後につながった。御主人と仲間の和を通して……。
三色のヒヤシンス
花屋の店先に、ヒヤシンスの球根がたくさん売られていた。ひとつの鉢に球根が3個ずつ。一色だけの鉢もあれば、三色の花が咲く鉢もあった。
私は三色(赤・白・青)の球根鉢を買った。何故ならば、これらの三色はフランスの国旗に通じるからだ。
今年も年初から大きなニュースがパリから発信された。そして、フランス全土で行われた「言論の自由」を求めるデモの参加者が360万人….。
私はパリに2回、行ったことがあるが、街歩きをしていて印象に残ったことは、旧い建物(図書館として使われている)の正面の上部に、「自由」、「平等」、「友愛」と書いてあったことである。
買って来たヒヤシンスはいつ咲くかわからないが、三色ともそろって咲いてほしい。
おだやかな滑り出し
泰日文化倶楽部は1月6日(火曜日)から授業をスタートしたので、昨日から第2週目に入った。諸事情でおやめになった方達が8名。しかし、復帰された方、及び、新しく入会された方が計7名なので、生徒数でいえば、去年12月と大差がない。
この一週間、生徒達の表情を見ていると、おだやかな様子が感じられ安心した。特に、中年の方々の雰囲気がいい。気負いがなくて、おだやかな滑り出しが感じられる。
語学の勉強には根気がいる。「頑張ります!」といくら宣言しても、それが早い段階で頓挫しては何にもならない。
面白くても面白くなくても持続が肝心。生きていくための糧。そのように思って、毎日、少しずつ前進することだ。