B先生の3時間に及ぶ手術中、私はB先生のご主人と一緒にテレビのある団欒室で、いろいろな話をした。
そこへ、とても可愛い感じがする色白のおばあ様がゆっくりとした足取りで車イスをひきながら入って来られた。車イスにはご主人が乗っていた。
その二人を見て、我々は大いにびっくりした。どう見てもかなりのお年とお見受けしたからだ。
私はおむむろにおばあ様に尋ねてみた。「あのー、失礼ですが、おいくつでいらっしゃいますか?」
「私は87歳。主人は92歳。もうすぐ93歳になりますの。家の中で急に歩けなくなったものですから….」
B先生のご主人におしえてあげると、すかさずこう言った。
「タイの病院であれば、お年寄りに車イスをひかせていたら、早速にも苦情が出て、看護師が責められます」
彼は日本が大好きだから、日本で出来得る限り長く住みたいとのこと。これからもいろいろな光景を目にすることであろう。
タイが大好きな看護師さん
泰日文化倶楽部で、7年前位まで看護師さん(K子さん)がタイ語を勉強しておられた。彼女は勤務先の文京区から自転車で通って来られていたが、横須賀の実家に引越しすることになったため、やむなくおやめになった。
しかし、1年に1回くらいメールをいただくので、K子さんとはいまだにつながっている。メールは、タイへ旅行される前後に送られてくるので、彼女のワクワク感をおすそわけしてもらっている感じだ。
看護師の仕事は想像以上にきつい。たまったストレスを解消するためには、タイへ旅行するのが一番。日本とは空気がちがう。ここでいう空気とは、単なる空気ではなくて、人間をやさしく包みこんでくれる空気のことだ。タイに行くと、日本でのギスギスした人間関係が忘れられる。できることなら、そのままタイにいたい….。しかし、仕事が待っている。したがって、日本に帰って来ざるをえない。
K子さんの心はいつもタイに向いている。今年もタイ旅行を大いに楽しんでもらいたい。
タイ語を話す看護師さん
タイ人講師のB先生が盲腸炎になり、昨日、手術した。彼女は英語が話せるドクターがいるS病院を選んだ。幸いにも私の家の近くであったので、私も付き添うことにした。
問診票にはいろいろな内容の質問が30項目くらい有ったので、私が通訳し、そして、聞いたことを日本語で書いてあげた。その間、わずか10分。
ドクターの英語はすばらしかった。手術前の患者を十分に安心させるものであった。そして、何よりもアジアの人々から好かれるお顔をしておられた。
午後6時からは看護師が交代すると聞いたので、夜勤の看護師にご挨拶をしに行った。
「タイ人です。どうかよろしくお願いいたします」
すると、その看護師はすかさず答えた。「私、タイ語、話せます」
それを聞いて、B先生のご主人も私もびっくり。御主人の駐在の関係で、かつてタイに4年間住み、バンコクの有名病院でボランティアの通訳をしておられたそうである。
カウンセリング講座
昨晩、上智大学の「2014年度講師懇親会」というパーティーに参加した。旧知の講師は、韓国語、インドネシア語、そして、ポルトガル語の先生だ。
事務局の方から、「40年間、開講してきたカウンセリング講座が終わります」という報告を聞いて驚いた。人気のある評判の講座であったのに…。時間の余裕ができれば受講したいと思っていただけに残念。
諸般の事情の一つとして、今やあちらこちらでカルチャー講座が開講されているため、一定人数が集まらなくなったらしい。
上智大学でカウンセリング講座を受講された方は、過去40年間で1万人を超えているそうである。毎日、想定外の痛ましいニュースが飛び込んでくるので、事件の関係者はどんな気持ちで過ごしているのかと思う。そして、被災者達の心のうちは? 身近に相談できる人がいれば立ち直れることができる。我々一人一人が心のケアの処し方を知っていればどんなに有益なことか。
カウンセリング講座を担当されておられる講師がご挨拶をなさったが、おだやかな紳士であられた。
50年前の家計調査
『若者が主役だったころ わが六十年代』(色川大吉著 岩波書店 2008年)という本を買った。タイトルが魅力的であったからだ。
私は1965年に上京した。50年前の今頃は大学受験で緊張していた。1965年から1969年の4年間、武蔵野の雰囲気が残っているきわめて恵まれた環境の中でノンポリのまま大学生活を送ったから、大学紛争の運動にも参加しなかった。この本を読んで、他の方達にとって1960年代がいかに大変であったかが読み取れた。
ところで、1965年の家計調査(経済企画庁)のことが書かれた箇所があったので、引用すると、こうである。
独身の勤労者は、平均月収=2万3200円、貯金は13万3200円、1ヶ月のレジャー代が3000円、身の回りの買物は5800円。
私が覚えているのは、国電の初乗りが10円、バス代が15円であった。コーヒー代は30円。学費は年間7万円、寮費は1ヶ月3000円であった。
現代の物価と比較すると、13倍くらいになっている。しかし、月収は10倍程度にしかなっていない。
7ヶ国語対応のクリニック
昨日、「タイ語中級 火曜日11:30」の生徒達と遅い新年会をロシア料理店で楽しんだ。そして、教室に戻って来ると、「タイ語上級 火曜日13:30」の生徒からこう告げられた。
「先ほど、すぐ近くのクリニックの院長先生がご挨拶にいらっしゃいましたよ」、と。そして、チラシとと名刺を渡された。
高田馬場4丁目に最近、誕生した「さくらクリニック」。初めて知った。チラシには、対応言語として、英語・スペイン語・ミャンマー(ビルマ)語、タイ語、ネパール語、チベット語、ヒンディ語の7ヶ国語だ。
いやはや驚いた。何故ならば院長自らがご挨拶にいらっしゃるとは! 院長は生徒達に向かって、タイのマヒドン大学で学んだと自己紹介されたそうだ。
先週、ボン先生が腹痛のため、このクリニックへ行ったことも、院長の来校に関係しているとは思うが、いずれにせよ、泰日文化倶楽部の隣りにある早稲田13時ホールは、今、日本語学校となっており、大勢のアジアの学生が通っている。50m先にクリニックが開院されたことは時代の要求かもしれない。
雲鶴
おみやげとして、キー・ホルダー、マグネット、そして、ブック・マークをたくさん頂くことが多い。いずれも大切にしまっているが、昨晩から、韓国みやげのブック・マークを使い始めた。
<雲鶴>という紋様がついたこのブック・マークには、韓国語、英語、そして、日本語による説明が書かれてあった。
「雲鶴紋様=韓国の伝統文様の中の一つで、特に伝統陶磁器や民画にたくさん使われている。雲は俗世間を脱して風流的で、鶴は高い意気を意味します」
ハングルで書かれた説明も理解できた。だが、俗世間とは書いておらず、単に、世間とだけしか書いていないことに気づく。
いずれにせよ、韓国人にとって、<雲>が風流であるとは! 雲は、「暗雲がたれこめる」、とか、「雲隠れする」とか、日本人にはマイナスのイメージが強いように思うのは、私だけだろうか。
ただし、仮にもし「雲水」になり、道を求めて行脚すれば、風流を突き抜けて、禅定、そして、空(くう)の世界に達するのかもしれない。
「諸般の事情により」という表現
健康維持のために、一日に30種類のものを口に入れることを心がけている。その手っ取り早い方法とは、ビュッフェ・スタイルの店へ行き、少しずつおかずを皿にのせることである。この年になると量は関係ない。食べ過ぎると医者に注意されるのがわかっているからだ。
月に1回の割合で、教室の近くにあるスポーツ・センター内のレストランに行っている。和食が中心のメニューはうれしい。
ところがである。玄関ドアに貼り紙がしてあり、「諸般の事情により3月末をもって閉業します」と書いてあった。街を散策していると、この間まで有ったとおぼしき店舗がいつのまにか閉店している。商売は厳しい。
それにしても、「諸般の事情により」という表現は、どことなく淋しい。似たような表現に、「一身上の都合により」というのもある。具体的表現を避け、婉曲に言おうとする日本人の特質をよく表わしてはいるものの、理解しがたい不快さが残る。
ブンカーン県のスカーフ
昨日、土曜日の授業を担当しておられるアイス先生からおみやげを頂いた。タイ国第77番目の県であるブンカーン県で買って来たというスカーフであった。
ブンカーンをタイ語で表示すると、บึงกาฬ 。ブン=沼、カーン=黒だから、黒沼県。2011年3月まではノーンカーイ県の中の一郡。行ったことはないが、ウドンタニー県やノーンカーイ県へは行ったことがあるので、風景はイメージできる。
おみやげとして頂いたスカーフは茶系統の色をしている。日本で使うには、秋がふさわしいと思う。もしもブンカーン県の女性が織ったものであるとするならば、すばらしい。スカーフは内外を問わず、需要が多いから、ブンカーン県の女性がその土地に残り、美しい織物を造っていくことは大切だ。
ところで、アイス先生は3月に博士号を取得されて本帰国である。生徒の皆さん、アイス先生と勉強するのはあと2ヶ月ですよ。
教育格差
特に用事が無い時は、あえて外出しない。昨日は読書と掃除と、そして、テレビ。サッカー中継を真面目に見たが、結果は、ああ….。
そのあと、NHKのEテレにチャンネルをきりかえると、「パリ白熱教室」をやっていた。今、注目のトマ・ピケティ教授が、第3回目の講義として、親の所得と教育格差について話していた。日本でもこの話題はかなり以前から有るので不思議ではないが、具体的なグラフを見せて、数値の比較をすると、説得力が増す。
それにしても、親の所得が多ければ、子供は良い教育を受けられる。有名な大学を卒業すれば、有名な会社に入れる。そうすれば、高収入を得て、子供に良い教育をつけさせられる。こうした循環はなかなか終わらない。高学歴をつけた人達が幸せであるか否かは別問題として、教育が社会におけるいろいろな格差を生み出している連鎖をどこかで切って、新たなる変動が必要だ。