あと5日で、2015年も半年が過ぎることになる。誰しもが思うことだが、時の経つのが何と早いことか。
泰日文化倶楽部では、毎月、何名が退会・休学して、何名が入会・復学したかの記録を残しているが、2015年前半の総括をすると、生徒数は微増の傾向にある。
最近は既修者の入会が多い。すなわち、他校で勉強したり、独学に限界を感じた方達が新たなる刺激を求めて泰日文化倶楽部にやって来られる。グループ・レッスンを選ばれる方と個人レッスンを選ばれる方の比率は半々である。
既修者はさらなる上達を目指しているから、とても意欲的だ。難易度の高い語彙を増やそうとしている生徒を見ると、大いに応援したくなる。個性的な男性が土曜日の初級クラスに入会されたが、笑顔がとてもいい。ファッションも注目のまとだ。彼ならタイ人に好かれること間違いなし。泰日文化倶楽部で長く、長く勉強して、クラスの雰囲気を盛り上げてもらいたい。
英語教育の新しいアプローチ
私の友人である菅原明子氏(保健学博士)が書いた『インドネシアが日本の未来を創る』(成甲書房 2015年1月)を買って読んだ。
インドネシアのダルマプルサダ大学へ講演に行った模様が書かれているが、インドネシアと日本の諸関係に関する感想がわかりやすく展開されている。その中で「英語教育の新しいアプローチ」という項目には、すべて大いに賛同した。内容をかいつまんで箇条書きにすると、以下の通りである。
①インドネシア、シンガポール、マレーシアに行くと、50を超えるチャンネルが視聴でき、英語はもちろん、韓国語や中国語も朝から晩まで聞くことができ、それなりに勉強になるが、日本にはこうした英語環境のテレビが全く見当たらない。海外では子ども用の英語もチャンネルを回せば、子ども向けの英語放送が一日中、放映されている。日本でもマルチリンガルの国際放送を強く望む。
②英語検定は海外でビジネスする時、あまり役に立たない。問題作成者である大学の先生、予備校の先生は、専門が英語というだけで、実際にはビジネスの現場で英語を使って仕事ができない人ばかり。
③英語検定試験に巨大な利権が群がって、そこから離れようとしないという悪習の結果、日本の英語教育が海外に比べて立ち遅れてしまった気がする。
消防自動車と女の子
昨日、消防署の前を通ると、一人の女の子が消防自動車(รถดับเพลิง)の前で動かない。食い入るように見ている。4歳くらいであろうか。横にお母さんが立っているので安心。
それにしても不思議だ。赤い自動車の前で離れない女の子。立ち入り禁止のロープが張られているので触ることはできない。幼い時から何かに夢中になって観察することはいいことだ。
そこへ、一人の消防士(บุรุษดับเพลิง)が何かの紙を持って、事務室の中から現れ、その紙を女の子に手渡す。おそらく消防自動車の絵が描かれたものであろう。女の子はすぐに受け取った。
たったそれだけの光景だが、ほのぼのとしたものを感じた。一般の車ではなくて、赤くて大きな自動車に夢中になっている女の子。将来は消防の仕事に就くかな?
タイ語 vs 体語+態語
一昨日、タイから一時帰国している元生徒のKS君が私に会いたいと言って馬場まで来てくれた。いろいろなみやげ話を聞かせてくれたが、次なる話が面白かった。
「先生、私は会議もタイ語でやっております。タイ語には自信があります。しかし、同僚の日本人で全くタイ語ができない人がいるのですが、彼のほうがタイ人受けははるかによいのです。何故なのかと考えた結果、思いあたるふしが….。それは、彼が会社の中を毎日毎日、黙々と掃除をしてきれいにしており、それを見たタイ人達が彼の態度に心打たれて、彼にとても好意的なのです」
一般に、会社には掃除をする人は別にいるはずだが、日本人の彼は清潔第一で、自ら率先して頑張っており、その行動が誰の目にも印象的だとか。
私はタイ語を初めて習う生徒達に向かって、初回の授業で「タイ語は体語ですよ。体から覚えていかないと上達しませんからね」と言うことにしているが、KS君の話を聞いて、「体語+態語」に訂正したくなった。
「タイ語という場」が有ってよかった!
「タイ語初級 土曜日11:00」のクラスの生徒さんが、先週、「タイ語中級 木曜日19:00」のクラスにサービス生として参加しておられた。私はレベルが違うから大丈夫かなあという一抹の危惧を覚えたが、大目に見ることにした。
そして、その生徒さんに昨日、お会いしたので、感想を聞いてみた。
「いかがでしたか、あの中級クラスは?」
すると、彼は逆に聞き返してきた。「皆さん、何年、勉強しておられるのですか?」
「4年ですね」、と、私は答えた。
「とても参考になりました。4年勉強すれば、あれだけのレベルになるのかと思うと、励みになりました。いずれにせよ、タイ語を勉強する場が有るのは嬉しいですね」
その言葉を聞いて、私は日頃の裏方の苦労がすっと引く思いがした。そのように心から感謝してくだされば、私はもう十分。「タイ語という場」を維持するのは苦労と疲労が多いが、意地でも頑張りたい。
二人の先輩
大学時代に住んでいた学寮で、1年上にユニークな先輩がいた。誰しもが思っていた。彼女は作家になるなあと。ところが学生時代に結婚して、何かと忙しかったようで、作品らしきものを書かなかった。やがて小学校の先生になったので、ますます作品からは遠ざかっていった。
だが、最近、聞くところによると、彼女の作家魂は消えていなかった。同じ寮の大先輩である瀬戸内寂聴の講演会を聞きに行き、「作家になる秘訣は?」と尋ねたそうだ。すると、寂聴さんは、「天分が必要」と、ずばりと言い放った。そこで我が1年上の先輩は自分には天分が無いと悟り、筆を折ったとか。
6月18日のニュースで、瀬戸内寂聴が「安全保障関連法案に抗議するデモ」に参加し、国会前で必死の反対意見を述べているのを見た。戦争体験者の声は心によく響く。93歳で行動に出る寂聴さん。我らが先輩なり。
文化人類学者・言語学者の西江雅之先生
昨日の夕刊で西江雅之先生の訃報を知った。「ああ、先生….」
1976年、アジア・アフリカ語学院でタイ語を教え始めた時、事務室で西江先生とよくお会いした。当時から、先生を慕うスワヒリ語の生徒が多かったので、先生の存在感はお会いするたびにひしひしと伝わってきた。驕り高ぶらず、ひょうひょうとして、物言いもおだやかそのもの。先生の放つ空気感に触れるだけで私は満足。学院以外でも、都内の書店で3回ほど、偶然にお会いしたことがある。先生と同じ場所に居合わせた喜び。今でも忘れない。そして、先生が晩年、アジア・アフリカ図書館館長を務められるようになってからは、また何度もお会いできるようになって、嬉しく思っていた。
その後、今日まで、書店や古本屋へ行くたびに、西江雅之先生のご著書を買い求めている。『異郷日記』(青土社 2008年)のあとがきの一部を引用させていただく。
「アフリカや南米の奥地にいた頃は普通であったような、文字も読めず、住む場所も定まらない人々の中に身を置くことが少なくなり、わたし自身が都会の半定住民となったのだから当然のことである。だが、わたしは今も‟異郷の人”である。自分の皮膚の外側は、すべて異郷だと感じている」
高級老人ホーム見学
昨日、松戸にある高級老人ホームを見学した。理由は、そこに入居しておられる大学時代の寮監が90歳を迎えられたので、元寮生達が集まって、「90歳を祝うお茶会」を開催したからである。
10名の元寮生達は近い将来のための参考として、この老人ホームに大いなる関心を持った。だが、結論は高すぎるということになった。
私は開催時間よりも1時間早く現地に行き、ロビーのソファーに座って出入りする方達を観察したり、お茶を飲んでいる方達の様子を遠くからうかがった。だが、一番の不満は、働いている職員を除くと、高齢者しか見なかったことだ。老人ホームなんだからそれは当たり前の話だが、実につまらない。空気が止まっている。
やはり都心の中でいろいろな年齢層の方達を見ながら刺激を受けるほうがいい。そして、若者達に交じって、彼らの行動パタンを観察するほうが面白いと思った。そして、諸機関を利用しながら、勉強するほうが頭の体操になるなあという結論に至った。
タイ人とはタイ語で話そう!
昨日、大学に出講すると、女子大生から次のように言われた。
「今、我が家にタイ人がホームステイしております。2ヶ月、滞在予定です」
それを聞いた私はすかさず言った。「それじゃあ、またとないチャンスです。たくさんタイ語をしゃべってくださいね」
すると彼女はこう答えた。「英語で話してます」
英語という共通語を使うと、意思の伝達は確かにスムーズにいく。だが、そうだとすると、タイ語でなんとかして伝えようというはがゆい感じがなくなる。どうにかこうにかして意思が通じた時のワクワク感が無い。
タイ人にはなるべく多くタイ語をしゃべってもらうようにお願いして、タイ語の音の美しさを少しでもたくさん吸収してほしいと思う。
ケチ と ドケチ
昨晩、「タイ語中級 月曜日18:00」のクラスで、生徒からトン先生に質問があった。
「東京の生活はどうでしたか?」
すると、「僕は ขี้งก(キー・ゴック)で過ごしました。ชี้เหนียว(キー・ニオ)は単なるケチだけど、キー・ゴックは異常なほどケチることです。ประหยัด(プラヤット)は節約するという意味ですから、いい意味です」と、彼は答えた。
タイ語を習う人なら、ケチという単語をまず覚える。次に、節約するという単語を覚えるが、ドケチ、すなわち、吝嗇となると、なかなかここまでは勉強しない。
そうはいうものの、トン先生は地方旅行を楽しまれた。深夜バスに乗って、青森へ行き、奥入瀬の美しさを堪能してこられた。。宮崎県の高千穂へも行き、神聖なる空気にも触れてこられた。ドケチと言いながらも、時間を有効に使い、日本を十分に楽しまれたのである。